才能には値段があります
VTuberの基本的な方向性が決まった翌週、天城玲奈は久世直人から送られてきた一通のメッセージを、自室のパソコンで読んでいた。
そこには今後必要になる作業が、大まかな順番とともに整理されている。
キャラクターのイラストを用意し、それを配信で動かせる状態へ加工すること。配信環境を整え、音声や画面表示について試験し、安全性を確認すること。
さらに実際の配信を始める前には、配信サービスの利用条件や保護者に関係する手続きについても確認しなければならない。
玲奈が最初に想像していたより、準備するものは多かった。
それでも面倒だとは感じない。
むしろ、何も知らなかったものの構造が一つずつ見えてくることを、玲奈は楽しんでいた。
そして現在、最初に解決しなければならないのが、セレスティアの姿を誰に描いてもらうかという問題だった。
玲奈自身にも絵画の経験はある。
前世では王妃教育の一環として美術について学び、簡単な素描や絵画なら一通り経験していた。
しかし、それと現代のデジタルイラストを描けることは全く別だった。
まして配信で使用するキャラクターとなれば、単純に美しい一枚絵を描けば終わりではないらしい。
直人から説明された内容を理解する限り、後から動かすことまで考えた構造で制作してもらう必要がある。
できないものを、自分で一から習得するという選択肢もある。
しかし玲奈は、それを選ばなかった。
絵を描くこと自体が自分の目的ではないからだ。
必要なのは、セレスティアという存在を、自分が思い描いている形で表現できる人物だった。
そのために専門家がいるのであれば、頼めばいい。
問題は、その専門家をどう探すかだった。
「……多すぎませんこと?」
休日の午後、玲奈は直人と修一を交えた通話の中で、思わずそう呟いていた。
直人から教えられた方法で探してみると、インターネット上には玲奈が想像していた以上に多くのイラストレーターが活動していた。
絵柄も価格も全く違う。
可愛らしい絵を得意とする者もいれば、写実的な絵を描く者もいる。
柔らかな色使いを得意とする者、華やかな衣装を描く者、表情豊かなキャラクターを描く者まで様々だった。
「だから最初に条件決めた方がいいって言っただろ。片っ端から見てたら終わらないぞ」
「魅力的な方が多いので、見始めると比較したくなってしまいます」
「玲奈でもそういうことあるんだな。ちょっと安心した」
「お父さんは、わたしを何だと思っていらっしゃるのです?」
「七歳にしては異常に決断が早い娘だと思ってる」
「それについては否定いたしませんが、何でも即座に決めているわけではございません」
玲奈が重要視しているのは、単純な画力だけではなかった。
セレスティアの持つ気品を表現できること。
黒を基調とした衣装でも重苦しくなりすぎず、画面上で見た際に華やかさが残ること。
そして何より、表情を作った際に冷たい印象だけにならないこと。
前世のセレスティアは、社交界で冷たい女性だと思われることが少なくなかった。
本人としては必要な礼儀を守り、感情を不用意に表へ出さなかっただけなのだが、それが傲慢だと受け取られたこともある。
今度のセレスティアには、同じ印象だけを与えたくなかった。
気品は欲しい。
しかし笑ったときには、きちんと親しみを感じられる顔にしたい。
「この人なんか上手いんじゃないか? 値段も安いぞ」
修一が一人の候補を示した。
確かに絵は上手かった。
玲奈から見ても十分な技術があり、提示されている料金も他の候補より低い。
しかし玲奈は、その人物が公開している作品をしばらく見たあと、首を横へ振った。
「素晴らしい方だとは思いますが、今回は少し違うように感じます」
「何が駄目なんだ?」
「駄目なのではありません。わたしが求めている方向と違うのです」
その人物は、明るく可愛らしい少女を描くことを得意としているようだった。
色使いも華やかで、見ているだけなら玲奈も好きな絵柄である。
しかしセレスティアへ求めているものとは少し違う。
「安いからという理由だけで選ぶつもりはございません」
