セレスティアを作りましょう
久世直人へ二度目の仕事を持ちかけた天城玲奈は、銀白色の髪を持つ女性が描かれた資料を机の中央へ置き、これから作りたいものについて説明を始めた。
玲奈が求めているのは、単純に一枚の絵を画面へ表示するだけの配信ではない。
話している玲奈の動きや表情をある程度反映し、画面の中にいるセレスティアという人物が実際に話しているように見せたい。
玲奈自身が調べた範囲でも、そのような仕組みがすでに存在することは分かっている。
問題は、玲奈が自分一人で扱える程度まで環境を整え、なおかつ七歳という実年齢を可能な限り外部へ漏らさない仕組みにすることだった。
「つまり、既存のソフトを使いつつ、玲奈が触る部分だけ分かりやすくまとめたいってことか?」
「はい。全てを一から作っていただく必要はないと思っております」
「そこは助かる。車輪を再発明してもしょうがないからな」
「車輪を再発明するとは、どういう意味でしょうか?」
「すでに便利なものがあるのに、同じものをわざわざ最初から作り直すような話だよ」
「なるほど。それは確かに無駄が多そうですね」
玲奈は新しく覚えた表現をノートへ書き留めた。
直人はそれを見ながら、相変わらず勉強熱心な子供だと思ったらしい。
「君って、知らない言葉が出るたびに全部覚えるつもりなの?」
「全てではありません。必要だと思ったものだけ覚えております」
「その必要判定が広すぎるんだよなあ……」
直人は呆れながらも、玲奈が用意した資料を読み進めていった。
その隣には修一も座っている。
前回と同じ喫茶店だったが、今回は最初から仕事の相談として時間を決めているため、直人もノート型パソコンだけでなく、自分が普段使用している周辺機器をいくつか持ってきていた。
玲奈はその変化に気づいていた。
最初に競馬場で話しかけたとき、直人は明らかに玲奈を面倒な子供として扱っていた。
今も子供扱いしている部分は残っているものの、仕事の話については以前より真面目に聞くようになっている。
前回きちんと報酬を支払ったことも、多少は影響しているのかもしれない。
ならば玲奈としても、依頼主として必要なものを明確に伝える必要がある。
「まず、キャラクターについて確認していいか?」
「もちろんです。そのための資料でもありますから」
「このセレスティアって人、どういう設定なんだ?」
玲奈は少し考えた。
設定と言われても、元になっているのは自分自身である。
しかし前世そのものを説明するわけにはいかないため、配信活動で使用できる形へ整える必要がある。
「異世界に存在する王国の公爵家、その第一令嬢ということにしようと思っております」
「いきなり設定が重いな。普通の貴族じゃ駄目なのか?」
「公爵令嬢でしたので、そこを変更する必要はないと思います」
「……でしたので?」
「公爵令嬢という設定ですので、と申し上げました」
「今、絶対違うこと言ったよな?」
「細かいことを気にすると、髪がさらに乱れますわよ」
「俺の髪は関係ないだろ!」
直人が反射的に髪を整えたため、修一が隣で笑いを堪えていた。
玲奈は何事もなかったように説明を続ける。
「幼い頃から未来の王妃となるために教育され、政治や経済、外交、領地経営などを学んできた人物です」
「待て待て、ちょっと待ってくれ」
「まだ最初の部分なのですが?」
「最初から盛りすぎなんだよ。VTuberの設定として全部使うつもり?」
「事実を並べただけなのですが……設定を並べただけなのですが」
「今、また言い直したよな?」
「久世さんは意外と細かい方なのですね」
「君が雑に爆弾落としてるだけだよ!」
直人は頭を抱えたが、玲奈には何が問題なのかよく分からなかった。
公爵令嬢なら、その程度の教育を受けることは不自然ではない。
少なくともセレスティアが置かれていた環境では、将来の王妃候補として当然のものだった。
「他には何ができるんだ?」
「外国語については複数を学んでおります。音楽や美術、乗馬、礼儀作法についても一通り教育を受けておりますね」
「もう少し設定を減らそうか。全部できるキャラって逆に嘘っぽく見えるから」
「設定なのですから、多少は誇張しても問題ないのではありませんか?」
「誇張どころか全部乗せになってるんだよ」
「ですが、実際にできることを設定から外すのも不自然ではありませんか?」
「七歳児が当然みたいに言う内容じゃないんだよなあ……」
直人は玲奈を見ながら、何かを疑うように目を細めた。
「一応聞くけど、乗馬って本当にできるの?」
