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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第五章 銀貨七枚の重さ。
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前編


 カエラム。全天の中で七番目に明るい、春に高く登る一等星。その輝きは青白色。春に見られる複数の星座を統率するように一番に登り来ることから、「春を統べる星」と呼ばれる。近年では長距離望遠魔術による観察の結果、二つの恒星が共通重力を中心に公転する連星であると発見された。その名は古き言葉で「朝霧」を意味する。


 ——《ヴィスタリア天文学院/天体解体百科》より。



        ◇


「杖の素材は重要だ。軽く、魔力伝導性が優れているほど加工が難しく高価になる。木製杖は安価だが重い上に伝導性が悪く、魔法石と使用者に負荷が多くかかる。最高級の杖は希少金属のハフメルト鉱だ。魔力への抵抗率が著しく少ないこの素材は、王都の魔道士団長に送られる杖や、祭事で用いられる神聖な杖なんかに使われている。もちろん目玉が飛び出るほど高い。硬すぎてこの工房での加工も難しい」

 翌日、私はノラさんと一緒に工房でグラールさんの説明を聞いていた。グラールさんはノラさんへの技術継承を条件付きで認め、ノラさんは心からそのことを喜んでいた。そんな二人の最初の共同作業が、私の杖の作成。素材と形状、それから魔術的な機構をグラールさんが設計制作し、ノラさんが精密な魔法石の加工を行う。その二つが完成してはじめて、魔法という奇跡を起こす杖が完成する。

「だが、この魔力伝導性を遥かに高める方法がある。最近じゃ大量生産の杖ばかりで使われることはねえが、『満たし』と呼ばれる作業だ」

「あまり、聞き慣れない言葉ですね」

 ノラさんの言葉に、私も頷く。おばあちゃんの残してくれたどんな書にも、そんな技術についての記述はなかった。

「近年じゃどこの杖屋も知らねえだろう。かつては魔法使いが自分で杖を作るのが当たり前だった。だからこの満たし作業が生まれたし、自分で作らなくなったから廃れたとも言える」

 グラールさんはそう言いながら、工房にある壁際の箱から、手のひらぐらいの金属を取り出した。素材はなんだろう、単純な鉄ではないように思えるけれど、詳しくはわからない。彼はその金属を私の左手へと置いた。ずしりと私の手が沈み込む。重い、見た目の何倍も重さがある。

「小娘。そいつを自分の魔力で細部まで完全に満たしてみろ。どれくらいかかる?」

「どれくらい……私、あまり魔力がないので。このサイズでも数時間はかかるでしょうか」

 私は左手の上にあるその金属をじっと見つめる。頭の中に金属の魔力構造が描かれ、その中に慎重に魔力を流し込んでいく。まるで雨雫が葉脈を伝うように、魔力が金属の細部へと伝わってゆくのがわかる。

「つまり、それが満たしと呼ばれる作業だ。杖に使う素材を使用者の魔力で完全に満たすことで、魔力伝導率は抵抗をほぼ無視できる。使用者自身の魔力だから、魔力操作技術さえあれば重さも自在に操れる。この鉱石はラスターと呼ばれる、重くて不純物の多いクズ鉱石だ。だが炉で不純物を取り除けば、丈夫な上に加工のしやすいラステリア金を取り出せる。このラステリア金が、今回の杖の素材だ」

「ら、ラステリア金……!」

 ラステリア金と言えば、最高級の貴金属や鎧にも使われる、信じられないほど高価な金属だ。私は思わず、いまラスターを握っている左手が震えだすのを感じた。

「そ、そんなの、私、とても払えません。木製杖でいいです。なんなら自分で削ります」

「あほか、誰が金の話をしてる。ラステリア金が高いのはな、ラスターから不純物を取り出す方法がほぼ失われた技術だからだ。王都の錬金術師どもが束になっても、ラステリア金は作り出せん。特殊な炉と技術が必要なんだ。王国に三箇所だけある、ラステリアを生み出すことのできる炉の一つが、このグラール工房だ」

