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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第五章 銀貨七枚の重さ。
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後編




 グラールさんの手は、まさに神業としか言いようがなかった。私が満たしを終えたラステリア金のインゴットが、またたく間に杖の形へと加工されてゆく。躊躇いなく無駄な部分を削り、炉に入れては叩いて伸ばし、また削り出す。彼の頭の中にある完璧な図面の通りに、ラステリア金製杖は形作られていった。私の身長よりも少し短いシャフトは、光を飲み込むように深い漆黒。その先端の石座から伸びる三本の爪には、繊細な魔術文字が施されている。持ち手部分は軽く細く加工され僅かにカーブし、私の手に限りなく沿うようにできていた。

 その真新しい杖の先端に、深淵な輝きを放つ、青白色の魔法石が取り付けられようとしている。

「おじいさま、どうでしょう?」

 ノラさんが、加工を終えたばかりの魔法石をグラールさんに確認する。その湛えた光を何倍にも増幅させるような複雑なカッティングに、丁寧に時間をかけて研磨された青白い宝石。その美しさに、思わずため息をついてしまいそうになる。グラールさんはそれを間近で目を凝らして、じっくりと見つめていた。やがて、上出来だ、と一言だけ呟いてその石を私に差し出した

「え、私が取り付けるのですか?」

「お前の杖だ、最後の仕上げくらいしてやれ」

 そうか、これが私の杖になるんだ。あまりに綺麗すぎて、実感がわかない。私はその宝石となった魔法石を受け取ると、ノラさんの支える杖の先端部、三本の爪にそっとはめ込んだ。かちり、と爪が魔法石を掴む感覚がする。掴んでいる爪の先が細すぎて、まるで宙に浮いているかのように見えるのに、魔法石はぴくりとも動かない。なんてすごい技術なんだろう。

「ああ、完成だな。いい杖だ。ほれ、持ってみろ」

 言われて、私はその杖を左手に静かに握った。ずっと木製杖を握ってきたせいか、そのあまりの軽さに私は驚く。左手でも十分に取り回すことができそうだった。

「なにこれ、すごい……」

 持つだけで、私の中の魔力が驚くほど静謐に安定するのを感じた。満たし作業のおかげだろうか、杖を握っているという感覚がない。自分の手が延長されたようにさえ思える。右手を添えると、まるで杖が吸い付くように、握力のない手のひらでも容易に掴むことができた。もう何も握れないかもしれないと思っていたこの右手が、こんなにも美しい杖を握っている。その事実に、私は二人の技術のすごさに感嘆することしかできない。ローブの袖から顔を出したシュネーが、先端の魔法石に軽く飛び乗って嬉しそうに尻尾を振った。

「どちらの手でも保持できるように調整してある。その右手は誇りかもしれんが、これからも人を救うことができるかもしれん。これも選択肢だ」

「ありがとう、ございます。グラールさん、ノラさん」

「アリアさん、お礼を言うのはまだ早いですよ。本当に最後の仕上げです。その杖に名前をつけてあげてください」

「名前、ですか?」

 そっか、杖には名前が必要なんだ。私、自分の作った木製の杖はただ杖としか呼んだことがなかった。どうしよう、予め考えておけばよかった。

 私は自分の持つ、闇夜のように黒く、そして青白色の魔法石を湛える杖を見つめる。それはまるで、夜空に輝く一等星のように思えた。

「——カエラム。この杖の名前は、カエラムです」

 私はその姿から脳裏に浮かんだ、春の夜空を統べる一等星の名前を呟く。その先端の輝きが深く、眩い光を放った気がした。

「星の名前だな。悪くない。ノラ、銘を彫ってやれ。それでこの仕事は終わりだ」

 わかりました、とノラさんは穏やかな声で応える。彼女は私から杖を受け取ると、その下部に繊細な流れるような文字で《Caelum》と彫り込んだ。ああ、私の杖が完成したんだ。まだあまり実感がわかない。けれど、達成感はある。この杖はグラールさんとノラさん、二人が作り上げた魂そのものだ。

「アリアさん、お疲れさまでした。どうぞ、お受け取りください」

 私は受け取ったその杖を、大切に抱きしめた。ラナ、ありがとう。こんな美しい杖に出会うことができたよ。私はこのカエラムの輝きが、永遠に私を支えてくれる、そう強く心に信じた。

