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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第九章 光の灯る場所。
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前編


「青紫色のローブを着た魔法使い? ああ、占い師の女の子ね。すごいよく当たるって評判だよ」


「占い師の女の子? ええ、最近よく広場で見かけるわ。愛想よくて可愛いの。名前は、何だったかしら」


「愛想よくて可愛い占い師? 占星術師のアリアさんでしょう、それ。絹みたいに綺麗な黒髪、心の奥底まで見透かすような黄金の瞳。それにあの笑顔で話しかけられたら、まあ、勘違いする男もいるんじゃないかな。お、俺は違うけどね」


「占星術師のアリア? ああ、星詠の。エテルノア魔法学院にいますよ。私も生徒なので、何度も見かけています。ええ、有名ですよ。学院に魔力の雪を降らせた謎の美少女、って。あんなに綺麗な魔法を使えるのに、レイン博士の雑用係なんて可哀想に……」


 ——淡い青紫色の噂話。



        ◇



「し、信じられない! アリア、あなた、そんな足を出した格好で、お金を稼ぐために街に立っているって言うの!?」

 顔を赤くしたラナの高い声が、私の空き倉庫の部屋に響き渡る。外では本格的に降り出した雨が窓硝子を叩き、雫がランタンの光を抱いて静かに滑り落ちていた。彼女の明るい栗色の髪からは懐かしいラムハト麦の香りが漂っている気がして、私はどうしようもなく懐かしい気持ちになる。

「い、言い方が偏ってるよラナ! ただの膝丈のスカートだし、エテルノアの制服だよ。それに、街ではただ星占いをしているだけ」

「あのアリアがただの膝丈のスカートだよ、だなんて。もう、信じられない。王都って恐ろしいわ。今すぐラムハトに連れて帰りたい……」

 ラナが嘆きながら私を抱きしめてくる。私も涙目になりながら、抱擁を返した。その温もりを、旅立ってから何度夢に見たことだろう。これが本当に現実なのか、まだ疑いたくなる。私は彼女の柔らかい髪に顔を埋めながら、その光を何度も肺に吸い込んだ。

 そうしてしばらく、私たちは抱き合っていた。私も何も言わなかったし、ラナもただ静かに私を抱きしめていた。雨音に混じって鼻をすする音が聞こえてきて、私はラナの髪を優しく撫でる。やがて、私たちはお互い泣いているのを誤魔化すように笑いながら目を擦った。

「――ねえラナ、どうして王都にいるの? よく私が魔法学院にいるってわかったね、近況の手紙は昨日出したばかりなのに」

 シュネーがラナの服に潜り込もうとしてあっさりと捕まり、膝の上で撫で回されている。彼女の手首には、私が旅立つときに預けた銀のブレスレットがはめられていて、ランタンの火を反射して鈍く光っていた。私はそれを横目で見ながら、レインレース博士のために覚えた珈琲を淹れて彼女に差し出す。雨で気温が下がった部屋に湯気が揺らいで消えてゆく。

「ありがとう。……アリア、セフィーリア様に私のことを話したでしょう? わざわざ養鶏場まで来てくださって、あなたのことを話してくれたわ。アベルのことも。……本当に、無事でよかった。私、心配でたまらなくて。無理を言って、王都に戻るセフィーリア様の馬車に乗せてもらったの」

 珈琲のカップを持つラナの白い指に視線を落とす。無事でよかった、と呟いたその声に、私はどうしようもなく嬉しくて、そして悲しくなる。私はいつもラナに心配かけてばかりだ。けれど、こうして心配して会いにまで来てくれたことが、言葉にできないほどたまらなく嬉しかった。

「そうだったんだ、心配かけてごめんね。見ての通り、私は大丈夫、元気だよ。ほら、見てこの杖。ラナのくれた魔法石を、こんなに綺麗な杖にしてもらったの。そのおかげで、私とアベル様を襲った魔物も倒せた。ありがとうね、ラナ」

 首を振って応えるラナ。部屋に珈琲の香りが満ちてきて、雨音が私たちを包み込む。懐かしい、と思う。場所は違うのに、隣にラナがいるだけで、まるであの洋館にいるような静けさを確かに感じる。

