後編
町外れには丘から流れてくる小川が集まる大きな河川があって、何年か前に治水整備されてとても歩きやすく綺麗になった。私たちは河川敷に降りて、焼き菓子を頬張りながらのんびりと歩く。水辺は風が冷たいけれど、日なたは暖かく散歩するには丁度いい。どこからか冬に咲くヒラルクの花の香りが漂ってきて、ラナが機嫌よさそうに鼻唄を響かせた。
「シュネー、あんまり水に近付いたらダメだよ」
シュネーは使い魔だから人の言葉を理解はしてるんだけど、気まぐれだからあまり言うことを聞いてくれない。けれどアベル様に噛みついてくれたみたいに、彼なりに私のことを守ってくれてるみたい。
「ねえアリア、あれ見て。何してるんだろう」
ふとラナが声を上げて、私はシュネーから視線を移す。彼女が指差すその向こう、河川の浅くなっている場所に一人の男性がいた。濃い茶色の外套に、白髪混じりの灰色の髪。どこにでもいそうな初老の紳士にも見えるけど、特筆すべきは、この真冬に足首まで川に入って何かを探している……ように見える。
「何だろうね、川に何か落としたのかな」
「私、聞いてくるよ。アリアはシュネーと待ってて」
言いながらもうラナは駆け出していた。この行動力の速さは本当すごいと思う。私は人見知りだし何を決断するにもいつも遅くて、もっと早くしておけばよかったと後悔ばかりしている。待ってて、と言われたけれど私も彼の正体が気になって、シュネーを抱えて後を追った。
「アリア。ねえ聞いてよ。考古学者さんだって」
私に気付いたラナが、振り向いて応える。その言葉に、男性が川の中を覗き込みながら言葉を発した。
「ああ、いかにも。この河川に珍しい鉱石を見つけたのでね、他にもないか探していた。しかし水温の低い川だな」
考古学者? そんなの本の中の職業だと思ってた。ロープを持って遺跡を探検したりするのかな。そんなことを思いながら、ざぶざぶと水音を立てながら川から上がってくるその初老の紳士を、私たちは呆気に取られて見つめていた。
「いや、当たり前でしょ、真冬のメイル川に入るなんて信じらんない。凍傷なりますよ」
「うむ。次は暖かい季節に訪れることにしよう。おや、後ろの君は魔法使いかな……いや、何だその杖は。一体どこで手に入れた」
「え、何ですか? 杖?」
ラナの後ろにいた私は、急に話しかけれてびくりとする。彼の私の杖を見る目つきは、まるであり得ないものを見たかのように見開かれていた。けど、この杖は別にどこかで手に入れたものじゃなくて、私が自分で作った不格好な木製杖。考古学者が驚いて興味を引くようなものとは思えなかった。
「わ、私が自分で作りました。その辺にどこでもあるミナの木材です」
「おお、なんと器用な。それよりもその形状だ。金貨五枚出そう、どこでその形を知ったのか教えてほしい」
「い、嫌です。あまり私とラナに近づかないで」
私は急に怖くなって、少し後退りながら拒否してしまう。ラナは私と彼の間に挟まれて困惑しているし、シュネーはまた低く唸り出していた。
「ひどいな。私が危険な人物に見えるのかい」
「見えます。すぐに金銭を対価にしようとする人物には気をつけなさい、とおばあちゃんの教えです」
しかも金貨五枚は大金だ。四人家族が半年は暮らせるほどの金額だと思う。私は自分の言葉に、それほどの価値があるとは到底思えなかった。
「ふむ。含蓄あるよい教えだ。賢者の導きを感じる。ではこうしよう」
そう言って彼は懐から、一つの黒い鉱石を取り出した。私にはそれが何なのか判別できなくて、ラナと二人で顔を見合わせてしまう。
「この石を対価に私と話をしよう。君にとってはただの石ころだが、私にとっては金貨よりも価値のある非常に貴重な鉱石だ。これを差し出すことは、私が一方的に損をする。私は自分の損と引き換えに、君と話をしたいのだよ」
「私の得があるのですか?」
「それは後の君が決めることだ。金銭以外の得とはそういうものだよ」
言いながら、彼はその石を私に差し出した。思わず両手で受け取ってしまう。ああ、これじゃあ交渉成立だ。彼は飄々としていて、上手く言い包められたような、まるで煙に巻かれたみたいに感じる。危険……な人には見えないけれど、真意も分からないし、少なくとも真冬のメイル川に入って石探しをする変人なのは間違いない。
