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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第一章 私にしか出来ないこと。
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前編


 浮遊感から穏やかに呼び起こされるように、私は自然と目を覚ました。まだ窓の外は薄暗く、辺りは静寂に沈んでいる。昨夜の冷たい星空の光は遠くに消え、身体は柔らかなベッドと毛布の温もりに包まれていた。どこかまだ夢の中にいるような曖昧さを覚えながら、私は身体をゆっくりと起こす。見慣れた洋館の一室。天井は高く、空気はひんやりと冷たい。淡いホワイトアッシュの壁には古めかしい濃紺のローブがかかっている。そのローブのフードからは白くふわふわとした尻尾が伸びていて、まるで振り子時計のように左右に揺れていた。

「おはよう、シュネー。今朝も寒いね」

 私はベッドから降りて、その尻尾の持ち主に声をかけた。キィ、と小動物特有の高い鳴き声がして、尻尾がまた大きく宙に揺れる。ローブを覗き込むと、眠そうに瞳を何度も瞬いた白い毛玉がこちらを見ていた。

 銀オコジョのシュネー。私が生まれる前からこの家にいる、おばあちゃんの使い魔。今は私の使い魔だけど、おばあちゃんの魔力が残っているこのローブの温かなフードの中が、この子の住処だった。眠たげにこちらを見たシュネーは、そのまま瞳を閉じて丸くなってしまう。尻尾まで丸めて眠っている姿はほんとに雪玉みたい。私は何度かそのふわふわの毛並を撫で回してから、大きく伸びをして部屋を出た。

 洋館の廊下を歩く。この洋館は一人には少し広すぎて、私はいつも早足になる。重厚な木製階段の踊り場で、ふと私は窓に映り込んだ自分を見た。ああ、なんて地味なんだろう、とため息をつきたくなる。背中を流れる黒髪は、おばあちゃんの星の光みたいな銀髪とはまるで違う、冬の夜みたいな冷たい漆黒。瞳も地味な鳶色だし、ほんとにあのおばあちゃんの血を引いているのか疑わしくなる。だけど立ち居振る舞いだけはせめて大魔法使いに恥じない姿勢であろうと、私はしっかりと背筋を伸ばした。左手のブレスレットが鈍く光を反射する。私の唯一の装飾品であり、おばあちゃんの形見でもあるそれは、私がかろうじて魔女の血を引く確かな証であるように思えた。

 階段を降りて玄関ロビーに出ると、足元の石畳は更に冷たく息が白くなる。手をこすり合わせながらリビングに入ろうとしたところで、玄関の重たい扉が軋んだ音を立てながら開き始めた。

「アリア! おはよう、お出迎えしてくれたの?」

 扉から顔を出した少女が、笑顔で私に声を掛ける。長い栗色の巻き髪に、明るい茶色の瞳。少しくすんだような淡い緑のロングスカートが吹き込んだ風にふわりと揺れていた。

「ラナ、おはよう。今起きたところだよ。朝ごはん食べよ」

「うん、卵持ってきたよ。暖炉つけるね」

 少女、ラナはそう言って外套を脱ぎながら扉を締めた。彼女と私は小さな頃からずっと一緒で、本当の姉妹みたいに育った。どっちが姉か妹か言い合ったこともあるけど、どちらもお互いの姉で妹なんだと思う。それぐらい私達は同じ時を過ごしていた。

「アリア、昨夜も星見てたでしょ。もう寒いんだから、あんまり夜更かしすると風邪ひいちゃうよ」

「うん。でも、夜更かししないと見えない星もあるから」

 ラナがリビングの暖炉に火をつけてくれる。ゆっくりと時間をかけて薪を食べながら火が大きくなって、部屋がじんわりと温かくなってくる。私に魔法がちゃんと使えたら一瞬なのにな、と思いながらラナと二人で朝食の準備をした。