「そっか、じゃあセフィーリア様も王都に戻ってきているんだね。会いたいなあ」

「ええ。こっちに着いて、セフィーリア様が人探しの魔法を使ったらすぐに居場所がわかったわ。あなた、王都でちょっと噂になってるのよ。魔法学院に突如現れた青紫色の美少女。占星術師、星詠のアリアって」

「う、嘘でしょう? 恥ずかしい……」

 確かに、最近少し話を聞いてくれるお客さんが増えたなって思っていた。でも、その美少女って何なの、誇大広告でしょう。私はどこからどう見ても、黒髪で地味な見た目の田舎娘だ。

「……ねえアリア、右手はまだよくならないの?」

 私が左手でカップを持っていることに気づいたラナが、心配そうに声をかけてくる。そんな彼女に、私は青白色の魔導手袋をつけた右手を振りながら応えた。

「よくはならないんだけど、ほら、こうやって動かせるようになったよ。杖を作ってくれた工房の職人さん、グラールさんとノラさんって言うんだけどね、外から魔力で動かせる手袋を作ってくれたんだ。私、魔力はほとんどないけど、魔力操作は得意だったから」

 でも左手で手紙を書くのもだいぶ上手になったよ、と言うとラナはまた泣きそうな瞳をしながら私に微笑んだ。ああ、なんて優しいんだろう、と私は思う。ゆっくりと夜が深くなり、いつの間にか雨は止んでいた。ランタンの火が小さく揺らぐたび、二人の影が揺れてその境界を曖昧にした。

「……アリア。ラムハトには、戻ってこないの?」

 深く長い沈黙の後。空っぽになったカップに視線を落としながら、ぽつりとラナが呟いた。それは本当に、彼女の心の奥底から漏れ出た、雫のような一言だった。だから私は、その言葉に応えるようにテーブルにそっとカップを置いて、ラナの手を静かに握った。

 言葉はすぐに出てこなかった。代わりに私は、両手で彼女の手を包み込む。ラナから伝わる柔らかな温もりと、親指に触れた冷たいブレスレット。その懐かしさに、波打っていた心が少しずつ穏やかになってゆく。

「ありがとう、ラナ。……戻りたくない、と言ったら嘘になるね。けれど、ごめん。私、まだ何も見つけてない。何も出来ていないの。このままじゃ、ただの王都旅行になっちゃう。……だから、まだ」

「ううん、わかっているわ。困らせるつもりはないの、ごめんなさい。……ねえ、代わりに一つ、私のわがままを聞いてくれるかしら」 

 ラナが私の手を握り返す。なあに、と私は静かに頷いて彼女に尋ねる。

「私が滞在している間に、一緒に王都旅行をしてほしいの。あなたがいつもどんな場所で呼吸をして、どんな景色を見ているのか、私は知りたい。……そうすればきっと、今度は泣かずにあなたを見送れるわ」

 そう私を真っ直ぐに見るラナの瞳はとても真剣で、私は思わず笑ってしまう。ああ、なんて綺麗な瞳なんだろう。彼女の明るい茶色の虹彩。そこに私の金色になった瞳が反射して、まるで黄金に染まったラムハトの麦だ。

「もちろん。たくさん、色んなところを見に行こう。ふふ、ラナと王都旅行なんて、夢みたい」

 私の言葉にラナが笑う。丸くなっていたシュネーがラナの肩に飛び乗ってきて、その尻尾をふわりと揺らす。その光景があまりに懐かしくて、私はまた泣きそうになる。

 けれど、大丈夫。雨の上がった王都の空には、きっと星が瞬いている。零れそうな涙を誤魔化すように、カップから漂う珈琲の残香を、私はそっと吸い込んだ。



        ◇



「アリア! 早く来て! すごいわ、見たことのない食材がこんなにあるなんて」

 市場に着くなり走り出したラナが大きな声を上げた。まだ夜が明けたばかりの広場には既に多くの露店が並び、店主が声を上げて行き交う人を呼び込んでいる。その喧騒の中、昨夜の雨滴を残す窓硝子に反射した朝日が、ラナに抱かれているシュネーの毛皮を明るく照らしていた。

