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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
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縁(1)

 岡本が再度札幌の地に降り立ったのは、十月一日の昼過ぎのことである。

 新青森駅から北海道新幹線はやて九十三号に乗り、新函館北斗駅からスーパー北斗五号に、そして札幌駅で手稲行きの普通列車に乗り換えて桑園到着と、相変わらずの長旅であった。

 今日はグレーの背広姿にビジネスバッグとビジネスマンの格好をしているが、今回は帰省ではなくJR本社への出張であるからだ。

(まさか年に三度も札幌に来るとはな)

 苦笑いを浮かべながら、妻の由美子が作ってくれたおにぎりをスーパー北斗車内で食べた。

 本当にまさかである。基本的に出張や健康診断なんてものは函館支社で行えるし、出張で札幌に行くなんてのは年に一度あるかないかの話で、それも今回は「全道駅員安全講習会」などという大層な題名であるが、これはほとんど名ばかりで、予め配布された資料を読む限り、記述されている内容は架線(がせん)に棒を近付けてはならないだとか、転てつ機のトングレールの間に足を入れてはならないだとか、入社した時に学んだ基礎中の基礎で、そもそも奥津軽いまべつ駅は青森県にあるのだから「全道ではないだろう」と岡本は思った。

 要するにこの出張は、安全講習会と銘打った同窓会に近く、実際に岡本と上下ほぼ変わらない諸先輩と後輩、そして同期たちが集まり、本社二階の大会議室でやんややんやと話しているのだった。

 岡本がぼんやりと一人で過ごしていると、急に声を掛けられた。


「よお岡本」


「おお山岡。お前太ったなあ」


「お前もだろ。今どこなの?」


「俺は奥津軽だよ。お前は?」


「へえー新幹線か。すごいな。俺は手稲だよ」


 いつものんびりとしている岡本にとって、数少ない仲が良い同期の山岡であった。

 濃紺の背広がよく似合っている。山岡とは入社した時から意気投合し、野球部に所属していたと言っていた当時は短髪だったが、今は少し伸びた黒髪に、細かった身体は太ったまではいかないが頬が丸くなっていた。どうやら相変わらず独身貴族のようだ。


「確か前は小樽だろ? お前、あの辺うろうろしてんだな」


「まあな。お前こそ函館支社にいるとか言ってたのに、今度は奥津軽かよ。はは」


(本当に笑えるよな)

 岡本は胸の中で呟いた。目の前にいる山岡は函館の出身で、北海道新幹線はまだ新函館北斗までしか開業されていないのだから、函館出身者や青森出身者で固めれば良いものを、なぜか人事はそう思っていないらしく、札幌出身の自分を遠く遠くへ飛ばしたがる。

(奥津軽いまべつ駅での勤務が終わったら、今度は突然釧路だったりしてな……)

 言い知れぬ不安がよぎった。釧路だから絶対に嫌だとは思わないが、青森出身の嫁さんや娘の穂香にとっては全く知らない土地だし、自分だって釧路は過去に一度遊びに行ったきりで、よく知らない街だ。

 支社跨ぎなんてことは基本的にしない。

 確か入社時にそう教わったはずだが、岡本は突然函館支社に勤務しているし、今は駅員も人手不足で、「新幹線でやっていたなら釧路でも北見でも大丈夫だろう」と突然肩を叩かれても不思議はない。

 特に岡本くらいの年齢で家庭を持っている人間は辞めづらいから、会社からすれば「動かしやすい人材」なのは間違いない。

(山岡はなかなかイケメンなのに結婚せず、今は手稲駅で勤務してるのか。手稲なら奥津軽より忙しいと思うが、こいつの顔はなんか艶々しているし、俺は自分で鏡を見ても太った上に老けた気がするし、いつも嫁さんや穂香から早くしろだとか、遊んでとかせがまれて、休まる日がない。結婚を悔やんではないが、こいつみたいに自由気ままな独身貴族ってのも、ちょっとだけ羨ましい)


「お前結婚したんだろ?」


 岡本がそんなことを考えていると、山岡が聞いてきた。


「ああ、まあな」


「良いなあ結婚。羨ましいわ。俺は彼女もいねえし、結婚できる気がしねえや」


 意外だった。

 山岡なら合コンとかに出ればすぐにお持ち帰りしそうだし、JR社員として手稲駅で働いているともなれば、若ければ女子高生とか女子大生とかからラブレターをもらったり、そんな駅員が世の中にはいると聞いたが、こいつもそうなのでは?と思っていたからだ。

(結局のところ、ないものねだりなのか)

 岡本は確信した。

 きっと立場が逆だとしたら……由美子や穂香がいない生活なんて、もう考えられないが、もしも立場が入れ替わったら、自分だって山岡を羨んだだろう。そして誰も待たない独身寮やらアパートに帰って、コンビニ弁当でも食いながら「結婚したいな」なんて呟いていただろう。