「そういえば、アリアはもうすぐ誕生日だね。少しの間だけ私がお姉さんだったのに、すぐ追いつかれちゃうなあ」

 二人で食事するには少し大きいテーブルに朝食を並べて、私たちは手を合わせた。ラナは表情豊かに、何でも美味しそうに食べる。

「毎年言ってるよね、それ。ラナ、私もう十五歳になるの。魔法使いとしては一人前とされる年齢。なのにね、火の粉も出せないんだよ」

「火なんてマッチ使えばいいじゃない。魔法使いは魔法に頼りすぎなのよ。アリアは可愛くて頭いいんだから、それでいいじゃない」

「それでもいいけど、よくないの。私、魔法が好きだから」

 そう、私は魔法が好きだった。上手く扱えなくても、使うたびに頭が痛くなっても、おばあちゃんの愛した魔法を私も愛していた。だから、いつかちゃんと使える日が来るまで、私は魔法を練習し続けるんだろう。ラナはそんな私に肩を竦めて、けれど優しい瞳で見守ってくれる。だから、私はきっと頑張れるんだろう。

「あ、シュネー。おはようー朝ごはんだよー。今日もふわふわだねえ」

 いつの間にか起きてきたシュネーが私の肩の上に登ってきた。朝食の匂いに釣られてきたのだろう。ラナがちぎったパンをシュネーに差し出すと、器用に両手で掴んでほっぺに詰め込みながら食べている。

「ねえ、可愛いのわかるけど私の肩にパン屑落ちるでしょ」

「ああ、ごめんねつい。ねえ、使い魔って契約した魔法使いの魔力があればいいんだよね。シュネーってそれにしてはよく食べるよね」

「私、魔力ほとんどないから。きっと足りなくてお腹空いてるんだよ。おばあちゃんのローブに魔力が残っててよかった」

 お腹いっぱいになったのか、シュネーは日当たりの良い窓辺に移動して毛づくろいをしている。光に照らされて、白銀の毛並ひとつひとつが輝いて見えるようだった。おばあちゃんが昔、旅の途中に拾った銀オコジョだ、って話をしていたけれど、シュネーは今何歳くらいなんだろう。少なくとも私よりも随分と年上なのは間違いない。私が魔法を使えなくて、シュネーもがっかりしているかな。

「よし、練習しよう。シュネー、付き合って」

「偉いねえ。あとで気晴らしに街に降りようね」

 うん、と頷いて私はリビングの壁にかけてある杖を手に取った。私が自分で削り出して作ったその木製杖は少し大きくて、持ち歩いていると肩が痛くなる。けれど、これも立派な魔法使いになるための試練だと思う。軽い音を立てて走り寄ってきたシュネーが跳ねて杖に飛び乗って、はめ込まれた青い魔法石を尻尾で撫でつけていた。

 


       ◇



「やっぱり上手くできなかった……」

 自分の中の魔力を感じることはできる。大気に満ちる魔力も手に取るようにわかる。けれど、集中してそれを魔法として術式にしようとすると、杖は反応するのに途中で頭が痛くなって魔力が霧散してしまう。簡単な初級魔法も発現できない。私は悔しさと惨めさに打ちひしがれながら、膝の上で欠伸をしているシュネーの背をそっと撫でつけた。

「アリア、もうお昼前だよ。街に降りて何か食べよう」

 呼びにきたラナが、シュネーを撫でる私の頭を優しく撫でた。頭痛はもう治っていて、代わりになけなしの魔力を消費した空腹感が肉体を満たしている。何の魔法にもならないのに魔力だけ失くなるなんて、とても理不尽だ。

 私は自室に戻って、濃紺のローブを身に纏った。おばあちゃんの温かな魔力を全身に感じる。外に出かけるとわかったシュネーが、嬉しそうにフードの中に飛び込んで尻尾を丸めた。

 洋館のある丘を降りると、そこにはラムハトという街が広がっている。私たちの生まれた、王国の東にある辺境の都市。いくつかの小さな町が合併してできた土地だけは広大な田舎街で、主に小麦の生産で成り立っている。収穫時期になると丘の上から地平線まで金色に染まった平野が一望できて、その時だけは黄金のラムハトと呼ばれ少しだけ観光客が増えたりする。けれどこの冬の時期は寒々しくなった土地が広がっているだけで、街は活気もなく閑散としていた。

「あ、カラナ草だ。ちょっと摘んでいくね」

「よく見分けられるよねアリア。草なんてどれも一緒に見えるよ」

「全然違うよ。ほら、葉っぱに光沢があって先端が二股になってる」

 街へ降りる道すがら、私は道端に生えていた薬草を見つけ手に取った。カラナ草は有用植物で、乾燥させてすり潰すと独特の匂いを発する茶葉になる。嫌いな人も多いけど、健康にいいから私は好きだ。おばあちゃんの残してくれた薬草学の本が、こんな道端でも私の知識の支えになっている。