「予算は大丈夫なのか?」
「そこについては問題ですので、上限は決めます。その範囲で最もお願いしたい方を探します」
玲奈には無制限の資金があるわけではない。
むしろ七歳の子供として考えれば、自分で自由に使える金額は極めて限られている。
だからこそ、何に使うかを選ぶ必要があった。
「玲奈、一つだけ先に言っとくぞ」
直人の声が少し真面目になった。
「絵を頼むとき、完成した絵を受け取ったからって、何にでも自由に使えるとは限らないからな」
「どういう意味でしょう?」
「著作権とか、商用利用とか、その辺の話だよ」
玲奈はすぐにノートを開いた。
「詳しく教えていただけますか?」
「その反応すると思ったよ」
直人の説明によれば、料金を支払ってイラストを制作してもらったとしても、その絵に関する全ての権利が依頼者へ移るとは限らないらしい。
個人で鑑賞するだけなのか、動画へ使用するのか、収益が発生する活動へ使用するのかによって、条件が異なる場合がある。
さらに将来的にグッズなどへ使用するなら、別の許可や料金が必要になることもあるという。
「少々お待ちください。お金を支払って描いていただいても、その絵を自由に使えるとは限らないのですか?」
「そういうこと。何を頼んで、何の許可をもらったかによる」
「……これは、先に知らなければ危険ですね」
玲奈は素直にそう認めた。
前世にも、職人や芸術家との契約は存在した。
しかし現代日本の法律や契約慣行とは当然ながら異なる。
前世で知っていた知識だけを基準に判断していたら、後から問題になる可能性があった。
「だから依頼するときに、VTuberとして使うことと、将来的に収益化する可能性があることは伝えた方がいい」
「将来的な利用方法まで、可能な範囲で決めておくべきということですね」
「そういうこと。あと修正を何回まで受けてもらえるかとか、納期とか、公開していい時期とかも確認した方がいい」
「なるほど。かなり契約らしくなってまいりましたね」
「そこで嬉しそうになる七歳児、初めて見たけどな」
玲奈にとっては、むしろ分かりやすかった。
何を頼むのか。
相手は何を提供するのか。
それに対していくら支払うのか。
完成したものを、どの範囲まで利用できるのか。
曖昧な部分を減らしておけば、後から互いに認識が違ったという問題も起こりにくい。
「契約とは、相手を疑うためだけに作るものではございませんものね」
「まあ、そうだな。後から揉めないためでもある」
「でしたら、最初から明確にしておいた方が双方にとって良いと思います」
玲奈はすぐに、自分が依頼時に確認したい項目を整理し始めた。
その様子を見ていた修一が、小さくため息をついた。
「玲奈、父さんより契約書読むの好きそうだな」
「お父さんは、契約内容を確認せずに同意してはいけませんよ?」
「七歳の娘から社会人としての注意を受ける日が来るとは思わなかったよ」
「お父さん、たまに携帯電話の契約でも説明を飛ばそうとなさいますから」
「なんで覚えてるんだよ……」
候補探しは、その後も数日間続いた。
玲奈は最初から人数を絞り込みすぎず、まず自分が魅力を感じた作品を保存せずに一覧へまとめ、作者ごとの特徴を書き出した。
その中から、今回の条件に合わない人物を少しずつ外していく。
価格だけなら、もっと安く依頼できる相手もいた。
反対に、玲奈が非常に気に入ったものの、現在の予算では到底お願いできないほど人気のあるイラストレーターもいた。
玲奈はそこで無理をしなかった。
欲しいからといって、払えないものまで買おうとは思わない。
自分の資金でできる範囲を理解し、その中で最善を探せばいい。
最終的に玲奈が候補として残したのは三人だった。
一人目は、華やかな女性キャラクターを得意とする人物。
二人目は、衣装や装飾品の細かな描写に優れた人物。
そして三人目は、まだそれほど知名度が高くないものの、玲奈が何度も作品を見返してしまった人物だった。
「わたしは、この方へお願いしたいと思います」
玲奈が選んだのは、三人目だった。
直人が作品を確認する。