「アリア、話だけでもしてあげたら?」
「そうだね……うん、じゃあ。いつか私の得になる話を」
太陽は少し西に傾いて、徐々に気温が低くなってくる。東の空に気の早い真っ白な月がぽっかりと浮かんでいて、まるで私の心に空いた穴みたいに思えた。いくら魔法の知識と研鑽を積んでも埋まることない、深く暗い穴だ。いつか、その穴が埋まる日が来るだろうか。
私の言葉に、彼は笑って頷いた。
「よい返事だ、君は頭が良い。私の名はサヴァン。考古学者であり蒐集家だ」
「アリアです。魔法使い……の出来損ないです」
「ふむ、出来損ないか。見たところ君はまだ未完の器だ。出来損ないどころか、出来てすらいない。いずれ大きな光が君を満たすとき、それを受け止める器を完成させなさい。それよりも杖の話だ」
改めて、彼、サヴァンは私の杖を指さした。私は両手で持ち替えて、彼に見やすいように少し掲げる。本当に、この杖に何の価値があるのかさっぱりわからない。形? 確か形状について話をしたいんだっけ。
「ああ、こうやって見るとやはりとても似ている。まさか、賢者の杖にこのような辺境で出会えるとは」
その言葉に、私の心臓は跳ね上がる。嘘でしょう、と言葉が口をつきそうになる。
「け、賢者メリルリーネ様をご存知なのですか?」
「ご存知も何も。私はこの王国が建立される以前、神話の時代について研究している。まさに賢者メリルリーネの生きた時代だ」
「まさか……」
まさか、そんな偶然あるだろうか。賢者メリルリーネは、おばあちゃんが残してくれた本の中に登場する、御伽噺の魔法使いだ。私は子供の頃からその本が大好きで、魔を払う賢者の姿に憧れて、その本に書いてある通りの杖を作り上げた。完全に偶像の産物だと思っていた。私は驚き、困惑する。自分がずっと追いかけていたもの、自分しか知らないと思っていたものを、他の誰かが探求していたという事実。私は自分の胸が、今までになく高鳴っていることを感じていた。
「ラナ、どうしよう。話長くなっちゃうかも」
「そ、そうなんだ。いいよ、私シュネーとあっちで休んでるね。ゆっくり話してて」
気を利かせてくれたラナが、私のフードからシュネーを抱き上げて河原の遊歩道にあるベンチへと連れて行く。冷たい冬の水が流れるメイル川のほとりで、私は自分の知識欲が奔流となって全身を駆け巡る衝動を感じていた。
「メリルリーネ様は、実在の人物なのですか?」
「少なくとも私はそう思っている。しかし賢者メリルリーネについて書かれた書物は非常に少ない。君はそれを知っているのだね」
「うん。おばあちゃんが残した本の中に。私のおばあちゃん、知っていますか? かつての七色の魔女の一人、《星詠の魔女》セレネスです」
《七色の魔女》。それはかつて古の王が、王国に秩序をもたらす存在として与えた七人のみに許される、魔法を極めた魔女への称号。私の言葉に、サヴァンは再び目を見開く。そしてついに手で目を覆って笑い始めてしまった。少し怖い。
「はははは、なんという賢者の導きだ。信じられん。君があの魔女の孫娘だと? それならば賢者メリルリーネについての書を持っていても不思議ではない。あの珍しい銀オコジョは魔女の使い魔だな。そうか、それで君はそんなに卑屈になっているのか。光魔法が使えないのだね?」
「そうです。光魔法どころか、初級魔法すら。才能のない落ちこぼれなんです、私。リターって呼ばれて馬鹿にされて」
「リター……媒介として意味をなさないもの、か。では尋ねようアリア君。意味をなさないものに、何故わざわざリターなどという固有名詞が存在しているか、考えたことはあるかな」
どういうことだろう。私はサヴァンの言葉を頭の中で何度も繰り返して、よく噛み砕いてから飲み込んだ。意味がないものに、わざわざ呼称が存在する理由。そんなの、今まで考えたこともなかった。リターはリターで、何も意味がない物質。それだけだと思っていた。
「リター……意味をなさないもの……媒介として意味をなさないもの、が必要とされる魔術的な要素が存在するのですか?」
「その通りだ。やはり君は頭がいい。魔力の影響を受けてはならない素材には、必ずリターが用いられる。わかるかいアリア君。リターにはリターにしか成せない役割がある。君をそう呼称したやつは多角的に物事を捉えていない愚か者だ」
