↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢、現代日本に転生する~処刑された元公爵令嬢は、今度こそ自分の才能を自分のために使います~  作者: にゅん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
63/72

それ、おいくら必要ですの?

 海外での大学生活が始まって一か月、玲奈は思っていた以上に忙しく、それ以上に楽しい毎日を過ごしていた。


 講義では当然のように知らない知識が出てくる。周囲には各国から集まった学生がおり、高校までなら玲奈が一度説明を聞けば理解できた内容でも、大学では専門用語を調べ直し、関連する論文まで読まなければ十分に理解できないことが珍しくなかった。


 玲奈にとって、それは不快なことではない。


 むしろ、自分が知らないことを当然のように知っている人間が周囲にいる環境は新鮮だった。前世で受けた王妃教育も広範囲ではあったが、目的は国を治める王族を支えるための知識であり、現代科学や工学については比較する意味すらない。


 会社の仕事についても、日本を離れたことで大きな問題は起きていなかった。天城ホールディングスから届く定例報告へ目を通し、重要な案件だけオンライン会議へ参加する生活が定着しつつある。


 東雲精機も、ネクサリンクも動いている。


 《ARES》の海外展開についてはVGIとの実務協議が進み、玲奈が毎日指示を出す必要はなかった。


 それでも、空いた時間が増えたわけではない。


 大学には講義以外にも面白そうなものが多すぎた。


 研究室の公開イベントへ顔を出し、学生が立ち上げた小さな事業の発表を聞き、休日には街へ出て現地の商品やサービスを見る。玲奈にとって海外留学は、教室だけで完結するものではなかった。


 そんな生活の中で、アレクサンダーから招待されていた技術交流イベントの日を迎えた。


 会場となったのは、VGIが所有する研究施設の一角だった。


 巨大な展示会ではない。大学研究者や学生、新興企業の技術者を中心に招き、まだ商品化されていない技術も含めて交流するための小規模な催しである。


 玲奈は授業を終えてから会場へ向かい、受付を済ませた。


「本当に来たのですね」


 会場へ入って間もなく、聞き覚えのある声がした。


 振り返ると、アレクサンダー・ヴァルデンが立っている。日本で会ったときと同じく落ち着いたスーツ姿だが、今日は大型商談の席ではないためか、周囲にもそれほど大勢の側近を連れていなかった。


「ご招待いただきましたもの。授業とも重なりませんでしたし、面白そうでしたので参りましたわ」


「あなたの場合、最後の理由が一番大きそうだ」


「否定はいたしません」


 玲奈が笑うと、アレクサンダーも僅かに口元を緩めた。


 彼は会場について簡単に説明した。VGIがすぐ投資する企業を選ぶためだけの催しではなく、研究者同士の交流や、将来的な共同研究の種を探す目的もあるらしい。


「私に案内してほしいですか?」


「いいえ。一人で見て回りますわ。その方が、皆様も普通にお話ししてくださるでしょう?」


「賢明です。私が横に立つと、誰もが急に立派な事業計画を語り始める」


 アレクサンダーはそれだけ言うと、別の参加者のところへ向かった。


 玲奈も展示を見始める。


 高効率の電力制御技術、物流向けの画像認識、小型センサー、新素材、産業用ソフトウェアなど、展示内容は幅広かった。完成した商品を売り込む企業もあれば、研究室で作った試作品をそのまま持ち込んでいる参加者もいる。


 玲奈は興味を持った展示では足を止めたが、すぐに投資の話をすることはなかった。


 技術的に面白いものと、会社として投資できるものは別だからだ。


 会場を半分ほど回ったところで、玲奈は人の少ない一角に置かれた小さな展示台の前で足を止めた。


 展示されているのは、手のひらに載るほどの薄い板だった。


 見た目だけなら特別なものには見えない。


 その横には小型モーターと簡単な測定装置が置かれており、若い男性が一人で説明をしていた。


 玲奈が近づくと、男性は少し緊張した様子で声をかけてきた。


「興味がありますか?」


「まだ分かりませんわ。これは何をするものですの?」


 男性は一瞬戸惑ったものの、すぐに説明を始めた。


 彼の名前はノア・グラント。二十代半ばの研究者で、大学で材料工学を研究しながら、小さなチームで技術の事業化を目指しているという。


 展示されている薄い板は、機械の振動を抑えるために開発した複合材料だった。


 機械そのものを強固に固定するのではなく、発生する微細な振動を材料内部で効率よく分散させる。既存の防振材より薄くできる可能性があり、小型機器への利用を想定しているらしい。


