後編
「すごい。これが、王都」
街道の先に見えてきた荘厳な都市外壁に、思わず私は呟いてしまう。外敵の侵入を拒むその外壁は巨大で、まるでそこから先が別の世界であるかのように、外との隔絶を思わせる。
やがて門へと至るとそこには商人馬車の列が並び、王都へ持ち込まれる品の厳しい審査が行われていた。その外壁の更に奥、王都の中心部に、まるで空を突くかのように悠然と佇む白銀の王城が目に入る。その城こそ、この王国の政治と軍事、すべての中心であるエテルノア天穹城だった。
「ここまでありがとうございます、大変お世話になりました。ガリベル様にも感謝をお伝え下さい」
「いえ、こちらこそアベル様をお救い頂き感謝致します。それでは、私はこれで」
そう深く礼を言って、私を送り届けたガリベル様の馬車はラムハトへと帰っていった。
フードから出てきて肩に乗ったシュネーを胸に抱き上げて、私は一人と一匹になる。旅鞄をしっかり背負い直し、背筋を伸ばして息を吸った。ようやく王都まで来た。ここで、厄災に関する知識と青の魔女の情報を探す。それが当面の目的になる。自分を見失わないように。迷ったら心の中に星を見上げる。おばあちゃんの言葉を抱いて、私はその門をくぐった。
「う、嘘でしょう。こんな見たこともない術式の魔導具が、こんな投げ売りみたいに……」
門を通り抜けとりあえず今夜の宿を探そうと大通りに出たところで、私は既に混乱していた。露天商が並び多くの人が行き交うその通りには、私の頭の許容量をはるかに超える情報で溢れかえっていた。名前もわからない食べ物、信じられない安さの装飾品、ありとあらゆる雑貨が視界に飛び込んで私の興味を惹きつける。中でも足を止めずにいられなかったのは、魔導具店の店先に並べられた商品たちだった。カレスで詐欺に合いそうになり痛い目を見ていたから今度は慎重に、と全てを疑う心で私は品定めをする。けれどそのどれもが明らかに一級品で、複雑な魔術式が組み込まれていることが私にも見て取れた。
「お嬢さん、魔法使いだね。何か探し物かい?」
あまりに長い間そこで品を見ていたせいか、魔導具店から店主が出てきて私に声をかけた。丸々と太った、ラナのお父さんを思わせる体格の良い男性。私は軽く会釈をして、見たこともない魔導具だらけで見入ってしまいました、と正直に告げた。好きなだけ見ていっていいよ、と店主は私に笑いかける。
「これは、どうやって使うのですか? 指輪、のように見えますが」
「そうだよ。指にはめて魔力を込めると術式が起動して、景色を切り取るように魔導具に風景が記憶される。それから、羊皮紙にその風景を転写することができるんだ。転写式の絵画みたいなものだね。いっとき王都で爆発的に流行ったんだけど、転写する際に細かな注意がたくさん必要でだんだん飽きられてしまったよ」
すごい、そんな技術聞いたこともない。これがあれば絵画士や肖像画士は不要になる。魔力の少ない私にも使えるだろうか。私はその指輪のような黒い魔導具を手にとってじっと見つめていた。
「買うかい? 銀貨一枚って張ってあるけど、買ってくれるなら銅貨五枚でいいよ」
「本当ですか? どうしよう……」
迷っていたそのとき、身体に大きな衝撃が走った。思わず私はよろけてしまう。驚いて見ると、男の人の肩が私にぶつかってしまったらしい。状況を理解して、すみません、と声を出した頃にはもうその人影は過ぎ去ってしまっていた。ううん、こんな人通りの多い道の端で、じっとしていた私が悪いのだろう。
「大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です。すみません、この魔導具、いただきたいです」
そう言って私は、銅貨を支払おうと懐に手を入れて革巾着を取り出そうとした。けれど、いつも感じる重みがそこにない。なんで、と私は焦りながらローブをばたばたと叩く。驚いたシュネーが頭の上に飛び乗ってくるけれど、私はそれどころではなかった。
「お嬢さん、まさか、さっきの」
嘘でしょう、と私は王都に着いてから何度目かわからない言葉を呟いてしまう。それほど、私は私が信じられなかった。
「……スリです。財布がありません」
目の前が暗くなって、血の気が引いていくのがわかった。どうしよう。どうしていいか、わからない。