「私もカラナ茶好きだけど、シュネーは苦手だよね。ほら、こっちおいで」

 キゥ、と鳴き声がしてフードの重みがふっと消えた。ラナの腕に飛び移ったみたい。私の手からはしばらくカラナ臭がするから、安易に撫でると怒られるだろう。私は摘み取ったカラナの葉を丁寧に重ねて革袋にしまい込んだ。

 丘を降りて立ち並ぶ民家を抜けて石畳を進むと、ラムハトの中心街へとたどり着く。商店と飲食店が立ち並び、円形の広場には小さな噴水あって憩いの場となっていた。気温は低いけれど今日は天気がいいから、ゆっくりと散歩をしている人もちらほら目に入る。

「お腹すいたねえ、なに食べよっか」

「ラナは鶏肉以外なら何でもいいよね」

「うん、家で食べ飽きてるからね。でも温かいものがいいなあ」

「そうだね……あ」

 ラムハトの一番大きな目抜き通りで店を探していると、向こうから三人の男性が歩いてくるのがわかった。まだだいぶ距離はあるけれど、私は目がいいからそれが誰だかすぐにわかってしまう。

「ラナ、アベル様だ」

「うそ、最悪。アリア、道変えよう」

「私の杖とローブでバレバレだよ、もう見つかっちゃった」

 私の言葉に、ラナが顔をしかめて舌打ちをした。私は努めて冷静に、背筋を伸ばして杖をぎゅっと握りしめる。左手のブレスレットにそっと触れる。やがて私を見つけて獲物のように向かってきた男性、アベル。この辺境地域、ラムハト領を治める領主の息子で、魔法使い。私とラナとは昔馴染みでもある。彼は貴族様らしい葡萄酒みたいな色の高そうなローブに、いくらするかもわからない携帯型の真鍮杖を腰に下げていた。巨大で不格好な私の木製杖とは大違い。けれどそれだけ、魔法使いとしての格が違うのだ。

 私は恭しく一礼をして、彼を瞳に捉える。年は私たちの一つ上。鋭い目つきの瞳はローブと同じ赤色で、深い赤茶色の髪は丁寧に固められている。並ぶと私やラナよりも頭一つ大きい。魔法使いだから筋肉質というわけじゃないけれど、異性というだけでこんなに体格が違ってしまう。後ろの二人は貴族の護衛だろう。私たちよりも一回り年上で、鎧こそきていないが腰から鋼剣を下げていた。

「立派な格好の魔法使いがいると思ったら、リターじゃないか。相変わらず見た目だけは一人前だな」

 リター、と呼ばれた瞬間に私の胸は氷の刃が刺さったかのように痛くなる。”リター”。それは《媒介として意味をなさないもの》を意味する魔術用語。私たち魔法使いは、魔力を魔法へと変換するという意味で《媒介》の一種と言える。魔法使いなのに魔法がまともに扱えない私は、紛れもないリターそのものだった。

「……アベル様、お久しぶりです」

「ああ、いつにもまして陰気臭い。リター、お前そろそろ十五歳になるだろう。もう魔法は諦めて仕事を考えるべきじゃないか。後ろの女も鶏の世話係として立派に働いているのに、一体いつまで館に引きこもっている」

「……返す言葉もありません」

 思わず唇を噛みしめる。アベル様の言葉は間違いなく正論で、私は反論も何もできない。ラナは私より一足先に十五歳になって、しっかりと賃金をもらって生家の養鶏場を手伝っている。なのに私は館に閉じこもって使えもしない魔法の研究ばかりして。将来的に魔法使いとして生きていけないなら、私のこの時間は全て無意味だ。おばあちゃんの残してくれた遺産がすべてなくなったとき、私に残るものは何もない。

「ちょっと、いくらなんでも言いすぎでしょ!」

 俯いて杖を握りしめていた私を守るように、ラナが間に割って入った。けれど、アベル様は気にもとめず更に言葉を続ける。

「言い過ぎなものか。偉大なる《星詠の魔女》セレネス様の唯一の血筋が、こんな出来損ないのリターだなんて。王国の損失、ラムハトの恥だ。せめて何か生産性のあることをしてもらわねば、父上も国王様に顔向けできんだろう」