「――それから、これは私とおじいさまから、プレゼントです」

「これは……?」

 ノラさんが私に差し出したのは、片手だけの革手袋だった。甲の部分に、小さな一粒の魔法石が輝いている。カエラムの魔法石と同じ深い青白色をしたその手袋からは、僅かに魔力を感じた。

「魔法石を加工する際に出た削り粉を、革手袋に塗布し定着させてあります」

「右手にはめてみろ。力で手を動かそうとするんじゃねえ、魔力で手を動かすんだ」

 言われた通り、私はその革手袋を右手にはめて、そっと魔力を込めてみた。

「——すごい。ちゃんと、握れる」

 私の右手が、震えることなくその手のひらを握りしめていた。まだ複雑な動作は難しそうだけれど、慣れてきたらもっと滑らかに動かすことができるかもしれない。信じられない、こんなものまで作ってくれるなんて、私は感動で心が震えそうだった。

「うちは魔導具工房ですから。会ったときからずっと、その手をお助けできる魔導具を作れないかと思っていました。お役に立ててよかったです。うちの工房を選んでくれてありがとう、アリアさん」

「ノラさん、グラールさん、ありがとう。その、嬉しすぎて頭が混乱しています。どうしましょう。その、とりあえず、杖のお代は……」

「銀貨七枚、それ以上は受け取らねえ」

 私の言葉を遮るように、グラールさんが言葉を発した。その声に、思わず私は言い返してしまう。

「そんな! それはあんまりです、せめて金貨三枚は払います!」

「受け取らねえ。その杖はノラへの指導の副産物だ。銀貨七枚以上の価値はねえ」

「受け取ってください、納得できません。技術には対価をお支払いするのは当たり前です」

 技術の結晶のようなこの杖が、銀貨七枚なんてありえない。私はしばらく、グラールさんと代金の押し問答を続けていた。どうしたら受け取ってもらえるだろう。私は、私が納得できないまま、この杖をこの工房から持ち出すわけにはいかなかった。

「アリアさん、ではこうしましょう。この先アリアさんが訪れる街で、この工房の宣伝をしてくれませんか? 旅する広告塔です。いずれこの工房にもお客が増えて、私たちの利益へと繋がります」

 見兼ねたノラさんが割って入って、そんな話を持ちかけてくれた。確かにそれなら工房の助けにもなるけれど……。

「そんなことでよければ、もちろん喜んでお受けします。けれどそんな程度で……」

「良いのです。アリアさんはこの工房に、大切なものを残してくれました。決して金銭だけが商品の対価ではないのです」

「客なんか増えてもろくなことはねえ。適当にやれや」

 グラールさんはそれ以上は興味を失くしたように、工房の後片付けへと戻っていった。二人の心遣いに、私は感謝するしかない。ありがとうございます、と深く頭を下げてから私はノラさんに銀貨七枚を支払った。私の人生の中で、最も重たくて価値のある銀貨だ。貨幣が、それ以上の価値を持つなんて思ってもいなかった。

 そのとき、カランと鈴がなって店舗の扉が開く音がした。あら、おやすみの札を下げていたのに、と呟きながら、ノラさんが工房から出てゆく。私も出来たばかりの杖を携えながら、その後へと続いた。炉の火はとっくに消えているのに、私の心は熱を持ったように温かくなっていた。

「いらっしゃいませ。申し訳ありませんが、今日は臨時休業で――」

「リター、まだ滞在していたか」

 私を捉えた真紅の瞳が、ノラさんの言葉を遮った。彼女もその視線を追うように私を見る。

「アリアさんのお知り合いですか?」

「ラムハト領主様の御子息、アベル様です。どうかされたのですか? わざわざ会いに来られるなんて」

 私の返答に、ノラさんは驚いたように目を丸くする。確かに領主の息子が、田舎町の森にある魔導具工房に来ることなんてまずないだろう。アベル様は店内を少し見渡したあと、ノラさんから少し視線を逸らすように言った。

