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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
35/41

熱中(1)

「なかなか面白かったね。最近のCG技術はすごいなあ。本物みたいだった」


「うん! 本当すごいわね。私、最後のシーンでちょっとジーンときちゃった」


 柴原と青木がJRタワー内の札幌シネマフロンティアから出てきたのは、九月二十八日の十三時頃であった。

 久しぶりに、いつものバー以外で二人きりの時間を過ごしていた。青木の仕事が軌道に乗り始め、暦通りの土曜に休みが取れたので、「久しぶりに街にでも行かない?」と持ち掛けられた柴原は喜んだ。

 柴原は休職中で毎日が日曜日みたいなもんだから、病院や勤め先の園長先生との面談以外は暇で暇で仕方ない……とまではいかなくとも、小説を書く以外にすることがほとんどなかったし、ぼちぼちと書いていた小説も進んだり止まったりで安定せず、青木と過ごしたいと思っていたからである。

 今日はアメリカのアクション映画を観ていたのだが、その出来に圧倒された。

 CGの技術もさることながら、カッコいい主人公に、退屈させない展開に、面白いジョークに、美人なヒロインに、そして感動的なエンディング。青木はどうだったか不明だが、柴原はちょっぴり目頭が熱くなっていた。

 青木がリーダーを務める「列車追跡アプリ」の試験が札沼線で成功し、そろそろ函館線や千歳線で、それぞれ一編成ずつでもやってみましょうか?とJRの本社の人から持ち掛けられたらしい。

 しかし既存の装置では複数の列車情報を同時に処理できないらしく、過密ダイヤの函館線や千歳線では、現行の装置だと難しいそうだ。

 柴原には詳しい内容は分からなかったが、今は新しく高性能な装置の手配を行っていて、来月中旬から下旬には出来上がるのだが、新しい物を取り付けるからには工事が必要で、それをどこに任せようかと思っていたら、手稲にある小さな会社が引き受けてくれそうだと、昨晩バーで話していた。

(智ちゃんはいろいろと苦労しながらも、一生懸命頑張っているんだなあ……。IFはちょっと進んだけど、まだワタルは部活を始めたばかりで、アツヤと一緒に先輩からしごかれつつ、四月末の大会に出たいって思うんだけど、お前はまだ補欠と言われる……そのくらいしか書けてないわ)

 全く知らない世界である中学の野球部について書いていた柴原は、どんなことをするのかなどを調べつつ、遅筆ながらも執筆を続けていた。

 IFの主人公ワタルはショートのレギュラーを奪いたいと思うが、レギュラーはもう二年生や三年生の先輩で埋まっているし、「まだ下手だからダメ」だと言われてしまう。

 悔しがりながら一生懸命練習するワタルと、仕方なくそれに付き合う同級生のアツヤ。二人は徐々に仲良くなってきている。物語はそんなところで、一旦停止していた。


「お腹空いたね。何か食べたいものある?」


 映画の余韻に浸りながら自分の書く小説について考えていると、青木が提案してきた。

 ああ、言われてみるともうお昼を過ぎてるのか、お腹も空いてきたなあと柴原は思った。


「ラーメン! 私、ラーメン食べたい!」


「ラーメン? ラーメンで良いの? なんかもっと高いとまで言わなくても、上等なものじゃなくて良いの?」


「うん! ラーメンなんてしばらく食べてないし、食べたい! エスタのら~めん共和国に行きましょうよ」


 ラーメンラーメンと繰り返す柴原を見て、青木は眼鏡越しに笑った。

 今日の柴原は、いつもよりひときわ綺麗だと青木は思っていた。今日は好天でポカポカと暖かいが、朝晩はすっかり肌寒くなってしまった札幌は、玄関から遠くに見える手稲山の色も変わりつつある。

 そんな季節にふさわしく、柴原は白いブラウスにブラウンのパンツを履き、そして黒のニットベストを着ていた。女性のファッションなんて青木は知識がなかったが、彼女の年齢にはちょうど良い具合の、可愛らしい格好だと思った。

