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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第四章 守りたいもののために。
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前編


「おばあちゃん、この杖の綺麗な石はなあに?」

「それは魔法石。この石が魔力を安定させ魔法を生み出すのよ。私にはもう必要ないから、アリアにあげるわ」

「いいの? わたし、賢者さまみたいな杖がほしい」

「賢者メリルリーネ様の杖ね。アリアはあの御伽噺が好きだね」

「うん、賢者さまはすごく綺麗な魔法を使うの。星空を生み出すんだよ」

「ええ、そうね。かつてこの世界ができたばかりのころ、世界は暗闇に覆われていた。悲しむ人々のために、賢者メリルリーネは暗い空に星々を創り出した。そして最も輝く大きな太陽と美しく光る月を最後につくり、朝と夜に世界を分けた。こうして世界に光という概念が生まれたのよ」

「わたしも賢者さまみたいな星空をつくりたいなあ」

「私たちはみんな心に星空を持っているのよ。たとえ世界が暗闇に落ちても、その輝きは消えることはないわ。さあ、もう眠りなさい。アリア、あなたの道を星が明るく照らしますように」



        ◇



 懐かしい声を聞いた気がして、私はゆっくりと瞳を開けた。馬車に揺られながら、少し眠ってしまっていたみたい。私は座りっぱなしで痛くなったお尻の位置をずらしながら、小さく欠伸をした。

 馬車ののぞき窓から落ちゆく西陽が差し込み、膝の上で丸くなるシュネーを卵菓子のように温めていた。私は左手でその毛並を撫でながら、自分の右手に視線を落とす。薄い青紫のローブで隠されたその右手に、私は少し力を込める。途端に手が痺れて力が抜けて、指先が痙攣していた。こんな手ではとても杖は握れない。私は左手で右手を揉むようにほぐしながら、ラナから受け取った魔法石を加工できる職人が王都までの道中で見つかるだろうかと窓の外を見つめた。

 街道沿いに見える森には淡い魔力がオーラのように帳を敷いて、薄い霧の中で複雑な色合いに混じり合って見えた。この金色の瞳になってから、魔力の流れが前よりもよく見える。星の魔力を宿した瞳、とサヴァン先生が仮説を立てたことを思い出す。大気に満ちる魔力は、言うなればこの星の魔力。私の瞳がその魔力と同調しているのかもしれない。そんな思考を巡らせながら、ただ流れ行く景色を眺めていた。

 ラナやラムハトのことを考えると、今でも心が締め付けられるように苦しかった。故郷を離れるのは、こんなにも言葉でいい表せないような感情になるんだ。泣いてしまいそうになる気持ちを誤魔化すように、私は取り出した地図を手元に広げた。

「カレス……領地の境まで来たなあ」

 領境の町カレス。ラムハトから街道沿いに西に進んで数日、私はラムハト領の果てに辿り着こうとしていた。まだまだ先は遠いけれど、このまま西の街道を行けば王都へと繋がっている。カレスに着いたら宿を取って、ラナに手紙を書こう。旅は思ったよりも単調で、街道を馬車で進み日が暮れる前に宿を探す。その繰り返しだけれど、見るもの全てが新鮮で、あの日の朝焼けみたいに全てが輝いて見える。私はラナに綴る手紙の内容をぼんやりと考えながら、胸元にしまった魔法石をそっと握りしめた。

 カレスは交差する街道を中心として作られた小さな町で、ラムハトに比べると田舎だけど人の往来は多い。特に商人はこの町で商品を売り捌き、金貨に変えてから越境することが多いと書で読んだ。その方が関所でかかる税金が安くなるらしい。私は商人じゃないからあまり関係がないけれど、旅商人の集まる場所なら私の知らない情報が手に入るかもしれない。厄災について、何かわかればいいけれど。

 やがて馬車が止まり、私はカレスの町に足を踏み入れた。親切な御者に教えてもらった宿へと向かう。角を曲がって二軒目、木造二階建ての煤けた色をした建物。古びた丸い看板には《廻る車輪亭》と掠れた文字が読めた。

 扉を引いて中に入ると、中は吹き抜けで天井が高い。ロビーは食堂も兼ねているようで、木製の長い机が等間隔に並んでいる。壁には大きな暖炉があって、春とは言えまだ寒さの残る夕暮れの空間を温めていた。広さの割に中は閑散としていて、食事をしている初老の男女が一組見えるだけ。中に入って受付近くのベルを鳴らすと、すぐに奥から大柄な女性が顔を出した。

