零細企業の挑戦(4)
九月二十五日の朝、前日とは打って変わって快晴だ。
秋晴れの下、高橋が通勤のため発寒中央駅に向かっていると、見覚えのある女性が駅舎内にいた。黒いジーンズにグレーのパーカーを着た、あの亜麻色の髪……いつか焼鳥屋にいた、柴原だ。
「おはようございます、柴原さん」
何となく声を掛けた。向こうはギョッとした様子でこちらを睨んだが、一瞬考える風をして笑みを浮かべた。
「おはようございます。あの、焼鳥屋さんにいらっしゃった方ですよね?」
「ええ、高橋です。覚えていてくれて嬉しいですね。どこかへお出掛けで?」
「ああ、いえ……ちょっと知り合いを見送ってまして」
「ああ、そうですか。私はこれから通勤です」
「はい……お疲れさまです。あの、ひろむくんは元気ですか?」
「ええ、元気ですよ。その内、またあの焼鳥屋で会いましょう。それでは」
ピッとキタカ定期券を鳴らし、高橋は改札を過ぎた。
こんな平日の朝に誰を見送っていたんだろう。
(彼女はどんな仕事をしているんだろうか。専業主婦なら「旦那を見送ってまして」と言うだろうし、わざわざ駅まで見送る人なんて見た試しがない。不思議な人だ。まあ別にどうでもいいか。相変わらず綺麗だったな)
そんなことを考えていると、通勤用の普通列車が来た。やれやれと乗り込み手稲方面へと向かった。
会社に着き業務が始まった。全員昨日とは全く違う。何かしらの作業をしている。そうだ、この会社にはこういう緊張感が足りていなかった。
八木みたいに平然とスマホを弄ったり、大下みたいにチャラい上に思いっきり欠伸したり、そういうのがある会社はダメだ。
社長は八木以外からすれば年下だし、叱りづらい。斎藤は寡黙だから叱るとかあんまりしないし、高橋もそういうのは面倒だからしないし、石川なんて存在感すらないし、小林さんは全く無関心だ。
もう少ししっかりした会社にするために、このプロジェクト……そうか、プロジェクトになるのか、一応これは。これを成功させねばと、高橋は気合を入れた。
「おい、ケーブルはどうにかなりそうだ。メートル単価を教えてくれた。一割引きだってよ。まあこれでいいんじゃねえか」
ロン毛の大下が高橋に言った。昼過ぎになっていた。
どれどれとケーブル単価が書かれた見積書を見てみたが、高橋もケーブル単価に詳しくないが、耐火ケーブルなんて特殊なもんは扱っているメーカーは少なそうだし、これでいいかと納得した。
「そうっすね。いいんじゃないすか、大下さん。ありがとうございます。あとはコネクタとか、細々とした物ですよね?」
「ああ。ああ言うのは一個単位よりも、箱とか袋単位で売るもんだから、あんまり安くはしてくれねえな。あとはそうだな。仮設置してるっていう監視端末を乗っけるラックと、新しいサーバーを乗せるラックだな。これはまあぶっちゃけると、ニトリとかで買っちゃってもバレないんじゃねえかと思うが、一応そういうのを専門に扱っていそうなところを当たってみるか」
「ですねえ。俺もニトリのラックで十分な気がしますけど、うちが損しないためにも、ちょっと割高かな? でもいいかな? くらいに抑えたいですね」
「大下くん、高橋くん、施工は何日くらい掛かるのかなあ?」
高橋と大下が話していると、石川が間に割って入ってきた。
「施工は……そうっすねえ。やってみないことには何とも言えないんですけど、一週間も掛からんでしょうね、こんなの」
「そうかあ。一応ね、こういうのは一人当たり何万円が日当みたいに決まってるんだけど、そうだねえ……四日、いや念のため長めに見積もって、五日間掛かるってことにしておこうかあ……」
のんびりと石川はキーボードを叩いていた。
エクセルで勝手に計算式なんかを入れて、自分が使い易いようにファイルを作っていて、高橋は感心した。こいつには、こんな特技があったのかと。
「高橋さん!」
唐突に八木が言った。茶髪のロン毛が光っていた。
「なんだよ」
「俺、調べてたんすけど、JRの指令がどこかは知らないですけど、仮に札幌駅の中にあったとして、五日間往復したら何キロになって、うちのライトバンなら燃費悪いからどれくらいガソリン代掛かるか計算したんすよね。したら大体これくらいっすね。俺、見積って知らないですけど、経費?ってやつになりますかね?」
(おお、なかなか気が利くじゃないか。札幌の指令がどこかは不明として、こいつの言う通り札幌駅にあったとして、そこを手稲にある平成電業から五日間往復すれば、いくらかガソリンだって減るだろう。そういやこいつはクルマ好きだって言ってたし、金無いくせにインプレッサとか乗ってるし、燃費の計算とかはしたくなるかもな。インプレッサに比べて平成電業のライトバンなんてボロいし燃費悪いから、諸経費として掛かるかもしれない)
八木の思わぬ活躍に高橋は感心した。
「おう、やるじゃねえか八木。サンキュー。石川さん、八木の作ったガソリン代も、そのエクセルに入れてください」
「ほいほい」
してやったりの顔をする八木。
知識や経験が浅くとも、彼の前向きな姿勢は特筆に値するだろう。
「高橋さん」
坊主頭の木下社長が今日初めて、挨拶以外で口を利いた。
「どうかしました?」
「JRの協力会社なんですが……恐らくシステムワークスさんが言ってたのはここではないか?と思われる会社がいくつか出てきたのですが、全部うちよりも大きいし、高そうですね」
