熱中(3)
(ふう……危ないところだったわ。もう何言ってるのかしら智ちゃん。私の部屋なんて入れられるはずないじゃない。あんな汚い上に散らかった部屋を見せたら、「見損なったよ」とか言われるかもしれない。いや、智ちゃんは優しいから「なかなかだねえ……」って苦笑するだけで済ましてくれるかもしれないけど、絶対にドン引きされるわ。私自身、あの部屋に入るのも嫌なのに)
道中で柴原は思った。思いがけない提案をされ、ちょっと泣きそうになるくらい抵抗してしまった。
しかし絶対に入れられない理由があった。下着を脱ぎ散らかしているとか、他の男がいるとか、そんなんではないにせよ、ペットボトルの空は片付けたが、寝坊して出しそびれた資源物のゴミ袋が玄関にぶん投げてあるし、奥の洋室は埃の被ったガラステーブルに、開きっぱなしのラヴィが置いてあり、その周りはティッシュだの図書館から借りてきた野球のルールブックだのがごろごろしており、他にも何となく買ったファッション誌が床に置いてあったり、いつ使ったかも忘れたマニキュアが転がっていたり、自らパンドラボックスと呼んでいる禍々しいクロゼットなど、もはや異世界を超えて異次元とも呼べるくらいガラクタで溢れている。
台所には朝に食べたコーンフレークの皿が水に浸けたままのはずだ。あんな狭い部屋、やろうと思えば片付けなんてすぐ終わるのに、全然やろうとしない。
「風呂とトイレは綺麗にせよ」との柴原家の家訓に従い、トイレ掃除と風呂掃除は欠かさず行っていたが、肝心の部屋の中は全くの手付かず同然で、それどころか日増しにガラクタは増えていき、柴原自身もどこに何があるかなど全く把握しておらず、「ボールペンどこやったっけ」と探すだけでも十分は掛かり、「ハンコ! ハンコ!」と急げば二十分掛かり、「今日返却の本はどこだっけ?」となれば三十分は掛かる有様である。
青木のアパートに着いた。「散らかってて恥ずかしいけど」なんて言うが、青木の生活感のない部屋で「散らかって」いるのならば、自分の部屋はゴミ屋敷であると、柴原は心の中でため息をついた。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
何度も訪れている青木の部屋に入る。
彼の部屋の匂いがする。決して嫌な匂いではない。青木自身ほぼ無臭で、男特有の男臭い感じはしない人間なのだが、部屋は不思議な香りがする。
不快ではない。むしろこっちの方が自宅なんじゃないかと思うくらい、安心感を得ることができた。少なくとも自分のゴミ屋敷なんかより、ずっと居心地が良い。
(智ちゃんの部屋と私の部屋を交換したいくらいだわ……。でも、多分私はこの部屋を三日で散らかすし、智ちゃんは三日もあれば、あのゴミ屋敷を綺麗にしちゃうわね……)
青木の部屋は相変わらず生活感がなかった。白いテーブルに白いクッション、そして台所に皿が置いてあるなどというみっともない状態ではなく、物はあるべき場所へ整理整頓され、まるでホテルのようにしっかりベッドメイキングされていた。柴原の寝て起きてそのままの状態になっている、だらしないというか、最後にいつ洗濯したかも覚えていない枕や布団に比べると雲泥の差である。
とりあえず、と白いテーブルを中心に、二人はクッションにそれぞれ座った。おもむろに青木がテレビを点けた。普段あまり使わないテレビを点ける姿を見て、珍しいなあと思った。
『さあラグビーワールドカップ! いよいよ日本対アイルランドの戦いです!』
テレビではラグビーワールドカップの様子が中継されていた。興奮した様子で実況が言っている。
(ああそっか。ラグビーの世界大会が日本で開催されてるんだっけ……。札幌ドームでもやってるとか言ってたな。でも智ちゃん、ラグビーなんて詳しいの? こんなに細い身体でラグビーやってたようには見えないし、そもそもルールも分かんないし……)