「いらっしゃい。一人?」

「はい、空いてますか?」

「見ての通り閑古鳥だよ。一泊前払いで銀貨一枚、あとは泊まった分だけ後払い。好きなだけいていいよ」

 鍵を差し出しながら女性は言う。私は懐の革巾着から銀貨を一枚差し出した。片手で不器用に硬貨を探す私を、女性は少し訝しがるように見つめていた。

「二階の奥の部屋を使って。食事はそこの広間で」

「はい、よろしくお願いします。あの、少しお話聞いてもよろしいですか」

「ああ、いいよ。とりあえず荷物置いてきな」

 私は頭を下げて、受付横の階段を登る。奥の角部屋を開くと、中は飾り気のない簡素な空間だった。真っ白なシーツを纏った木製のベッドと小さな机、あとは壁に小さな鏡が見える。窓からは街道と反対にある森が見え、夕暮れの光を透かして黄金色に部屋を彩っていた。

 私は机の横に旅鞄を置き、再び広間へと降りた。先ほどの女性が食堂の机にお茶を用意してくれていて、私はその向かいへと座る。

「すみません、ありがとうございます」

「いいさ。いつもなら忙しい時間帯だけどね、客もいないから」

 頭を振って、少しため息をつくながら彼女は言う。私はそのことが気になっていた。街道沿いにあって商人が行き交う町、と聞いていたのにあまりに閑散としている。

「あの、カレスは領を越境する商人たちが多いと聞きました。それにしてはその、活気がありません。何か理由があるのですか?」

「ああ。関所のある西の街道近くにね、魔物が住み着いてる。もう半年になるかな、商人ギルドが何組も襲われてさ。今じゃみんな王都へ向かうのに北の旧道を使うようになって、この町ごと迂回されちまう」

「そんな……」

「あんたも王都へ向かうのかい? タイミングが悪かったね、西の関所への馬車は今はないよ。引き返して北から山越えか、夏まで待って南へ向かうキュラス湖沼道しかないね。つまりさ、この町はいま行き止まりだ」

 私は頭の中に王国の地図を広げた。北へ向かう旧街道は、いちど引き返してカレスを大きく迂回しなければならない。街道馬車も山の麓までしか通っていないから、そこから先はどこかの商人ギルドの馬車に載せてもらうか、徒歩になる。けれど、この町から南にあるキュラス湖沿いに南下する街道は、この時期霧が多く非常に危険で季節が変わるまで封鎖される。西の関所が使えないなら、この町から王都へ至ることができない。

 確かに、行き止まりだった。人が少ないのも頷ける。

「そう、ですか……ありがとうございます、教えてくださって」

 私は落胆してため息を付きながら、出してくれたお茶を一口飲んだ。熱い液体が胃の中に落ちていって、冷えた心を少し温めてくれるようだった。行き止まりだけど、私はこのお茶の温かさを知ることができた。

「あと、もう一つ教えてください。この辺りで、魔導具の加工をしているような工房はあるでしょうか? 魔法石の加工ができるような、腕のいい職人を探しているのですが」

「魔導具職人かい? それなら、街外れの森の中にあるグラールの工房を訪ねてみな。無口な爺さんだが、かつては東部で随一の職人と評判だった。商人がこぞってグラールの魔導具を王都へ売りに行ったもんさ」

「グラールさんの工房ですね、ありがとうございます。明日、ぜひ伺ってみます」

 私はぺこりを頭を下げる。女性はひらりと手を振って、お茶を飲み干してからカウンターの奥へと戻っていった。私は今教えてもらった情報を自分の中でもう一度整理しながら、ゆっくりとお茶を飲む。予定していたカレス経由の越境は困難になった。けれど、腕のいい魔導具職人の話も聞けた。もしグラールというその職人が杖の作成を請け負ってくれるなら、しばらくはこの街に滞在することになるだろう。その間に少し情報を集めて、どの街道から王都へ向かうか決めることにしよう。

 私は二階の部屋に戻り、明日からの予定を頭の中に組み立てる。ローブの右袖に隠れていたシュネーがいつの間にか顔を出して、私より先に皺一つない真っ白なシーツの上で跳ねて身体を伸ばし始めた。私も真似るように仰向けになって身体を伸ばす。ああ、疲れた。お昼から何も食べていないし、ラナに手紙も書かないと。でも、もう、このまま眠ってしまいそう——


