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悪役令嬢、現代日本に転生する~処刑された元公爵令嬢は、今度こそ自分の才能を自分のために使います~  作者: にゅん


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技術はある。売り方がない

 東雲精機から財務資料を開示してもよいという連絡が届いてから、実際に資料を見るまでには少し時間がかかった。


 玲奈としては、連絡を受けた翌日にでも確認したかったのだが、企業の内部情報を見る以上、口約束だけで済ませるわけにはいかない。


 秘密保持について正式に取り決め、閲覧できる資料の範囲を確認する。


 さらに東雲精機側の顧問税理士も同席し、玲奈側も財務に詳しい人間を連れていくことになった。


 問題は、その人物だった。


「橘さん、来られることになったのですね」


「今回はあくまで個人的な知人として、一般的な範囲で資料を見るだけよ。銀行を代表して来るわけじゃないから、そこは絶対に勘違いしないでね」


「承知しております」


「あと、正式な買収支援まで進むなら、沙耶香ちゃん個人にそのままお願いできるとは限らないからね」


「そちらも理解しております。必要になれば別途、正式に専門家へ依頼します」


 美咲は電話を切ったあと、少し複雑そうに娘を見た。


「本当に分かってる?」


「信用がございませんね」


「十四歳の娘が会社買おうとしてるのよ。慎重にもなるわよ」


「まだ買うとは決めておりません」


「その台詞、最近お父さんも信用してないわよ」


 玲奈としては心外だった。


 確かに東雲精機への興味は、最初に調べたときより遥かに強くなっている。


 しかし興味があることと、買うことは違う。


 そこだけは意識して分けていた。


 そして翌週。


 玲奈、美咲、沙耶香の三人は、再び東雲精機を訪れた。


 今回は直人を連れてきていない。


 技術面については別途確認を進めてもらっているため、今日の目的は会社の数字を見ることに絞った。


 応接室には、東雲隆一と顧問税理士が待っていた。


 簡単な挨拶を終えたあと、沙耶香が最初に自分の立場を説明する。


「本日は天城さんから相談を受け、財務資料を確認するために同席しています。ただし、勤務先の銀行を代表しているわけではありません。融資などについてお約束できる立場でもありませんので、その点だけご了承ください」


「分かりました」


 隆一も頷いた。


 玲奈はそのやり取りを横で聞きながら、机の上に置かれた資料へ視線を向ける。


 決算書。


 借入金一覧。


 主要取引先別の売上構成。


 設備一覧。


 過去数年間の売上推移。


 公開情報をいくら調べても手に入らなかった、会社の内側にある数字だった。


「では、始めましょうか」


 沙耶香が資料を開いた。


 玲奈も自分のノートを横へ置き、一つずつ数字を追い始めた。


 最初に確認したのは売上だった。


 東雲精機の売上は、急激に落ち込んでいるわけではない。


 多少の上下はあるものの、ここ数年はほぼ同じ範囲を行き来している。


「思っていたより、売上は維持されておりますね」


「昔からの取引先がありますから。注文が全部なくなったわけじゃありません」


 隆一が答える。


「では、なぜ会社を続けることに不安を感じていらっしゃるのです?」


 玲奈が尋ねると、隆一は少し苦笑した。


「売上が同じでも、残る金は同じじゃないんですよ」


 その意味は、次の資料を見れば分かった。


 材料費。


 電気代。


 人件費。


 修繕費。


 複数の費用が少しずつ増えている。


 一方で、売上の伸びは小さい。


 結果として営業利益率は年々薄くなっていた。


「なるほど……」


 玲奈は数字を追いながら、工場で隆一から聞いた言葉を思い出した。


 昔から付き合いのある会社だから、大きく値段を上げるわけにもいかない。


「東雲社長。価格改定は、直近ではいつ行われました?」


「一部は去年です。ただ、全部ではありません」


「なぜ全部ではないのでしょう?」


「取引先にも事情がありますから。値上げしたら他へ移ると言われるところもありますし、昔から付き合ってもらっている会社には言いづらい部分もあります」


 玲奈は少しだけ眉を寄せた。


「昔からのお付き合いがあるからこそ、東雲精機だけが負担する理由はございます?」


 隆一が言葉に詰まった。


 玲奈は責めるつもりで言ったわけではない。


 ただ、純粋に分からなかった。


「原材料も電気代も上がっております。社員の給与も上げなければならないでしょう。それでも販売価格だけを昔に近い水準で維持するのであれば、その差額は誰が負担しているのですか?」


