セレスティアが動きましたわ!
銀白色の長い髪と青紫色の瞳を持つ公爵令嬢のイラストが完成したのは、天城玲奈が七歳の終わりへ近づいた頃だった。
完成した一枚絵を初めて見た日だけでも玲奈は十分に感動していたが、VTuberとして活動するための準備は、そこからさらに続いている。
久世直人は完成したデータを確認すると、キャラクターを動かすための作業へ取りかかった。
玲奈には、その全てを理解することはできなかった。
絵のどの部分をどのように分け、何を設定すれば自然に動いて見えるのか。説明を受ければ概要くらいは理解できるものの、実際に同じものを作れと言われれば到底できない。
だから玲奈は、分からない部分を無理に自分で触ろうとはしなかった。
必要な条件を伝え、途中で確認を求められた部分について判断し、技術的な実現方法については直人へ任せる。
以前なら、自分でも理解しなければ落ち着かなかったかもしれない。
しかし今の玲奈は、自分より優れた技術を持つ人間へ任せることも、一つの能力なのだと考えるようになっていた。
もちろん、任せたからといって興味がなくなったわけではない。
むしろ直人から進捗の連絡が届くたび、玲奈はすぐに確認したくなる程度には楽しみにしていた。
そしてある土曜日、ついに直人から試作品が完成したという連絡が届いた。
その日は天城家で確認作業を行うことになった。
玲奈が未成年である以上、活動環境について両親にも見てもらう必要があり、直人が自宅へ来ることについても修一と美咲の了承を得ている。
午後一時を少し過ぎた頃、ノート型パソコンや機材を抱えた直人が天城家へやってきた。
「お邪魔します。なんか、本当に小学生の家へ仕事しに来ることになるとは思わなかったな……」
「久世さん、いつまでその話をなさるおつもりですか?」
「君がせめて高校生になるくらいまでは言うと思うぞ」
「それでは、あと七年以上も言われ続けることになるではありませんか」
「その頃まで俺が付き合ってる前提なの、ちょっと怖いんだけど」
直人がそう言うと、玲奈は少し首を傾げた。
「途中で辞めるご予定がおありなのですか?」
「……いや、そういう意味じゃないけどさ」
「でしたら問題ございませんね。こちらへお願いいたします」
「なんか今、自然に将来まで仕事確保された気がするな」
直人はぼやきながらも、玲奈の部屋へ機材を運び始めた。
もちろん二人きりにはならず、修一も一緒にいる。
美咲は飲み物を用意したあと、必要になればすぐ呼ぶよう伝え、隣の部屋で家事をしながら様子を見ることになった。
直人は玲奈のパソコンへ必要な設定を行い、自分が用意したデータを読み込んでいく。
玲奈は隣から画面を見ていたが、何が起きているのか半分も理解できなかった。
「久世さん、今は何をなさっているのでしょう?」
「玲奈のパソコンでちゃんと動くか確認してる。俺の環境だけで動いても意味ないからな」
「なるほど。わたしが普段使用する環境での確認が必要なのですね」
「そういうこと。それと、前にも言ったけど、このパソコンだと将来的には性能が足りなくなるかもしれない」
「その場合には、必要になった時点で買い替えを検討いたします」
「今すぐ高いの買うとか言わないところは、ちゃんとしてるんだよな」
「必要のないものへお金を使うことと、必要なものへ適正なお金を支払うことは別でしょう?」
「はいはい。玲奈お嬢様のお金講座はもう覚えました」
「その呼び方は、少し気に入りましたわ」
「そこ拾うのかよ」
そんな会話をしている間にも準備は進み、やがて直人が一度手を止めた。
「よし、とりあえず映すぞ」
玲奈の背筋が自然に伸びた。
画面には、まだ何も表示されていない。
直人がいくつか操作したあと、一つのウィンドウが開いた。
次の瞬間だった。
銀白色の長い髪を持つ少女が、画面の中央へ現れた。
玲奈は息を止めた。
完成したイラストそのものは、すでに何度も見ている。
しかし今日は違った。
セレスティアが、瞬きをした。
「…………」
玲奈は画面を凝視した。
もう一度、セレスティアが瞬きをする。
玲奈が少し顔を右へ傾ける。
画面の中にいるセレスティアも、わずかに右へ顔を傾けた。
玲奈が左へ動けば、セレスティアも追従する。
「……久世さん」
「ちゃんと動いてるな。追従はもう少し調整するけど――」
「わたくしが動いておりますわ!」