 ——翌朝。私は結局、ローブも脱がいないまま眠りに落ち、夜更け前に目が覚めた。宿の中は物音一つ聞こえなくて、静寂と冷気が支配している。私はシーツの上で丸くなるシュネーを抱き上げ、毛布で包んで枕の上にそっと寝かせる。大きな欠伸をして再び寝息を立て始めたのを確認して、私は机に向かいラナへの手紙を書き始めた。旅は順調だけど、今はカレスという町で行き止まりになってしまったこと。書で学んだ知識だけでは得られないものが、世界には溢れていること。美しい景色を見た時に、ラナのことをいつも思い出すこと。私は左手でゆっくりと時間を掛けながら、大切に文字を紡いでいく。やがて夜が明け白い光が部屋に差し込むころ、私はその手紙を書き上げ大事にしまい込んだ。グラールさんの工房を訪れるとき、街道沿いのギルド便に出すことにしよう。

 私は身支度をして、起きたばかりのシュネーをフードの中に入れてあげる。それから一階の食堂で朝食を簡単に済ませ、宿の扉を押し開いた。朝の眩しい光が目を差すように飛び込んでくる。私は目を細めながら、教えてもらったグラールという魔導具職人のいる森へと足を向けた。

 そのとき、ふと私を呼び止める声がした。 

「そこの若い魔法使いさん、いいローブだね。少し見ていかないかい」

 声のした方を振り返る。目深に帽子を被った中年の男性、露天商のようだ。こんな時間からもう店を出しているなんて、よっぽど商売熱心なんだろう。私は自分で選んだこのローブが褒められたのが少し嬉しくて、つい返事をしてしまう。

「えっと、私ですか? 何を扱っているのでしょう」

「魔導具だよ。うちはね、王都で開発された最新のものを揃えてる。見たところローブは新しいけれど、その靴は随分と古そうだ。これなんかどうかな、この辺りじゃまだ知る人もいない『疲れない靴』だよ」

「疲れない靴……これが魔導具なのですか?」

 商人が私に差し出したのは、見たところ何の変哲もない革靴だった。よく観察すると、確かにわずかながら魔力の残滓のようなものを感じ取れる。すごい、王都じゃこんな微弱な魔力の魔導具が開発されているんだ。

「ああ。靴底に魔力を帯びた貴重な鉱石を使っていて、疲れを感知したら足の筋肉を解してくれる。丈夫な馬革製で品質も保証するよ」

「そ、そんなものが……いったいどんな魔術式を使ってるんですか」

 私の問いに、商人は頭を振って応える。

「俺は専門家じゃないからね。詳しいことはちょっと。でも、今日一人目のお客だからね、安くしておくよ。銀貨五枚のところを三枚でどうだ」

「き、気になる……」

 確かに、この靴は履き続けて相当長い。旅の途中で壊れてしまう危険を考えたら、ここで靴を新調しておくのは良い選択かもしれない。それに、疲れることがないという魔術式もかなり気になる。王都の最新魔法技術に触れられる機会なんて、ラムハトではほとんどなかった。しかも運がいいことに、朝一番の客だから安くしてくれるなんて。早起きは銅貨三枚の得と言うけれど、今朝は夜明け前に起きてよかった。そう私は納得して、懐から革巾着を取り出そうとする。

「待て待て待て! リター、お前の頭は幸せ野兎か。おいお前、ラムハト領内での詐欺行為は厳罰だ。見逃すわけにはいかん」

 背後から私を呼び止めたその声に、驚いて思わず全身が固まった。冷たく、心の奥まで響く芯のある声。軽薄な笑顔を浮かべていた露天商の顔が、一瞬で凍りつくのが見えた。私の顔も凍りついていたかもしれない。それくらい、驚きで声も出なかった。私はその声の正体をあらためて確かめるために、ゆっくりと振り返った。

「あ、アベル様……!?」

 丁寧に後ろへと固められた赤茶色の髪に、鋭くこちらを捉える真紅の瞳。深い葡萄酒のような色のローブはそれを纏う人物の品格を思わせる。ラムハト領主の息子、アベル様がそこに立っていた。

「お前ら、この露天商をしょっぴけ。この辺りでの詐欺被害についても調べておけよ。それから……リター、お前はなぜこんなところにいる」

 深く赤い瞳が私を睨みつける。その眼光に、私は息が詰まりそうだった。まるで悪行を咎められる子供のように、私は俯いて小さな声でアベル様に応える。

「……その、少し、旅をしているところです。あの、今の、詐欺なんですか?」

 その瞳から私自身の話題を逸らすように質問した。後ろでは誤解だ勘違いだと声を上げる先ほどの露天商が、アベル様の護衛人に連れられていくようだった。

「少し考えれば分かるだろう、疲れない靴なんてあるものか。最新魔導具は詐欺師の常套句だ。そもそも旅慣れないお前が新しい靴なんて履くな、足を痛めるだろう」

「……でも、デザインちょっと素敵でした」

 拗ねたような私の言葉に、彼は大きくため息をついた。私はそれが恥ずかしくて、俯いている自分の顔が熱くなるのがわかった。

「お前な、いくら気に入った靴でも銀貨三枚も払うな。物には相場というものがある。新しい靴が欲しければちゃんとした店で適正価格なものを購入しろ。声をかけてくる露天商は詐欺だと思え。全く、そんな状態でよく旅なんて始めたな。右手の傷もまだ癒えていないのだろう?」