 結婚というものは縁なのだ。そしてその縁は大切にしなければならない。縁というものは、自分で切り離そうとすれば簡単に切れてしまう。問題は切るか切らないか、大切にするか無下にするか、それなのだ。

 この山岡はまだ縁は持っていないらしい。モテることと縁を持つことは、似ているようで全く違う。

 福耳のない恵比須さまのような顔をした、お世辞にもイケメンとは言えない岡本が美人な嫁さんをもらい、可愛い娘がいることは、これは縁である。


「お前はイケメンだしすぐ彼女もできるさ。俺は結婚式やらなかったけど、お前が結婚する時は派手にやるんだろ?」


「おう! 俺は親族、友達、会社の面々みんな呼んで、パーっと派手にやるつもりだ。奥津軽からでも、来いよ」


 二人は笑い合った。やがて会議室には営業部のお偉いさんが入ってきた。マイクをトントンと叩いてテストを行っている。細い身体にキリっとした目線がクールな印象を受けた。


「皆さん、お疲れさまです。営業部課長の玉本です。今日はお忙しいところお集り頂き、ありがとうございます。これから全道駅員安全講習会ということで、基本に立ち返り、安全作業のイロハを学んで頂き、今後の業務に生かして頂きたいと思います。特に当社におきましては、年末に掛けて雪という強敵が待っています。JR北海道は雪に強い会社だと自負しておりますが、これは皆さんが、何よりもお客様の安全を最優先に業務を遂行しているからであり、駅員に限らず保線や土木、電気といった工務関係の社員とも協力し合い、雪や氷と戦ってくれている賜物であります。今後も皆さんが労災や触車事故等に遭わないように今回の講習会を実施する運びとなり……」


 玉本課長はその後、それこそ基礎知識……列車ダイヤの読み方だとか、架線(がせん)からは何メートル離れて作業をしなければならないだとか、雪かきをする上での注意点や、ホームに出来上がったアイスバーンを除去する方法だとかいろいろなことを語っていた。

 各々、配られた資料にメモを取る。一応は駅を代表して出席しているから、帰れば助役や駅長等に「どんな講習だった?」と聞かれるのは必至だからだ。

 岡本と山岡は隣同士の席に座り、メモを取った。


『お前、何時の列車で帰るの? 今日は帰れんの?』


 岡本の資料に山岡が書く。岡本は山岡の資料に『今日は直帰。十八時にサツ発で二十三時にシア到着予定』と書いた。


『マジかよ。帰れるんだ?』


『うん。新幹線だからな』


『そうか。便利なんだか不便なんだか分からんな』


『そうだな。明日も出番だから仕方ねえよ』


『俺は懇親会に出席して明日報告だよ。ああめんどくせえ』


『しゃあねえだろ。でも久々に一杯やりやかったな』


『ああ。残念だけど今はコンプラとか厳しいからな』


『だなあ。まさか明日突発年休ってわけにもいかねえわな』


『そういうこった。話を聞こうぜ。テストみたいなのするんだろ』


 二人のアナログチャットはここで打ち切られた。岡本の言う通り、夕刻にはこの講習会が終わるため、列車ダイヤに大幅な乱れが生じない限りは、新青森に帰れてしまうのである。

 北海道新幹線が開業する前なら「仕方ねえなあ」なんてニヤニヤ笑いながら札幌出張をエンジョイできたものだが、今は便利になったからすすきのに行く暇がない。

 遊び人の山岡のことだから、どうせ顔の利く店の一つや二つはあるのだろうし、自分もそれに乗っかって若い姉ちゃんのいる店に行きたいとは思うのだが、JR北海道という看板を背負っている以上は、決められた列車で帰るのが務めである。

 ちょうど昼過ぎに行われたというのもあって、周りはうとうとと眠っていそうな社員もいる中、岡本と山岡は律義にメモを取り続けた。大会議室の中央に置かれたスクリーンにはパソコンの画面が映し出されており、実際にどんな危険が潜んでいるかなどを絵や写真付きで説明してくれていた。