そう思っていると、向かい合っていた青木はテレビの方を向き、じっと見入っていた。そんなに面白いのか?と柴原は思った。
テレビには綺麗なスタジアムが映されていた。サッカースタジアムのように緑の芝生が絨毯のように映え、スタンドは満員になっているようだった。そして赤と白のストライプのジャージを着た日本代表と、緑のジャージを着たアイルランド代表が映っていた。これから国歌斉唱らしい。
「今日は絶対に負けられない試合なんだ」
「ふうん。智ちゃん、ラグビーに興味あるんだ?」
「うん。普段ラグビーなんて観ることないし、詳しいルールも全然知らなかったんだけど、この間ロシアとの開幕戦を観た時にカッコよくってさ。ちょっと感動しちゃったんだ」
「へえ、そうなんだ……私は確か違う番組を見てたから、なんか勝ったらしいってニュースしか知らなかったわ」
「そっか。じゃあ今日一緒に観ていこうよ。きっと梨恵も気に入ってくれるよ」
そんなに言うならと、柴原はちゃんとテレビの方に向かって座った。
君が代が斉唱され、その後アイルランドの国歌が斉唱された。それぞれの国歌が終わると、会場からは万雷の拍手が湧いた。カメラには感極まり涙ぐむ観客の姿も映されていた。いよいよ試合開始らしい。
柴原は選手たちが並んでいるのを見た。サッカーよりも人数が多いらしい。
(いったい何人かしら? ええと……十二、十三……あ、もう。なんでこんなところでカメラが切り替わるのよ。数えられないじゃない)
ホイッスルの音が鳴り試合は始まった。キックオフと呼ぶらしい。サッカーと同じかと柴原は一人で納得した。
選手たちがフィールドに散り、楕円形のボールを持った選手を相手チームの選手たちが追う。そしてぶつかり合う。そんな勢いでぶつかったら怪我をしてしまうんじゃ……と柴原は心配したが、選手たちは平気な顔をしている。それどころか激しくぶつかり合いながらボールを奪い合い、時にはボールを蹴ったり倒れ込んだりしていた。
そしてH型のゴールがあるらしく、相手陣地の方で反則があるとサッカーのようにペナルティキックができるらしい。これを決められれば三点が入る。
トライ。これはラグビーに疎い柴原でも言葉は知っていた。ただ何をすればトライなのかは知らなかった。よくよく見てみると、どうやら相手陣地までボールを持って行き、陣地内でボールを置けばトライとなるらしい。トライを決めると五点入ることも知った。
さらにトライを決めるとゴールへ向かってボールを蹴ることもできるらしく、その角度はトライを決めた場所によって変わるらしいが、楕円形のボールをそんなに広くはないであろうH型のゴールのポールとポールの間に、選手は入れた。これで上手く入れば二点が追加される。つまりトライを一度決めればそれだけで五点が入り、さらに上乗せして二点入れるチャンスがあるということだ。
(もしかしたらサッカーに近い競技なのかもしれないわ)
じっと試合を観ている内に柴原は思った。野球とは全く異なる競技なのは間違いなかった。左上に時間が表示されるということは、試合時間が予め決まっているのだろう。サッカーでいうアディショナルタイムがあるのかは不明だが、きっと時間的にはほぼ一緒で、恐らく前半と後半があるのだろう。
彼女の読み通りラグビーは前半後半合わせて八十分の競技である。八十分を過ぎてもプレーが継続されている場合、そのプレーが終了するまで試合は継続される。
柴原は気が付けば無言になって観ていた。それは青木も一緒だった。一つ一つのプレーに観客が沸き、青木も柴原も沸く。