「ラナ、走ると滑っちゃうよ。気をつけて」

「ええ、それにしても王都には人が多いのね。まだこんな時間なのに、昼間と変わらないくらい人がたくさん」

 昼間はもっと人が増えるよ、私は笑う。それをかき消すように遠くで教会の鐘が鳴る音がした。静かなラムハトの朝とは何もかもが違う、と私は改めて思う。荷車が軋みながら石畳を走り、包丁がリズムよく食材を捌いて、子どもたちの足音が駆け抜けてゆく。始めは驚いたけれど、そのどれもが王都という巨大な生活基盤の中で一つの調和を生み出していた。

「ねえ! 海産物があんなにたくさん並んでいるわ、信じられない。ラムハトより内陸なのに、どうして王都の方が魚がたくさんあるの?」

「そのほうが高く売れるからかな、商人はみんな王都で売りたがるみたい。そのために専門の冷凍魔導具を買ったり、魔法使いを雇うんだって。ラナ、何か食べる? その場で焼いてくれるよ」

「ええ、もちろん食べるわ。えっと、あの串に刺さった塩焼きと、串に刺さった岩貝と、串に刺さった、あれは何かしら、あれも食べるわ」

 両手に串焼きを持ったラナが、嬉しそうに鼻唄を歌っている。彼女の肩に乗ったシュネーが鼻をひくひくさせておねだりをしていた。と思うとすぐに彼女は立ち止まって、ねえあれはなに、と振り向いて目を輝かせている。ラナは養鶏場育ちだし実家は料理店も営んでいるから、ラムハトでは見かけない食材たちに興味が尽きないようだった。

「これは何の果物なの、すごい色ね」

「ガラスクの実だよ。甘くて美味しけど、食べたら舌が青くなる」

「見て、すごいパンの量だわ。あれが全部売れるのかしら」

「うん、大人気で昼過ぎにはほとんどなくなるよ。私も買っていこう」

「アリア! シュネーを見た店のおばちゃんが焼き菓子をくれたわ。本当に有名人なのね、あなた」

「たぶんローブとシュネーが目立つだけだよ、恥ずかしい」

「聞いた? あの衣だらけの鶏揚げが銀貨一枚ですって、ぼったくりだわ」

「ほんとにね、おじさまの料理だったら金貨一枚で売れると思うよ」

 いつか王都に黄金の麦鶏亭二号店を出そうかしら、とラナが笑う。その言葉だけで、私はあのランプに照らされた店内に満ちる、焼き立てのパンと鶏料理の香りを鮮明に思い出す。

「おじさまは、元気?」

「もう元気すぎて、また太ったわ。アリアによろしくって」

「こちらこそ、よろしくお伝えください。そうだ、少しだけ寄りたいところがあるの。いい?」

 ラナの手を引いて、市場通りから少し外れた道へ向かう。ただの裏道でも、ラナはとても興味深そうに辺りを見回していた。道端に咲く紫陽花に惹かれて、遠くに見えるエテルノア王城の尖塔を指差し、風に揺れる街路樹の影を飛んで避ける。まるで猫みたいだ、と私は小さく笑う。ねえ、あれは何のお店なの? あれは紅茶の専門店だよ。素敵、お土産に買って帰ろうかしら。ラナの明るい髪が風になびく。その風が、遠くラムハトまで伸びてゆく。

「おや、君は……あの時の子か。財布は大丈夫だったのかい?」

 そうして、私とラナは一件の魔導具店に辿り着いた。大通りの喧騒から少し外れた小道、石畳に面した店先には様々な魔導具が箱に入って乱雑に置かれている。ちょうど顔を出した体格の良い太った店主に、私はぺこりと頭を下げた。ラナが不思議そうな顔をしながらシュネーを抱き直している。

