父の会社が、潰れそうなんです
次回の《セレスティアお嬢様の相談室》で取り上げる相談を決めてからも、玲奈は高校生から届いた文章を何度か読み返していた。
父親が経営する従業員五十人ほどの製造会社が、経営難と後継者不足によって廃業するかもしれない。相談者は会社を継げる年齢でもなければ、経営について専門的な知識を持っているわけでもない。それでも幼い頃から知っている社員たちや、父親が長年守ってきた会社がなくなることを恐れていた。
玲奈が気になったのは、相談者が何度も「自分に何かできないか」と書いていることだった。
その気持ち自体は理解できる。
大切な家族が困っているのであれば助けたいと思うのは自然だろう。しかし玲奈には、その善意が少し危うくも見えた。
父親が大切にしてきた会社だから、自分が継がなければならない。
社員が困るから、自分が何とかしなければならない。
そんな考えへ進んでしまえば、相談者はまだ選んでもいない人生を、誰かのために背負うことになる。
それだけは、玲奈が簡単に勧めていいことではなかった。
配信当日。
いつもの挨拶を終え、いくつかの相談へ回答したあと、玲奈は問題の投稿を画面へ表示した。
「では、次のご相談へ参りましょう。高校生の方からいただいております。個人や会社を特定できる情報については、こちらで省かせていただきました」
玲奈は一度文章へ目を落とし、それから題名を読み上げた。
「『父の会社が、潰れそうなんです』――とのことです」
コメント欄の雰囲気が少し変わった。
進路や友人関係とは違い、会社の存続という重い内容である。玲奈は急がず、相談文を要約しながら視聴者へ説明していった。
父親は小さな製造会社を経営している。
従業員は五十人ほど。
長く付き合っている取引先があり、製品や技術について一定の評価を受けている。
しかし設備の老朽化が進み、若い社員へ十分な待遇を用意する余裕もない。大口顧客への依存も強く、父親自身が将来会社を誰へ引き継げばいいのか悩んでいる。
相談者は、父親から直接「継いでほしい」と言われたわけではない。
それでも、自分が何かしなければ会社がなくなってしまうのではないかと考えているらしい。
「まず最初に申し上げておきますが、この方が会社を継ぐべきかどうかを、わたくしが決めることはできません」
玲奈はそこで相談者へ向けるように、まっすぐ画面を見た。
「そして、会社を守るためだけに、ご自身の人生を差し出す必要もございません。お父様の会社が大切であることと、あなたがその会社を経営しなければならないことは、別のお話です」
コメント欄にも様々な反応が流れた。
『でも家業なら子供が継ぐものじゃない?』
『社員50人いたら簡単には閉められないよな』
『高校生には重すぎる』
『親が作った会社なら残したい気持ちは分かる』
玲奈はそれらを読みながら、少し考えた。
「もちろん、ご本人が心から継ぎたいのであれば、それも一つの選択でしょう。ただし、『自分がやりたいから継ぐ』ことと、『自分しかいないから継ぐ』ことは、似ているようで全く違うと思います」
その言葉を口にした瞬間、玲奈自身にも少しだけ重く響いた。
前世のセレスティアには、選択肢がほとんどなかった。
公爵家の娘だから学ぶ。
王太子の婚約者だから国を支える。
将来王妃になるから、自分より役割を優先する。
誰かに一度だけ強制されたのではない。
それが当然だと思う環境の中で育ち、自分自身も疑問を持たなくなっていた。
だからこそ玲奈は、相談者へ同じ道を勧めたくなかった。
「まず、お父様とお話ししてみてはいかがでしょう。会社を本当に残したいと思っているのか、残すのであれば誰へ引き継ぎたいのか、それともご自身の代で終わらせる覚悟をしているのか。あなたが想像しているお父様のお気持ちと、実際のお考えが同じとは限りませんから」
さらに玲奈は、最近知った事業承継についても触れた。
「それと、会社というものは必ずしもご家族だけが引き継ぐものではないそうです。社内の方へ引き継ぐ方法もあれば、別の企業や第三者へ譲る方法もございます。わたくしも最近勉強し始めたばかりですので、専門的なことまでは申し上げられませんけれど」
そこで一つ、社会人らしい視聴者からコメントが流れた。
『M&Aとか事業承継支援ですね』
「ええ。まさにその辺りを最近調べております」
『なんでVTuberがM&A調べてるんだ』
『お嬢様の勉強範囲がおかしい』
『相談室の守備範囲どうなってんの』
「興味を持ったのですから仕方がないでしょう?」