 アベル様の鋭い目が私の右手を見る。思わず私はローブの上から手を抑えた。

「それは、その、そうなのですが……アベル様は、どうしてここに?」

 私の問に、彼は少し頭を抱えるように応えた。私は緊張していた身体が、話しているうちに少しずつ解けていくのがわかった。

「ここもラムハト領だからな、問題が起これば視察せねばならん。今回は西の街道の魔物だ。王都に討伐以来の要請を何度も出しているが、人手不足を理由に断られている。西の街道はラムハト領と王都を繋ぐ大動脈だ、封鎖されたままでは物資が滞る。早急に何とかせねばならん」

「そう、だったのですね。実は私も王都へ向かう途中で、街道が使えないことを聞きました。北か南の迂回路を考えていましたが、討伐できる宛があるなら助かります」

 けれどその言葉に、アベル様は静かに首を振った。

「宛などあるものか。領内で腕の立つ魔法使いや戦士を募る御触れを出して、実際に討伐に向かうのは数カ月後だろう。王都へ行くなら引き返して旧街道でも数週間で着く。カレスが無駄足になって残念だったな」

「そうですか……いえ、残念ですが仕方ありません。今の状況、よくわかりました。お忙しい中ご親切にありがとうございます、アベル様。それでは、私はこれで」

 街道の封鎖と魔物討伐の目処が立っていないという厳しい現実を静かに受け止め、私は彼に深く礼をした。踵を返し、当初の目的だったグラールさんの工房へと向かおうとする。けれど、その私を更にアベル様の声が呼び止めた。

「待てリター。お前、王都へ行って宛はあるのか」

「……調べ物をしたいのです。王立図書館か、古き書物に知識のある方に話を聞いて回るつもりです」

「ただの田舎娘が、何の後ろ盾もなく王都で自由に動けると思うな。仕方ない、俺がかつて留学していた頃に世話になった師を紹介してやろう。変わり者だが、お前の持つ魔法とその瞳に恐らく興味を抱くだろう」

「あ、ありがとうございます。……その、どうしてそこまでしてくださるのですか? 私、アベル様に嫌われていると」

 私は俯いている顔を上げて、アベル様の顔を見た。深い深い真紅の瞳が、まっすぐに私を見ている。けれどその瞳が、いつもとは異なり僅かに揺らいでいるようにも見えた。

「別に、嫌っていたわけではない。ただ、何も成そうとしないお前がもどかしかっただけだ。だが、お前はあのザイオンを消し飛ばすほどの魔法を放ち、こうして王都へ一人で旅立とうとしている。もはやリターと呼ぶべきではないのだが、改めて名前で呼ぶのも貴族のプライドが許さん」

 その言葉に、思わず私は笑いそうになってしまった。ああ、なんて面倒なひとだろう。けれど、嫌われていたわけではないとわかっただけで、私の心は少し軽くなるように思えた。

「いいですよ、リターのままで。リターにはリターにしか成せないことがあると、私に教えてくれた人がいます。だから、今ではリターであることを誇りに思います」

 この日、私は初めて、アベル様に笑顔を向けることができた。心の中のずっと冷たく凍りついていた蟠りが、静かに溶け出していくのを感じた。そんな私に、今度はアベル様が顔を背けながら応える。

「そうか、それなら、まあ、いい。今更だが、ザイオン襲撃の際には世話になったな。領主に代わりあらためて感謝しよう」

 その不器用な感謝の言葉に、思わず私は笑ってしまった。春の日差しが私の背中を暖めるのを感じていた。

「ふふ、貴族様は顔を背けながら感謝を述べるのですか?」

「うるさい、黙れ。貴族が平民に頭を下げることはせぬ。用が済んだら去れ、紹介状は明日届けてやろう」

 私はついからかってしまったことを謝罪するようにもう一度頭を下げて、その場を離れた。後ろで、護衛騎士に指示を与える声が聞こえてくる。ああ、ここでアベル様と話すことができてよかった。カレスへ至ったのは決して無駄足ではなかったと思える。

 私は履き古した少し汚れた靴で、あらためて魔導具職人グラールの工房へと足を進めた。



        ◇

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