「話がある。少しいいか」

 はい、と私は頷いてノラさんを見た。察した彼女が、では私は工房にいますね、と行って奥へと去ってゆく。それを見送ってからアベル様は話し始めた。

「今から例の魔物を偵察に行く。知識があって目のいいお前に協力を頼みたい。個人的な依頼だが報酬は出そう」

「偵察ですか? それは構いませんが、私、望遠魔法なんて使えないので……そうだ、遠見の魔導具がないかノラさんに聞いてみます」

「そうか、では俺は外で待っていよう。準備ができたらすぐに出発だ。……それから」

 また店内に視線を泳がせて、アベル様は少し言い淀んだ。珍しい、何でも物事をはっきり言うところがあるのに、どうしたのだろう。

「先ほどの女性は、ノラというのか。店主か?」

「店主のお孫さんです。グラールさんは目が不自由で、工房に籠もっていらっしゃるので」

「そうか。……美しい瞳だった。いや、なんでもない。では待っているぞ」

 言って、アベル様はいつものようにローブを翻して店を後にする。静寂の降りた店内で、シュネーが小さく鳴き声を上げた。私は我に返ったように、工房へと踵を返した。頭の中にノラさんの笑顔と、美しい青い瞳が浮かんでくる。


 ——そうなんだ、アベル様はああいう人が好みなんだ。


 私は思わず、自然と頬が緩むのを感じていた。

「遠見の魔導具ですか? ええ、ありますよ。ふふ、さっきのお方とお出かけですか?」

 どこか嬉しそうな声。何か勘違いをしていそうな彼女に、私は事情を話した。ノラさんはすぐに顔を曇らせ、そんな危険なことを、どうかお気をつけて、と私の右手をそっと握った。温かい、ラナの手を思い出す。この手の温度を守ることに繋がるなら、魔物討伐の協力を惜しむことなんてできなかった。

 私はノラさんから魔導具を受け取り、外で待つアベル様のもとへ向かう。てっきり護衛の方々や騎士も一緒だと思っていたのに、そこにいたのはアベル様一人だけだった。

「お待たせしました。二人で向かうのですか?」

「ああ。個人的な依頼だと言ったろう。大勢で向かっては偵察にならん」

「あの、では、馬車もないですよね」

 私の問に、アベル様は大きくため息をついた。

「あほかお前は。馬車で偵察に行くやつがいるか。早馬だ、俺の後ろに乗れ」

「……私、乗ったことないんですけど」

「しがみついて目を閉じていればいい。半刻ほどで目的地に着く」

 嘘でしょ、と私は思わず呟いてしまう。人生初の乗馬が早馬だなんて、信じられない。私はしっかりとローブを巻き直し、完成したばかりの杖をぎゅっと握りしめた。先端の魔法石の光に、どうか私を守って、と祈るしかなかった。


 それは、言葉に出来ないほどの強烈な体験だった。今までの人生で、これほどの速さで移動したことなんて一度もない。すべての景色が、捉えた瞬間に後ろに吹き飛んでゆく。声を出そうとすれば舌を噛んでしまう。私は言われた通り、アベル様の背にしがみつき、揺れで酔ってしまわないよう、頭の中で全天に八十ある星座の名前をひたすら唱え続けた。

 やがて、徐々に馬がその速さを落とす。それが半刻だったのかどうか、もはや私にはわからない。太陽は空の高い場所に登り、小高い丘の上を穏やかな風が吹き抜けていた。

「リター、生きているか」

「死にそうです……」

 力いっぱいにしがみついていたせいで、右腕にうまく力が入らない。もしグラールさんたちがくれた魔導手袋がなかったら、途中で振り落とされていたかもしれない。私は二人に感謝しながら大きく息を吸い込んで、脈打つ心臓を何とかなだめつけた。

 馬上から辺りを見回すと、丘とその周辺は低木に囲まれ、その向こうに少し開けた場所があった。そこには、かつて集落があったと思われる崩れた瓦礫と残骸が見える。そしてそのすぐ近くを、舗装された巨大な街道が通っていた。

「あの廃村が魔物の根城だ。どうだ、何か見えそうか」

「確かめます。少しお待ち下さい」

 私は預かった魔導具を調整しながら右目にあてがった。視界が急激に拡大され、ゆっくりと焦点が合ってゆく。ブランガスは巨大な魔物だ。本当にいるならすぐに見つけられるはず。

 私の意識は低木の森を飛び越え、廃村の中をじっくりと歩いて回るようだった。屋根が落ちて潰れた家屋。えぐれた地面には水が溜まっている。そこは、かつて人が住んでいたとは思えないほどに荒れ果てていた。やがて私は、一際大きな建物を視界に捉える。形からして教会だろうか。外壁は崩れ落ち、塔のように尖った先端は傾いて今にも折れそうに見えた。