王都について数刻で、私は、全財産を失くしてしまった。
それからの記憶は朧げだった。店主に頭を下げて急いでぶつかった男を追ったけれど、王都の人の多さでは到底見つけることが出来そうにない。そもそもどんな身なりの男がぶつかったのかも曖昧でよく覚えていなかった。絶望と焦りで背筋が冷たくなって、指先が小さく震えている。ふと思い立ってシュネーに私の魔力を辿ってもらったけれど、物陰に落ちていた私の革巾着が見つかっただけで、中身は当然のように空っぽだった。
私は大通りから少し外れた、小さな噴水のある広場でベンチに座り込み、膝を抱え込んでいた。まさか、自分がスリに遭うなんて思ってもみなかった。完全に油断していた。ラムハトでは詐欺もスリも聞いたことなんてなかった。それだけ、私が田舎育ちの世間知らずだったということなんだろう。私が王都の人間でないことなんて、スリの常習犯が見ればきっと一目瞭然だ。私は悔しくて手を握りしめながら、目を閉じてじっと思考の海に潜り込んでいた。
失くしたお金を取り戻すことは難しい。けれど、この胸にあるラムハトの領主紋章を使うことは許されない。スリにあって無一文になったので、なんて恥ずかしくてとてもガリベル様に伝えられない。私はカレスで話した、アベル様との会話を思い出す。後悔してもあるのはこの真鍮の杖だけだ、と遠い場所を見ながら彼は言っていた。それよりも、自分が何をなせるかを、常に考えている。その言葉が、虚しく空っぽになっていた私の心に小さな火を灯したようだった。この火はきっと、アベル様の残した聖なる火だ。
いま私に何が成せるのか。そのことだけを考えて私は目を開け、顔を上げた。
広場には人はまばらで、あまり往来もない。私はベンチに座りながら、通り過ぎる人を、じっと見つめていた。その人の持つ魔力の色を、瞳を凝らしてじっと見つめた。他の人がどんな風に見えているかわからないけれど、私には魔力が色を纏って見えていた。魔法使いでもない普通の人は、そもそもほとんど魔力が見えない。たまに漏れ出るように色のついた魔力が見えることがあるけれど、ほとんどはくすんだ灰色をしていた。
「——すごい。なんて、綺麗」
けれど突然のことに、私は思わず目を疑う。ベンチに座って行き交う人を観察して、どれほど経っただろう。私は、全身から清廉に透き通る魔力を放つ一人の女性が目に止まる。こんな綺麗な魔力は見たことがない。年は、私より少し上くらいだろうか。後ろで一つにまとめられた金色の髪が太陽を反射して輝き、その瞳は髪と同じく金色の光を宿していた。そして、その身体から溢れる透明な魔力の量は、明らかに一般の魔法使いを軽く越えている。
その女性は日傘を差しながら、友人らしいもう一人の女性と話していた。ゆったりとした歩調でこちらに近づいてくる。私は心に決めた。できるだけ自然に立ち上がり、背筋を伸ばして、通り過ぎようとしたその女性に話しかけた。
「こんにちは。あの、突然すみません。占いに興味はありませんか?」
私の言葉に、二人が歩みを止めて視線を向ける。透き通るような金色の瞳。星の光みたいだ、と私は思う。私の瞳も、こんな風に見えているのだろうか。女性は友人らしいもう一人と顔を見合わせ、それから私に優しく微笑みかけた。
「こんにちは、小さな魔法使いさん。私を占ってくれるの?」
その綺麗な明るい声をともに、風に乗ってふわりと花の香りが漂ってくる。
「はい。私の見たところ、とても強く清らかな魔力をお持ちです。なにか特別な星の生まれかもしれません。私は占星術師、人呼んで星詠のアリアといいます。どうでしょうか、よければ銀貨一枚で占ってみませんか」
いったい誰が、私を星詠のアリアなんて呼んだのだろう。こんなことをいきなり話しかけられて、きっと迷惑に違いない。私は自分の顔が羞恥で赤くなるのを感じる。けれど私の言葉に、興味を惹かれたように女性の瞳が揺れるのがわかった。
「ラニエ、占いですって。私、やってみたいわ」
ラニエ、と呼ばれた隣の女性が、その言葉に静かに首を振った。
「お嬢様、私は反対です。こんな道端の占い師、信用なりません。必要であれば宮廷の占星術師をお呼び致します」
「もう、そういうことじゃないのよ、分からず屋ね。私のことを何も知らない人に占ってもらうから意味があるの。小さな占い師さん、ぜひお願いするわ」