「……会社ですね」


「最終的には、社員の方々も負担することになりません?」


 利益が残らなければ、設備へ投資できない。


 給与も上げにくい。


 新しい人材も採用できない。


 会社の将来へ使う金がなくなる。


 取引先へ安く提供するために自社の未来を削っているのであれば、それを玲奈は良い関係とは思えなかった。


 沙耶香が横から口を挟んだ。


「ただ、玲奈ちゃん。値上げすれば全部解決するわけでもないからね」


「もちろんです」


「実際に取引先が離れれば、固定費を賄えなくなる可能性もある。特に製造業は、工場を持っているだけでもお金がかかるから」


「ですから、どの顧客へ、どこまで価格を上げられるのか確認する必要があるのですね」


「そういうこと」


 玲奈は主要取引先別の資料へ移った。


 そこで、次の問題が見つかった。


「……大きいですね」


 最大の取引先一社だけで、売上全体のかなりの割合を占めている。


 二番目、三番目まで含めれば、さらに比率は高くなる。


 沙耶香も同じ場所を見ていた。


「これは気になるね」


「もし最大の取引先がなくなった場合、どうなります?」


 玲奈の質問に、隆一は少し考えてから答えた。


「かなり厳しいです。すぐ倒産するとは言いませんが、人員も今のままでは維持できないでしょうね」


「その会社との契約は長いのですか?」


「二十年以上になります」


「では、簡単には離れない?」


「……そう思いたいですね」


 玲奈は、その言い方が気になった。


 長年取引している。


 それは強みでもある。


 しかし同時に、長年続いているからこれからも続くと思い込むことは、別の話だった。


「価格交渉が難しい最大の相手も、その会社ですか?」


 隆一は少し驚いた顔をしたあと、頷いた。


「そうです」


 玲奈の中で、二つの問題が繋がった。


 売上を失いたくない。


 だから値上げしにくい。


 値上げできないから利益が減る。


 利益が減るから設備へ投資できない。


 設備が古くなる。


 給与も十分に上げられない。


 若い人材を採りにくくなる。


 そして技術を持つ熟練者は年齢を重ねていく。


 一つ一つは別の問題に見えていた。


 しかし数字を並べると、一本の線になった。


「……悪循環ですわね」


 玲奈が小さく呟いた。


 隆一も否定しなかった。


 次に設備一覧を見る。


 工場で実際に見た古い工作機械が、資料にも並んでいる。


 修繕しながら使っているため、すぐに全てを交換する必要はない。


 しかし今後数年間を考えれば、いくつかの設備については更新を避けられそうになかった。


「仮に優先度の高い設備から更新するとして、どれくらい必要になります?」


 玲奈が尋ねると、隆一と税理士が用意していた試算を見せた。


 数字を見た玲奈は、しばらく黙った。


「……高いですね」


「製造業ですからね」


 沙耶香が苦笑する。


「会社を買うお金だけ考えちゃ駄目って言った意味、分かった?」


「ええ。非常によく分かりました」


 仮に株式を安く譲ってもらえたとしても、それだけでは足りない。


 設備更新。


 運転資金。


 採用。


 場合によっては新しい営業体制。


 会社を立て直すためには、買収代金とは別の金が必要になる。


 玲奈は自分の資産を頭の中で思い浮かべた。


 届かないとは限らない。


 しかし、気軽に出せる金額でもない。


 そして、全てを自分の現金だけで賄う必要があるのかという疑問も生まれた。


「橘さん。会社を買う場合、購入する人間が全額を現金で用意するものなのですか?」


「そんなケースばかりじゃないよ。自己資金だけで買うこともあるけど、融資を使う場合もあるし、出資を受ける方法もある。事業承継向けの制度や保証が使えるケースもあるし、案件ごとに違う」