玲奈が思わず椅子から立ち上がった。
その勢いで画面の中のセレスティアも大きく揺れる。
「久世さん、見てくださいませ! わたくしが動くと、この方も動いております!」
「いや、俺が作業したんだから知ってるよ!」
「目まで動いておりますわ! こちらを向きました!」
「だから知ってるって!」
玲奈は聞いていなかった。
右へ顔を傾け、左へ傾け、少し身体を動かしてみる。
口を開けば、セレスティアの口も動いた。
笑ってみれば、完全ではないものの表情にも変化が出る。
玲奈は何度も試しながら、普段からは想像できないほど嬉しそうな顔をしていた。
その様子を見ていた修一は、思わず笑った。
「玲奈もちゃんと七歳だったんだなあ」
「お父さん、それはどういう意味でしょうか?」
「いや、父さんちょっと安心したよ。普段は契約とか利益とか言ってる娘が、動く絵を見て普通にはしゃいでるから」
「わたしだって、面白いものを見れば喜びます!」
「その反応をもっと学校でも出した方がいいと思うぞ」
「学校では、授業中に突然絵が動いたりいたしませんもの!」
玲奈が少し頬を膨らませると、直人まで笑い始めた。
「その顔いいな。ちょっと待って、その表情も拾えるようにしたい」
「今のわたしを技術確認に利用なさらないでください!」
「配信者になるなら、表情は多い方がいいだろ」
「それは否定できませんけれど……!」
玲奈は文句を言いながらも、再び椅子へ座った。
少し時間を置いて落ち着いてから画面を見ると、今度は別の部分が気になってくる。
髪の動きが少し大きすぎる場所がある。
顔を横へ向けたとき、髪飾りの一部が不自然に見える角度もあった。
玲奈がそれを指摘すると、直人はすぐにメモを取った。
「その辺は俺も気になってた。あと口の動きも、もう少し調整したい」
「表情については、とても素敵だと思います」
「絵を描いた人が表情差分を多めに作ってくれたからな。玲奈が目を気に入って依頼したの、正解だったかもしれない」
「でしょう? わたしの見る目もなかなかのものですわ」
「すぐ調子に乗るところは七歳っぽいな」
「久世さんまで、お父さんと同じことを仰らないでください」
玲奈は不満そうに言ったものの、気分は良かった。
自分が選んだイラストレーターが描いたセレスティアを、直人の技術が動かしている。
そこへ自分の声が加われば、一人のVTuberとして完成する。
自分一人では、絶対に作れなかった。
それが玲奈には、とても面白かった。
しばらく動作確認を行ったあと、次は音声の調整へ移った。
玲奈は以前から練習してきた発声へ切り替え、セレスティアとして話す。
「皆様、ごきげんよう。わたくしの名前は、セレスティアと申します」
画面の中の令嬢が口を動かす。
直人が音声を確認しながら、少しだけ処理を加えていく。
声そのものを大幅に変えるのではなく、玲奈の発声を基礎にしながら、幼さを感じやすい部分を軽く整える程度だった。
何度か録音と再生を繰り返した結果、完全に成人女性と断定できる声ではないものの、少なくとも七歳の小学生が話しているとは簡単に分からない程度にはなった。
「これ以上やると加工してる感じが強くなるな。俺ならこのくらいで止める」
「わたしも、その方が自然に感じます」
「ただし無理して低くしすぎるなよ。喉痛めたら配信どころじゃないから」
「はい。普段から無理なく維持できる範囲で練習いたします」
直人が何度も念を押したため、玲奈も素直に従った。
活動を続けるなら、身体を壊すような方法は論外である。
まして玲奈は、配信だけへ人生の全てを捧げるつもりなど最初からなかった。
学校へ行きたい。
本も読みたい。
父と競馬場へも行きたい。
これから知りたいものも、やってみたいことも大量にある。
配信は、その中の一つだった。
「それじゃ、次は実際に喋ってみるか」
「もう配信するのですか?」
「違う違う。模擬配信だよ。俺とお父さんがコメント役やるから、玲奈がそれに反応してみる」
「なるほど。本番前の練習ということですね」
直人は別の画面を用意し、簡単な模擬コメントを流せる状態にした。
玲奈の前には、セレスティアが映る画面と、視聴者からのコメントを想定した文字列が表示される。
最初に流れてきたのは、修一が入力したものだった。
『お嬢様かわいい!』
玲奈は一度コメントを読んだ。