 吐き捨てるようにアベル様は言う。けれど、ラナも前のめりになって声を上げ続ける。彼女の腕に抱かれたシュネーが、毛を逆立てて唸り声を上げていた。

「そっちの都合なんて知らないわよ! 確かにセレネス様はすごい方だけど、アリアにはアリアの人生があるんだから。勝手に恥かいていればいいじゃない」

「鶏臭い生意気な女め。自分で決めれる人生などあるものか。貴族の息子は貴族、鶏小屋の娘は鶏の世話をするのが当然。それに比べてリター、魔法を使えないお前には何ができるのだ。本来ならば《七色》に数えられてしかるべき血筋が、いつまでそんな陰気な生き方をしている」

「アリアは頭いいんだから! 馬鹿にしないで!」

「ラナ、もういいよ。それ以上は……あっ、シュネー! だめ!」

 私の静止を振り切って、ラナの腕から飛び出したシュネーがアベル様の腕に飛びついて歯を立てた。思わず血の気が引く。ああ、どうしよう。平民が貴族を傷つけるのは重罪だ。

「いっ……! ちっ、この毛玉め!」

 アベル様が振り払った力で、シュネーが宙に高く投げ飛ばされる。私は慌てて両手を広げて抱き止めた。腕の中でシュネーはまだ唸り声を出している。私はなんとか落ち着かせようと何度もその身体を撫でて、彼を見せないようにした。

「くそっ……そんな小動物、本来なら切り捨ててやるところだ。セレネス様の使い魔だったことを感謝するんだな」

 シュネーに噛まれた手をさすりながらアベルが睨みつける。後ろの護衛が、いつでも私に斬りかかれるように剣に手を添えているのが見えた。心臓が波打つみたいに鼓動を打っている。私は頭を何度も下げて、何とかこの場を治めようと必死だった。

「……まあいい。この程度で我を失くしていてはラムハト領主の名が廃る。リター、自分の身の振り方をよく考えておけ。何もしないで生きていけるほどこの地は優しくはない」

 そう言ってアベルはローブを翻して去ってゆく。私は力が抜けて、思わずその場所に座り込んでしまう。大きく白いため息をつく。時が止まっていたかのように、周りの喧騒が耳に届いた。ああ、こんな公衆の場所でリターリターと叫ばれるなんて。悔しくて恥ずかしい。

「アリア、ごめんね。私のせいだ。大丈夫?」

 後ろから抱きしめるように、ラナが私の肩に両手を伸ばす。冷え切っていた体温が、彼女の包容でゆっくりと温まる。

「ううん、ありがとう。言い返してくれて。私、何も出来なかった。アベル様の言ってること、全部正論だから」

「正論だったら人を傷つけてもいいなんてことないわ。そのあたりが貴族の傲慢さなのよ。昔は三人で遊んでいたのに、一人だけあんな偉そうになって。大嫌い」

 ラナ、ありがとう私のために怒ってくれて。その怒りと嫌悪は、本当は私が持つべきもの。ラナには心穏やかに平穏に暮らしてほしい。魔法を扱えない私が傍にいることが、彼女のことも傷つけたのだ。それは自分が傷つくことよりも、何倍も辛く悲しいことだった。

 私は何度か大きく息を吐いて、深呼吸をする。心が乱れたら夜空を見上げなさい、とおばあちゃんの言葉が頭に浮かぶ。今は夜空は見えなくても、心の中にいつでもあった。全ては心の中にある。星の光が私の昂った感情を全て洗い流してくれる。

「……もう大丈夫。ありがとうラナ。ねえ、そこで焼き菓子でも買って気分転換しよ。人の少ない河原で食べようよ」

「うん、そうだね。私買ってくるよ」

 このままだと、いずれまた彼女を傷つけてしまう。ラナは魔法なんて使わなくてもいいじゃん、といつも言う。アベル様も、魔法を使えないならなにか別のことを考えろ、と言葉は乱暴だけどそう言っている。ああ、でも。いつか見たおばあちゃんの輝く光の魔法。その原風景が忘れられない。私が諦めたら、あの光の魔法はこの世界から途絶えてしまう。そうやって消えていった美しい魔法が、今までいくつあったのだろう。

 何年かかっても、何十年かかっても。もしかしたら人生全て無駄になるかもしれないけれど。

 それでも私は、あの魔法を諦められなかった。



        ◇


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