そう言って彼女は、ため息をつくもう一人の女性から硬貨を受け取り、私に手渡した。受け取ったその銀貨を、私は大切に握りしめる。交渉成立だ。私は始めて、自分の能力を対価に貨幣を手に入れたのだ。けれど感動している暇はない。対価を受け取った以上、適当な占いをすることは許されない。私は小さく頷いて息を吐いた。
「ありがとうございます。では、こちらにお座りください。あの、お名前は?」
「そうね、ユリと呼んでちょうだい。こっちは付き人のラニエ」
友人ではなく付き人、と紹介される女性。お嬢様、という彼女の呼びかけからしても身分の高い女性なのだろう。ラニエと呼ばれた女性は座ることなく、ユリさんの隣にそっと佇んでいた。私はユリさんに向かい合い、あらためてその姿を観察した。編み込んで束ねられた金色の髪には小さな宝石のついた髪飾りが煌めき、耳元には朝露のように清らかな光を放つ耳飾りが揺れている。見ただけで上質な生地と分かる若草色のワンピースを着たその姿は、一つ一つの動作が洗練されたような優雅さを思わせた。広場をゆく人々が、たまに彼女の美しさへと視線を向けていることに私は気づく。けれど、ユリさんは気にもとめずただ穏やかに微笑んで私の言葉を待っていた。
「ユリさん、よろしくお願いします。誕生日はいつでしょうか?」
「紫陽の月、三周目の水の日。今年で二十歳になります」
二十年前の紫陽の月、三周目、水の日。私は少しだけ目を閉じる。彼女の言葉が私の頭の中で星暦となり、輝く星空となって心の中に明るく灯る。夜空に輝く、決して乱れることのない秩序の光。その中に隠された神秘へと至る、古代より続く叡智の結晶。それこそが占星術、星詠と呼ばれるものだった。
「――紫陽の月は一年でもっとも雨が多く、悪天候により星を詠むのが困難となる月です。けれど雨は大地の恵み、慈しみの象徴。三周目ということは雄鹿座ですね。その巨大な角は芯の強さ、折れない心、他者を惹きつける魅力。そして雄鹿座の瞳となっている星、タリアは一等星の中で三番目に明るい星。黄色い光に見えますが、超望遠魔法で観察すると僅かに赤みがかっていることが確認できます。タリアは古代から女性らしさの象徴とされ、雄の鹿に女性の瞳、というその特徴から、雌雄同体、つまり完全性と黄金を司るとされます。ユリさんの綺麗な金色の髪と瞳も、きっとタリアの加護を受けた黄金の輝きを宿しているのですね」
「まあ……ラニエ、すごいわ」
私の言葉を静かに聞いていたユリさんが、感嘆の声を上げる。私は少しだけ胸を撫で下ろしつつも、彼女の隣に佇むラニエさんの瞳はまだ疑いの光を宿しているように見えた。
「お嬢様。失礼ですが、この程度は占星術師を名乗る者なら当然の知識です。私は銀貨一枚に値するとはとても」
「あなた、本当に頭が固いのね。きっと頑固者の星を宿しているわ。アリアさん、他に何か私についてわかることはあるかしら?」
「そうですね。少し、手を握ってもよいでしょうか。魔力の流れを読み取ります」
はい、と囁くような柔らかい声を出してユリさんが手を差し出す。まるで月の光みたいに白い手を、私はそっと握りしめた。彼女の体内を巡る、透き通る魔力を感じる。なんて淀みのない、綺麗な魔力なんだろう。硝子細工を光が透過するような、繊細で美しい魔力の流れ。私はもはや感動すら覚えるほどだった。
「どうかしら、何か読み取れたのかしら」
「そうですね。とても、とても綺麗な魔力です。類稀な、五属性に縛られることのない純粋で透明な魔力。けれど、ほんの僅か、流れが不安定な場所がありますね。胸のあたり……心臓でしょうか。なにか思い当たる節はありますか?」
私のその言葉に、驚いたようにユリさんは声を漏らした。丸い大きな瞳が、更に大きく見開かれている。
「ええ。私はあまり覚えてないのだけど、子どもの頃に事故で大怪我をしたらしいの。あなたすごいわね、手を握っただけなのに」
「そうでしたか。けれど、本当に僅かな乱れです。大怪我の痕跡とはとても思えません。もう少しだけ詳しく見ても良いですか?」
ええ、どうぞ。と答えるユリさんの手を、私は再び握り、その魔力を読み取る。先程よりも心臓の辺りを中心に、流れてゆく魔力を感じ取る。透明な魔力が体内を巡り、血液に溶け込んで心臓へ流れ込む。その先へと目を凝らす。
