少々、重くございません?
案件配信当日の夜、セレスティアの配信画面には、いつもの華やかな背景とは少し不釣り合いな大きな箱が置かれていた。
企業から提供されたコードレス掃除機《Aster One》。天城ホールディングス傘下の東雲精機を中心として開発された、一般消費者向けとしては初めての商品である。
玲奈は経営側の人間として原価や販売価格、初回生産数、販売計画などの数字には目を通していたが、完成した市販仕様の製品にはまだ触れていない。案件を受けると決めた以上、最初に手にしたときの感覚まで含めて、セレスティアとして評価したかったからだ。
配信開始から数分が経ち、挨拶と案件についての説明を終えると、玲奈は目の前の箱へ手を伸ばした。
『本日は、こちらのコードレス掃除機をご紹介いたしますわ。わたくしも実際に使用するのは初めてですので、どのような商品なのか一緒に確かめてまいりましょう』
企業から商品提供と報酬を受けていることも最初にはっきり伝えてある。
案件だからといって褒めることを約束したわけではない。事前に送られてきた条件にも、実際に使用した上で率直な感想を伝えて構わないと明記されていた。
玲奈は箱を開き、梱包材を外していく。
説明書、充電器、交換用ノズル。本体を組み立てるための部品を順番に確認しながら、視聴者にも見える位置へ並べていった。
『説明書は分かりやすいですわね。図も大きいですし、最初に必要な部分だけを見れば組み立てられそうですわ。家電の説明書で最初から読む気をなくすほど文字が並んでいるものは、わたくし、あまり好きではございませんの』
コメント欄に笑いが流れた。
玲奈自身、機械には直人ほど詳しくない。
だからこそ、専門知識を持たない人間が箱を開けても迷わず使えることには意味がある。
説明書を脇へ置き、本体を組み上げる。接続部分には迷わず、ノズルの着脱にも強い力は必要なかった。
『この辺りは良いですわね。毎日使うものですから、準備するだけで面倒になるのは困りますもの』
そして玲奈は、組み上がった《Aster One》のグリップを握った。
床から持ち上げる。
その瞬間、ほんのわずかに動きが止まった。
画面の外で配信を確認していた直人が、その変化に気づいて口元を押さえる。玲奈は本体を右手から左手へ持ち替え、今度は片手で少し前へ伸ばしてみた。
コメント欄には早くも「どうした?」「重い?」「今ちょっと止まった?」という書き込みが流れ始めている。
玲奈は数秒ほど本体を見つめ、それからカメラへ視線を戻した。
『……少々、重くございません?』
コメント欄が一気に加速した。
企業案件の開始直後、それも商品の第一印象で出てきた言葉としては、広告担当者が期待するものとは少し違っていたかもしれない。
けれど玲奈は気にせず、もう一度持ち直した。
『もちろん、持てないほどではございませんわ。ただ、わたくしが数秒持って気づく程度には重量を感じます。これで一部屋だけなら問題ないでしょうけれど、家中を掃除するとなれば、後半は腕が疲れそうですわね』
軽さだけで商品の良し悪しが決まるわけではない。
玲奈はそこで評価を終わらせず、実際に使ってみることにした。
配信用の部屋には、あらかじめ直人が用意した紙片や細かなゴミ、髪の毛に見立てた糸などが床へ散らしてある。玲奈自身は何がどこへ置かれているか知らされておらず、通常の床だけでなく、毛足の短いラグでも試せるようになっていた。
スイッチを入れる。
モーター音が響き、玲奈は最初にフローリングの上をゆっくり進ませた。
一度通過する。
床にあった細かなゴミが、ほとんど残らず消えた。
『あら』
今度は少し速く動かす。
それでも目立った取りこぼしはない。
玲奈は方向を変え、部屋の端へ移動した。壁際を何度か通し、ヘッドの動きや取り回しを確認してから、一度スイッチを切る。
『吸引力は申し分ございませんわね。ここはかなり好きですわ。何度も同じ場所を往復しなければならない掃除機では、結局その分だけ時間がかかってしまいますもの』
最初に重量を指摘した分、褒めたときの反応も大きかった。
コメント欄では「案件なのに最初から殴ってたから信用できる」「吸引力はガチっぽい」「重いけど吸うタイプか」といった感想が流れている。
次にラグへ移った。
フローリングより抵抗は増えたが、吸引力そのものは落ちていない。何度か角度を変えて試すうちに、玲奈はヘッドの動きについても感触を掴んでいった。
『方向転換は思っていたより楽ですわね。本体の重さはございますけれど、床に置いて動かしている間は最初に持ち上げたときほど気になりません。ただ――』
玲奈は掃除機を止め、今度は棚の上へノズルを向けるような姿勢を取った。
床から離した途端、腕へ重量がかかる。
数秒維持してから元へ戻し、少し考えた。
『やはり、持ち上げて使う場面では気になりますわ。階段が多いお家や、高い場所まで一台で掃除したい方ですと、この重さは欠点になると思います』
直人は少し離れたところで、配信画面とコメント欄を交互に見ていた。