どれどれと、木下社長のデスクトップに表示された社名を見ると、確かにどこかで聞いたことがあるような会社が並び、札電工と同じくらいか、もしかしたらもっと吹っ掛けてくるかもしれないな……と高橋は思った。
「ありがとうございます。ならもっと安く済ませるだけですよ」
「そうですね。頼みます」
任せてくださいと頷き、席に戻る高橋。すると次は斎藤が「おおい」と呼ぶ。
「なんですか?」
「これ見ろよ。古い写真で悪いんだけど、国鉄時代の指令だ。昔入った時、国鉄の職員に記念に撮っても良いか聞いたら、撮らせてくれたんだよ。大体こんな感じの空間だ。イメージ湧くか?」
古いアルバムに古いカラー写真が並んでいた。
大きな卓みたいな上に電話やいろいろな物が置かれ、決して作業スペースとしてやり易い空間とは言えなさそうだった。今の指令はもっと設備も小さくなったりはしているだろうが、基本的な考え方とか、この列車の在線位置を表示している盤なんかは、多分ベースは同じだろう。
「ありがとうございます。何しろ絵でしか説明されていないので、こういう写真とか、どんな場所だったかを教えてもらえると助かります」
斎藤は「そりゃよかった」と満足げに呟いた。
その日の夕刻、終業間際に各々が弾いた数字を記載し、石川がエクセルでまとめ、小林が確認した見積書が出来上がり、木下社長はそれをじっと眺めた。
何と言っても大勝負である。世間的にはこんな、せいぜい数百万程度の工事なんてごまんとあるが、小さな小さな平成電業にとっては社史に残る仕事になりそうだ。
「よし、これで良いでしょう。これをPDFにして電子メールで送りましょう。とりあえず担当の高取さんと、青木さんへ」
社長が承認してくれた。
その後、石川が再確認してPDFに変換しメールで送ったが、その日は既に二人とも退社しており、翌日を待つことになった。
九月二十六日、木曜日。
いつも通りの列車で高橋は出社した。今日は柴原を見なかった。普段はいないんだからそれが自然なのに、一度会うと不思議と印象に残る女性であった。
それはきっと彼女が美人なのもあるが、独特な雰囲気を持っているからであろう。言葉では言い表しにくいが、まるでガラス細工を見つめるような感覚である。
(まあ、俺の嫁さんの方が美人だがな)
通勤列車の中で高橋はそう思った。
会社に着くと、皆、若干緊張した面持ちだった。良いか悪いか、今日判定が下されるだろうと思ったからだ。ダメなら削減できないかと石川に聞いたが、石川は「もう減らせるところまで減らしたし、これ以上減らすと赤字になるよお」とか言っていた。
ならば、もうこれが全力である。平成電業株式会社が総力を挙げて作った見積書が、通るか通らないかを黙って待つしかない。
昼になっても電話は鳴らず、メールも入らず、かと言って急かして機嫌を損ねてしまえばまずいと思い、各々別な業務はするのだが、何しろ仕事が入っていないので、やることと言えば道具整理だったり、エクセルで作ったファイルの手直しだったり、結局は単なる暇潰しである。
斎藤に至っては、「ちょっと出てくるわ」と言い残して昼飯を食うと姿を消してしまった。あの人は結構そういうところがあり、パチンコでも打っているのだろうなと全員思っていた。
やることがないのでは、会社にいる意味がない。彼はそういうスタンスだった。恐らく直帰だろうし、誰も文句は言えない。
電話が鳴ったのは、もうすぐ終業と言う十七時前だった。なぜか不在の斎藤を除く全員が「システムワークスからだ」と直感した。
誰が出るか? 一瞬、全員見つめ合ったが、結局プロジェクトのリーダーってことで、目で促されて高橋が出た。
「はいもしもし。平成電業の高橋ですが」
『お世話になっております。北海道システムワークスの青木です。ご連絡が遅くなり申し訳ありません』
青木だった。あの背広姿で眼鏡を掛けた姿が浮かんだ。人の好さそうなやつだったが、これだけ待たせて「ダメですね」と言われたら、ちょっと恨むかもしれない。
「いえいえ、なんもなんも。それで、いかがでしょうか?」
単刀直入に高橋が聞いた。
『素晴らしいですね。施工についてJRと打合せしていたところです。JRからも許可が下りましたので、平成電業様に施工頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。詳細な日程等については、改めてJRと打合せした上、電子メールで連絡させて頂きます。それでは失礼いたします』
礼を言う前に電話は切れた。皆、どうだった?とそわそわした顔をする。
高橋は静かにVの字を右手で描いた。
「祝杯だあ!」
八木が叫んだ。
「お前は飲めないだろ!」
と大下が笑った。
木下社長は大急ぎで斎藤に電話を掛け、少しすると斎藤も帰社し「よくやった」と頷いた。
プロジェクトは始動した。札幌の天下を取るのは遠い未来にせよ、名も無き平成電業株式会社は、遂にJR北海道とシステムワークスという、自分たちよりも遥かに格上の企業相手に仕事を取り付けた。
その日は大祝勝会が開かれた。この人たちはこれからが本番なのを忘れているが、もう成功を信じてやまない。
(そうだ。俺たち七人が全員で協力すれば、何とかなる。例え国交省や警察が相手でも、立派に仕事を成し遂げて見せる。これは偉大なる一歩だ)
高橋はビールを浴びるほど飲みながらそう思った。
翌日は案の定、二日酔いであった。