日本代表は苦戦していた。アイルランド代表はどうやら日本代表よりも格上の相手らしく、世界ランキングでは上の数字が表記されていた。しかし日本は開催国だから特別出場しているのだろうか?という柴原の疑惑は、日本代表の堂々たる戦いぶりを観ていると氷解した。
夢中になって観ていた。小説を書く以外にこんなに熱中したことはなかった気がすると、柴原は思った。
考えてもみるとファイターズ戦を観ることもあるが、それは自分が疎い野球について彼女なりに勉強するために観ているのであり、試合がどう転んでも「こういうルールもあるのかあ……」などと納得するだけで、ファイターズや対戦チームを応援するというよりは、野球という競技を漠然と観ているに等しく、ファイターズが負けてしまっても特に悔しくはないし、ファイターズが勝っても特別嬉しいとは思わなかった。それは感情移入して観ていなかったからである。
あくまでも野球という競技を知るため、ローカルのテレビ局がよく放送しているからとファイターズ戦を観ているだけであり、彼女は夢中になって観ているわけではなかったのだ。
しかし今、ラグビーという自分が全く知らない競技を観て、熱中して日本を応援している。
それは自分が日本人なのもあるが、それぞれフィールドに散らばった選手たち、全部で十五人が熱い思いを持ってアイルランドの選手たちとぶつかり合い、スクラムを組み、激しく火花を散らしているからである。そんな姿を観て柴原は感動を覚えていた。
ラグビーのルールは複雑らしく、軽度な反則が見られればその都度、レフリーのホイッスルが鳴ってプレーは止まる。一体何が起こったのか?と思えば、右下にテロップで今起こった内容を丁寧に説明してくれるので、「これをしてはいけないのか」と理解することができた。
ルールを理解せず、自国で開催されているにも関わらず興味を示さず、何となく日本が勝てば良いね……なんて思っていたラグビーに、柴原は引き込まれていった。
やがて前半が終わった。九対十二。アイルランドが三点リードしていた。
「ふう。どう? なかなか面白いでしょ? やっぱりアイルランドは強いなあ……何とか追い掛けて欲しいけど」
試合は休憩に入ったらしく、テレビも一度CMに入ったタイミングで青木が言った。額には汗をかいている。部屋が暑いわけではないのに、よほど熱中していたのだろう。
ほとんど言葉を交わさず過ごしていたが、あっという間の四十分だった。
「うん! すごく面白いわ。なんか手汗までかいちゃって、どっちの選手にも頑張れ!って思っちゃった」
柴原がそう言うと、青木は笑顔をはじけさせた。
「そうだね。どっちもすごく一生懸命やっているもんね。日本は今日勝てば決勝トーナメント進出も夢じゃなくなるんだ。だから絶対に勝って欲しいね」
「そうなんだ。私、ラグビーのルールとかは全然分からないけど、男同士のぶつかり合いっていうのかな。ちょっと感動しちゃった」
「ははは。いいんじゃないかな? そろそろ後半が始まるね。僕は一度トイレに行ってくるよ」
そう言い終えると、青木はトイレへ向けて歩いて行った。
それにしても……本当に綺麗な部屋である。塵一つ落ちていないとはこういう様を言うのだろうか。
フローリングの上も綺麗だし、トイレも綺麗だし、愛し合った後に使わせてもらうシャワーも清潔そのものだ。トイレに至っては、小の時でも座って使っているというから徹底している。
(それに比べて私はどうだろう。トイレとお風呂は綺麗だとしても、智ちゃんのようにちゃんと整理整頓をして、部屋を清潔に保って、いつ誰が訪れても恥ずかしくない家にしておくって、大事かもしれないわね……。もしお母さんとお父さんが家に来るって言ったら絶対断るし、それでも来るって言うなら玄関での立ち話にするか、別な場所で話したいわ。あんな部屋見せたら絶対怒られるし、呆れられるし……)