 ニットベストが美しい亜麻色のロングヘアに合っていた。朝晩はちょっと寒そうにも感じるが、そんな夜中まで連れ歩くつもりもない。

 青木はというと、今日はさすがに背広ではなく、ユニクロで買った紺色のジーンズに、上は柄物の白いロングTシャツにカーキの薄いジャケットを着ていた。ユニクロのジーンズというのは優れもので、オシャレに全く興味のない青木は重宝し、痛みも味になってくれるため、大変ありがたい存在であった。


「分かった。じゃあラーメンを食べに行こう」


 二人は柴原の希望通りにら~めん共和国へ行った。昼を過ぎたとはいえ、休日なのもあってそこそこ混雑していたが、それほど待たずしてお目当ての店では食べられそうだった。

 ラーメンの旨そうな匂いが充満している。いつ訪れてもここは混雑している。観光客は当然として地元客も掴めているのだから、青木はら~めん共和国を考えた人を尊敬するのであった。


「なんでそんなにラーメンが食べたいの?」


 ラーメン屋の外にある椅子で待ちながら、青木は聞いた。

 柴原はあまり好き嫌いを発信してくる人ではないが、ラーメンにやたらと固執するからには何か理由があるのだろうと思ったのだ。


「私……その、一人でラーメン屋さんに行く勇気とかなくって。でも、家で作ってもラーメン屋さんみたいに美味しくならないし、有名なお店のカップ麺を食べてみても、やっぱり本当のラーメンが食べたいなあ……ってずっと思ってたの」


「なるほどね。お友達とかと行ったりしないの?」


 何となく尋ねた青木に対し、柴原はちょっと難しそうな顔を浮かべた。

 彼女の口から友達という単語を聞いたことがない気がするし、以前、青木の親友である佐藤と二人でドライブへ行った際、柴原はいつも一人ではないかと感じたのを思い出した。


「元々あんまりお友達いなくって……。仲が良い人は東京に行っちゃったから、私、あの辺に住んでる友達っていないんだ」


「そっか。まあ僕も人付き合いが得意な方じゃないし、そんなに気にすることじゃないよ。梨恵がラーメンを食べたいと思うなら、僕を誘ってくれればどこにでも行くからさ!」


「うん、ありがとう智ちゃん」


 ニコッと微笑む柴原を見て、青木は少し申し訳ない気持ちになった。

 やはり自分が思っていた通り、彼女は孤独な人なのだろう。だからといってそれが可哀想だとは思わないし、彼女自身も友達という存在を特別求めている様子はないのだが。

 そしてそれは自分も同じだと青木は思った。佐藤という親友はいるが、他に誰かいるかと聞かれれば、ちょっと困る。

 上司の高取と仲は良いと思うが、会社以外で会いたいとは思わないし、向こうもそうだろう。

 職場の仲間は基本的にそういうものだ。よほど意気投合しない限り、お互いにプライベートでは干渉し合わないのがマナーである。

 青木がそんな野暮なことを考えていると、やがて自分たちの番になり、店員に「お待ちのお客様どうぞ!」と元気良く呼ばれた。

 やれやれと隣同士のカウンター席に座る二人。いろいろなラーメンが並び、写真付きのメニューはどれも旨そうに思えた。他の客がラーメンを啜る音が聞こえ、匂いと相まって食欲をそそる。


「どれにしよっかな……」


 柴原は迷っているようだった。青木は味噌ラーメンにしようと思っていた。

 醤油は佐藤と旭川で食べたばかりだし、もっと前に函館へ行った時に塩は食べたので、やはり札幌なら味噌ラーメンだろうと思ったのだ。

 しかし迷う柴原を置いてきぼりにして自分だけが先に選ぶわけにもいかず、ぼんやり悩む風を装いながら、青木は横目で彼女を見た。

 美しい横顔がちょっぴり難しい顔をして悩んでいる。女性という生き物は、こうやって悩むのが好きだよな、と青木は心の中で笑った。

 デート中、たまに彼女が「服を見ていきたい」と言うのでそれに付き合うと、二十分も三十分も掛けて散々迷った挙句、「うーん、今日はいっか」となるのだから、ずっこけそうになったこともしばしばある。

