直せるなら、直しますわ
セレスティアの案件配信から一週間後、《Aster One》は予定通り発売日を迎えた。
配信によって予約数は当初の想定を大きく上回っていたものの、東雲精機はそこで初回生産数を慌てて増やさなかった。一般消費者向けの商品を本格的に販売するのは初めてであり、発売前の勢いだけを根拠に大量の在庫を抱えるほど、玲奈も隆一も楽観的ではなかったからだ。
発売後に確認すべき数字も、単純な販売台数だけではない。返品率や故障率、購入者から寄せられる問い合わせの内容、実際に使った人間が高く評価した部分と不満を感じた部分まで集め、それらを次の生産へ反映できる仕組みを販売開始前から用意していた。
数日もすると、実際に購入した人々から次々と感想が届き始めた。
最も評価が高かったのは吸引力だった。フローリングだけでなくカーペットでも十分に使え、一度通しただけで細かなゴミまで吸い込めるという声が多い。電池の持ちについても、一度の充電で家中を掃除できたという感想が目立ち、ダストカップの扱いやすさも日常的に使う商品として好意的に受け止められていた。
その一方で、重量については評価が分かれた。
床を中心に掃除する利用者からは、それほど気にならないという意見もある。しかし階段を上り下りしながら使う人や、棚、家具、車内などを掃除するために本体を持ち上げる人からは、もう少し軽ければ使いやすいという声が一定数届いていた。
セレスティアだけが気にした問題ではなかった。
だからこそ、東雲精機は発売後の感想が十分に集まるまで待つことなく、既に改良へ動き始めていた。
開発室では現行型と外見のほとんど変わらない試作機が組み上げられ、内部配置の変更が繰り返されている。総重量をただ減らすだけではなく、手元へ集中していた負担を分散させることで、同じ重量でも持ったときの感覚を軽くできないか検証していた。
北辰電池にも協力を依頼し、バッテリーケースそのものの軽量化を進める。相馬電子技研では制御効率を見直し、実際の掃除で必要となる出力をより細かく調整することで、使い勝手を落とさず消費電力を抑えられないか試験を始めていた。
東雲精機側でも、モーター効率の改善や筐体部品の見直しを進めている。
一つ一つの変更で削れる重量は小さい。
それでも、モーター、バッテリー、制御、筐体という複数の部分で改善を積み重ねれば、製品全体では無視できない差になる。
発売から二週間が経った頃、玲奈のもとには最初の販売報告と改良試作機についての資料が同時に届いた。
放課後、自宅へ戻った玲奈は着替えを済ませると、机の上へ資料を広げた。最初に確認した販売実績は想定を上回っており、初回生産分はかなりの速度で消化され、販売店から追加発注も入り始めている。
しかし玲奈は、売上高だけを眺めて満足することはなかった。
最初に返品率を確認し、次に故障報告へ目を通す。そのあとで問い合わせ件数と内容を読み、購入者評価まで進んでから、ようやく売上の伸びと合わせて考えた。
セレスティアの配信によって、発売直後だけ販売数を伸ばすことならできる。
それは宣伝の成果であって、商品の評価とは別だ。
実際に購入した人間が使い続け、返品せず、支払った金額に見合う商品だったと思って初めて、《Aster One》そのものが受け入れられたと言える。
幸い、その数字も悪くなかった。
「これでしたら、次へ進めそうですわね」
玲奈は販売資料を閉じ、今度は改良案へ目を移した。
売れているからこそ、重量問題を放置する理由はない。
むしろ商品の評判が広がり始めている今のうちに、長所を残したまま欠点を減らすことができれば、二回目、三回目の生産ではさらに強い商品になる。
数日後、玲奈は東雲精機を訪れた。
今回は会議室ではなく、そのまま開発区画へ案内される。机の上には外見のよく似た二台の《Aster One》が置かれており、一台は現在販売している製品、もう一台は内部配置を変更した試作機だった。
「外から見ただけでは、ほとんど違いが分かりませんわね」
