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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第四章 守りたいもののために。
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後編



 町を少し外れた白い木々の茂る森の中に、その工房は建っていた。古さを思わせる赤茶けた煉瓦を、長く伸びた蔦が覆っている。窓はなく、小さな煙突から透明な煙が揺らいでいるのが見えた。無造作に工房前に立てられた木製の看板には『魔導具店グラール』と掠れたペンキで書かれ、その下に小さな文字で『ノラ』という文字が見えた。……ノラ?

「いらっしゃいませ、魔導具店グラールとノラへようこそ」

 扉を押し開くと、明るい女性の声が私を出迎えた。天井からは魔導具の照明が、ランタンのような火ではない魔力の灯りとなって店内を明るく照らしている。店内には油と木材の匂い、そして魔導具に定着した静かな魔力で満ちている。壁には白木材の棚一面に様々な魔導具が丁寧に並べられ、そのどれもが私の興味を引いて止みそうにない。奥からは金属を叩くような高い音が響いてきて、その手前のカウンターに、笑顔を向ける小柄な女性が見えた。

「こんにちは。えっと、グラールさんという魔導具職人を訪ねてきました。いらっしゃいますか?」

 私はカウンターの前まで進んで、小さく頭を下げながら挨拶をした。女性は私と同じ黒髪で、肩口くらいで丁寧に切り揃えられている。背は小さいけれど、私よりも年上だろう。清潔そうな亜麻色のシャツと柔らかそうなエプロンは、まるで魔導具工房というよりもおしゃれな雑貨店を思わせる。

「おじいさまに御用ですか? では奥の工房にご案内しますね、こちらへ」

 そう言って女性は奥の通路へと私を促した。おじいさま、ということはグラールさんの孫だろうか。やがて真鍮の取っ手のついた戸を彼女が開ける。そこは、確かに職人の工房そのものだった。

 壁にある炉は赤熱した光を放ち、体感温度が一気に上がる。びっくりしたシュネーがフードの中から顔を出して、すぐにローブと服の隙間へと逃げ込んでしまった。床には金属や木材の削り粉が散らばり、私では用途のわからない無数の工具が壁に吊り下がっている。けれど見た目の混沌さとは違い、部屋を満たす魔力は驚くほど安定して静謐だった。ああ、これが魔力を道具に定着させ様々な機構を創り出す『魔導具』職人の工房なんだ。私は、自分が静かに興奮していることに気づいた。

 炉の前では、こちらに背を向けた白髪の老人が汗を垂らしながら金属を叩いていた。

「おじいさま、お客様です」

 その声に、老人が振り返る。深く刻まれた皺が長い長い年月を思わせた。目を覆っていた黒いゴーグルを外し、その瞳を露わにする。魔力の流れを読み、精密な運用と操作で「物」へと魔力を定着させるその瞳は、しかし私には白く濁って見えた。

「なんだあ、見えねえこっちへこい」

 その太く重たい声に少し躊躇しながら、私は女性に促されて老人のもとへと行く。熱い。炉の近くってこんなに熱いんだ。

「はじめまして、グラールさん。魔法使いのアリアと言います」

 私は頭を下げて挨拶をした。白髪の老人、グラールさんは私に顔を寄せて間近で観察したあと、少し目を見開いて声を発した。

「雛みてえな魔法使いが、なんでそんな石持ってやがる。まさか貴族か?」

「石がわかるのですか? いいえ、私はラムハト生まれのただの魔法使いです。杖の作成を請け負ってくれる工房を探しているのですが、この魔法石で、私の杖を作っていただけませんか?」

 そう言って私は懐から、ラナから受け取った青白色に輝く巨大な魔法石を取り出した。グラールさんは瞳を寄せてその魔法石をじっと観察したあと、大きくため息をついて首を横に振った。

「はあ、なんて石だ間違いなく一級品だ。だからこそ、俺には無理だ。あと二十、いや十年若けりゃ加工してやれたが、今の俺の視力じゃ手に負えねえ。他を当たってくれ」

「おじいさま、私が……」

 後ろから女性がグラールさんに声をかける。けれど、それを遮るように彼は声を上げる。

「何度も言ってる、おめえに教えるつもりはねえ。魔導具職人にはさせねえ」

 そんな、と声を上げる女性。どうやら、石の加工は請け負って貰えそうにない。私は小さく息を吐いた。

「だめ、ですか……とても腕の良い職人と伺っていたので、残念です」

「昔の話だ。今は素人でもできる加工品を作るだけだ。ノラ、帰ってもらえ」

 ノラと呼ばれた先ほどの女性が、私を慰めるように肩に手を置いた。悔しいし残念だけれど、グラールさんが無理だというのなら仕方がない。職人であるほど、自分に作り出せないものが即座にわかると書で読んだことがある。サヴァン先生風に言うなら、それもまた賢者導きなんだろう。私は魔法石を再びしまい込み、別のお願いをすることにした。