 私は驚いて、グラールさんの奥にある炉に目を向けた。今日は火が入っておらず、静かにその口を開けている。私の隣で、同じく驚いたようにノラさんが声を上げた。

「そ、そんな! じゃあ、おじいさまはどうしてラステリア金を作らないのですか! そうしたら工房の経営だって……」

「そりゃおめえ、昔は血反吐が出るほど作ったさ。毎日毎日、来る日も来る日もラステリア金を作って売って作って売って、俺のもとには数え切れねえほど金貨があった。けどな……俺はあるとき、金貨を握りしめて涙が止まらなかった。いくら金を摘んでも、お前の両親……魔物に殺された俺の息子とその嫁は戻ってこねえ。この金属を身につけてる貴族共がのうのうと暮らしているのに、人のために生きてきた俺の息子は冷たい土の中だ。それが虚しくて悔しくて……金なんか必要以上にあってもろくなことはねえ。俺は持っていたラステリア金を全て魔導具に加工して王都に売っぱらい、もう二度とラステリア金を作らねえと心に決めた」

「そんな、ことって……」

 私もノラさんも、声が出なかった。ああ、この二人も魔物に大切な人を奪われていたんだ。そのことで人生が大きく変わった。グラールさんは金貨や工房よりも大切なもの、残されたノラさんのために生きてきた。だからあんなにもノラさんが職人になることを拒んだんだ。私は二人の気持ちを思うと、視界がぼやけて思わず涙が零れそうだった。

「こんな昔話なんてどうだっていい。今は杖の話だ。俺がラステリア金をつくる。それにお前が魔力を満たせ。その間にノラは魔法石の加工だ。しくじるなよ、割れたらそこで終わりだ。満たしが終わったら杖に加工して、最後に魔法石をはめ込んで完成。そうだな、一週間ってところか」

 一週間、それはあまりにも短い期間だ。私がかつて木製杖を自作したときは、削り出すだけで一ヶ月以上はかかった。私は隣に座るノラさんの横顔を見る。店で私を迎える笑顔とはまるで違う、真剣な瞳。彼女もまた職人として、この一週間に全てを掛けるようだった。

「今日はラステリア金の鋳造だ。ノラは魔法石を解析して加工準備をしろ。小娘、お前は宿を引き払ってこい。夕方にはインゴットを作っておいてやるから、それから満たし作業が終わるまでうちに泊まり込みだ」

「泊まってもいいのですか?」

「アリアさん、気を使わなくても大丈夫ですよ」

 ノラさんの言葉に、私は素直にお礼を言った。宿の主人には申し訳ないけれど、お金はできるだけ節約したい。ああ、そういえば私、騙されてただの靴に銀貨三枚も払うところだった。今度、あらためてアベル様にお礼を言わなければ。

 そうだ、アベル様といえば確か紹介状を届けてくれるとか言ってたっけ……すっかり忘れてた。

「わかりました。では、いちど宿に戻りますね。夕方までには戻ります。グラールさん、ノラさん、よろしくお願いします」

 私は二人に頭を下げて、グラール工房を後にした。明るい日差しに、シュネーがフードから顔を出して肩に乗ってくる。私はそれを優しく撫でながら、カレスへと戻る道を急いだ。

 


        ◇



「アベル様」

 宿の主人と話して部屋を引き払い、荷物をまとめて外に出たところで私はアベル様と遭遇した。今日は護衛も連れず一人きりだ。

「リター、ちょうどよかった。約束通り紹介状を持ってきてやったぞ。その様子だと、もうカレスを離れるのか」

 私はアベル様から丸めた羊皮紙を受け取りながら、その言葉に首を振った。

「いえ、実は街外れの工房で杖の制作をしていただけることになって、そちらに泊まり込むことに。アベル様は、もうラムハトへお戻りですか?」

「いや、俺ももう少し残ることになる。例の魔物の情報が足りぬ。そういえばリター、お前は書に詳しいな。魔物にも詳しいか?」

 その言葉に、私は頭の中に魔物について書かれている書物をいくつか頭に思い浮かべる。

「私の館にあった書に乗っている魔物なら、頭に入っています。最近になって出てきた魔物だと自信ありませんが……」

「十分だ。少し意見を聞かせろ。まず、お前は蟹を知っているか?」

「蟹……ですか? 海洋に生息する甲殻類です。私は見たことも食べたこともありませんが、その身は非常に美味しいと聞きます」

「そう、その蟹だ。例の魔物は、巨大な蟹のようであったという証言がある。そんな魔物がいるのか?」

「そうですね、確か《城蟹》と呼ばれる魔物がいます。名はブランガス。その甲羅は城壁のように固く、あらゆる魔法も剣も弾く厄介な魔物です」

 ブランガス、とアベル様は私の言葉を繰り返す。真紅の瞳が、何かを考え込むように深い色を湛えていた。

「その魔物に対処方法はあるのか?」

「唯一、腹が柔らかく魔法耐性が弱いと書にはありました。けれど、ブランガスは本来こんな場所に縄張りをつくるような魔物では……何か理由があるのかもしれません」

「魔物の行動など人間には予測できん。まあいい、リター、その知識に感謝しよう。ではな」

 深い葡萄酒色のローブを翻し、アベル様が去ってゆく。もし西の街道の魔物がブランガスなら、ラムハトでは発見されたことのない魔物だ。討伐が困難な理由もわかる。これ以上の犠牲が出ることなく、はやく街道が使えるようになることを祈るしかない。私は頭の中にブランガスについての書の記述を思い出しながら、再びグラールさんたちの待つ工房へと足を進めた。