玲奈が二台を見比べると、開発責任者は試作機の内部構造を画面へ表示した。外装まで大幅に変えれば、金型を含めた生産設備への影響が大きくなるため、今回は現在の設備を可能な限り残したまま変更できる部分を優先しているという。
玲奈は説明を聞き終えると、試作機のグリップを握った。
前回、完成品を初めて持ったのはセレスティアとしての案件配信だった。そのときは数字で知っていた重量と、実際に腕へかかる負担との差に驚かされた。
今回は違う。
既に市場へ出た商品の改良試作機を、経営側の人間として確認している。
持ち上げた瞬間、玲奈はわずかに眉を上げた。
「……違いますわね」
総重量そのものは、まだ劇的に減っているわけではない。それでも手首へ集中していた負担が弱まり、片手で前方へ伸ばしたときにも、現行型より明らかに扱いやすくなっていた。
玲奈が棚を掃除するような姿勢を取って確かめている間に、開発責任者は重心変更による効果と、これから予定している部品交換について説明した。バッテリーケースと筐体の一部まで変更できれば、体感だけでなく実重量もさらに減らせる見込みだった。
「吸引力についてはいかがです?」
玲奈はそのまま床へ試作機を下ろし、用意されていた細かなゴミの上を一度通した。見た限りでは現行型との差はなく、開発責任者も吸引性能そのものは維持できていると説明する。
「稼働時間も現行型と同等以上を維持できる見込みです。制御の調整が効いているので、通常使用時の消費電力はむしろ少し改善しています」
それを聞いた玲奈はすぐに喜ぶのではなく、今度は原価について尋ねた。
性能が良くなっても、製造費が大幅に増えれば販売価格へ跳ね返る。高価な軽量素材を大量に使えば簡単に重量を削れるとしても、それで価格帯まで変わってしまえば、同じ商品を改善したとは言いにくい。
調達担当者が見せた試算では、現時点なら量産効果も含め、販売価格を変更しなくても吸収できる範囲に収まっていた。
「でしたら、この方向で進めてくださいませ。軽くなった代わりに値段まで大きく上がるのでしたら、お客様にとっては単純な改善とは言えませんもの」
玲奈が試作機を机へ戻すと、開発責任者は次の試験予定を確認した。
売れている製品へ、発売直後から手を入れる。
以前の東雲精機なら、ほとんど必要のなかった考え方だった。顧客企業から指定された仕様を満たして納品すれば、その案件についての仕事は一度終わる。しかし自分たちで一般消費者向けの商品を販売するなら、売ったあとに返ってくる声まで自分たちで受け止めなければならない。
それから一か月ほどで、改良内容は次の生産分へ反映できるところまで進んだ。
初期型を購入した人間を置き去りにして、大々的に新製品として売り直すような変更ではない。生産ロットの切り替えに合わせて内部配置や一部部材を変更し、現行価格を維持したまま使い勝手を少しずつ改善していく。
さらに大きな軽量化については、次期モデル向けの開発として継続することになった。
玲奈が求めているのは、一度で完璧な商品を作ることではない。
市場へ出した商品を実際に使ってもらい、そこで得た評価を社内へ戻し、直せる部分から次の生産へ反映する。開発から販売までを一方通行にせず、利用者の声が再び開発へ戻ってくる流れそのものを会社へ根付かせることが重要だった。
秋が深まる頃には、《Aster One》の販売台数は当初計画を大きく上回っていた。
初回生産だけで終了する可能性まで考えて始めた事業だったが、追加生産は一度では済まなかった。通販での販売が伸びただけではなく、実店舗でも取り扱いたいという問い合わせが増え、家電量販店で実物を手に取れる地域も少しずつ広がっている。
製造体制についても、東雲精機だけですべてを抱えているわけではない。
中心となる小型モーターは東雲精機が担当し、バッテリー分野では北辰電池と協力する。制御については相馬電子技研の技術を借り、筐体や量産組立では別の協力会社と手を組むことで、一社では持っていなかった能力を一つの商品へ集めていた。