「上手いな。でも他の二人より実績少ないぞ?」
「はい。それでも、この方がよろしいです」
「理由聞いていい?」
「目の表情が好きなのです」
玲奈は一枚の作品を示した。
そこに描かれている女性は、豪華な衣装を着ているわけではない。
背景も簡素であり、一目で圧倒されるような派手さもなかった。
しかし目元だけで、何を考えている人物なのか想像したくなる。
「こちらの方が描く人物は、笑っていないときにも感情があるように見えます」
「言いたいことは何となく分かるな」
「セレスティアには、こういう表情が欲しいのです」
気品があるからといって、無表情にはしたくない。
静かにしているときにも、その人物が何かを考え、何かを感じているように見える。
玲奈にとって、それは重要だった。
「値段も予算内ではあるな。商用利用込みだと少し上がるみたいだけど」
「問題ありません。その分も含めて計算しております」
「じゃあ連絡してみるか?」
「はい。ただし文章について、一度確認していただけますか?」
「俺が?」
「久世さんは、こうした依頼の経験がおありなのでしょう?」
「何回かはあるけど、俺よりお父さんに見せた方がいいんじゃない?」
「もちろんお父さんにも確認していただきます。そのうえで、技術的な部分に不足がないか久世さんにも見ていただきたいのです」
「役割分担まで決まってるのかよ」
直人は呆れながらも了承した。
玲奈は自分で依頼文を作った。
VTuberとして使用するキャラクターを制作してほしいこと。
希望する外見や衣装の方向性。
配信活動へ使用し、将来的には収益化する可能性があること。
今後、活動が続いた場合には別の用途について相談する可能性があること。
希望納期については、相手の予定を確認したうえで相談したいこと。
そして提示されている料金を確認しており、必要な追加料金があるなら事前に教えてほしいこと。
書き終えた文章を読んだ直人は、しばらく黙った。
「……営業メールとして普通にちゃんとしてるんだけど」
「失礼な部分がございましたか?」
「逆だよ。七歳が書いたと思えないんだよ」
「でしたら問題ございませんね」
「その結論になると思ったよ」
修一と美咲にも内容を確認してもらい、保護者が把握したうえで依頼していることも明記する。
そして最終的な送信操作についても、玲奈は両親と一緒に行った。
送信した直後、玲奈は少しだけ緊張している自分に気づいた。
直人へ最初に話しかけたときとは違う。
今回は、自分が作品を見て選んだ相手へ、自分から仕事をお願いしている。
断られる可能性も当然ある。
相手にも仕事を選ぶ権利がある以上、それは仕方がない。
「返事、来るといいな」
「はい。受けていただけると嬉しいです」
修一にそう答えた玲奈は、送信済みの画面をもう一度確認した。
返事が届いたのは、翌日の夕方だった。
学校から帰宅した玲奈がパソコンを起動すると、新しいメッセージが届いている。
玲奈は慌てて開こうとしたところで、一度手を止めた。
宿題が終わっていなかった。
「……先に約束を破るところでしたわね」
両親と決めた条件は、配信活動の準備より学校生活を優先することだった。
玲奈は少しだけ名残惜しそうに画面を閉じ、先に宿題を終わらせた。
その後で改めて届いた返事を開く。
依頼を受けることは可能だと書かれていた。
玲奈が提示した条件についても大きな問題はなく、商用利用を含めた料金と、制作に必要な期間について説明されている。
さらに、玲奈が送ったキャラクター案について興味を持ったという言葉まで添えられていた。
玲奈は思わず頬を緩めた。
「……受けていただけましたわ」
まだ絵は一枚も完成していない。
それでも、自分が頭の中で思い描いていたセレスティアが、他人の手によって形になろうとしている。
玲奈はその日のうちに両親へ報告し、直人にも返事の内容を確認してもらった。
細かな条件を整理したあと、正式に依頼を進めることになる。
そして数日後、最初のラフ案が届いた。
玲奈は画像を開いた瞬間、言葉を失った。
まだ色も細かな装飾も完成していない。
