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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第三章 さよならを言う前に。
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前編


 シュネー。全天の中で六番目に明るい、冬を代表する一等星。その輝きは淡い黄白色。北部地域では一年を通して沈むことのない周極星として知られる。遥か古代、その輝きは今よりも数倍明るく全天の中で最も明るい星とされた。その名は古き言葉で「雪」を意味し、王国北部では沈まないという特性から「導きの星」として信仰されている。


 ——《ヴィスタリア天文学院/天体解体百科》より。



        ◇


 

 目を覚ましたのは自分の部屋だった。ひどい頭痛と吐き気があって、その後に全身を締め付けられるような筋肉と関節の痛み。喉がからからに乾いて、飲み込んだ唾にむせそうになる。状況が把握できなかった。確か私はラナの部屋に泊まりに行って、鶏が騒いでいて、大きな音がして家を飛び出して。それから、なんだっけ。鶏舎の様子を見ようとして、それから。

 全身が凍りつくように寒気がした。恐怖。私はその恐怖の正体を思い出す。

 魔物、《翼蛇》ザイオン。そうだ。思い出した。ザイオンは私たちを見つけた瞬間、圧倒的な速さでこちらに飛行してきて、その鉤爪で私を地面に叩きつけた。指先が微かに震えている。

 そうだ、ラナは無事だろうか。シュネーは。

 ……あれ、なんで生きてるんだろう。

「アリア! アリア、ああ、よかった。もう起きないかと思った……よかった……」

 ラナの声が聞こえてきて、身体を更に締め付けられる痛みと重さ。何とか顔だけ動かすように見ると、横たわる私にラナが抱きついているのがわかった。私はゆっくりと左手を動かして、ラナの光を透かす明るい髪に手を触れる。右手は全く感覚がなかった。関節が軋むように痛い。

「ラナ、水……」

 掠れた声で何とか呟いた。乾燥した喉が張り付いて上手く音にならない。ラナがすぐに私の口に湿らせた綿を当ててくれて、その冷たい液体の感覚に、ようやく私は意識が明瞭になってゆく。目の奥が焼けるように痛い。全身痛いところだらけだ。

「無事で、よかった……」

 私の言葉に、ラナが涙を溢すのが見えた。開け放たれた窓から穏やかな風が吹いて、彼女の髪をふわりと靡かせる。どこからか冬花の仄かな甘い香りがした。

「アリア、あなた三日も眠っていたの。ひどい大怪我で、私、何も出来なくて」

「……でも二人とも生きてる。ねえ、誰か助けてくれたの?」

「覚えていないの? あなたが魔法を使ったのよ」

 私が、魔法を? 思い出そうとすると頭痛がする。そう……そうだ。頭の中に急に星の軌道が魔術式のように流れ込んできて。自分の体を、膨大な魔力が駆け巡る感覚。杖が砕けて、光りに包まれて。

「私が……」

「ありがとうアリア。私たち、きっと二人とも魔物に殺された。ううん、私たちだけじゃなくてラムハトの人が大勢犠牲になったかもしれない。アリアのおかげでみんな助かったの、ありがとう」

「全然、実感がないよ……ラナ、足怪我したの?」

 ラナが右足をかばうように立ち上がるのを見て、思わず私は尋ねる。それに、ラナは笑って首を振った。

「ううん、大丈夫。魔物から庇ってくれた時に足を挫いて、私、アリアが魔法を使って倒れた後も動けなかったの。シュネーが街の人を呼んできてくれたんだ」

「私が突き飛ばしたせいだ、ごめんね……」

 そんなことないよ、とラナは私の髪を撫でる。私と違って、温かい手のひら。頭の痛みがすっと引いていく気がする。手を当てるだけで人を癒やす魔法があると聞いたことがある。ラナの手のひらは、私にとって本当に魔法みたいだった。

「ねえ、シュネーは無事?」

「うん、元気だよ。襲われた時に私と一緒に飛ばされたんだけど、怪我もないみたい。今はリビングの暖炉の前で丸くなってるよ」

「寝込んでる主人の横で丸くなるでしょ、普通……」

 なんて薄情なオコジョだろう、後でお腹をつついてやろう。意識はだいぶはっきりとしてきたけれど、全身が痛くて身体はまだ起こせそうにない。私は瞳を閉じて、静かに頭の中を整理した。魔物は、どうやら私が魔法で討伐したらしい。ラナは足を怪我しただけで無事だし、シュネーも元気。ああ、よかった。安心して瞳を開けると、ラナの明るい茶色の瞳がまっすぐに私を見ていた。

