お金を残す理由
十歳で登録者十万人へ到達してから、《セレスティア》の成長は以前より安定したものになった。一つの動画が偶然伸びて人数が増えるのではなく、相談室やゲーム配信を入口として、新しく知った視聴者が少しずつ定着する流れが生まれていた。
玲奈も、数字を増やすためだけに配信回数を増やすことはしなかった。学校へ行き、宿題を終え、陽菜と遊び、家族と過ごす時間を確保したうえで、自分が楽しめる範囲でセレスティアとして活動する。その方針は十万人を超えても変わらない。
それでも一年という時間は大きかった。
十一歳を迎える頃には、登録者数は二十万人を大きく超えている。通常配信にも数千人が集まるようになり、《セレスティアお嬢様の相談室》には毎回、玲奈一人では読み切れないほどの相談が届くようになっていた。
企業から届く仕事も増えた。しかし玲奈は、依頼が増えたからといって受ける件数を大幅には増やさなかった。
「一ヶ月に受けられる案件数には限度がございます。報酬が増えるからといって、配信の半分を広告へ変えるつもりはありませんわ」
玲奈がそう判断すれば、直人も異論はなかった。むしろ技術面を支える彼からすれば、十一歳の少女が仕事を増やしすぎないことの方が重要だった。
結果として玲奈は、数より条件を選ぶようになった。
自分で試せる商品なのか。視聴者へ正直な感想を伝えられるのか。そしてセレスティアへ依頼する意味が本当にあるのか。
その三つを満たさなければ、報酬が高くても断る。
逆に玲奈が価値を認めた仕事については、安く受けることもしなかった。
「以前の倍以上の金額になってるぞ」
ある案件の条件を確認した直人が言うと、玲奈は当然のように頷いた。
「以前とは、こちらが提供できる価値も違いますもの。同じ値段である方がおかしいでしょう?」
「値上げするときに全然ためらわないよな、お前」
「適正な価格を提示しているだけです。高すぎると思われましたら、依頼しなければよろしいのですわ」
相手へ無理に買わせるつもりはない。
しかし、自分から価値を安売りするつもりもない。
それは最初に直人へ仕事を頼んだ頃から、玲奈の中で変わらない考え方だった。
そんな活動を続けていれば、当然ながら収入も増えていく。
最初の百円を大切に記録していた少女の口座には、十一歳の子供が日常生活で使うには明らかに大きすぎる金額が積み上がり始めていた。
もちろん玲奈が自由に好き放題できるわけではない。未成年である以上、契約や税務を含めて両親の協力は欠かせず、美咲も娘が数字だけを見て暴走しないよう確認している。
玲奈自身、それに不満はなかった。
分からない制度について知ったふりをするより、詳しい人間から学んだ方が早いからである。
ある休日、美咲は玲奈を食卓へ呼び、ノートパソコンと何枚かの資料を並べた。
「玲奈ちゃん。今日は去年のお金について、一緒に整理しましょうか」
「はい。お願いいたします、お母さん」
玲奈も自分のノートを持って隣へ座る。
売上。
経費。
所得。
税金。
以前から言葉としては知っていたが、自分が実際に稼いだ金を使って計算すると、理解の深さがまるで違った。
「入ってきたお金が、そのまま全部玲奈ちゃんのお金になるわけじゃないの。活動するために使ったお金もあるし、税金も考えないといけないでしょう?」
「ですから、売上だけを見て喜んでも意味がないのですね」
「そういうこと。会社でも売上が大きいから儲かっているとは限らないのよ」
玲奈の手が止まった。
「……売上が増えているのに、苦しくなることもございますの?」
「もちろんあるわよ。利益が出ていても、お金が足りなくなることだってあるしね」
それは面白い。
玲奈の表情を見ただけで、美咲には娘の興味が別の方向へ移ったことが分かったらしい。
「玲奈ちゃん、今ちょっと楽しそうな顔したでしょう」
「はい。少々興味深いと思いました」
「税金の勉強でそんな顔する小学生、あんまりいないと思うけど」