「さて、安全については大体このような感じですが、キタカ管内で勤務されている方は何名くらいいらっしゃるでしょうか?」


 パワーポイントによる安全作業についての説明が終わった後、突然玉本課長が切り出した。

 おずおずと手を挙げる社員たち。山岡も手を挙げた。


「ふむ、結構いらっしゃいますね。皆さんの駅には、社用のスマートフォンやタブレット端末があるかと思いますが、今はこういったアプリを試験しているそうです」


 パワーポイントの画面が切り替わり、札幌圏の線路図と思わしきマップと、列車のアイコンが一つ、札沼線上に表示されていた。列車アイコンの右上には+0と書かれていた。

 会場はざわめく。「なんだこれは?」、「どういう意味だ?」、「動いてるぞ」など、様々な声が聞こえた。

 玉本課長が説明を続けた。


「これは、あるソフト会社が開発しているアプリなのですが、列車の現在位置と遅れ情報をGPS通信により表示させることができるそうです。電気部の方から直接伺い、このパソコンにソフトを入れてもらったのですが、今は札沼線一本の列車在線位置を表示するにとどまっていますが、アプリが実用化されればダイヤが乱れた際も、お客様に列車がどこにいて、何分遅れているかを可視化することができます。そうなれば皆さんの業務も多少は軽減されるでしょうし、今後は函本(はこほん)や千歳線でも試験を実施する予定だそうです。現在はキタカ管内をカバーできるように開発しているそうで、それぞれの駅に貸与されているスマートフォンやタブレット端末にも順次、このアプリを入れていくそうです。駅員にもモニターして頂きたいとお話されていました。まだ実用化には至っておりませんが、これが本当に使えるものになり、キタカ圏外の石勝線や宗谷線、苫小牧より奥の室蘭線といった遠いエリアも拾えるようになれば、皆さんの業務にも少しは役に立つのではないかと思い、開発中のアプリをご紹介しました」


 会場からは「へえ」とか「ほう」とか「便利そうだな」といった声が上がった。岡本は「ああ、青木って人が作っていると言っていたアプリはこれなのか」と納得していた。

 どれどれと玉本課長がマップをズームアップすると、列車が動いているのが見えた。

 なるほど、これくらいリアルタイムに列車が動いているのが分かれば、お客様も納得してくれるかもしれない。

 特に遅れが生じやすい冬期なんかは、+何分で表示されれば、スマホや駅端末の画面を見てもらえれば、怒鳴り散らされることも減るだろう。


「このアプリはまだ社外秘です。ある程度の精度に達すればお客様にもモニター頂く予定だそうですが、まだ完璧ではないことと、試験車両が走る日とそうでない日があるから、だそうです。私も詳しいことは存じ上げないのですが、こういう物を電気部が作ってるよということはお伝えしておこうと思い、皆さんにご案内しました」


 玉本課長は続けた。「どなたか質問のある方はいらっしゃいますか?」と周囲を見渡す。

 はい!と手を挙げる者がいた。山岡だった。


「はい、そちらの方どうぞ」


 玉本課長は穏やかな口調で山岡を促した。


「私は手稲駅に勤務する山岡と申します。このアプリはお金を取るシステムになるのでしょうか? それとも無料なんでしょうか?」


「完成すれば、無料でダウンロードできるようにするそうです。これはあくまで列車在線位置を提供する物であって、ゲーム性だとかはないそうですね」


 ふふっと笑いながら玉本課長は教えてくれた。山岡は「ありがとうございました」と頭を下げた。

(なるほどな。これが例のアプリか。なかなか上手くいかないって青木は言ってたが、今んとこ札沼線の列車はちゃんと動いているし、どうやら問題はないみたいだ。これは確かに見やすいし、実用化されればキタカ管内の駅員は助かるだろうな。ところで、青木の会社はどうやって利益を得るのだろうか。このアプリが無料だとすれば、いくらか知らんが彼の会社は開発費を投じてシステムを作り上げたとして、その分の利益を回収できるのだろうか)

 岡本は知らず知らずのうちに手を挙げていた。


「はい、そちらの方」


 玉本課長が岡本を呼ぶ。

 岡本は手を挙げていたことに気付き、何を聞くか一瞬迷ったが、素直に思ったことを聞いてみようと思った。ここで何を聞いたとしても、別に自分の評価が下がるだとか、会社が不利益を被るだとかはないと思ったからだ。


「はい。私は奥津軽いまべつ駅に勤務する岡本と申します。私はこのアプリを開発している人を知っているのですが、このアプリが無料で配信されるとして、その人が勤める会社はどうやって利益を上げるのでしょうか?」


 岡本の質問を聴き終えると、玉本課長は笑った。

 奥津軽いまべつ駅に勤める人間にとっては、今のところ関係のないアプリだし、ましてや利益がどうやって出るかなど、そんなものは岡本の給料に関係ないからである。


「そうですか。お知り合いがいらっしゃると。確かに無料でサービスするからには、何かしらの方法でお金を回収しなければなりませんよね。実はこのアプリが完成して実用化に至れば、JRが買うような形になるのではないか、と噂されています。あくまで噂ですから、あまり口外しないで下さいね。それにアプリ上に広告を出すなりして、広告料金なんかも稼ぐのかもしれませんね。開発中のアプリですので詳しいことは分かりませんが」


 玉本課長は世間知らずな質問にも丁寧に答えてくれた。

 岡本は礼を言って頭を下げ、玉本課長は「他に質問のある方はいらっしゃいますか?」と続けたが、手を挙げる人はいなかった。


「では、そろそろこのアプリについては終わりにしましょう。一旦休憩を取ります。次は十五時二十五分……いえ、三十分にしますか。三十分にここへ集合して下さい」


 玉本課長が言うと、やれやれとタバコを吸いに行く者、トイレに行く者、自動販売機でジュースを買う者と散り散りになった。

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