 ノアが装置を動かすと、二つの小型モーターが回転を始めた。


 片方には一般的な防振材が使われ、もう片方には試作品が取り付けられている。


 玲奈は測定値を確認した。


「なるほど。確かに違いますわね」


「まだ耐久試験が十分ではありません。温度変化にも弱い部分があって、実用化には改良が必要です」


 自分から欠点まで話したことに、玲奈は少し興味を持った。


 売り込みに来た人間なら、良い部分だけを強調したくなる。


 しかしノアは、現在の性能と問題点を分けて説明していた。


「どのような製品へ使う予定ですの?」


「最初は精密機器を考えていました。ただ、薄くできるので、小型モーターやロボットにも使えるかもしれません」


 玲奈の視線が、もう一度試作品へ戻った。


 小型モーター。


 ロボット。


 その二つなら、玲奈にも心当たりがある。


 だからといって、すぐに東雲精機やネクサリンクへ持ち込むつもりはなかった。


「量産できます?」


 ノアの表情が止まった。


「……まだです」


「一枚作るのに、おいくらかかりますの?」


「研究室レベルなので、かなり高いです」


「量産した場合の目標価格は?」


 ノアは答えたものの、今度は玲奈が首を傾げた。


 数字の根拠が弱い。


 材料費から概算した価格であり、製造設備や歩留まり、検査費用まで十分に含まれていなかった。


 玲奈はそこで質問を止めた。


「技術は面白いと思いますわ」


「ありがとうございます」


「でも、今のままでは買えませんわね」


 ノアは明らかに落胆した。


 玲奈は、その反応を見て少し笑った。


「材料を、ではございませんわ。あなたの会社へ投資できるか、という意味です」


 今度は別の意味で、ノアの動きが止まった。


     ◇


 会場の端にある休憩スペースへ移動すると、玲奈はノアから詳しい話を聞いた。


 ノアたちは三人で技術の事業化を進めているが、正式な会社を設立してからまだ一年にも満たない。研究設備の一部は大学との契約に基づいて利用しており、外部資金も小規模な助成と自己資金が中心だった。


 最大の問題は、量産方法だった。


 試作品は作れる。


 性能も一定程度確認できている。


 しかし大量生産するには製造工程を作り直す必要があり、そのための設備と人材を用意する資金がない。


 玲奈は説明を聞きながら、日本で東雲精機を初めて調べた頃とは随分違う案件だと感じていた。


 東雲精機には工場も顧客も売上もあった。


 ノアたちには、まだほとんど何もない。


 その代わり、技術そのものには可能性があった。


「それで、いくら必要ですの?」


 玲奈が尋ねると、ノアは準備していた数字を答えた。


 試験設備の導入、人員の追加、量産工程の検証を進めるために、まず必要だと考えている金額だった。


 玲奈はすぐに判断しなかった。


「その金額があれば、どこまで進められます?」


「量産試験までです。そこで製造コストと耐久性を確認して、顧客候補へ評価用サンプルを提供したいと考えています」


「売上が立つところまでは届かないのですね?」


「おそらく、追加の資金調達が必要になります」


 ノアは正直に答えた。


 玲奈はテーブルへ置かれた資料を読みながら、質問を続けた。共同創業者の役割、技術に関する権利、大学との契約、競合技術、顧客候補について確認する。


 すべてに完璧な答えが返ってきたわけではない。


 むしろ、経営については不足している部分が多かった。


 それでも、自分たちに何が足りないのかは理解している。


「投資家を探していらしたの?」


「はい。ただ、研究段階が長すぎると言われることが多くて」


「それは当然でしょうね」


 玲奈があっさり同意したため、ノアは苦笑した。


 投資家は慈善家ではない。


 利益が期待できなければ資金を出さないのは当然だった。


 玲奈も同じである。


 技術が面白いという理由だけで、自分のお金を渡すつもりはなかった。


「ただし、研究期間を短くする方法はあるかもしれませんわね」


 玲奈は携帯電話を取り出した。


 東雲精機には、小型モーターを量産してきた経験がある。


 ネクサリンクには、振動が問題になり得る小型ロボットがある。


 さらに御堂グループには、材料評価や量産工程を検討できる技術者がいる。


 ノアたちが何年もかけて一から顧客候補を探す必要はないかもしれない。


 ただし、それらの会社を玲奈の判断だけで巻き込むつもりもなかった。


「まず技術資料を確認させてくださいませ。そのうえで、日本にいる技術者へ評価をお願いしてもよろしいです?」


「もちろんです」


「機密情報が含まれるのでしたら、先に契約を結びましょう。そこを曖昧にしたまま資料を送ってはいけませんわ」


 ノアが慌てて頷いた。


 玲奈はその姿を見ながら、少しだけ懐かしくなった。


 技術には自信がある。


 しかし、それをどう会社へ変えるのかは分からない。


 以前にも似た人間を何人も見てきた。


 だからこそ、玲奈にはできることがあった。


     ◇


 イベントから一週間後、天城ホールディングスを通じて秘密保持契約が結ばれ、ノアたちの詳細な技術資料が日本へ送られた。


 玲奈自身が性能を判断することはしなかった。


 東雲精機とネクサリンクの技術者へ資料を送り、用途の可能性と現在の問題点について評価を依頼する。御堂グループにも、量産工程を検討する価値があるかだけ確認してもらった。