「アリア……その瞳、どうしたの?」

「え、私の目がどうかしたの?」

 確かに瞳の奥はずっと鈍い痛みが続いている。経験したことのない、膨大な魔力を使った後遺症かもしれない。そう思う私に、ラナは棚から手鏡を取り出して私に見せた。ああ、ひどい顔だ。唇は乾燥で割れてるし、目の下に小さな傷が出来てる。跡が残るかな。これじゃサヴァン先生とお揃いだ。

 けれど、そんなことよりも私は、私を見つめる自分の瞳に驚愕する。

「……金色だ」

 瞳の色、虹彩が金色になっている。私の地味で暗い鳶色の虹彩はどこだろう。まるで自分が自分じゃないみたい。自分の顔をした知らない人が、私を見ている錯覚に陥る。幾度も瞬きしてみても、その色が変わることはなかった。

「大丈夫なのかな、見え方がおかしいとかない? 後でお医者様呼んでくるね」

「ありがとう。目の奥が少し痛むけど、視力は問題なさそう。でも暫くは動けそうにないかな」

 動かなくていいよ、ゆっくり休んでて、とラナは言い残して部屋を出て行った。足音が遠く聞こえなくなると、世界は静寂に包まれる。意識ははっきりとしているのに、身体はほとんど動かせなかった。困ったな、どうしよう。思考の海に潜るしかないかな。

 私は集中して、自分の中の魔力を感じ取る。今まで通り、僅かな量しか感じない。けれど、膨大な魔力が全身を巡った痕跡がある。目を開いて、次は大気中の魔力を見る。いつもよりその濃さや流れをはっきりと捉えることが出来た。よく観察すると、部屋に満ちる魔力が方向性を持って動いてることに気づく。ベッドのすぐ隣……机の上?

「星詠の書……」

 星詠の書を中心に、空間の魔力が渦巻いて見える。そう言えば、ザイオンに捕まった時に書が輝いていた。あれは何だったんだろう。私は痛む身体を我慢して、書に左手を伸ばした。羊皮紙のかさついた触感に、少し泥で汚れた表紙。寝返りを打ちながら、私はそっと中を開く。

「……すごい、何これ」

 それを見た瞬間、思わず私は息を呑むしかなった。書に残された難解で複雑な記述と図式。それらを記したインクに、色が見える。まるで、夜空の星々が様々な色を放っているかのように鮮やかな極彩色。夜明け前のような青瑠璃、燃え盛るような真紅、そして私の瞳と同じ眩い金色。黒いインクの濃淡だけだった書が、まさに輝きを放っているかのようだった。

 ……そうか、これが魔導書、《星詠の書》の真の姿。おばあちゃんが私に残した、私の魔を導くための書。星の魔力を扱った先にしか、その輝きを見ることが出来ないようになっていたんだ。私は「シュネー」と綴られた金色の文字を、そっと指先でなぞる。書の叡智が魔力となって私に流れ込んでくる気がした。

 ——この色づいた書を解読した先に、おばあちゃんが私に残したかった言葉があるんだね。

 私は書を閉じて元の場所に戻し、仰向けになって静かに目を閉じた。身体の痛みなんてもうどうでもよかった。私は今開いたページの記述が、頭の中で踊るように分解されてゆくのを感じながら深い色彩の海へと眠りに落ちた。


       ◇



 それから私は、洋館で療養をしながら星詠の書の解読に時間を費やした。莫大な魔力の反動とザイオンに鉤爪で締め付けられた後遺症で、身体はひどい状態で暫くはまともに歩くこともできなかった。特に杖を握っていた右手は重傷で、今でもほとんど痺れて動かない。魔法を放った杖は核となる魔法石ごと砕け、おばあちゃんのローブはザイオンの爪で無惨に破けてしまっていた。ラナの養鶏場が最も大きく被害を受けたけれど、魔物に受けた損害は国から補助支援金が出るらしい。だから結果的にザイオンによる被害は私だけで、それは本当に奇跡的なことだった。

 それから更に何日かが過ぎて、洋館に来訪者があった。時刻はまだ日が昇る前。窓からは夜明け前の紺と朱色の混ざった薄い光が垣間見え、空間は凍えるように冷え切っている。ラナよりも早い時間に来客なんていったい誰だろう、と私は起きたばかりの頭を覚醒させながら扉を開けた。朝まだき風が玄関に吹き込む。