線も最終的なものではなく、衣装についても複数の案が描かれている。
それでも、そこには確かに一人の女性がいた。
長い銀白色の髪。
気品を感じさせる姿勢。
少しだけ鋭さを残しながら、それだけでは終わらない青紫色の瞳。
前世の自分と同じではない。
顔立ちも完全に違う。
しかし玲奈には、不思議なほど懐かしく見えた。
「玲奈ちゃん、どうしたの?」
隣から美咲に尋ねられ、玲奈は少し遅れて我に返った。
「……とても、素敵だと思いまして」
「玲奈ちゃんが考えてた女の人なんだよね?」
「はい。セレスティアと申します」
美咲は画面を見ながら、柔らかく笑った。
「綺麗な名前ね。玲奈ちゃんが考えたの?」
その問いに、玲奈はほんの少しだけ迷った。
「……はい。とても大切な名前なのです」
それ以上は説明しなかった。
美咲も無理に聞こうとはしなかった。
玲奈は再び画面へ向き直る。
処刑台で失った名前が、少しずつ別の姿を得ようとしている。
かつてのセレスティアは、完璧であることを求められ続けた。
未来の王妃として相応しく、美しく、賢く、決して弱みを見せない女性であることを期待された。
今度のセレスティアは違う。
知らないゲームで失敗してもいい。
現代の流行を知らず、視聴者から笑われてもいい。
悩みを相談されたとき、答えが分からなければ一緒に考えてもいい。
誰かに決められた役割ではなく、自分が楽しむために存在していい。
玲奈はラフ案を見つめながら、わずかに笑った。
「今度は、もう少し自由に生きましょうね。セレスティア」
その言葉を聞いた美咲は、娘が作り出したキャラクターへ話しかけているのだと思ったらしい。
玲奈の頭を優しく撫でると、完成が楽しみだと言って部屋を出ていった。
玲奈はしばらく画面を眺めたあと、仕事として確認すべき部分へ意識を戻した。
気に入ったからといって、何も確認せず完成させてもらうわけにはいかない。
衣装の装飾について一箇所だけ変更を相談し、髪飾りについてはラフ案の中から最も気に入ったものを選ぶ。
顔については、大きな修正を求めなかった。
特に目元は、玲奈がこの人物へ依頼した理由そのものだった。
依頼相手からは、修正内容を確認したという返事とともに、表情についていくつか追加案を作ってみるという提案が届いた。
玲奈はそこで改めて気づく。
自分一人で作っていたなら、自分が想像できるものしか生まれない。
しかし別の才能を持つ人間へ任せれば、自分では考えつかなかったものが返ってくることがある。
それは玲奈にとって、とても面白い発見だった。
人へ任せるということは、自分の仕事を減らすだけではない。
自分一人では到達できない場所へ進むための方法でもある。
前世の玲奈は、多くのものを自分で抱え込みすぎていた。
優秀であることを求められ、実際に多くのことができたからこそ、自分で処理することが最も確実だと思っていた。
けれど今は、直人の技術を借り、名前も顔も知らなかった一人のイラストレーターへ絵を依頼し、それによって自分だけでは作れなかったものが生まれている。
玲奈はその感覚を、少しずつ好きになり始めていた。
それから何度かの確認を経て、セレスティアのイラストは完成へ近づいていった。
そして玲奈が七歳の終わりへ近づく頃には、銀白色の髪を揺らし、青紫色の瞳で画面の向こう側を見つめる、一人の公爵令嬢が完成することになる。
だが、姿が完成しただけではVTuberにはなれない。
次に必要なのは、その令嬢へ動きを与え、声を与え、実際に人前へ立たせることだった。
その仕事を任された久世直人は、この頃にはすでに、最初のように玲奈の依頼を追い返そうとはしなくなっていた。
むしろ玲奈から届く細かな質問へ答えながら、本人も気づかないうちに《セレスティア》という企画そのものを楽しみ始めていた。
そして玲奈自身もまだ知らなかった。
完成したセレスティアが初めて画面の中で動いた日、いつも面倒そうにしている直人が、誰より先にその出来栄えへ興奮することになるのを。
VTuberの誕生まで、残された時間は少しずつ短くなっていた。