——ああ、そうだったんだ。冷え切っていた私の中の深い穴に、光のような温かい水が注がれてゆく。私も多角的に物事を捉えていなかった。愚か者は私も同じだ。私はたった今、この考古学者に人生で最も大切なことを教わった気がする。
「そうだったんだ……そっか。私、何もないと思ってた。おばあちゃんが残してくれたものがなかったら、自分には何も残らないって。でも、リターにはリターにしか出来ないことがあるのですね。ありがとうサヴァン……先生。金貨五枚よりも、もっと価値がある言葉です」
私は彼に、深く頭を下げた。彼は満足したように何度も頷いて、私の肩を幾度か叩いた。
「そうか、私を先生と呼ぶか。それもまた賢者の導きだ。君は君の成すべきことをすればいい。それがいつか、君にしか成せないことへと繋がってゆくだろう。ふむ、私はそろそろ宿に戻るとしよう。その杖と君の話を聞けただけでラムハトまで来た価値があった。いずれまた、君の持つメリルリーネの物語を聞かせてくれたまえ」
「うん、必ず。ねえ、この鉱石本当にもらっていいの? 貴重なんでしょう」
「それもいつかの君に必要なものだ、取っておきなさい。賢者の導きがあらんことを」
そうサヴァン先生は言い残して静かに去っていった。蒐集家、という割にはあまり固執しないんだな、と私は思う。きっと物質よりも知識を蒐集するのだろう。その辺りは私にも少し共通点がある。彼がまだラムハトに滞在するなら、また会う機会もあるだろう。不思議な人だった。
「ラナ、遅くなってごめんね」
「ううん、随分と盛り上がってたけどいい話できた?」
「うん、とても。ラナのおかげだね、ありがとう。寒くなってきたね、そろそろ戻ろうか」
シュネーが私のローブを駆け上がって、フードの中に潜り込む。その重さを愛しく感じながら、私たちは薄暗くなった川沿いを歩いて丘へと戻った。ラナの住む養鶏場は丘の中腹にあって、その曲がり角で私たちは手を振って別れる。しばらく一人で歩きながら、私は自分にしか出来ないことを考え続けていた。左手のブレスレットに触れると、その冷たい感触に不思議と心が落ち着くような気がする。
丘を登りきって洋館が見えてくると、その上には日の落ちた空に一等星が瞬いて見えた。一際明るく輝く黄色い星はシュネー。私のフードで寝息を立てている、この愛しい白銀の名前の由来。銀オコジョは北地の一部の地域にしか生息していなくて、人の前に姿を表すのは稀だという。北生まれなのに君はすごく寒がりだね、と私は心の中で微笑みかけた。
館の扉を開けて、暗く冷たい玄関を通り過ぎる。暖炉の火が消えたリビングでくつろぐ気分にもなれず、私は階段を上がって自室へと戻った。濃紺のローブを脱いで壁にかけると、フードからシュネーが顔を出して大きな欠伸をして、そのまま自分の尻尾を枕にしてまた寝てしまった。私は何度かそのふわりとした毛皮を撫でつけて、夕暮れに話したサヴァン先生との会話を思い出していた。
成すべきことを成せばいい。それが私にしか成せないことに繋がってゆく。
その言葉が、静かな決意となって身体の中を満たしていた。
私は机の引き出しから、分厚い羊皮紙の書物を取り出した。古いインクの匂いとざらついた触感。そこから伝わる、懐かしい魔力。
——《星詠の書》
それは、おばあちゃん。《星詠の魔女》セレネスが、晩年に残された魔力全てを費やして書き上げた、大魔法使いの全てが記された書物。私のためだけに作られた、世界にたった一つの魔導書。その中には星の運行や魔法術式が、複雑で難解な暗号として記されていた。
サヴァン先生の語る、リターにしか成せない役割。そうだ、この本の解読は私にしか成せない役割だった。少なくとも、おばあちゃんは私にしか解読できない書としてこの魔導書を託した。それだけは間違いない。
私は先生から受け取った黒い鉱石を机の上にそっと置いて、星詠の書の冷たい表紙をゆっくりと開いた。この魔導書もこの黒い鉱石も、いずれ、私にしか出来ないことに繋がってゆく。その深い言葉を胸に刻む。
夜は暗く冷たく、窓から差す月灯りが私を照らす。
ああ、この瞬間だけは。私の黒髪がおばあちゃんと同じ、星を溶かしたような銀色に輝いて見えた。
——『第一章 私にしか出来ないこと。』