「やあ、おはよう。久しぶりだね。こんな時間に申し訳ない」

 濃い茶色の外套に灰色の髪。低く落ち着いた、どこか飄々とした声。今日は外套と同じ色の帽子を被っている。彼の髪と同じ灰色の瞳が、真っ直ぐに私を捉えた。

「サヴァン先生」

 私の声に、先生は軽く帽子をあげて応える。会うのはラナと黄金の麦鶏亭に行ったとき以来だった。どうしたんですか、と思わず私は尋ねる。

「そろそろラムハトを離れようと思ってね。挨拶に来たんだ。聞いたよ、一人でザイオンを討伐したそうだね」

「はい、見ての通りの大怪我です。先生、中にどうぞ。私も、先生に聞きたいことがたくさんあります」

 そうか、それは賢者の導きだ。と呟く先生を、私はリビングへ案内した。暖炉に火をつけて、その上でお湯を沸かしながら部屋が温まるのを私たちは待つ。火が大きくなるにつれ、私は療養中に溜め込んだ様々な疑問が、次々と自分の中に湧き上がるのを感じていた。

「アリア君、いい瞳の色だね。まるでラムハトの黄金麦だ」

「あ、あまり見ないでください。自分でも慣れていなくて恥ずかしいのです。先生、後天的に虹彩の色が変わることなんてあるのでしょうか?」

 私は左手でお茶を淹れながら先生に尋ねる。ありがとう、と先生は私に笑いかけてティーカップを傾ける。

「正直、聞いたこともないし文献で読んだこともない。けれど、虹彩の色と魔力は密接な関係があると伝え聞く。実際、炎の魔法が得意な魔法使いの虹彩は赤いことが多い。君は魔力がほとんどないと言っていたね、ではどうやってザイオンを消し飛ばすほどの魔法を?」

「詳細は、あまり覚えていないのですが」

 私は、ザイオンに襲われたときのことを先生に話した。鉤爪で拘束され絶望的な中、聞こえてきたおばあちゃんの声と光を放つ星詠の書。そして流れ込んでくる星の知識と、その軌跡で構成されてゆく魔術式。溢れ出す膨大な魔力の奔流。気付くとザイオンが光の中に消えていたこと。先生は私の言葉を遮ることなく、ただ静かに頷きながら話を聞いてくれた。部屋がゆっくりと温まってきて、私の心の中まで溶かしていくようだった。

「——ああ、実に興味深い話だね。星の魔力と光の魔法、確かにそれは《星詠の魔女》セレネス様の魔法に相違ないだろう。君は一等星シュネーの魔力を、一時的とは言え体内に宿したのだ。それに影響されて、虹彩が恒星の持つ色を宿したのかもしれん。シュネーと言えば淡く黄白色に輝く星だ。その魔力が黄金色に輝いていても不思議ではない。まあ、全ては仮説にすぎないがね」

 その仮説はとても説得力のあるように思えた。いずれ元の地味な瞳に戻る日が来るのだろうか。心の中に星を見る、というおばあちゃんの言葉を思い出す。心の中に星がある限り、もしかしたらずっとこのままなのかもしれない。

「……先生。この瞳になって、星詠の書の記述に新たな発見をしました。まだ全て読み解けたわけではないのですが、読んでくれますか。左手で書いているので、とてもひどい文字なのですが」

 そう言って、私は取り出した羊皮紙を先生に渡す。それは私が、ここ最近ずっと部屋に籠もって書き続けた書の新たな解読書。極彩色に色めく書に隠された、複雑で難解な暗号と記述。正直、この解き方で正解なのか判断できない。けれど今、それらが書の中に明確な文章として浮かび上がっている。先生は灰色の瞳でじっとその文章を見つめ、そして深くため息をついた。

「……なんということだ。これをセレネス様が書いたというのなら、まず間違いなく星詠の先に見た予言だろう。王国を覆う大いなる厄災。アリア君、私に聞きたいこととはこのことだね?」

「そうです。先生なら何かご存知かと思って」

 先生はその羊皮紙をテーブルの上に起き、腕組みをして目を閉じる。そしてゆっくりと瞳を開き、暖炉の火を見つめながら静かに語り始めた。

「考古学において、厄災という言葉の意味するものはただ一つ。大いなる魔物、と呼ばれる巨大な悪の顕現、それに他ならない。古文書では《全てを静止するもの(アル・ライゼ)》と呼ばれる。文献では魔物とされているが、その正体は謎だ。地震や噴火と言った大災害という説もあれば、人類そのものが悪であり世界を滅ぼす、という宗教的な説まで様々ある」