「今世では経験がございませんので、現時点で同じように乗れる保証はありません」
「今世って何だよ!」
「現在、と申し上げるつもりでした」
「絶対違うだろ!」
修一がとうとう耐えきれずに笑い始めた。
「久世さん、すみません。玲奈って昔からたまに変な言葉使うんですよ」
「お父さん、その説明で納得される方が不自然だと思います」
「父さんだって毎回深く考えないようにしてるんだよ」
玲奈は少しだけ反省した。
直人と仕事について話すと、つい前世の感覚で言葉を選んでしまう。
これから配信活動を始めるのであれば、その辺りも注意する必要があるだろう。
しかし同時に、一つの発想が浮かんだ。
「いっそのこと、今の話し方もキャラクター設定へ組み込んではいかがでしょう?」
「今の話し方って、そのお嬢様口調?」
「はい。わたしとしても、無理に普通の話し方を続けるより楽ですので」
「普段から自然に出てる時点で意味分かんないんだけどな」
「特徴になるのでしたら、利用すればよろしいでしょう?」
直人は少し考えた。
「まあ、それはアリかもしれないな。作ってる口調じゃないなら、長時間喋っても崩れにくいだろうし」
「でしたら、その方向で進めましょう」
「決断早いな。もうちょっと悩まないの?」
「問題がないのでしたら、時間をかける必要はございません」
玲奈にとっては普通の判断だったが、直人はまた何とも言えない顔になった。
その後、二人はセレスティアというキャラクターの外見について話し始めた。
銀白色の長い髪と、青紫色の瞳については玲奈が最初から譲らなかった。
前世の自分と完全に同じ顔へする必要はないが、セレスティアという名前を使う以上、その二つだけは残したかった。
衣装については、玲奈の前世で使われていたドレスをそのまま再現するのではなく、現代の画面上で見た際に分かりやすい形へ調整することになった。
黒を基調としながら銀色の装飾を加え、公爵令嬢らしい高級感を残す。
髪飾りにも貴族らしさを感じさせる意匠を取り入れるが、細かすぎて小さな画面では潰れてしまう装飾は減らす。
「この辺は専門の絵描きに頼んだ方がいいな。俺は絵については無理だぞ」
「久世さんにも、できないことがあるのですね」
「当たり前だろ。俺を何だと思ってるんだ?」
「コンピューターに関係することなら、大抵できる方なのかと思い始めておりました」
「そんな万能人間じゃない。絵も描けないし、音楽も作れないし、営業も苦手だよ」
最後だけ妙に声が低くなったことに、玲奈は気づいた。
しかし今は深く追及しなかった。
「でしたら、絵については別の方へ依頼しましょう」
「そこも金払って頼むのか?」
「当然ではありませんか。必要な技術を持っている方へお願いするのですから」
「無料で描いてくれる人を探すとかは?」
「なぜ無料で働いていただく必要があるのでしょう?」
玲奈が本気で分からないという顔をすると、直人は少し黙った。
「いや、趣味でやってる人同士なら、そういうのもあるからさ」
「相手も楽しんで参加してくださるのでしたら構いません。しかし、こちらから仕事として条件を指定するなら、対価を支払うべきでしょう」
「君、本当にその辺だけは一貫してるな」
「他人の才能を使わせていただくのですから、当然だと思っております」
玲奈自身、まだ大きな予算を持っているわけではない。
パソコン購入によって貯めていたお金の多くを使い、直人への最初の依頼にも報酬を支払った。
だから無制限に高い依頼を出すことはできない。
必要なら、また貯めるしかない。
それでも、金が足りないから誰かへ無料で働いてもらえばいいという考えにはならなかった。
できないなら規模を小さくする。
開始時期を遅らせてもいい。
それは自分側の事情であり、仕事を頼む相手へ押しつけるものではない。
「予算については、後ほどお父さんとも相談いたします」
「玲奈、父さんたちが出してもいいんだぞ?」
「ありがとうございます。ただ、できる限り自分で用意したいと思っております」
「そこは相変わらずなんだな」
「自分で始めたいことですから、まずは自分でどこまでできるか試したいのです」
修一はそれ以上強く勧めなかった。
玲奈が単に両親へ遠慮しているのではなく、自分で稼いだ金を自分の意思で使うこと自体に意味を感じていると、すでに理解しているからだった。
次に問題となったのは、声だった。
「見た目を大人にしても、声で子供って分かったら意味ないぞ」
「それについては、ある程度考えております」
「声を変えるソフト使うのか?」
「可能なら、自分の声を基本にしたいと思っております」