「ありがとうございます。ですが、初対面の女性へ突然かわいいと仰るのは、少々距離感が近すぎませんこと?」
「玲奈、それ配信だと普通だから! 褒めてくれてるんだから!」
「そうなのですか? では、ありがとうございますとだけ申し上げた方がよろしいのでしょうか?」
「いや、その返しはその返しで面白い気もするな……」
直人が悩み始めた。
次にコメントが流れる。
『初見です!』
玲奈は意味が分からず、少し考え込んだ。
「初見とは、何を初めてご覧になったのでしょう?」
「玲奈の配信を初めて見るって意味だよ」
「でしたら、最初からそのように書いてくだされば分かりやすいのではありませんか?」
「ネットって短くする文化があるんだよ」
「言葉を短くすることで、意思疎通が難しくなっては本末転倒ではありませんの?」
「ネット文化そのものへ喧嘩売るのやめようか」
直人が笑いながら説明する。
玲奈は納得しきれない顔をしていたが、とりあえず意味だけは覚えた。
『草』
次の一文字を見た玲奈は、さらに困った。
「……植物がどうかなさいましたか?」
修一が吹き出した。
直人も机へ突っ伏して笑い始める。
「なぜ笑っていらっしゃるのです! 草としか書かれていないのですよ!」
「笑ってるって意味だよ。面白いときに使うんだ」
「どこをどう解釈すれば、草が笑うという意味になるのですか?」
「説明すると長くなるんだけど、そういう文化なんだよ」
「現代日本語は学校でかなり理解したと思っておりましたが、インターネットには別の言語体系が存在しておりますの?」
「ある意味、間違ってないかもしれない」
玲奈は真剣な顔でノートへ書き込んだ。
直人は笑っていたが、玲奈にとっては重要な勉強だった。
視聴者が使う言葉を理解できなければ、会話が成立しない。
ただし、意味を覚えたからといって自分まで積極的に使う必要はないとも考えた。
セレスティアという人物が突然インターネットスラングを連発する姿は、玲奈自身あまり想像したくなかった。
むしろ知らない方が、キャラクターとして面白い場合もあるらしい。
「玲奈、その辺は無理して覚えすぎなくてもいいぞ」
「ですが、意味が分からなければ反応できません」
「意味は知っててもいいけど、セレスティアが普通に使い始めたら特徴なくなるだろ」
「つまり、理解はしていても、知らないふりをするということですか?」
「いや、わざと知らないふりする必要もないけど……難しいな」
直人は少し考えたあと、言い直した。
「全部演技にしなくていいんじゃないか? 玲奈が本当に知らないなら、そのまま知らないって言えばいいし、覚えたら覚えたでいいだろ」
「キャラクター設定を守らなくてもよろしいのですか?」
「設定は大事だけど、ずっと嘘つき続けるの疲れるぞ。喋り方だって玲奈は元からこんな感じなんだし」
玲奈は、その言葉をしばらく考えた。
確かにセレスティアは、自分とは全く別の人間ではない。
名前も、話し方も、得意なことも、かなりの部分が玲奈自身から作られている。
異世界の公爵令嬢という部分だけは、視聴者から見れば設定になる。
玲奈にとっては事実だが、それを証明するつもりもない。
「では、無理に演じすぎないようにいたします」
「その方がいいと思う。何年続けるか分からないんだから、無理して作ったキャラだと玲奈が疲れる」
「何年も続くことを想定してくださっているのですね」
「……そういう意味で言ったんじゃないんだけどな」
直人は目を逸らした。
玲奈は少しだけ笑った。
模擬配信は、その後も続いた。
直人と修一が様々なコメントを送り、玲奈がそれに答える。
質問に答えるだけなら、玲奈はかなり上手かった。
前世で社交を徹底的に学んでいたこともあり、話題を広げたり、相手へ質問を返したりすることには慣れている。
しかし問題も見つかった。
玲奈は、正しい答えを出そうとしすぎる。
修一が試しに送った相談が、その問題を明確にした。
『友達と喧嘩しました。どっちが悪いと思いますか?』
玲奈はすぐには答えなかった。
「まず、何が原因で喧嘩になったのか分かりませんので、どちらが悪いか判断できません」
「まあ、そうだよな」
「双方から事情を聞かず、一方の説明だけで責任を決めるべきではないと思います」
「正論なんだけどさ」
直人が少し考える。
「これ、本当に悩んでる人から来た相談だったら、最初にもうちょっと気持ち拾った方がいいかもな」