柴原は猛省した。自分よりも青木の方がずっと女性らしい気がした。部屋を見渡すと、自分のだらしなさが際立った。
少なくとも青木の家は誰が来ても、恥ずかしくない部屋である。
物も散らかっていないし、家具に埃も被っていないし、開けたことはないがクロゼットも整理整頓されているのだろう。
それに比べて柴原の部屋は、当の本人ですら入るのが嫌になるくらいのゴミ屋敷だ。これでは仮に青木と結婚することになって、どこか新居を見つけるとしても、彼女の物で家はあっという間に散らかってしまうだろう。
(嫁入り前に……何とかしなきゃね、あの汚い部屋を。せめて智ちゃんは普通に招けるくらいにしないと、お嫁にいけないわ……)
柴原は暗い気分になっていた。本格的に部屋の片付けを計画しなければならないだろう。
考えていると青木が戻ってきた。
「あれ? なしたの、なんか暗い顔して? 喉でも乾いた?」
「ううん、そんなんじゃないの。大丈夫。そろそろ後半ね」
再び選手たちがフィールドに並ぶ。サッカーと同じく、後半になると陣地は左右で入れ替わるらしい。
五分ほどしてアイルランドの選手が交代した。なるほど、こういうところもサッカーに似ている。
白熱した試合は続く。十分が経過したが、まだ九対十二で日本のビハインドだ。アイルランド代表も容赦なく攻めてくるし、日本代表も攻め返すが、これ以上の失点は防がなければならないので、必然的に防戦となっている。
熱い攻防が続く。途中何人かの選手が交代した。やはりサッカーと同じで、走り回るから疲労もあるだろうし、ぶつかり合えば怪我もあるのだろうと柴原は思った。
後半十四分。日本はペナルティキックのチャンスを得る。しかしこれは惜しくも外れてしまう。
「ああ!」
二人同時に叫ぶ。しかし日本代表は挫けない。諦めない。絶対に勝つ。格上相手だが、勝って悲願の決勝トーナメント進出を目指す。画面越しからも熱意が伝わり、観客はワンプレー毎に歓声を上げる。
後半十九分。遂に日本代表がトライを決める。スタジアムは大歓声に包まれた。これで十四対十二。逆転だ!
「よっしゃあ!」
初めて青木の雄叫びを聞いた。柴原も青木ほどではないが「やったあ!」とガッツポーズを決める。
試合はまだ終わらない。次はコンバージョンゴールを日本代表の選手が決める。これで二点追加だ。さらに歓声が沸く。
十六対十二になり、仮にアイルランド代表にペナルティキックを決められても、一点のリードは守られる。
柴原は自分が緊張してきているのを感じていた。
勝てるかもしれない。アイルランドがどこにある国なのかは知らないが、日本よりも格上の相手だとして、そんな難敵を破るかもしれない。
その後、日本代表もアイルランド代表も何度かの選手交代を行う。新しく交代されてきた選手たちがフィールドに向かって走る。
もう選手なんて表現は失礼かもしれない。そうだ、彼らはヒーローだ。柴原は思った。
フィールドにヒーローがいる。十五人対十五人。合計三十人のヒーローがいて、それを判定するレフリーたちがいる。
彼らはヒーローだ。今日観た映画の主人公のように、彼らは一人一人がヒーローで、それぞれがプライドを懸けてぶつかり合っている。勝つために。自分たちの国を勝たせるために、命懸けで戦っている。
(そうだわ。私はワタルがヒーローになる話を書けば良いんだ。挫折もするし失敗も沢山するけど、今は中学生の彼が、いつかプロの世界で、もっともっと活躍したらメジャーリーグの世界で、スーパースターになれば良いんだわ。IFと名付けた自分の小説は、野球という競技を経てお兄ちゃんを永遠のヒーローにする。そしてヒーローの相棒に、アツヤがいる。そうすれば書ける。きっと続きが書ける!)