「その説は、ご迷惑をおかけしました。大丈夫ではありませんでしたが、大丈夫です。あの時の指輪型の魔導具、まだこちらにありますか?」

「ああ、あれなら在庫たくさんあるんだ。待ってな、状態がいいのを出してくるよ」

 大きな体を揺らして店主が店の奥へと戻ってゆく。それを見たラナが思わずお父さんみたい、と呟いて、やっぱりそうだよね、似てるよね、と私は笑ってしまう。

「アリア、お財布どうしたの? もしかして落としちゃったの?」

「落としたと言うか、王都に着いた日に、ここで魔導具に夢中になってたらスリにあって……」

 私の言葉にラナが目を丸くしてそんな、と声を漏らす。彼女の腕の中でシュネーが心配そうな鳴き声を上げた。私は大げさに両手を振って、あの時のことをゆっくりと話した。犯人を探したけど結局見つからなくて、空っぽの財布だけが捨てられていたこと。絶望の中で、それでも自分にできることを探したこと。不思議な魔力を持つユリさんとの出会い。銀色に鈍く光を反射する双翼の伝令符。そんな話を、ラナはシュネーを撫でながら心配そうな瞳で静かに聞いている。

「だからね、あの時スリに遭わなかったら、私は星占いをしようとも思わなかったし、ユリさんとも出会えなかったの。サヴァン先生みたいに言うなら、これも賢者の導きだよ」

 ラナが私に何かを言いかけたとき、店の扉が開いて店主が表に出てきた。その大きな手には、まるで似つかわしくない小さくて綺麗な指輪を私へと差し出す。それは朝の光を受けて、複雑な魔術式の光を静かに放っていた。

「遅くなってすまないね。こっちの紙は使い方を書いてきたよ。前に話した通り、転写の際には細かな注意と繊細な魔力運用が必要になる。まあ、最初のうちは難しいと思うけど」

 私は指輪と一枚の羊皮紙を受け取って、ありがとうございますと頭を下げた。ラナが不思議そうな瞳でその指輪を見つめている。それは一瞬の風景を記録し、羊皮紙へと転写することのできる魔導具。私はラナが王都にいる間に、この指輪がどうしても欲しかった。

「じゃあ銅貨五枚ね。またいつでもおいで」

「ありがとうございます。あの、一ついいですか? 店主さんも、この魔導具、起動できますか?」

「そりゃあ魔導具店のおっさんだからね。一通りは扱えるよ」

 その言葉に、思わず私は笑みを零す。隣りにいるラナの手を握る。

「私とラナをこれで写してほしいのです。お願いできませんか?」

「なに、アリア、写すってどういうこと?」

 いいから、合図したら笑ってね、と私はラナに囁く。彼女は不思議そうな顔で、私と指輪を交互に見ていた。店主さんが私から指輪を受け取って、小指の先にしか入らねえな、と笑いながら準備をしている。少し遠くで荷車を引く馬が嘶いて、誰かが道端の花に水を撒いている。雨季の晴れ間を惜しむように、ゆらりと揺らめく淡い光と濃い影法師。

「よし、じゃあいくよ。はい、そこで笑って動かないでね」

 空気を包み込むように、起動した魔術式から魔力がふわりと漂ってきた。私はラナに寄り添って、二人でシュネーを抱くように静かに微笑んだ。ラナは何をしているのかよくわかっていないみたいだけど、きっとあの明るい笑顔を浮かべている。そしてほんの数秒後、はい、もういいよと店主がこちらに向けていた指輪を外した。私はその指輪を受け取って、失くさないよう大切に仕舞い込んだ。

「ありがとうございました。また、近くに来たら寄らせていただきます」

「いつでもおいで。スリには気をつけて」

 店主はそう笑いながら、体を揺らして戻っていく。その後姿にもう一度私は頭を下げた。

「アリア、今のは何の魔導具だったの?」

「うーん、内緒。今度、手紙で教えてあげる」

 なによそれ、とラナが抗議の声を上げる。真似るように声を上げたシュネーのお腹を撫で回した。上手く転写できるかな。難しそうだったら博士に手伝ってもらおう。

 そんなことを考えながら、私たちはまた石畳を歩き出す。アリアはすっかり王都に馴染んでいるのね、と不意にラナがぽつりと零した。ううん、そんなことないよ、と私は首を振る。ふと羽ばたいた鳥の舞い散った羽根が光に透けて、彼女の肩にふわりと落ちた。ラナは王都でも鳥に好かれるね、と私は笑う。シュネーの瞳に青空が映っている。



       ◇


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