ネクサリンクのロボット開発から始まった「買わなくても組める」という考え方が、今度は家庭用製品でも生きている。
そして完成品を直接消費者へ販売するようになったことで、東雲精機の中にも以前とは異なる仕事が増えていた。
販売店との条件交渉や保証対応に加え、購入者から届く問い合わせへの対応、広告計画の策定、さらに次期商品の市場調査まで必要になった。これまでは取引先企業との関係を中心に考えていればよかった会社が、今では商品を手に取る一人一人の消費者まで意識しなければならなくなっている。
当然、最初からすべてが上手くいったわけではない。
ある販売店では商品の特徴が十分に伝わらず、価格だけを比較されて大手メーカーの商品に負けた。別の店舗では展示場所が悪く、商品そのものをほとんど手に取ってもらえない時期もあった。
以前なら、そうした結果を営業力の不足という一言で片づけていたかもしれない。
今の販売担当者たちは、同じことをしなかった。
展示場所を変えた店舗と変えていない店舗で販売数を比較し、説明用の掲示物も作り直す。吸引力を強調するだけでなく、稼働時間や手入れのしやすさまで購入者へ伝わるようにし、何が売上へ影響したのかを一つずつ確かめていった。
年末が近づいた頃、玲奈は天城ホールディングス側の定例報告で、その変化を数字として確認していた。
《Aster One》関連の売上は伸びている。
それでも東雲精機全体から見れば、産業用モーター事業が依然として重要な柱だった。玲奈も、家庭用製品が伸びたからといって、それまで積み上げてきた事業を急激に縮小するつもりはない。
「掃除機が売れたからといって、掃除機だけの会社になる必要はございませんもの。安定して利益を出せる本業があるから、新しいことへ挑戦できるのでしょう?」
玲奈が報告書から顔を上げると、向かいに座っていた隆一は満足そうに頷いた。
産業向けの仕事を続けながら、そこで磨いた技術を家庭用製品へ持ち込む。反対に、家庭用製品で得た量産や利用者目線の経験を、別の仕事へ持ち帰ることもできる。
「工場の連中も、その辺りは分かってますよ。ただ、完成品を作るのが思っていた以上に面白かったみたいです。自分たちが関わった商品が店頭に並んで、家族にも『これを作った』って言えるでしょう」
隆一は少し嬉しそうだった。
これまでも東雲精機のモーターは、多くの機械や製品の内部で働いていた。しかし一般の利用者が、その中に東雲精機の技術が使われていると知る機会はほとんどない。
今回は、自分たちが中心となって作った商品そのものが店頭へ並んでいる。
家族が買うこともある。
ネット上で利用者の感想を読むこともできる。
その変化が社員たちへ与えた影響は、売上や利益だけでは測れなかった。
「若手からは、次の商品を考えたいという話も出ています。まだ企画と呼べる段階ではありませんけどね」
隆一がそう続けても、玲奈はすぐに何を作るのかとは尋ねなかった。
一本目が売れた直後だからこそ、何を作っても成功すると勘違いする方が危険である。玲奈は報告書を閉じると、次の商品を考えること自体には賛成しながらも、一つだけ条件を付けた。
「提案は歓迎いたしますわ。ただし、《Aster One》が売れたから次も売れるはずだ、というだけの計画でしたら持ってこないようにお伝えくださいませ。次は、なぜその商品を作るのかまで説明していただきます」
「二回目の方が厳しくありませんか?」
隆一が笑いながら尋ねると、玲奈もわずかに口元を緩めた。
「当然ですわ。今回は初めての家庭用製品でしたから、わたくしも学びながら進めました。二度目からは、その経験まで持っているのですから、同じところで失敗する方がおかしいでしょう?」
玲奈が求めているのは、失敗しない会社ではない。
同じ失敗を何度も繰り返さない会社だった。
《Aster One》で得たものは、販売利益だけではない。商品企画から量産、広告、販売、保証、利用者の反応を開発へ戻すところまで、一連の流れを経験できたことの方が長期的には大きい。