 夕暮れの光が工房のある森の中に差し込んでいた。煙突から伸びる煙が、光に透けて黄金色に見える。わずかに魔力を帯びて見えるその煙は、グラールさんの作業の結果だろうか。店の入口には、ノラさんの几帳面な字で「しばらく臨時休業します」と書かれた札が下げられていた。私は扉を押し開き、その中へと入る。外よりもほのかに温かく、乾いた空気。工房へ近づくほど温度が高い。

「おう、来たか。ちょうどさっき終わったところだ」

 工房の扉をくぐると、すぐに私に気づいたグラールさんが声を掛けてきた。彼の指差す作業台の上には、両手で抱えるほどの大きさの金属の塊、インゴッドが置かれている。私は少し興奮した心を抑えるように、そちらへと駆け寄った。

「これが、ラステリア金……その、思ったより地味ですね。でも、とても綺麗」

 金、というからてっきり輝く黄金や白金を想像していたけれど、ラステリア金は完全なる漆黒の金属だった。一見しただけでは、不純物の含まれるラスターと見分けがつかない。けれど目を凝らして見ると、光全てを吸い込むような漆黒に、星のように無数の輝きが見て取れる。これは……まるで夜空だ。ラステリア金は、私とおばあちゃんの愛した夜空そのものに見える。

「こっからはお前の仕事だ。満たしが終わったら教えろ。ラステリア金は加工が容易だが衝撃には脆い。満たしが不十分だとすぐにぶっ壊れるぞ」

「わ、わかりました」

 その星空の塊に左手を添えると、まだほのかに温かい。私は魔力構造を読み取るように目を閉じ集中した。頭の中に、作られたばかりのラステリア金という星空が浮かび上がってくる。単純に見えて複雑に入り組んだ結合構造。その細部にまで魔力で満たさなければならない。

 私は作業台の前に椅子を持ってきて姿勢を正し、こんどは両手を添える。そして、自分の中にある僅かな魔力を、少しずつ少しずつラステリア金の中へと流し込み始めた。右手が痺れるように震えるけれど、これくらいなら大丈夫。さて、いったいどれくらいかかるだろう。徹夜は覚悟したほうがいいかな。魔力が尽きたら、お腹を満たして少しだけ仮眠しよう。そう決めて、私は深い集中へと潜っていった。

 魔力操作への集中は、洋館での魔法の練習を思い出させる。自分で作った木製杖を構えて、いつか魔法を使いたいと願いながら、自身の中にある魔力と、大気に満ちる魔力を杖へと集中させる。けれど、いつも割れるような頭痛がして魔力が霧散してしまう。そんな意味のないかもしれない魔法の練習を、どれくらい積み重ねたのだろう。いつしか自分の指先を動かすような容易さで、私は魔力を操作できるようになっていた。決して魔法へと結実しないその無駄にも思える特技は、もしかしたら今このためにあったのかもしれない。

 そういえば、初めてちゃんと魔法を使うことができたのはザイオンに襲われたときだ。あのときは無我夢中でほとんど覚えていなくて、気がついたら大怪我をしていて、けれど、確かに私は魔法を解き放った。

 光の第六魔法。そう、心の中に星の運行を描き出す。星詠の書が明るく輝いて、その記述が頭の中に流れ込んできて、その全てが魔法の術式となって紡がれてゆく感覚。その術式に、爆発的な星の魔力が流れ出す。

 あのときは、その魔力を魔法として放つのに必死だった。もし今なら、あの魔力を操作し適切に扱うことができるだろうか。試してみたかった。けれど同時に、今度は杖ではなく自分の右手が吹き飛ぶのではという恐怖もある。あまりにも膨大な星の魔力。その全てを、この星空のような金属は受け止めてくれるだろうか。