 数日後、届いた回答は予想以上に前向きだった。


 完成した材料ではない。


 耐久性にも課題がある。


 しかし、小型モーターの振動抑制だけでなく、ロボット内部のセンサー保護にも利用できる可能性があり、改良できれば試す価値があるという。


 玲奈は報告を読み終えると、オンラインで沙耶香を呼び出した。


「投資候補として正式に調べましょう」


『本当に海外へ行って一か月で見つけてきましたね』


「わたくしが探したわけではございませんわ。展示されていたものを見つけただけですもの」


『それを普通は探したって言うんですよ』


 画面越しに沙耶香が笑う。


 玲奈も否定せず、必要な調査項目を確認した。


 今回は買収ではない。


 まだ会社として若すぎるうえ、ノアたち自身が研究開発を続けることに価値がある。玲奈が経営権を握っても、技術が良くなるわけではなかった。


 少数株式への投資を行い、量産検証に必要な資金を提供する。


 同時に、東雲精機やネクサリンクを最初の評価先候補として繋ぐ。ただし採用を約束するのではなく、性能と価格が条件を満たした場合にだけ取引する。


 玲奈は、その方針で交渉を始めることにした。


     ◇


 さらに三週間後。


 玲奈は大学近くの小さなオフィスを訪れていた。


 ノアたちが借りている場所で、研究室というより事務所に近い。机が数台と資料棚が置かれ、奥には試作品を保管するための小さなスペースがある。


 そこに共同創業者二人も集まっていた。


 玲奈は事前調査の結果を説明したうえで、投資条件を提示した。


 必要な資金を一度にすべて渡すのではなく、量産工程の確立や耐久試験など、いくつかの段階に分けて投資を実行する。創業者たちには経営権を残し、天城ホールディングスは少数株主として参加する。


 そして、日本企業との取引を強制しない。


「東雲精機が皆様の材料を必要ないと判断しましたら、買いません。ネクサリンクも同じですわ。その代わり、本当に良いものでしたら、最初のお客様になっていただける可能性はございます」


 ノアは条件書を読みながら、ゆっくり頷いた。


「もっと会社に口を出されると思っていました」


「必要でしたら申し上げますわ。でも、わたくしは材料研究者ではございませんもの。研究方法まで指示し始めましたら、止めてくださいませ」


 共同創業者の一人が思わず笑ったことで、張り詰めていた空気が少し和らいだ。


 玲奈は条件書を彼らの前へ置いたまま、急いで答えを求めなかった。


 投資する側にも選ぶ権利があるように、投資を受ける側にも選ぶ権利がある。


 金を出すから従えという関係では、優秀な人間と長く仕事をすることはできない。


「今日決める必要はございませんわ。他の投資家とも比較して、それでもわたくしたちと組みたいと思われましたらご連絡くださいませ」


「もし、他の投資家の方が高い評価額を提示したら?」


 ノアの質問に、玲奈は少し考えてから笑った。


「条件まで含めてそちらの方が良いのでしたら、そちらを選ぶべきですわね。わたくしも、欲しい会社をすべて買えるとは思っておりませんもの」


 北辰電池を巡って御堂に負けた経験は、今でも玲奈の中に残っている。


 欲しいから手に入るとは限らない。


 だからこそ、手に入れることだけを目的にしなくなった。


 玲奈は席を立ち、三人へ挨拶してオフィスを出た。


 返事が届いたのは、その二日後だった。


 ノアたちは、天城ホールディングスからの投資を受け入れることを決めた。


 玲奈にとって、初めての海外投資だった。


 金額だけなら、既に経験した案件より遥かに小さい。


 会社も小さく、商品すら完成していない。


 それでも玲奈は、契約成立の連絡を受けたとき、東雲精機を初めて訪れた頃とは違う種類の高揚を感じていた。


 日本で育てた会社の延長ではない。


 自分が知らない土地で、自分が知らなかった技術を見つけ、現地の人間と一から関係を作った。


 海外へ来た意味が、一つ増えた気がした。


 その日の夜、玲奈はアレクサンダーへ短い連絡を送った。


 招待してもらったイベントで面白い会社を見つけ、投資することになったという報告だった。


 返事は意外なほど早かった。


 アレクサンダーは祝福したあと、最後に一つだけ尋ねてきた。


 なぜ、その会社をVGIへ紹介しなかったのか。


 玲奈は画面を見て、楽しそうに笑った。


「だって、わたくしが先に見つけましたもの」


 誰もいない部屋でそう呟いてから、玲奈は返信を打ち始めた。


 VGIと提携したからといって、見つけたものをすべて差し出す約束はしていない。


 協力できるところでは協力する。


 競争するところでは競争する。


 世界企業の傘下へ入ることを断った以上、玲奈はこれからも自分の目で投資先を探していくつもりだった。


 そして翌朝、アレクサンダーから届いた返信には、短い一文とともに次の面談候補日が記されていた。


 どうやら世界へ出ても、玲奈には新しい競争相手ができたらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。