「では、会社そのものに返済能力があると判断されれば、資金調達の可能性もある?」


「ある。ただし玲奈ちゃんの場合は年齢が特殊すぎるから、普通の買収と同じには考えられないけどね」


「そこは後で考えます」


「そこ、かなり大事なんだけど」


 沙耶香が呆れたように言い、美咲が横で苦笑した。


 それでも玲奈は、頭の中で選択肢が増えたことを感じていた。


 持っている現金の全てを投じなければ会社を買えない、というわけではない。


 ただし借りればいいという話でもない。


 借金には返済が必要である。


 ならば重要なのは、東雲精機が将来どれほどの利益を生み出せる会社なのかということになる。


「もう一つ、確認したいものがございます」


「何でしょう?」


「製品ごとの採算です」


 玲奈がそう言うと、隆一と税理士が顔を見合わせた。


 その反応だけで、玲奈には少し嫌な予感がした。


「……正確には出してないですね」


「出していない?」


「大まかな原価は見ています。ただ、細かい調整にかかった時間まで製品ごとに全部計算しているわけじゃありません」


 玲奈は数秒、黙った。


「では、手間のかかる特注品が、本当に利益を出しているのか分からないのですか?」


「全く分からないわけじゃありません。経験上、このくらいならというのはあります」


「経験上」


「長年やっていますから」


 玲奈は隆一を否定しなかった。


 経験は価値のあるものだ。


 現場を知らない玲奈より、隆一の感覚が正しいことも多いだろう。


 しかし、経営判断まで全て感覚だけで行うことには不安があった。


「橘さん」


「うん。玲奈ちゃんが気になってることは分かる」


「やはり問題ですか?」


「改善できるところではあるね。少なくとも、どの仕事がどれくらい利益を出しているのか見えるようにした方が、値段の交渉もしやすい」


 玲奈はノートへ書き込んだ。


 製品別、案件別の採算管理。


 また一つ、直せそうな場所が増えた。


 不思議だった。


 問題が見つかっている。


 普通なら、買いたい気持ちは弱くなるはずだった。


 ところが玲奈は、むしろ少しずつ東雲精機へ惹かれていた。


 理由は単純だった。


 見つかる問題の多くが、技術そのものの欠陥ではない。


 売れない製品しか作れないわけではない。


 品質が低いわけでもない。


 社員が働かないわけでもない。


 会社の中に価値がないのではなく、持っている価値を十分にお金へ変えられていないように見えるのだ。


「東雲社長」


「はい」


「新規顧客は、どのように獲得されています?」


 隆一が少し困った顔をした。


「紹介が多いですね。あとは昔からの付き合いとか、展示会に出ることもあります」


「営業担当は何人です?」


「専任は二人です。ただ、技術の話になると私か現場の人間が出ることも多いですね」


「海外向けは?」


「ほとんどありません」


「ウェブサイトからの問い合わせは?」


「たまに来ます」


「英語の資料はございます?」


「……一応、簡単なものなら」


 玲奈はそこで質問を止めた。


 頭の中に、東雲精機の姿が浮かび始めていた。


 小型モーター。


 少量生産。


 顧客ごとの細かな要求へ対応できる技術。


 それを、昔からの取引先へ、昔からの方法で売っている。


 価格を上げることを恐れ、新しい顧客を大きく増やせず、海外へもほとんど出ていない。


 玲奈には、その状態があまりにも惜しく見えた。


「……技術はある」


 思わず声に出ていた。


 隆一が玲奈を見る。


 玲奈は資料を見つめたまま、続けた。


「ですが、その技術を売る方法が弱いのですね」


 応接室が少し静かになった。


 隆一にとっては、決して気持ちの良い言葉ではないだろう。


 玲奈もそれは分かっていた。


「申し訳ございません。失礼な言い方でした」


「いや……」


 隆一は首を振った。


「昔から、作る方ばっかりやってきましたからね」


 その言葉には、悔しさよりも諦めに近いものが混じっていた。


「良いものを作れば、分かってもらえると思ってたところはあります」


 玲奈は、その考えを理解できないわけではなかった。


 前世でも、優れた職人ほど似たことを言った。


 良い剣を作れば騎士が欲しがる。


 良い布を織れば貴族が買う。


 良い酒を造れば商人が運んでくれる。


 しかし現実には、良いものが必ず正しく評価されるわけではない。


 知られていなければ、存在しないのと同じこともある。


 そして価値を伝えられなければ、正しい価格も取れない。


「わたくしは、営業が得意ではございません」


 玲奈が突然そう言うと、隆一は少し意外そうな顔をした。


「そうなんですか?」


「自分から頭を下げて、買ってくださいとお願いして回るのは好きではありません」


 美咲は横で、何となく納得した顔をしていた。


「ですが、だからこそ思います」


 玲奈は資料の上へ指を置いた。


「欲しがられるものを作ればよろしいのではありませんか?」


 隆一が黙る。


「東雲精機には、すでに技術がございます。ならば、その技術を必要としている相手へ届く形に変える。何ができる会社なのかを分かりやすくし、正しい相手へ見せ、必要とされたなら正しい価格を提示する」