「あの、では、少し工房と店内を見ていてもいいですか? 私、魔導具に興味があるのです」

 背を向けたグラールさんが私を一瞥したあと、ひらひらと手を振りながら私に応えた

「静かにしてるなら好きにしろ。工房のものには触るな。商品はノラの説明を受けてから触れ。以上」

 そうしてもう私に興味を失くしたように、グラールさんは再び金属を叩き始めた。私はその背にぺこりと頭を下げる。

「ありがとうございます。ノラさん、私、少し工房を見学していきます。あとでお店の魔導具を教えて下さい」

「ええ、もちろんです。好きなだけ見ていってくださいね。私は店の方にいますので」

 柔らかな笑顔を残して、ノラさんが扉の向こうに去ってゆく。工房には無言で作業を続けるグラールさんと私、そして今はローブの右袖に隠れているシュネーだけが残された。私は床のものを踏まないよう、ゆっくりと工房の中を歩いてみる。入口近くの棚には無造作にコンテナが突っ込まれ、その中にはありとあらゆる部品やネジ、曲がった金属や油まみれの布が放り込まれていた。その下には何かの設計図だろうか、色の濃く染みた羊皮紙が丸められもせず乱雑に置かれていた。工房のものに触れるなと言われたので、私は触れないようにしゃがみ込み、その羊皮紙からのぞく設計図をじっと見つめる。図面を引くのに使われたインクが宙に浮かび上がるように、私の頭の中で徐々に組み立てられていく。それは星詠の書の暗号を解くより簡単な作業だった。どれくらいの間、そうやっていただろう。やがて私はその設計図が、伝書魔鳥の誘導に用いられる、特殊な魔力波長を生み出す『魔力針』という魔導具だと見抜いた。

「——そうか、魔力針はこんな複雑な術式を定着させていたんだ。すごい」

 静かにしていろと言われたのに、思わず私は声が出てしまった。金属を叩く音が止まっている。私は立ち上がって、そっと後ろを振り返った。グラールさんもまた、振り返って驚いた表情でこちらを見ていた。

「おめえ、図面が読めるのか」

「その、書で見たことはありますが、本物の設計図面は初めて見ました。すみません、邪魔をしてしまって」

「そんなことはいい。初めて見た図面で、なんで魔力針だとわかる?」

「頭の中で組み立てていくと、魔力針になりました」

 私の言葉に、グラールさんは信じられないものを見たような顔をする。それから、また先ほどのように大きくため息をついて、近くの椅子にどっかりと腰を下ろしてしまった。

「……長く生きてると。たまにとんでもねえ才能と出会う。おめえは間違いなくその中の一人だ。もう一人はな、ノラだ」

「ノラさん?」

 私は思わず聞き返してしまう。グラールさんの近くへ歩み寄ると、彼は再び深い声で私に問いかけた。

「……その右手、使えねえのか」

 彼の白い瞳が私のローブの下にある右手を見つめる。私は無意識に右腕を抑えていた。ああ、さすがは一流の魔導具職人だ。私の魔力の流れを見抜いている。

「はい。この通り、動きはしますが力を入れると痺れて握力がありません。けれど、親友の命を救った右手です」

「そうか。信じられんほどの魔力が右手を通った痕跡がある。腕ごと壊れなかっただけ奇跡だな」

 そう言ってグラールさんは椅子の背もたれに身体を預け、天を仰ぐように語り始めた。炉の炎が揺らいで、私たちの影を大きく壁に映し出すのが見える。

「……俺の目ももう使えねえ。若い頃から何十年と魔法石の輝きを見すぎて、ついにぶっ壊れた。白く濁った視界にずっと無数の光が点滅してやがる。魔導具職人の最後はみんなこれだ」

「魔光症候群……」

 書で読んだことがある。長年魔法石の深淵な光を見続けた魔導具職人の瞳は、視力を徐々に失い、やがて輝く魔法石の光だけが残像のように網膜に残り続ける。治療法は、未だ確立されていない。

「アリアとか言ったな。おめえ、ノラの手を見たか。俺とは似ても似つかねえ細く繊細な指先だ……かつて俺が頭の中に設計して諦めた複雑な魔導具が、あいつの手なら間違いなく作り出せる。だが、いつかあの青い目がこんな風に白く濁るなら、俺はあいつにこの仕事をさせる気はねえ。用が済んだなら帰んな。杖は他を当たれ」

 言いながら立ち上がって、グラールさんはまた背を向けて作業を再開する。

「そう、だったのですね……お話、聞かせてくださりありがとうございます」

 私はその背中に頭を下げて、お礼を言ってから工房を後にした。ああ、やっとわかった。ノラさんの作業を、グラールさんが拒否する理由。ノラさんのことを思う気持ちが、職人の技術継承を妨げているんだ。私はお互いの気持を思い、胸が苦しくなる。炉の炎で熱くなっていた顔が、扉の向こうに出た途端にひんやりと冷えてゆく。