柴原は目頭が熱くなっていることに気付いた。もう日本代表が勝っても、アイルランド代表が勝っても、どっちでも良いとすら思えた。彼らが喜び抱き合う姿を想像するだけで、感慨深かった。
後半三十分を回った。いよいよあと十分だ。あと十分日本が逃げ切れば、勝てる! しかしアイルランド代表も必死になって食らいつく。決して諦めない。何とか日本代表を出し抜いて逆転しようとするが、日本代表も踏ん張る。防戦が続き疲労もピークのはずだが、日本代表は粘っていた。
後半三十二分。日本代表に決定的なチャンスが訪れる。ペナルティキックだ。もしも決められれば七点差になり、仮にトライを決められて、その後ゴールを決められても同点だ。
「ここよ! 決めて! 絶対決めてちょうだい!」
柴原は声に出していることに気付いていなかった。
青木も夢中になってしまっており、柴原の声など耳に入っていない。
日本代表の選手が緊張した面持ちで楕円形のボールを蹴り上げる。見事な軌道を描いてH型のポールとポールの間にボールは吸い込まれていく。
「やったあ! 勝てる!」
「よし! でも、まだ分からない! 勝負は最後まで分からないから面白いんだ!」
彼の言う通りだった。まだ分からない。野球で終盤に七点差が付けばほぼ勝負ありだが、ラグビーにおいて七点は決定的な差ではない。ワントライ・ワンゴールで追い付かれてしまうからだ。
日本代表は必死に守る。アイルランド代表はガンガン攻めてくる。やはり格上の相手は手強い。
屈強なアイルランド代表のヒーローに、体格では少し劣る日本代表のヒーローがタックルで守りに行く。力と力のぶつかり合い。汗を流す両者。倒れ込んだ際に芝生が擦れ、ユニフォームにその痕が付いている。
後半四十分となる。試合終了はまだか? まだか? まだなのか?
二人はそわそわする。日本代表とアイルランド代表がスクラムを組む。アイルランド代表がボールを奪う。しかしアイルランド代表が蹴ったボールは、無情にも白線の外側へ飛び出してしまう。
『ノーサイド!! 勝ちました日本! 何と! 素晴らしい快進撃で強豪アイルランドに勝ちました! 十九対十二! 日本代表、これで勝ち点を四つ増やし、決勝トーナメント進出へ大きく前進しました!』
実況の声が裏返っていた。もしかしたら、涙ぐんでいるのかもしれなかった。解説の人も『ええ、ええ、よくやった……』と震え声で言っていた。
柴原と青木はハイタッチし、やがて両者は抱き合った。テレビには互いの健闘を称え合うヒーローたちの美しい姿が映し出されていた。
(そっか。これが熱中するってことなのね)
柴原は知った。サッカーを観ても野球を観ても、あくまで「観ている」に過ぎなかった行為が、このラグビー日本代表の戦いぶりを観て、「熱中する」という行為になった。
(そうだ。私が書くのに足りてなかったのは、熱中だ。熱中して野球を観てなかったから、本気で取り組んでも進まなかったんだ。ファイターズファンになるかは別として、熱中してみよう。ぼんやり観てても、ルールは覚えられても、淡々とルール通りに機械がやってるだけの話になってしまう。そうじゃなくて、やってるのは人間で、各々が命を懸けて取り組んでるんだから、観る人を感動させるんだ)
柴原は決意した。IFを書くため、「熱中」をテーマにすると決めた。
もう夕飯時なのに空腹すら感じず、本気になって観ていた自分に気付いた。
「いやあよかったよかった。次は……ええと十月五日か。サモア……確か南洋の国だ。小さい国だけど、強いよ」
「そうなんだ。智ちゃん詳しいね」
「うん。地図を眺めたり、国旗を見るのが好きだからね」
青木が世界地図を眺めるのが好きなのは知らなかった。
でも面白いかもな、と柴原は思った。思えば自分は札幌、それも西区と厚別区にしか住んだことがなく、日本国内の旅行すらほとんどしたことがない。
(前に智ちゃんは、旅行が趣味だと言ってた。私も趣味とまではいかなくとも、少し足を延ばしても良いかもしれない。ワタルが合宿するのは札幌市内じゃない、どこかの街……小樽だとか岩見沢だとか、そこだとして、実際に行って街の空気を感じるってのは、それは書く上で必要な行為かもしれない。図書館で本を借りて調べても、地図を読んで調べても、実際に行って、空気とか匂いとか、そういうのを感じてこないと、作品にリアリティは生まれないかもしれない。取材だ。取材旅行!)
柴原がそんなことを考えていると、ゆっくりと青木が言った。
「なあ、梨恵」
「なあに?」
「僕らも、久しぶりにキックオフしないか?」
抱き締められながら耳元で囁かれ、柴原は「エッチ」と笑った。