美咲は笑いながらも、元銀行員らしく説明を続けた。
利益が出ていることと、手元に現金があることは同じではない。商品を売っても代金が後から入る場合があり、その前に給料や仕入れ代金を支払わなければならないこともある。
玲奈にとって、それは前世の領地経営と似ている部分もあった。
収穫量が多いからといって、領地の財政が健全とは限らない。税として入る時期と、兵士や職人へ金を支払う時期がずれれば、帳簿上の豊かさとは別に手元の資金が必要になる。
「形は違いますが、考え方そのものには似ている部分がありますね」
「何か言った?」
「いいえ。こちらの話です」
危うく前世の領地経営について語るところだった。
玲奈は何事もなかったように資料へ視線を戻す。
やがて一通りの確認が終わると、美咲は娘の口座に残っている金額を示した。
「必要なお金を除いても、かなり残るようになったわね」
玲奈も数字を見る。
配信機材を更新しても、日常で欲しい本を買っても、それ以上の速度で金が増えている。
だからこそ、玲奈には一つ疑問があった。
「お母さん。この残ったお金は、皆様どうしているのですか?」
「皆様って?」
「自分で使う予定より多く稼いだ方々です。ずっと銀行へ置いておくのでしょうか」
「ああ、そういうことね」
美咲は少し考えた。
「人によるわ。貯金する人もいるし、家や車を買う人もいる。将来のために投資する人もいるわね」
「投資……」
その言葉自体は知っている。
現代について学ぶ中でも何度か目にしていた。
しかし、自分の金を投資するという視点で考えたことはなかった。
「お金を使って、さらにお金を増やすものですか?」
「それだけだと思わない方がいいわね」
美咲の返事は玲奈の予想と少し違った。
「投資にはいろいろあるけど、例えば会社の株を買うなら、その会社にお金を出していると考えることもできるの」
「株については勉強しました。会社の所有権を細かく分けたもの、という理解でよろしいですか?」
「基本的にはそうね」
玲奈は以前読んだ本の内容を思い出した。
株式会社。
株主。
取締役。
経営者。
それぞれの言葉は知っている。
しかし今までの玲奈にとって、それらは教科書の中に存在する制度でしかなかった。
「では、株を買えば、その会社の一部分を所有することになるのですね」
「ものすごく簡単に言えばね。もちろん株にも種類や権利の違いがあるし、上場している会社なら市場で売買できるわ」
「会社を……所有する」
玲奈はその言葉を、もう一度ゆっくり口にした。
前世の貴族社会では、領地を所有する者は生まれによってほぼ決まっていた。
玲奈自身も公爵令嬢として巨大な領地の経営に関わったが、それはアルヴェイン公爵家の領地であり、玲奈が自分の意思で手に入れたものではない。
ところが現代では違う。
金を出し、条件を満たせば、誰かが作った会社の一部分を買うことができる。
「面白い制度ですわね」
「玲奈ちゃん?」
「いえ。株価が上がれば儲かる、という部分よりも、そちらの方が面白いと思いまして」
美咲は少し驚いたようだった。
「普通は最初に儲かるかどうかを気にすると思うけど」
「もちろん損をしたいわけではございません。ただ、会社を調べて、その会社に価値があると思えば自分のお金を出せるのでしょう?」
「まあ、そうね」
「でしたら、商品を買うこととは全く違いますね」
玲奈の興味は急速に膨らんでいた。
企業案件を受けるようになってから、玲奈は様々な会社を見るようになった。
似た商品を作っているのに、売上がまるで違う会社がある。
知名度は低いが、使ってみると驚くほど良い製品を作っている企業もある。
反対に、知名度が高くても玲奈には価値が分からず、案件を断った商品もあった。
「お母さん。会社の価値は、どうやって決めるのですか?」
「また難しい質問するわね」
「売上だけでは分からないのでしょう?」