「気持ちを拾う、とは?」
「喧嘩して辛かったとか、仲直りしたいから相談してるのかもしれないとか。正しい答えだけ欲しいとは限らないだろ」
玲奈は黙った。
以前、学校で同級生へ算数を教えたときのことを思い出す。
自分が理解していることと、相手が理解できるように説明することは違った。
相談も同じなのかもしれない。
問題を解決するための答えだけを出せばいいとは限らない。
「……人間というものは、随分と難しいのですね」
「君も人間だろ」
「もちろん存じております」
「今の言い方だと、完全に人類を観察してる側だったぞ」
玲奈は苦笑しながら、ノートへ新しい言葉を書いた。
正しい答えを出す前に、相手が何を求めているのか考える。
それは将来、《セレスティアお嬢様の相談室》を代表する考え方の一つになる。
この時点の玲奈は、まだそのことを知らなかった。
模擬配信を終えたあと、今度は美咲も交えて安全面の最終確認を行った。
配信に使用する環境と普段使用する環境は可能な範囲で分け、個人情報につながるものを表示しない。
学校名や住所、家族の勤務先など、特定につながる情報については話さない。
視聴者から個人的な連絡を求められても応じない。
仕事として誰かと連絡を取る必要がある場合には、必ず両親か直人を通して確認する。
さらに配信時間についても、当面は短時間に限定することになった。
玲奈は全ての条件を確認し、異論のある部分については理由を尋ね、必要だと理解したものは受け入れた。
「これで、配信してもよろしいのでしょうか?」
最後に玲奈が尋ねると、修一と美咲は顔を見合わせた。
「八歳になってからなら、父さんはいいと思う」
「わたしも同じかな。ただし、最初は必ずわたしたちが確認できる時間にしてね」
玲奈の表情が明るくなった。
「ありがとうございます。約束した条件は必ず守ります」
「それと、人気が出なくても落ち込まないこと。最初なんだから、誰も見に来なくても普通なんだからね」
「はい。その場合には、何が足りなかったのか考えてみます」
「そこは普通に残念がってもいいのよ?」
「もちろん、残念には思うでしょう。でも失敗したなら、次に使えるものを探したいです」
美咲は娘らしい答えだと思ったのか、小さく笑って玲奈の頭を撫でた。
それから数ヶ月。
玲奈は学校へ通いながら、少しずつ準備を続けた。
配信で使用する声を練習し、現代の配信文化について学び、直人と何度も模擬配信を行った。
競馬場へ行くこともやめなかった。
父との契約も続いており、馬を見るたびに自分の予想と結果を記録している。
配信の準備を始めたからといって、それ以外の生活を捨てることはしなかった。
そして春。
天城玲奈は八歳の誕生日を迎えた。
誕生日の夜、家族で食事を終えたあと、玲奈は自室のパソコンを起動した。
画面の中には、すでに見慣れ始めた銀白色の令嬢が立っている。
配信ページも用意されていた。
まだ登録者は、ほとんど存在しない。
事前に簡単な告知を出してはいるものの、それを見つける人間がどれほどいるかも分からなかった。
直人から届いたメッセージには、最初から数字を気にしすぎるなと書かれている。
玲奈も、そのつもりだった。
最初の目標は、人気者になることではない。
まず一度、自分の言葉を知らない誰かへ届けてみる。
そこから何が起きるのかを、自分自身で確かめる。
玲奈は配信開始予定日の欄を見つめた。
八歳になって最初の週末。
そこが、VTuberの初配信日だった。
かつてセレスティア・フォン・アルヴェインという名前は、処刑台の上で一度終わった。
今度は誰かから王妃になることを求められた少女ではなく、天城玲奈が自分で選んだ姿として、その名前をもう一度世界へ送り出す。
まだ視聴者は一人もいないかもしれない。
誰にも知られず、一度きりで終わる可能性だってある。
それでも玲奈は、今度の挑戦が失敗することを恐れてはいなかった。
自分がやりたいと思ったから始める。
その事実だけは、誰からも奪われない。
八歳の天城玲奈は画面の中のセレスティアへ微笑みかけると、数日後に控えた初配信へ向けて、最後の練習を始めた。
そして次の週末。
誰も知らない新人VTuberは、ほんの数人の視聴者が待つ小さな配信画面で、初めて世界へ向けて口を開くことになる。