玲奈は本当に遠慮しない。
それでも悪口にはならなかった。
どんな場面で長所になるのか、どんな使い方では欠点になるのかを分けて話している。単純に「重いから駄目」と切り捨ててしまえば簡単だが、それでは商品を評価したことにはならない。
続いて、ダストカップを外す。
ここでは玲奈の表情が少し明るくなった。
『これは簡単ですわね。ゴミを捨てるために毎回説明書を開く必要はなさそうです。わたくしとしては、吸う能力と同じくらい、使ったあとに面倒ではないことも大切だと思いますの』
実際にゴミを捨て、再装着する。
一度で戻せた。
交換用ノズルも試し、収納についても確認する。すべてを無条件に褒めるのではなく、良いと思った部分には理由を付け、気になる部分についてはどんな利用者に影響するのかまで話した。
しばらく使用したところで、もう一つ気づいた。
『電池はなかなか減りませんわね』
画面に表示された残量を確認し、玲奈は少し感心したように掃除機を見る。
『この吸引力でこれだけ持つのでしたら、日常的な掃除では途中で充電が切れて困ることは少なそうです。重さの一部が電池から来ているのでしたら、ここは難しいところですわね』
軽くするためにバッテリー容量を削りすぎれば、今度は稼働時間という長所を失う。
モーターを弱くすれば、吸引力にも影響する。
玲奈は技術者ではないが、経営側で開発報告を読んできたため、その程度の関係は理解していた。
ただし、それを理由に欠点を受け入れるつもりもなかった。
『技術者の方には怒られてしまうかもしれませんけれど、利用する側からすれば、吸引力が強くて、電池が長く持って、それでいて軽い方が嬉しいに決まっておりますもの。難しいから諦める部分を決めるのは、作る側のお仕事ですわね』
画面の外で、直人がとうとう小さく吹き出した。
玲奈は視線だけを向ける。
笑っている理由は分かっていた。
その「作る側」の最終的な経営判断に関わっている本人が、セレスティアとして好き放題注文を付けているからだ。
けれど視聴者には、その事情など分からない。
配信はそのまま続き、最後に玲奈は一通りの感想をまとめた。
『わたくしが特に良いと思ったのは、吸引力と電池の持ち、それから普段のお手入れが難しくないところですわ。一方で、重量については改善していただけるのでしたら、ぜひお願いしたいですわね』
そこで少しだけ笑う。
『案件ですから良いところだけ申し上げた方が企業様には喜ばれるのかもしれませんけれど、率直な感想で構わないと書いてございましたので。後から怒られましても、わたくしは知りませんわよ?』
コメント欄が笑いで埋まった。
その夜、《Aster One》という商品名は、それまでとは比べものにならない数の人間に知られることになった。
配信直後から通販ページへのアクセスが急増し、予約数も伸びた。切り抜き動画では、玲奈が初めて本体を持ち上げた直後の「少々、重くございません?」という場面が特に広がったが、その後に吸引力や電池持ちを評価している部分まで一緒に紹介されるものも多かった。
結果として、《Aster One》は「欠点まで言われた商品」としてではなく、「欠点まで隠されなかった商品」として注目され始めた。
そして翌営業日の朝。
東雲精機と販売チームの合同会議では、配信の主要部分が既に資料へまとめられていた。
玲奈が学校へ行っている時間にも、会社は動いている。
営業担当者は予約数の推移だけではなく、配信後に増えたコメントやSNS上の反応まで分類していた。吸引力への評価は高く、稼働時間についても好意的な反応が多い。その一方、重量についてはセレスティアの指摘をきっかけとして、購入を迷うという声が一定数出ていた。
「想像以上に効きましたね」
宣伝担当者が予約数のグラフを見ながら呟いたが、その表情は単純に喜んでいるだけではなかった。
セレスティアを候補へ入れた本人でもある。
狙い通り注目は集まった。
同時に、狙った以上に欠点まで注目された。
隆一は配信の切り抜きが表示された画面を眺めたあと、資料の重量比較へ視線を移した。
「で、軽くできるのか?」
その一言で、会議の中心が宣伝効果から製品そのものへ移った。
技術担当者は既に検討を始めていた。
単純にバッテリーを小さくすれば軽くできる。しかし、それでは稼働時間という評価された長所を削ることになる。モーターについても同じで、出力を落とすだけなら簡単だが、それでは東雲精機がこの製品を作った意味まで薄れてしまう。
そこで候補に挙がったのは、筐体材料、部品配置、パイプ部分、バッテリーケース、そして重心だった。
総重量そのものを減らすだけではなく、同じ重量でも手元にかかる負担を減らせないか。
初めて家庭用完成品を作ったからこそ、数字だけでは見えていなかった改善点が次々と洗い出されていく。
午後になる頃には、東雲精機から北辰電池と相馬電子技研にも連絡が入っていた。
バッテリー容量を維持しながらケースを軽量化できないか。