その日の報告会が終わったあとも、東雲精機の開発部門では次の商品について話し合いが続いていた。
一方、その頃。
東雲精機から離れた場所でも、《Aster One》という名前が初めて会議資料へ載っていた。
皇電機株式会社。
冷蔵庫や洗濯機、掃除機、空調機器、小型家電まで幅広く扱う国内大手の総合電機メーカーであり、長い歴史と全国規模の販売網を持つ企業だった。
研究開発に使える予算も、生産能力も、広告へ投入できる金額も東雲精機とは比べものにならない。家電量販店へ行けば皇電機の商品だけで一つの展示区画が作られていることさえあり、一般消費者からの知名度にも大きな差がある。
その皇電機の商品企画会議で、最近販売を伸ばしている他社製品をまとめた資料が配られていた。
担当者が画面を切り替えると、《Aster One》の商品画像と販売推移が表示された。
「発売から現在までの推移です。販売規模そのものは、まだ当社の主力製品と比較する段階ではありません。ただ、同価格帯のコードレス掃除機としては認知度が急速に伸びています」
会議室の空気が大きく変わることはなかった。
大手メーカーにとって、新しい商品が一時的に売れること自体は珍しくない。話題になったまま一年後には消えている製品も多く、一つの商品が伸びただけで競争相手として扱うほど単純な世界でもなかった。
それでも、《Aster One》が資料に載ったのには理由がある。
「製造元は東雲精機。元々は産業用の小型高性能モーターを主力としていた会社です。現在は天城ホールディングス傘下に入り、他社との協業を使って家庭用完成品へ進出しています」
資料をめくっていた担当役員の手が止まった。
「天城ホールディングスというのは?」
「設立されてまだそれほど経っていない持株会社です。現時点では規模も大きくありません。東雲精機のほか、ロボット企業への出資などを行っています」
担当役員は資料へ視線を戻した。
企業規模だけを見れば、皇電機が今すぐ警戒するような相手ではない。
しかし担当者が次に示した資料には、《Aster One》が発売後すぐに改良へ動いた経緯がまとめられていた。利用者の反応を拾い、次の生産ロットへ反映するまでの時間が、大企業の製品開発とは明らかに違う。
「動きが速いな」
「はい。規模が小さい分、意思決定も速いようです。ただし販売網や生産能力では、当然ながら大手各社に遠く及びません」
そこに優劣を付ける必要はなかった。
皇電機には、大量の商品を安定した品質で全国へ供給できる力がある。長年積み重ねた販売店との関係や、修理、保証の体制も持っている。
一方の東雲精機には、小さいからこそ動きやすいという特徴がある。
担当役員はしばらく販売推移を眺めたあと、資料を閉じた。
「今すぐ何かする必要はない。ただ、次の商品は見ておいてくれ。一つだけなら偶然で終わるが、二つ続くなら話は変わる」
それだけ告げると、会議は次の議題へ移った。
皇電機にとって、《Aster One》はまだ市場の片隅に現れた小さな商品に過ぎない。
天城ホールディングスという名前も、業界全体で広く知られているわけではなかった。
それでも、初めて一般家庭へ送り出した商品によって、玲奈の会社は国内大手メーカーの調査対象へ名前を載せた。
玲奈自身は、そのことをまだ知らない。
同じ日の夜、彼女は高校の課題を終え、自室でセレスティアとして配信を始めていた。
掃除機の案件が終われば、いつまでも《Aster One》の話ばかりをするつもりはない。視聴者から届いた相談へ答え、最近読んだ本の話をして、時折コメントに笑う。会社が成長しても、玲奈の日常すべてが経営だけになるわけではなかった。
けれど玲奈が普段通りの夜を過ごしている間にも、《Aster One》をきっかけとして天城ホールディングスを見る人間は少しずつ増えていた。
まだ、小さな変化に過ぎない。
しかし玲奈が自分のために選び、自分のお金で始めたものは、十四歳の頃に買った一つの町工場を越えて、十五歳になった今、ようやく大きな市場の端へ足を踏み入れ始めていた。