玲奈が少し不満そうに返すと、コメント欄の空気が和らいだ。
それから玲奈は、もう一度相談内容へ戻った。
「ただし、会社を残すことが必ず正しいとも思いません。技術があると書かれておりますが、それがどれほど価値のある技術なのか、わたくしには分かりません。経営状態についても、この文章だけでは判断できませんもの」
相談者から見れば、大切な父親の会社である。
だから良く見えている可能性もある。
実際には競争力を失っているかもしれないし、設備更新に必要な金額が大きすぎるかもしれない。大口顧客を失えば立ち行かない会社である可能性もある。
「残したいという気持ちと、残せる会社なのかという判断は、分けた方がよろしいでしょう。そこを一緒にしてしまえば、かえってお父様や社員の皆様を苦しめることになるかもしれません」
玲奈は相談者へ、まず父親と話すことを勧めた。
会社のために自分が何をするか決める前に、自分自身が何を望んでいるのかも考えてほしい。
そして会社を本当に残したいのであれば、家族だけで抱え込まず、事業承継を扱う専門家へ相談する方法もある。
「あなたが会社を継がなくても、会社を大切に思うことはできます。反対に、会社を大切に思っているからこそ、自分以外の誰かへ託すという選択もあるのでしょう」
玲奈はそこで少し表情を和らげた。
「ですから今は、ご自身の将来まで一人で背負わないでくださいませ。まだ高校生なのですから、お父様の会社の責任まであなた一人が負う必要はございません」
その回答で相談を終えた。
玲奈としては、それ以上踏み込むつもりはなかった。
相談室は、企業再生を請け負う場所ではない。
会社の情報も足りない。
何より相談者が求めているのは、父親の会社を買ってくれる人間ではなく、自分がどう向き合えばいいのかという助言だった。
配信終了後、玲奈は直人と簡単に振り返りをしてからパソコンを閉じた。
その日は、それで終わるはずだった。
ところが三日後。
相談を送った本人から、追加のメッセージが届いた。
玲奈は学校から帰宅して内容を確認し、少し驚いた。
相談者は実際に父親と話したらしい。
そして父親から初めて、会社の現状について詳しく聞かされたという。
父親自身も、息子に会社を継がせるつもりはなかった。
むしろ自分が苦労してきた姿を見ているからこそ、好きな道へ進んでほしいと考えていた。
「……良いお父様ですね」
玲奈は文章を読みながら呟いた。
相談者自身も、その言葉を聞いて安心したらしい。
自分が会社を継がなければならないという思い込みが消えたことで、父親と初めて会社について落ち着いて話せたと書かれている。
しかし、それで会社の問題が解決したわけではなかった。
父親は会社そのものを嫌っているわけではない。
できることなら残したい。
従業員の仕事も守りたい。
長年積み上げてきた技術も途絶えさせたくない。
それでも自分の年齢や会社の資金状況を考えれば、あと何年続けられるか分からない。
そこで相談者は父親へ、配信で聞いた《第三者への事業承継》について話したという。
父親も存在自体は知っていた。
ただ、自分の会社のような小さな工場を欲しがる人間などいないだろうと考え、本格的には動いていなかったらしい。
追加の文章には、最後にこう書かれていた。
『父が、会社の名前を出してもいいと言っています。もしセレスティアさんが興味を持ってくれるなら、一度だけ会社のことを見てもらえたら嬉しいです。でも、無理なら大丈夫です。相談に答えてもらえただけで、本当に助かりました』
玲奈はそこで手を止めた。
会社を見る。
何を意味しているのかは分かる。
しかし、自分は経営コンサルタントではない。
製造業の専門家でもない。
相談者の期待だけで軽々しく関わっていい問題ではなかった。
玲奈はすぐには返事をしなかった。
まず両親へ相談した。
「興味があるの?」
美咲から尋ねられ、玲奈は少し考えてから頷いた。
「ございます。ただ、助けられると思っているわけではありません。以前から調べていた事業承継の実例として、どのような会社なのか知りたいという気持ちの方が強いです」
「相手は玲奈ちゃんを大人だと思ってる可能性が高いわよ」
「そこは問題ですね」
セレスティアの年齢は公表していない。
声も配信上では軽く調整しているため、十四歳の中学生だと考えている視聴者はほとんどいない。
もし直接会社へ関わるなら、匿名の配信者として話を聞くだけでは済まない可能性が高かった。
「だったら、まず会社の公開情報だけ調べたら?」