 私はもう一度、あのザイオンを飲み込んだ眩い光を、空から降り注ぐ雪のような光をこの瞳に映したかった。

「グラールさん、どうして私の杖にここまでしてくれるのですか?」

 満たし作業の合間、魔力の回復中に、私は奥で作業するグラールさんに問いかけた。時刻はとうに深夜で、冷たい空気が工房には満ちている。私は魔力欠乏で脱力感に襲われ、立ち上がる気力もない。グラールさんもまた、作業をしたまま振り向くこともなく私に応えた。

「なんだあ今更。お前が持ってきた仕事だろうが」

「それはそうなんですが……私は、杖の制作は断られる覚悟でした。ただ、グラールさんとノラさんの間にある蟠りが、少しでも軽くなればと思ったのです」

「小娘が、人の心配ばかりしやがって。……ラステリア金の鋳造も、その満たしの作業も、いずれは失われる技術だ。俺は、俺の代で途絶えてもいいと思っていた。けどな、お前は選択肢を残せと言った。その言葉に俺は考えさせられたんだ。この失われる技術を残すも捨てるも、ノラへの選択肢だ。……工房だって捨てたっていい。その辺の男とくっついて子供をつくって、静かに暮らす人生だっていい。だが、いつかこんな技術を知っていてよかったと思う日が来るかもしれん。そう思ったときにな、全て残してやりたくなった」

 炉の消えた静かな工房で、淡々とグラールさんは語った。まるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

「お前はその右手が誇りだと言ったな。俺のこの濁った瞳も、職人の誇りだ。ノラには迷惑をかけているが、そこに後悔はねえ。いつかあいつの青い瞳が濁るとしても、そこに後悔がないなら、それでもいいと思った。お前の杖はそのついでだ。俺は俺の技術を教えているだけにすぎん」

 静かな工房に、グラールさんの深い声と、羊皮紙の上をペンが走る音が響く。

「グラールさんは、優しいですね」

「贖罪だ。俺はあいつの両親を守ってやれなかった。俺は未だに、昔の自分を許せないだけだ。……話しすぎたな。魔力が尽きたら寝ろ、起きたら満たしを続けろ」

 そう言い残して、グラールさんは工房を出ていってしまった。自分を許せない、と言ったその声が、ずっと、工房の中に残響していた。


 満たし、と呼ばれるこの作業は想像以上の過酷さで私を追い詰めた。いくら魔力を注いでも、ラステリア金に魔力が満ちる感覚がない。私はすぐに魔力を使い果たし頭痛と空腹を抱えてノラさんに介抱され、少し休んではまた深い集中の海へと潜り始める。そんな精神と体力を削るような作業を、いったいどれほど続けただろう。瞳が疲労で霞み、右腕が肩まで痺れるように痛み始めたころ、ようやく私はその美しい夜空のような金属に、私の魔力が完全に満ちたのを確信した。もうどんな微かな魔力も入る隙間はない。

 私は人生で一番大きなため息をついて、力なくその場にへたり込んだ。

「グラールさん……終わりました……」

 掠れたような声で私は伝える。いつの間にかシュネーが肩に乗って、私の頬に優しく擦り寄ってくる。心配かけてごめんね、大丈夫だよ。

「おう、遅かったな。だが見事な満たしだ。あとは任せて寝てろ」

「アリアさん、お疲れさまでした。さあ、お部屋へ行きましょう」

 ノラさんが私を支えながら、工房の隣にある部屋へと案内してくれた。質素な空間に木枠のベッドが一つだけ、あとは少し大きめの机が見える。二人の住まいは別にあると聞いていたから、ここは仮眠室みたいなものだろうか。私はローブを脱いでシュネーの毛のようにふわりとした手触りの毛布に潜り込み、あらためてお礼を言った。

「ノラさん、ありがとう。魔法石の加工も、魔光症候群の危険があるのに」

「いいえ、気にしないでください。おじいさま自ら指導してくださるなんて、今まででは考えられません。それに、大切な技術も教わりました。アリアさんの満たし作業のように、視覚に頼らずに魔法石の魔力を捉えること。それは魔光症候群の発症率を確実に抑えられるはずです。私はまだまだ未熟ですが、いつかきっと出来るようになってみせます」

 さあ、あとは任せて休んでください、と言ってノラさんは工房へと戻って行った。隣では、シュネーが私よりも先に寝息を立てている。いつの間に毛布に入り込んだんだろう。私は左手を添えてその温もりを感じながら、半ば気絶するように深い眠りへと落ちていった。

 


        ◇

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