「アリアさん。工房はどうでしたか。おじいさま、無愛想ですみません」

 お店側へと戻ると、ノラさんが声をかけてくれた。私は彼女に小さく首を振る。

「いいえ、そんなことありません。とてもお優しい方でした。ノラさん、グラールさんの目は……」

「ええ、お察しの通り魔光症候群です。職人の宿命と言われていますが、私は回避する方法があるはずだと思っています。でなければ、魔導具職人の技術はいずれ絶えてしまう」

「ノラさんは、グラールさんの技術を受け継ぎたいのですね」

 私の問いに、ノラさんははっきりと頷いた。私は彼女に、先ほどのグラールさんとのやりとりを明かす。途中で炉の暑さから解放されたシュネーがローブから顔を出して、ノラさんの瞳を輝かせた。

「そうですか、おじいさまがそんなことを……昔は私にも様々な技術を教えてくださったのですが、視力が衰えてからは私に仕事をさせてもらえません。新たな魔導具の作成も滞り、このままでは店も成り立たないでしょう」

 ローブから出てきたシュネーが、カウンターに飛び乗ってノラさんの指の匂いを嗅いでいる。もしかしたら、職人の手からは魔力の香りがしているのかもしれない。彼女は少し戸惑ってから、シュネーの頭を優しく撫でてくれた。

「おじいさまの技術が絶えてしまうのなら、この店もそこで終わりです。ですが私が受け継ぐことができれば、この店も工房もまだ続けられる。私は幼い頃から過ごしたこの愛する工房とおじいさまの技術を、後世まで残したい。それだけです。いずれ発症する魔光症候群のことなんて、今は考えられません」

 ああ、なんて強い愛情だろう。私はもはや自身の杖のことなんて棚にあげて、この工房の抱える二人の問題を何とかしてあげたかった。心にラナの顔が浮かんでくる。お互いがお互いを思い合ってすれ違うことの悲しさを、私は知っている。

「……ノラさん。私、もういちどグラールさんと話してきます。シュネー、工房は暑いからここで待っていてね」

 返事をするように、シュネーが私を見ながら尻尾を上下に振る。ノラさんは静かに頷いて私を見送った。私は再び、工房の重たい扉を押し開ける。

「……何しにきた。話は終わったはずだぞ」

 気づいたグラールさんが手を止める。私は炉で温められた熱い空気を肺に吸い込む。全身に行き渡る酸素が私の心まで温めてゆく。

「グラールさん、これを見てください。これは、私の亡くなったおばあちゃんが残してくれた魔導書です。この書のおかげで、私は親友の命を救うことができました」

 言いながら、私はローブの懐から星詠の書を取り出した。グラールさんはその書のもつ魔力に、少し眉を動かすように反応した。

「私は生まれつき魔力が乏しく、うまく魔法を扱うことができませんでした。そんな私に、おばあちゃんは選択肢としてこの書を残してくれました。魔法を使わなくてもいい、けれど魔法が必要になる日が来るかもしれない。そのとき、この書が私を助けてくれる。そうおばあちゃんは私に言い残したのです。グラールさん、私の言いたいことが伝わるでしょうか」

 私の言葉に、グラールさんは静かに目を閉じて考え込むようだった。やがてその瞳と、重たい口を彼は開く。

「……ノラに選択肢を残せと言うのか」

「そうです。ノラさんの人生は彼女だけのものです。私たち他人が、その幸福を決めることはできません。私は祖母の残してくれた魔法でこんな右手になりましたが、そのことに一度も後悔はありません」

 重くて深い、そして長い沈黙が工房に満ちていた。グラールさんはただ静かに何かを考え込み、私はただ彼が口を開くのを待っていた。炉の炎だけが、熱を持って私たちを包み込む。私は自分の言葉とその熱が、グラールさんの固くなってしまった心を溶かしてくれることを祈るしかなかった。

 どらくらい時間が経っただろう。やがて重い鉄の塊が軋むように、グラールさんが立ち上がった。炉の炎を背負うかのようなその姿は、この工房の主である魔導具職人の姿そのものだった。

「……ノラを連れてこい」

 静かな、けれど炎のように熱の籠った声で彼が言った。ああ、それだけで私は全て察することができる。すぐに店に戻って、私は驚くノラさんの手を引いて工房へと連れ戻る。グラールさんは、その白くなった瞳で真っ直ぐにノラさんの青い瞳を捉えていた。

「ノラ。こいつの杖、お前が作れ。図面は引いてやる」

「お、おじいさま! 急にどうして……」

 驚くノラさんの声を遮るように、更にグラールさんはその深く重い声を続けた。

「半端なもん作るんじゃねえぞ。こいつの魔法は生半可な魔力量じゃねえ、下手すりゃ小娘の手が吹き飛ぶ。それでも作れる自信があるなら、お前がやれ」

 息を飲む音が聞こえた。けれどすぐに、ノラさんはその言葉に深く、そして強く頷いた。

「やります。やらせてください」

 緊張した、けれど決意の籠もった声。ああ、旅に出ることを決めた私と同じだ。いま、ノラさんはきっと、魔導具職人という果てのない旅の始まりにいる。炉に照らされる暑く熱い道のりだ。その果てに視力を失う危険すらある。けれどその道がきっと、この工房とグラールさんの技術を守ることへと繋がっているんだ。

 私たちはみんな人生をかけて、守りたいもののために旅を続けてゆく。




 ——『第四章 守りたいもののために。』

 

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