美咲の提案に、玲奈は頷いた。
相談者から送られてきた会社名は――《東雲精機株式会社》。
玲奈は初めて、その名前を検索した。
大きな会社ではなかった。
従業員はおよそ五十人。
一般消費者向けの商品を販売している会社でもないため、会社名を検索しても大量の記事が出てくるわけではない。
主力は、小型の電動モーターだった。
「モーター……」
玲奈は会社の簡素なウェブサイトを開いた。
製品写真。
仕様。
会社概要。
採用情報。
設備の紹介。
派手さはない。
むしろウェブサイトそのものは古く、会社の魅力を伝えようという意識があまり感じられなかった。
しかし玲奈には、そこに書かれている技術的な内容の良し悪しまでは判断できない。
だから、自分で分かったふりをしなかった。
「久世さん。少し見ていただきたい会社がございます」
玲奈は直人へ連絡し、東雲精機の公開情報を送った。
「何の会社?」
「小型モーターを作っている会社だそうです。わたくしでは技術的な価値を判断できませんので、久世さんの意見を聞きたいのです」
「俺もモーター専門じゃないぞ」
「承知しております。それでも、わたくしよりは分かるでしょう?」
「それはまあ……」
直人はその場で結論を出さず、資料を確認する時間が欲しいと言った。
玲奈も急かさなかった。
会社を残したいという相談者の気持ちだけで、価値のある会社だと決めつけるつもりはない。
数日後。
直人から連絡が来た。
「玲奈。東雲精機の件だけど」
「はい。どうでした?」
「公開されてる情報だけだから断言はできない。ただ、ちょっと面白い」
玲奈の表情が変わった。
「詳しくお願いします」
「小型モーターの効率と制御精度が売りみたいだな。公開されてる仕様が本当なら、少なくとも適当に作ってる会社じゃない。特許もいくつかあるし、取引実績を見る限り、技術を評価してる会社は実際にあるっぽい」
玲奈は黙って聞いた。
「ただ、会社として上手くやれてるかは別だ。設備は古そうだし、サイト見ても営業が強い感じはしない。そもそも俺じゃ財務までは分からん」
「そこは別の方に見ていただく必要がありますね」
「お前、なんでそんな嬉しそうなんだよ」
直人に指摘され、玲奈は初めて自分が笑っていることに気づいた。
「……面白いと思いまして」
相談文に書かれていた内容が、少なくとも完全な思い込みではない可能性が出てきた。
技術がある。
顧客もいる。
それでも経営は苦しい。
玲奈がここ数年、企業を調べながら何度も疑問に感じてきた形だった。
価値があるのに、その価値を十分な利益へ変えられていない会社。
玲奈は東雲精機について、さらに調べ始めた。
もちろん公開情報だけでは限界がある。
売上の詳細も分からない。
借入金も分からない。
主要取引先への依存度も、社員の年齢構成も、実際の設備状況も分からない。
しかし調べれば調べるほど、一度きちんと見てみたいという気持ちは強くなっていった。
その夜。
玲奈は自室で、これまで書きためてきたノートを開いた。
十二歳で株を買い、会社の一部を所有するという感覚を知った。
十三歳では海外の視聴者と接し、日本の外にも異なる価値観を持つ人々がいることを実感した。
十四歳では百万人へ到達し、自分が数年間積み上げてきた資金の大きさを改めて確認した。
そして最近になって、事業承継とM&Aを知った。
会社は、家族だけが引き継ぐものではない。
第三者が買うこともできる。
価値があるのに消えようとしている会社を、別の誰かが引き継ぐこともできる。
玲奈はそこまで考えたところで、手元のノートを閉じた。
まだ何も決まっていない。
東雲精機が本当に残す価値のある会社なのかも分からない。
玲奈に経営できるのかという問題以前に、そもそも現在の所有者が第三者へ売る意思を持っているのかすら確認していない。
それでも、一つだけ確かめたいことが生まれていた。
玲奈は直人へ通話を繋いだ。
「……久世さん。少しよろしいですか?」
『今度はなんだ?』
玲奈は東雲精機の資料をもう一度画面へ表示した。
五十人ほどの従業員。
古い設備。
十分とは言えない待遇。
大口顧客への依存。
後継者不在。
そして、それでも直人が「面白い」と評価した技術。
数年前の玲奈なら、そんな会社があると知っても何もできなかった。
しかし今は違う。
自分で稼いだ金がある。
企業を調べてきた経験がある。
技術について相談できる人間もいる。
何より、会社そのものを第三者が引き継げることを、すでに知っている。
「会社というものは――買えますの?」