制御の改善によって、同じ実使用時間を保ったまま必要容量を少し減らせないか。
モーター側でも効率をさらに上げられないか。
一社だけで答えを出そうとはしなかった。
ネクサリンクのロボット開発で学んだように、一つの部品だけを最適化しても製品全体が良くなるとは限らない。掃除機でも同じように、モーター、電池、制御、筐体をまとめて見直すことになった。
玲奈がその報告を受け取ったのは、学校から帰宅した夕方だった。
制服のまま自室の机へ座り、送られてきた資料を開く。
そこには配信後の予約数と反応、その分析結果に加え、既に始まっている軽量化検討について記されていた。
玲奈は最初のページから順番に読み、最後まで来たところで少しだけ目を細めた。
対応が早い。
配信から、まだ一日も経っていない。
会社側から見れば、セレスティアは商品の欠点を公の場で指摘した案件相手である。それでも担当者たちは言い訳を探すのではなく、その指摘が正しいかを確認し、正しいと判断した部分についてはすぐに改善へ動いていた。
玲奈はその姿勢を気に入った。
翌日、学校を終えてから東雲精機へ向かった。
会議室へ入ると、既に隆一と開発責任者、販売担当者が集まっている。机には軽量化候補をまとめた資料が広げられていた。
「セレスティア様の配信は確認されましたか?」
販売担当者からそう尋ねられ、玲奈は何食わぬ顔で席へ着いた。
「ええ。拝見いたしましたわ」
嘘ではない。
むしろ誰より近い場所で見ていた。
「かなり率直に言われましたけど、結果的には良かったと思っています。予約も増えましたし、何より重量への反応が想定より大きいことが分かりました」
担当者は配信で批判されたことを悔しがるのではなく、自分たちが拾いきれていなかった利用者の感覚を数字へ変えていた。
玲奈は資料を確認しながら、すぐに結論を出さなかった。
重量を減らす案は複数ある。
しかし軽くするために原価が大幅に上がれば、今度は価格という別の問題が生まれる。耐久性を削ることも認められない。
数分かけて資料を読み終え、玲奈は顔を上げた。
「では、軽くいたしましょう」
あまりに迷いのない言葉に、開発責任者が苦笑した。
「簡単に言いますね」
「簡単ではないから、皆様にお願いしているのですわ」
玲奈は重量だけを見ているわけではなかった。
「吸引力と稼働時間は、既に評価されています。その長所を壊して軽くしても意味がございません。価格も大きく上げない。その条件で、どこまで改善できるかを調べてくださいませ」
命令だけして終わるのではなく、開発費の追加枠についてもその場で確認した。
初回生産分をすべて作り直すような無茶はしない。
予定されている製品はそのまま販売し、利用者からさらに意見を集める。その間に改良を進め、次の生産分や改良型へ反映できるものから順番に採用する。
販売担当者も、その方が市場の反応を見ながら動けると判断した。
会議が終わりかけた頃、隆一が資料を閉じながら笑った。
「しかし、セレスティアさんには一本取られましたね。こっちも重さは分かってたつもりだったんですが」
「そうですわね」
「次も頼みますか?」
玲奈は危うく笑いそうになった。
目の前の人間は、自分の会社の商品を自分に評価させ、さらに次の商品まで自分へ依頼しようとしている。
けれど、それを知っているのは玲奈だけだった。
「良いのではございません?」
平然と答えてから、玲奈は鞄を手に立ち上がった。
「ただし、次も褒めていただけるとは限りませんけれど」
「そこなんですよねえ……」
販売担当者の困ったような声を背中で聞きながら、玲奈は会議室を出た。
廊下を歩き、誰もいなくなったところでようやく小さく笑う。
自分たちが作った商品を、消費者に近い立場から自分で評価する。
考えてみれば、妙な立場だった。
けれど悪くない。
経営会議の資料だけを読んでいれば、重量は単なる数字だった。
セレスティアとして実際に持ったからこそ、その数字が腕にかかる負担へ変わった。
そして、その一言を会社が拾い、翌日には改善へ動き始めた。
以前の東雲精機なら、顧客から指定された性能を満たせば仕事は終わっていた。
今は、自分たちで商品を作り、使った人間の声を聞き、次の商品をもっと良くしようとしている。
会社そのものが、少しずつ変わっている。
その日の夜、セレスティアの仕事用メールには、案件配信への礼が届いていた。
玲奈は本文を読み進め、最後の一文で指を止める。
――率直なご意見をいただき、誠にありがとうございました。ご指摘いただいた重量については、今後の製品改善の参考とさせていただきます。
玲奈は画面を見つめたまま、しばらく黙っていた。
やがて返信欄を開き、短く、それでも丁寧に礼を書く。
送信を終えると、少しだけ口元を緩めた。
「参考どころか、もう動いておりますけれどね」
セレスティアは、まだ知らない。
少なくとも、会社の人間たちはそう思っている。
そして玲奈も、その秘密をわざわざ教えてあげるつもりはなかった。