 玲奈は少し笑った。


「欲しがられるものを作りなさい。そうすれば、向こうから参りますわ」


 直人に営業を頼もうとして嫌がられた頃から、玲奈自身の考えはそれほど変わっていなかった。


 売り込み続けなければ買ってもらえないものを作るより、必要とする人間が探しに来るものを作る。


 ただ、東雲精機の場合は少し違う。


 すでに欲しがられる可能性のある技術を持っている。


 問題は、それを欲しがる人間へ届いていないことだった。


 沙耶香が資料を見ながら口を開いた。


「玲奈ちゃん。一応言っておくけど、新規顧客を増やすのも簡単じゃないからね。営業体制を作るにもお金がかかるし、海外ならもっと大変」


「ええ。ですから、できるかどうかを調べます」


「設備投資も必要になる」


「それも計算します」


「人を増やしたら固定費も上がるよ」


「利益が増えないのであれば、増やしません」


 沙耶香は小さく笑った。


「やっぱり、買った後のこと考え始めてるね」


 玲奈は否定しようとして、やめた。


「……そうですね」


 ここまで調べても、まだ買うと決めたわけではない。


 しかし初めて、自分が経営する東雲精機を想像していた。


 価格を見直す。


 採算を可視化する。


 設備へ投資する。


 技術を言語化し、若手へ継承する。


 顧客を増やす。


 一社への依存を下げる。


 そして今まで届かなかった市場へ、この会社の技術を持っていく。


 できる保証はない。


 失敗する可能性もある。


 それでも、やってみたいと思った。


 その感覚に気づいた瞬間、玲奈は少しだけ怖くなった。


 株式投資とは違う。


 買った株が下がったなら、自分が損をすればいい。


 東雲精機で失敗すれば、五十人が巻き込まれる。


 だからこそ、その場の高揚だけで決めるわけにはいかなかった。


 玲奈は資料から顔を上げ、隆一へ尋ねた。


「東雲社長。最後に一つだけ、今日は数字ではない質問をしてもよろしいでしょうか?」


「何でしょう?」


「もし東雲精機を第三者へ託すことになった場合、何を一番残したいですか?」


 隆一はすぐには答えなかった。


 会社名か。


 技術か。


 工場か。


 社員か。


 玲奈はどれを選んでも不思議ではないと思っていた。


 しばらく考えたあと、隆一は静かに口を開いた。


「……働いてる連中ですね」


 玲奈は黙って聞いた。


「技術も残したいです。親父から継いだ会社だから、名前にも思い入れはあります。でも会社の名前だけ残って、今いる連中がみんな辞めさせられるなら、それを残ったとは思えない」


 隆一は少し照れたように笑った。


「うちは大企業じゃありません。五十人くらいしかいないから、だいたい顔も分かります。家族がいるやつもいるし、若いのもいる。だから、できるなら仕事ごと残したいですね」


 玲奈は、前回自分がノートへ書いた問いを思い出した。


 五十人分の責任まで引き受けて、この会社が欲しいと思えるのか。


 まだ答えを出すには早い。


 しかし、少なくとも一つだけ分かった。


 東雲隆一が守りたいものと、自分が買った後に守るべきものは、大きくずれてはいない。


「ありがとうございます」


 玲奈はそれだけ答えた。


 帰宅したのは夕方だった。


 自室へ戻ると、玲奈はすぐに東雲精機のノートを開いた。


 数字から見つかった問題を書き出していく。


 利益率の低下。


 価格転嫁の遅れ。


 大口顧客への依存。


 設備更新。


 案件別採算の不透明さ。


 営業力の弱さ。


 海外販路の乏しさ。


 決して小さな問題ではない。


 むしろ、普通なら買収をためらう理由がいくつも並んでいる。


 それでも玲奈は、その横へ別の項目を書いた。


 技術そのものは失われていない。


 顧客ごとの要求へ対応できる。


 現場には経験が残っている。


 改善できる問題が多い。


 そして最後に、もう一つ。


 今より価値を高められる可能性がある。


 玲奈はペンを置き、椅子の背もたれへ身体を預けた。


 前世では、自分の能力を使って領地や王家の価値を高めることばかり考えていた。


 もっと税収を増やすにはどうするか。


 商人を呼ぶにはどうするか。


 農地を豊かにするにはどうするか。


 けれど、その結果が自分のものになることはなかった。


 褒められても、成果は家のもの。


 成功しても、利益は王国のもの。


 それが当然だと思っていた。


 今は違う。


 自分で選んだ会社へ、自分のお金を使う。


 自分で考えて価値を高める。


 成功すれば社員にも利益を返し、そのうえで残った成果は、自分が選んで手に入れたものになる。


 誰かに命じられた役割ではない。


 誰かのためだけに使う能力でもない。


 玲奈はノートを見つめた。


「……面白そうですわね」


 その言葉を口にしてから、自分で少し笑った。


 まだ価格すら知らない。


 資金調達の方法も決まっていない。


 法律上の仕組みも、両親や専門家と詰めなければならない。


 それでも、初めてだった。


 会社を買えるかどうかではなく。


 会社を買うべきかどうかでもなく。


 もっと単純な感情が、玲奈の中に生まれていた。


 ――この会社を、経営してみたい。


 それは義務ではなかった。


 誰かに期待されたからでもない。


 困っている人間を救わなければならないという使命感でもない。


 天城玲奈が、自分自身のために選び始めた、新しい欲望だった。

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