「もちろん。利益も見るし、持っている資産や借金、これからどれくらい成長できそうかも考える。人によって評価が違うから、株価も動くのよ」
玲奈はすぐにノートへ書き始めた。
美咲が苦笑する。
「玲奈ちゃん、投資するつもり?」
「まだ分かりません。ただ、知っておいて損はないでしょう?」
「それなら、まず勉強からね」
「はい。それで構いません」
玲奈は急いで金を増やしたいわけではなかった。
そもそも現在の生活で金に困っていない。
欲しかったパソコンは自分で買った。
配信に必要な機材も揃っている。
服や宝石へ大金を使いたいとも思わない。
ならば、余った金を何に使うのか。
その答えを、玲奈はまだ持っていなかった。
翌週、父と競馬場へ行ったときにも、そのことを考えていた。
修一はいつものように競馬新聞を眺め、玲奈はパドックを歩く馬を観察する。
十一歳になった今でも、二人の役割は変わっていない。
「玲奈、今日はどれが良さそうだ?」
「三番は状態が良さそうですね。ただ、少々気負いすぎているようにも見えます。わたしでしたら七番も候補へ入れます」
「なるほどなあ。七番、人気ないんだよな」
「人気がないことと、走らないことは同じではございませんよ」
「そう言われると買いたくなるんだよ」
「最終判断はお父さんですからね?」
玲奈は念を押した。
六歳の頃から変わらない契約である。
玲奈が馬を見る。
修一がデータと組み合わせて、自分の金で馬券を買う。
勝てば利益の半分が玲奈への情報料になる。
負ければ修一の責任だ。
そして結果は――外れた。
「七番、来なかったなあ」
「最後に伸びませんでしたね。状態の評価そのものを間違えた可能性もあります」
「玲奈でも外すんだから競馬は面白いんだよ」
「お父さんは負けたのですが、楽しそうですね」
「今日は玲奈と来たからな」
修一はそう言って笑った。
玲奈も少しだけ笑う。
自分の判断が常に正しいとは思わない。
むしろ競馬は、どれだけ調べても外れることがあると何度も教えてくれた。
ならば投資も同じなのだろう。
企業を調べたからといって、必ず未来を当てられるわけではない。
それでも、何も知らずに賭けることと、調べたうえで判断することは違う。
帰宅した玲奈は、美咲から借りた初心者向けの投資本を開いた。
目的は金持ちになることではない。
すでに自分が使う以上の金は稼ぎ始めている。
だから玲奈が知りたかったのは、その先だった。
「稼いだお金を、何のために残すのか……ですか」
自分のために稼ぐ。
自分のために使う。
そこまでは経験した。
けれど、自分のために残すという考え方は、まだ十分に理解していなかった。
前世では、自分の自由になる財産などほとんど意識したことがない。公爵家の資産は家のためにあり、王太子妃となった後の財産も王家と国のために管理するものだと思っていた。
今は違う。
セレスティアとして稼いだ金は、必要な税金や費用を除けば玲奈自身のものになる。
誰かから用途を命令されることもない。
今すぐ使わなくてもいい。
将来、自分が本当に欲しいものを見つけたとき、そのために使ってもいい。
「なるほど……」
玲奈はようやく、一つ腑に落ちた。
金は、物を買うためだけにあるのではない。
未来の選択肢を増やすこともできる。
やりたいことを見つけたとき、金がないから諦める必要を減らせる。
嫌な相手に頭を下げなければ生きられない状況からも、自分を遠ざけられる。
玲奈はノートの新しいページを開いた。
そして一番上へ、自分なりの答えを書いた。
お金は、自由を買うための道具。
今すぐ使わない金にも意味がある。
それは、まだ見つけていない未来の選択肢を買うために残しておけばいい。
玲奈はその言葉をしばらく眺めてから、満足そうにノートを閉じた。
この時の玲奈はまだ知らない。
数年後、その「未来の選択肢」が、家でも宝石でも高級車でもなく――一つの会社になることを。