 私は思わず息を飲む。星詠の書に記された厄災の予言、それが大いなる魔物の顕現だと先生は語る。ああ、なんてことだろう。もしそんなことが本当に起きれば、ラムハトの街どころの話ではなく、王国そのものが存亡の危機に瀕する。そこに住む人々の穏やかで優しい日常の、突然の崩壊。私は突如、目の前に音速でザイオンの爪が襲い来る錯覚に陥る。あんな絶望的な恐怖が、世界を覆い尽くすかもしれない。

 そのとき果たして、私はラナを守れるだろうか。

「厄災を止めるすべはあるのでしょうか。おばあちゃんはかつて様々な予言をし、圧倒的な力で王国を守ったと聞きます」

「ああ、その通り。《星詠の魔女》と言えば予言の魔女であり、そして星の光を操る最強の魔法使いだった。その魔女が託した最後の予言、大いなる魔物の顕現。だが……それを君に託したということは、きっと何か方法があるのだろう。厄災の記述が古き書に残されているということは、厄災を生き延びた人々がいたということだ。彼らが、後の世にその具体的な対処方法を残していても不思議ではない」

 先生との別れを惜しむかのように、時計の針がゆっくりと進んでゆく。空が段々と白くなり始め、その明るさに星が姿を消してゆく。その先生の言葉たちは、まるで葉から落ちる朝露のように私の心に波紋を残した。

「……先生。リターにはリターにしか出来ない役割がある、と話してくれましたね。その言葉は私にとって、金貨五枚よりも価値のある言葉でした。そしていま私は、自分にしか出来ない役割を見つけてしまったようです」

 けれど、それはきっととてつもなく困難な道だ。こんな右腕で、魔法もろくに使えない私には、到底果たせないかもしれない。けれど、私に託されたこの予言は、決して絶望ではないと信じたかった。きっとおばあちゃんは最後の星詠で、絶望の中の光を私に託したのだ。その思いに応えたかった。それがきっとラナを、この街を守ることに繋がる気がした。

 やがて先生はゆっくりと立ち上がった。夜明けが訪れる。別れの時間だった。私は空になったティーカップを片付けて、先生と共にリビングを出た。この扉を開けて見送れば、もうしばらく会うことはない。私はこの夜更けの静謐な時間を、きっと生涯忘れることはないだろう。

「……サヴァン先生。私はこの書の解読を進めながら、予言の厄災を止める方法を探しに行こうと思います。行く宛があるわけではありませんが、王都の王立図書館か、ヴィスタリア天文学院あたりでしょうか。おばあちゃんがかつて王国を旅したように、私も」

 先生は私の言葉に大きく頷いて、その瞳で私をまっすぐに見た。

「まさに賢者の導く答えだ。だが、まずはその身体の回復を優先しなさい。右手が動かずとも頭は動く。思考は果てしなく自由なものだ。書を解読し光の魔法を完全に会得した先にこそ、君の旅が待つだろう」

「けれど、もし厄災の顕現に間に合わなかったら……」

「その時はその時だよ。君がすべての責任を負うべきではない。私は古代の叡智を求めて流離う身だ、訪れた地で厄災について調べてみよう」

 そう言って先生は、私の頭を不器用に撫でつけた。ああ、それはこの浮き世離れした学者の、精一杯の慰めだ。私は思わず瞳の端に涙が浮かぶ。けれど、唇を噛んで何とか泣くのを我慢した。先生はそんな私を見て穏やかに笑うのだった。

「そう言えば、あの賢者の杖は壊れてしまったそうだね」

「はい。杖はまた時間をかけて作ればいいのですが、魔法石が砕けてしまって。おばあちゃんの杖から譲ってもらった、貴重な石だったのに……ローブも裂けて破けてしまいました。しばらくは本当に魔法を使えない一般人です」

「あまり気を落とさないことだ。それもまた、賢者の導きなのだろう。君ははじめて、偉大なる魔法使い、《星詠の魔女》セレネスの孫、という呪縛から解放されたのだ。好きな色のローブを纏い、自分に見合う魔法石を見つけなさい。光の魔法は既に、君の心の中にあるのだから」

 ——ああ、先生はいつも私が欲していた言葉をくれる。

「また、会えるでしょうか」

「賢者が導けば。どうか君にメリルリーネ様のご加護を」

 それじゃあまた、とだけ告げて朝焼けに消えてゆく背中。

 私は左手で目を擦りながら、この視力がその影を捉えられなくなるまで、ずっと、ずっと見送っていた。



        ◇


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