 担当した女性店員も別にそんなのは気にせず、「またご検討下さいね」なんて言って愛想笑いを浮かべるが、どうしてこうも時間を掛けて隅から隅まで店内を見渡して、結局買わないという、いわば失礼な行為ができるのだろうと思った。

 まさか本人に「買わないと失礼じゃないか」とは言えないが、さっきまで悩んでいたのが嘘のように、あっけらんかんと「智ちゃん、帰ろっか」とかいう姿を見ると、ううん、女性ってのはつくづく分からないなあと青木は思い知らされるのであった。


「決めた。味噌にしよっと」


「そっか。僕も味噌にしようと思ったんだ。すみません、味噌ラーメンを二つ下さい」


 「はーい」と店員が答え、二人はラーメンを待った。

 青木は何となく自分のスマホを眺めた。会社からの緊急連絡などはなかった。

 彼の勤める北海道システムワークスは基本的に土日休業だし、配信しているアプリのトラブルが発生したなどの事態にならない限り、呼び出しなんてされることはない。しかし、現在相手にしているのはJRという年中無休の会社なので、万が一指令に置いてある試験用サーバーが故障して大騒ぎになっているなんて事態が発生していないか、心の隅では常に不安を感じていた。

 一方柴原はというと、どこを眺めるでもなく、ぼんやりと厨房を見ていた。忙しそうにラーメンを茹でたり、他の具材なんかを準備している店員を眺めるのが、柴原は好きだった。

(私は、こうやって厨房を見るのが好きなのかもね)

 柴原は思った。厨房が見えない店は別として、誰かとご飯を食べにきたりすると、自分はいつも厨房を眺めている気がしたのだった。

 マクドナルドでもラーメン屋でも、厨房が見えると「ああ、ポテトやチキンナゲットを揚げてる。美味しそう」だとか、「麺を湯がくのってカッコいいなあ」とか、そんな風にぼんやりとしている。料理を作る人はすごいなあと思っていた。

 どんなお店でも厨房に立つ職人とも呼べる人たちは、休職している柴原よりは絶対に苦労しているだろう。

 閑散とした時間はともかく、マクドナルドならファーストフードと呼ばれるくらいだから急がなければならないし、ラーメンだってのんびりしていたら伸びてしまう。

(そんな人たちに比べて、私はただのんびりと、進むのか進まないのか分からない小説相手に座り込んでるだけなんだから、呑気なもんだわ……。誰かに怒られることもないし、気楽に書いてる。野球部がどんな活動をしているかは、スマホで調べれば大体検討が付くし、仮に智ちゃんから「こんなことはしないんじゃないかな?」と言われれば、それを直せばいいだけなんだから)

 青木は物思いにふける柴原を眺めていた。当然彼女だってスマホは持ち歩いているはずだが、自分の前で取り出したりするのを見たことがないのに気付いたからだ。

 彼女は青木がスマホを眺めても気にする素振りなど見せないが、自分は二人きりで過ごすかけがえのない時間を、機械を見る行為によって、例えほんの僅かでも無駄にしてしまい、彼女に対し失礼なことをしているのではないかと恥じた。

 もっとも、当の柴原はそんなことまるで気にしちゃいないし、青木が何を考えているかなんて分からないし、別にスマホだろうがタブレットだろうが目の前で弄られても何とも思わなかった。