 そしてその教会の屋根に、私は巨大な黒い影を捉える。長く伸びた複数の足を丸め、その身を固く守るように微動だにしない。私は魔導具を持つ手が震えないよう握り直し、その姿をじっと観察した。足や身体は黒く、毛の生えたような甲殻に覆われている。けれど、その姿は蟹と言うよりもむしろ——。

「アベル様、あれは蟹ではありません。蜘蛛です」

 《城蟹》ブランガスではない。複数本の足を持つ点は似ているが、全体の特徴を見る限り巨大な蜘蛛の魔物だ。

「蜘蛛だと? ふざけるな、俺は生き物の中では魔物の次に蜘蛛が嫌いだ」

 ではその二つが複合したあの魔物は、アベル様の天敵とも言える。私は頭の中に書を開き、あの巨大な蜘蛛の魔物についての記述を瞬時に思い出した。

「《黒曜糸》ネクテス。巨大な体躯からは想像できない俊敏さと、黒曜のように黒い糸を吐いて獲物を捉えることから名付けられました。縄張りに入った獲物は逃がしません。また、蜘蛛の特徴である巣を作らず、縄張り内では糸のような自分の痕跡を残さない狡猾な狩人です。ネクテスの情報が出てこなかった理由ですね」

「騎士団の情報も限界があるということだな。ここまできた甲斐があった。他になにか見て取れることは?」

「蜘蛛は視力が弱いことで知られています。けれど、ネクテスはその弱点を克服した魔物です。頭部にある八つの目はそれぞれ独立して動き、驚くべき視力で獲物を見つけます。弱点は火ですね、アベル様の出番ですよ」

「ぬかせ、誰がそんな化け蜘蛛と戦うか。よし、では帰るぞ」

 私たちの乗った馬が踵を返す。私は最後にその姿をもう一度見ようとして魔導具に目を当て——


 ——そして、瞬く間に全身が恐怖に包まれた。


 燃えるような赤い八つの瞳が、こちらをまっすぐに見ている。

「——アベル様、逃げましょう。見つかりました。フードを深く被って、魔力を消してください」

「はあ? この距離だぞ、向こうから見えるわけが」

「早く!」

 私の焦った声に、アベル様は察したようにフードを被って馬を走らせ始めた。私はローブの懐にシュネーを隠して、なるべく気配を消しながらしがみつく。できるだけ早く、ネクテスの縄張りから脱出しなければならない。

 丘を駆け降りた馬が、低木森の獣道を走り抜ける。背中が凍りつくように冷たい。あの恐ろしい八つの瞳が脳裏から離れない。ずっと、私たちをどこかで見つめている気がする。私は恐怖に怯えながら、そっと目を開けた。視界に映るもの全てが、後ろへと飛んでゆく。アベル様は息を切らせて馬を走らせている。ああ、でも。どうしよう。この森全体を覆い始めた渦巻く黒い魔力が、私たちを絡め取っている。遠くから木をなぎ倒すような地響きがする。

 この黒い魔力の根源たるネクテスが、私たちに着実に迫っている音がする。

「リター、無理だ。これ以上は馬が持たぬ」

 アベル様が声を上げて、徐々に馬が速度を落とし始める。

「ここで止まれば追いつかれます。せめて森を抜けるまで――」

 言い終える前に、私は襲い来る粘液のような黒い魔力に息ができなくなった。直後、真後ろで鼓膜が悲鳴を上げるような爆音。へし折れた木が前方まで吹き飛んで土煙を上げる。驚いた馬が前足を高く上げ、私は声を上げながらアベル様と共に振り落とされた。

「リター! 立て、逃げるぞ!」

 すぐ近くで声がするのに、耳を覆われたように頭の中に遠く響く。落馬の衝撃で三半規管が乱れている。私は吐き気をこらえて立ち上がろうとして、そのままよろけて膝を着く。立て、顔を上げろ、と叫ぶ声。立てない。なんとか顔を上げて目を開ける。


 暗闇に浮かぶ星座のような赤い八つの瞳が、ひしゃげた木の間から私を見つめている。


「リター! 何をしている、リター!」

 ああ、鎌のように鋭利な前足の先端が振り上げられている。あの足の長さなら、この距離でも私まで確実に届く。見上げる。太陽の光を反射して、黒く鈍く輝いている。音にならないような魔物の咆哮が聞こえる。私がカエラムに魔力を込めるよりも早く、驚くべき速度で前足が振り下ろされる。


 ——私の意識は、そこで途絶えている。




 ——『第五章 銀貨七枚の重さ。』

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