「七歳の声をどうやって成人女性っぽくするんだよ?」
玲奈は少し考えたあと、周囲の客へ聞こえない程度まで声量を落とした。
そして背筋を伸ばし、呼吸を整える。
前世では、人前で話すための発声について長い時間をかけて教育を受けていた。
広い会場でも聞き取りやすい声を出す方法。
感情を表へ出しすぎず、それでも冷たい印象を与えない話し方。
相手を安心させる声と、交渉の場で主導権を握るための声。
もちろん現在は七歳の身体であり、成人女性と同じ声帯を持っているわけではない。
それでも呼吸の位置と響かせ方、話す速度を変えるだけで、普段とはかなり印象を変えることができる。
「――この程度でしたら、普段より落ち着いた声にはできますけれど、いかがでしょうか?」
直人が固まった。
修一も隣で目を丸くしている。
完全に大人の女性へ聞こえるわけではない。
声そのものには幼さが残っている。
しかし普段の玲奈より明らかに低く落ち着いており、何も知らずに声だけ聞けば、少なくとも七歳だと即座に断定することは難しそうだった。
「玲奈、お前いつの間にそんな喋り方覚えたんだ?」
「発声について本で調べて、以前から少し練習しておりました」
嘘ではない。
現代へ来てからも発声について調べ、今の身体で再現できる範囲を確認している。
前世からできたとは言わなかっただけである。
「これなら、少し加工すればかなり誤魔化せるかもしれないな」
「できれば機械的な声にはしたくありません」
「声そのものを別人にするんじゃなくて、違和感を減らす程度にしよう。無理に低い声を出し続けるのも駄目だからな」
「身体へ負担がかかる方法は避けたいので、その点はお願いします」
直人はその場で簡単な録音を行い、玲奈の普段の声と発声を変えた声を比較した。
さらに試験的な処理を加え、どの程度まで自然に調整できるかを確認していく。
玲奈には何をしているのか分からない部分も多かったが、直人は一つずつ説明してくれた。
「この辺は毎回リアルタイムで強く加工するより、玲奈自身の喋り方を安定させた方がいいと思う」
「つまり、技術だけに頼るのではなく、わたし自身も練習する必要があるということですね」
「そういうこと。俺が触るのは補助くらいにした方が自然だな」
「分かりました。それなら練習いたします」
「即答すると思ったよ。君、努力することには本当に抵抗ないな」
その言葉に、玲奈は少しだけ笑った。
「努力すること自体は嫌いではありません。必要もないのに努力させられることが嫌いになっただけです」
直人は一瞬だけ黙った。
七歳の子供が言うには、少し奇妙な言葉だったのかもしれない。
しかし玲奈は説明しなかった。
前世では、努力する目的を自分で選べなかった。
王妃になるために必要だから学ぶ。
婚約者を支えるために必要だから努力する。
公爵家の娘として恥ずかしくない人間になるために、自分を磨き続ける。
今は違う。
VTuberになりたいのは、自分がやってみたいからだ。
ならば、そのための努力は苦痛ではない。
むしろ、自分の努力がどこまで通用するのか試すことが楽しみだった。
「ところで、配信では何をするつもりなんだ?」
直人から尋ねられ、玲奈は用意していた企画案を見せた。
雑談だけでなく、視聴者から相談を募集し、それについてセレスティアとして答える企画。
現代日本について勉強していく企画。
ゲームについては玲奈自身が初心者なので、むしろ何も知らない令嬢が初めて遊ぶ姿を見せる企画も考えていた。
「ゲーム下手でも大丈夫なのでしょうか?」
「むしろ本当に知らないなら、それが面白くなる可能性はあるぞ」
「失敗している姿を他人へ見せるのですか?」
「嫌なの?」
「少々抵抗はありますね」
玲奈は素直に認めた。
前世では、人前で失敗することを極端に避けてきた。
未来の王妃候補が無知を晒せば、それだけで公爵家や王太子の評価へ影響すると考えていたからだ。
「でも、できないことをできるふりするよりいいんじゃない?」
直人が何気なく言った言葉に、玲奈は少し考え込んだ。
「……それもそうですね。知らないものは、知らないと申し上げればよろしいのでしょう」
「分からなかったら視聴者に教えてもらえばいいんだよ。配信ってそういうのも面白いから」
「視聴者から教えていただく、ですか」
玲奈には、その発想が新鮮だった。
前世のセレスティアは、常に教える側であることを期待されていた。
知らないことを公の場で認める機会など、ほとんどなかった。
しかし今度のセレスティアは違う。
知らないものについては、視聴者から教えてもらってもいい。