 彼女は一緒にいられればそれで幸せだったのだ。さらに言えば、自分は持っていないタブレットなんか出されれば「見せて見せて」と興味を示すだろう。


「お待たせしました。味噌ラーメン二つです。熱いのでお気を付け下さい」


 女性の店員が二人の座るカウンターにラーメン二丁を置いてくれた。

 どれどれとスープを啜る。うむ、美味しい。これこれ、札幌のラーメンはこうでなくっちゃと、青木は頷いた。

 ふと柴原を見ると、ラーメンをじっと眺めていた。そんなに見つめていると伸びてしまうんじゃないかと思うくらい真剣なまなざしだ。


「梨恵、なしたの? 伸びちゃうよ?」


「あ、ああ、そうだよね。いただきます」


 青木に話しかけられ、ハッとした様子で柴原もラーメンを啜り始めた。

 美味しいと顔が言っていた。彼女は顔に出やすい。いったい何を考えていたのだろうか。青木は疑問に思いながらラーメンを啜った。

(ああもう、恥ずかしいわ。智ちゃんに指摘されなかったら、伸びて冷めるまでラーメン見つめてた。なんでだろ。ワタルがラーメンを見たらどう思うかみたいに考えてた気がする。もう、せっかく二人で来てるのに、そんなことばかり考えてダメね)

 柴原は小説を書くようになってから、普段の何気ない動作や仕草、例えばタクシーが走ってきただとか、バスが停まっただとか、そんな当たり前の光景一つ一つに対し、「ワタルならどう思ってそれを見るか」とか、「ワタルがバスに乗ったらどこの席に座るだろうか」とか、とりとめもなく考える癖が付いてしまっていた。

 小説を書くという行為に対して彼女なりの覚悟を決めたつもりでいたのだが、彼女の書く小説はファンタジーでもなくSFでもなく、現代の日本で、それも彼女が知る故郷の西野を舞台にしたものであるから、西野の住宅街に出向いては「ここは確かコンビニだった気がする」とか、「そうそう、この公園! ここは昔、なんにもない原っぱだった!」とか、懐かしい記憶を掘り起こしながら、常に小説のことを考えていた。しかし脳内にあるIFの世界が広がる感じはしなかった。

 そんな調子でふらふら歩いて自転車に轢かれそうになったり、何もない道端で転びそうになったり、特に用事もないのにコンビニに入って雑誌を立ち読みしたり、立ち読みして帰るのは申し訳ないから適当にガムでも買ってみたりと、果たしてそれが書くという行為に直接結びつくかは別にしても、彼女は彼女なりに一人の時間を満喫していた。

 だけど一人というのは寂しいもので、彼女は一人で生きていけないタイプの人間であると自覚していた。

 もしも青木と知り合うことがなければ、「近くて誰もいないから」という理由で週末に通っていたバーのマスター相手に、あれやこれやと愚痴や近況を話していただろうけれど、それ以外は「にゃあ」の一言も返してくれない野良猫のヒナ相手に語りかけるくらいで、「何となく寂しいなあ……」なんて思っていたが、見知らぬ街とは言わずとも、故郷とは少し離れた発寒で新しい友達を作る気にはなれなかったし、青木と付き合えて良かったと思っていたし、彼に感謝していた。

 恥ずかしくて本人には言えないが。


「ああ美味しかったなあ。なんか久しぶりに食べたよ、味噌ラーメンって」


「うん! 美味しかった! また食べたいなあ。今度は別なお店もいいかもね」


 二人はじっくりと時間を掛けてラーメンを完食し、店を出ていた。お代はいつも通り青木が持った。柴原も財布は出すのだが、青木は決まって制止するのである。

 ラーメンくらいならそんな出費ではないにせよ、たまにイタリアンとか贅沢なものを食べる時だって、決まって青木が全額負担した。

 柴原は申し訳なく思っていたし、割り勘の方が精神的に助かると思っていたのだが、青木は青木で頑固な一面があり、「飯くらいは男が食わせるものだ」と譲らないのだ。

 これは青木の父親がそういう人間だったから、知らず知らずして影響を受けているのだろう。まして、いくら入っているか知らない柴原の傷病手当金を、自分と過ごす時間の飲食に使うのはダメだと彼は思っていた。

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