——青い、魔力の残滓を私は見る。
「……青い。青い魔力が、あなたの心臓のその奥、エーテルと呼ばれる魔力の核に溶け込んでいます。とても自然に見えますが、ユリさん自身の魔力ではないので僅かな違和感となったのですね」
けれど、と私は思う。自分の魔力でないものがエーテルに混じるなんて、聞いたことも書で読んだこともない。かつて大怪我を負ったというユリさんと、その核に宿る青い魔力の残滓。
そこから私は、一つの可能性に思い至る。
「……もしかして、過去にユリさんを治療したのは、青の魔女様ですか?」
あらゆる傷と病を癒やすとされる、七色の魔女の一人。もしユリさんの青い魔力がその手がかりだとしたら、こんな奇跡があるだろうか。けれど私の期待とは裏腹に、彼女は静かに首を振った。
「あなた、本当にすごいわ。けれどごめんなさい、私は本当に幼くて、当時の記憶がほとんどないの。ラニエ、何か知っている?」
「申し訳ありません。私も詳しいことは何も。……お嬢様、そろそろお時間が」
「そうね。ごめんなさいアリアさん。お話、とても興味深く聞かせていただきましたわ。最後に何か、星詠の占星術師として助言をくださるかしら?」
握った手を離して、ユリさんが優しく微笑みながら私に尋ねた。
「そうですね……タリアの星は強き女性の瞳です。けれど、その瞳を閉じる瞬間があります。タリア食、つまり月が恒星を隠してしまう恒星食と呼ばれる現象です。タリアの食の周期はとても長く十三年もあるのですが、次のタリア食は来月の紅明の月、一週目の空の日と迫ってきています。その日はおそらく一時的に魔力が弱まるので、もしかしたら体調を崩されたりされるかもしれません。けれど、月に隠されても星はそこにあります。心の中にはいつも、タリアの輝きがあることを忘れないでください」
「素敵な言葉ね、ありがとう。あなたに天穹の加護がありますように」
そう言って立ち上がったユリさんは、ふわりとスカートを持ち上げて優雅に一礼をした。私も慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
「……あの、私、とある事情で青の魔女様を探しているのです。もしなにか思い出すことがあれば……ああ、でも私、王都に来たばかりで連絡手段がありませんでした。すみません、今の言葉は忘れてください」
「あら、そうなの。ラニエ、あなたの伝令符を貸して」
「よろしいのですか? また小言を言われますよ」
知らないわそんなの、と笑いながらユリさんは呟く。ラニエさんはため息をつきながら、自分の胸元につけていた銀色に輝く小さなブローチを外してユリさんに手渡した。そこには、二枚の翼が弧を描くような意匠があしらわれている。
「あの、それは……?」
「双翼の伝令符という魔導具の一種よ。一翼をあなたが、もう一翼は私が持っています。何かあれば、こちらからあなたを探すわ」
言いながら、ユリさんはそのブローチを私の胸元にそっと添えた。淡い青紫色のローブに、銀色の輝きが夜明けの星のように光を放っている。
「い、いいのですか。こんなものを貸していただいても」
「ふふ、失くなさないでね。また会いましょう、星詠のアリアさん」
そうしてユリさんは、スカートを翻しながらラニエさんと共に去っていった。なんて優雅で美しい人なのだろう。私は杖を握りながら、その後姿を静かに見送った。胸元に、彼女の貸してくれたブローチの重みを感じる。
ガリベル様から渡された領主紋章と、ラナからもらった大切な魔法石を宿したカエラム。グラールさんとノラさんから送られた魔導手袋。私はなんて沢山の人に支えられているのだろう。王都でお金を失くしたくらいで、心が折れている場合じゃない。私は空っぽになった革巾着に、ユリさんからいただいた大切な銀貨一枚をしまう。
それを懐にしまおうとして、ふと、手に当たる羊皮紙の感覚があった。
「そうだ、すっかり忘れてた……」
王都に着いた感動とその後の衝撃のせいで、完全にその存在が頭から抜けていた。私は。その羊皮紙を取り出して中身を確認する。
それは、カレスでアベル様から託された、とある人物への紹介状だった。
——『第七章 占星術師、星詠のアリア。』