失敗すれば、一緒に笑ってもいい。
完璧な公爵令嬢を演じる必要などないのだ。
その瞬間、玲奈の中でキャラクターとしてのセレスティアと、前世のセレスティアが少しだけ離れた。
同じ名前で、同じ髪と瞳を持ち、同じような話し方をする。
けれど今度のセレスティアは、未来の王妃ではない。
誰かの期待を満たすために存在する女性でもない。
天城玲奈が、自由に使っていいもう一つの名前だった。
「久世さん、一つ決めました」
「今度は何を決めたんだ?」
「セレスティアは、完璧な令嬢という設定にはいたしません」
「さっきまで万能設定を全部載せようとしてた人が、急に方向転換したな」
「できることは隠しません。ただし、できないことまで隠す必要もないと思いました」
「その方が絶対面白いと思うぞ。完璧すぎるキャラより、人間っぽいところがあった方が見てる側も親しみやすいし」
「人間っぽいと言われましても、設定上も人間なのですが?」
「そういう意味じゃないんだけどなあ……」
直人は笑いながら、資料へいくつか書き込んでいった。
その姿を見ながら、玲奈は一つ気づいた。
直人はもう、依頼されたものを作るだけではなくなっている。
どうすれば配信が面白くなるかを考え、玲奈自身では気づかなかった問題を指摘し、必要なら別の方法まで提案してくれる。
それは最初に依頼した小さなソフトウェアの範囲を、明らかに超えていた。
「久世さん、一つ確認してもよろしいでしょうか?」
「今度は何だよ?」
「今なさっている企画についての助言は、今回お願いした技術作業の範囲に含まれておりますか?」
「……また金の話か?」
「仕事の範囲を確認しているだけです」
「別にいいよ。喋ってるだけだし」
玲奈はわずかに目を細めた。
「以前も申し上げましたが、ご自分の時間を無価値として扱う癖は直した方がよろしいと思います」
「君、本当にそこだけは厳しいな」
「価値があると判断したものへ対価を支払うのは、依頼する側の責任ですから」
「じゃあ俺が勝手に口出ししてる分は無料でいいだろ」
「それは確かに、わたしが依頼しておりませんので判断が難しいですね」
「そこは素直に無料にするんだな!」
「何でもお金を支払えばよいという話ではございませんから」
直人はしばらく黙ったあと、声を出して笑った。
「やっぱ君、面白いわ」
「それは配信者として期待できるという意味でしょうか?」
「今のところ、少なくとも俺は退屈してない」
玲奈は、その言葉を頭の中へ残した。
視聴者はまだ一人もいない。
チャンネルすら存在していない。
けれど、自分の話を面白いと言った人間が一人いる。
ならば最初の一人としては、十分だった。
その日の打ち合わせを終える頃には、セレスティアの基本的な方向性がほぼ決まっていた。
異世界の公爵令嬢であり、現代日本へ興味を持って配信活動を始めたという設定。
銀白色の長髪と青紫色の瞳を持ち、黒と銀を基調にした衣装を身につける。
上品な話し方をする一方、現代文化には疎く、知らないものについては視聴者から教えてもらう。
そして最も大切な企画の一つとして、人々から寄せられた悩みへ答える相談配信を行う。
玲奈は最後に、その企画名について考えた。
「《セレスティアお嬢様の相談室》というのはいかがでしょう?」
「分かりやすいし、いいんじゃないか?」
「でしたら、それで決定いたします」
「本当に決めるの早いよなあ」
「気に入ったものを、気に入っているのに却下する理由がございませんから」
玲奈は資料の企画名へ、自分で決定の印をつけた。
まだ絵は完成していない。
配信環境も完成しておらず、玲奈自身も話し方を練習する必要がある。
そもそも両親との約束がある以上、実際に配信する前には安全面についてもう一度確認しなければならない。
それでも、輪郭だけだった存在には少しずつ形が生まれていた。
かつて処刑台で命を失った公爵令嬢セレスティア。
その名前が今度は、誰かに決められた役割ではなく、一人の少女が自分で選んだ挑戦の名前として現代日本へ戻ってくる。
天城玲奈はまだ知らない。
いつか《セレスティアお嬢様の相談室》へ、恋愛や仕事、家族や進路について数え切れないほどの悩みが届くようになることを。
そして玲奈自身が、その相談へ答えながら、前世では学ぶことのできなかった普通の人々の人生について知っていくことを。
今はまだ、七歳の少女と一人の技術者が、喫茶店の小さなテーブルで始めた計画に過ぎない。
けれど、その小さな計画は確かに、VTuberが生まれる最初の形になり始めていた。




