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その魔法使いは星を詠む。  作者: みのり
第七章 占星術師、星詠のアリア。
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前編


 赤の魔女は炎の魔女。全てを燃やす赤い光。


 青の魔女は水の魔女。全てを飲み込む青い光。


 緑の魔女は風の魔女。全てを癒やす緑の光。


 黄色の魔女は大地の魔女。全てを支える黄色の光。


 紫藍の魔女は華の魔女。静かに揺れる二つの光。


 黒の魔女は夜の魔女。星を導く黒き光。


 白の魔女は光の魔女。夜明けに差し込む白い光。


 七つの光は七色の魔女。

 王国照らすは七つの光。


 ——《王国魔法史記 / 七色の魔女の御伽歌》



        ◇



「そうか、二度と魔法が使えんか。生きていただけ奇跡だ、仕方あるまい」

 カレスの宿で目を覚ましたアベル様は、そう言って静かに自分の運命を受け入れた。セフィーリア様の治癒魔法のおかげで傷跡などはないけれど、ベッドから動くことは出来ないらしい。私はその隣に座りながら、事の経緯をアベル様に報告していた。

「……すみません。私が無茶をしたせいで、アベル様を、こんな」

「あほか泣き虫め。俺の判断で俺がやったことにお前が責任を負うな」

「な、泣いてなんかいません!」

 けれど、泣きそうだった。アベル様本人よりも、私のほうが現実を受け入れ難い。涙を誤魔化すように、私はローブから顔を出したシュネーを抱き上げてアベル様の纏う毛布の上に置いた。シュネーはそのまま毛づくろいを始める。アベル様は鬱陶しそうな顔をしながらも、動くことが出来ずされるがままになっていた。

「けれどアベル様……私の右手のように、手足に障害が残るとも聞きました」

「そうか。では俺もあの工房で魔導手袋を作ってもらうとしよう。それに、障害のある貴族は政治的なアピールとして丁度いい。俺にもまだ役割があるということだ。リター、お前もこれに懲りたら、旅なんかやめてラムハトで静かに暮らせ」

 全てを忘れてラムハトで静かに暮らす。それは、私が旅を始めてから何度も思い描いた夢だった。あの洋館で暮らしてラナとご飯を食べて、笑って、何事もなく平穏に過ごしていく。それができたら、どんなに素敵だろう。

 けれど私は、そのラナの笑顔を守るために、人生全てをかけると心に決めていた。救国の英雄でも七色の魔女でもない。ただ、その約束のためだけに私は旅を続けていた。

「……私にも、まだ成すべき役割があるのです。アベル様は、すごいですね。どうしてそんなに全て受け入れて、前を向けるのですか」

 私は純粋な尊敬の念をもってアベル様を見る。彼は、その真紅の瞳に窓の外の青を映していた。部屋の中はとても静かで、アベル様の声はあの夜の森を思い出す。どこからか焚き火の爆ぜる音が聞こえてくる気がした。

 やがてしばらくの沈黙の後、彼は少しだけこちらを見た。

「言葉にはしづらい。あの日、兄貴が魔法士団に行くのを止めればよかったと後悔したところで、ここにあるのは真鍮の杖だけだ。それよりも、自分がいま何を成せるかをいつも考えている。これはもう、家訓のようなものだ。リター、お前王都へ行くのだろう。あそこは理不尽のたまり場だ。決して自分を見失うな」

 そう言ってもう用は済んだとばかりに、アベル様はその瞳を閉じてしまった。私はシュネーを抱きかかえてフードに放り込み、あらためてお礼を言ってその場を離れた。

 お前を助けられてよかった、とまるで別人のように優しい声が聞こえた気がして振り向いたけれど、部屋には静かな寝息だけが聞こえている。


 ――アベル様、私もあなたが生きていてくれて、本当によかった。


 部屋を後にする。宿の一階、長い木製テーブルが幾つも並ぶ食堂には、私を待つ二人の影がある。一人はアベル様と同じ赤黒い髪を丁寧に分け、高級そうな真紅の衣服に身を包む貴族。アベル様のお父様である、ラムハトの領主ガリベル様。もう一人は長い金色の髪に淡い翠色のローブを纏った、穏やかな風を思わせる魔法使い。七色の魔女の一人、《翠玉の魔女》セフィーリア様。私は重厚な階段を足早に降りて、二人の待つテーブルへと向かう。

「話は済んだか。お前に会わせろと煩くてな、説明を任せてすまなかった」

 席につくなり、ガリベル様が私へ頭を下げる。私は領主が自分に謝罪している絵がすごく居心地が悪くて、手と首を振りながら全然、気にしないでくださいと必死に声を出す。

「ガリベル様。アリア様が困っています」

「ああ。しかしザイオン襲撃事件と言い、ラムハト領は二度も彼女に救われている。此度に至っては息子の命を救われた。頭を下げないわけにはいかん」

「いえ、命を救われたのは私の方、です。そのせいでアベル様は……」

 頭を上げたガリベル様は、アベル様と同じ真紅の瞳で私をまっすぐに見る。その深く刻まれた顔の皺一つ一つが、ラムハト領という広大な地域を治めるための圧倒的な知識と経験の蓄積を想起させた。

「あの馬鹿息子が君の命を救ったとなれば、それは貴族として誇るべきことだ。助けられた君が気に病むことではない」

「はい……アベル様にも、そう言われました」

 私の言葉に、ガリベル様は深く頷く。セフィーリア様は静かに微笑んでこちらを見つめていた。

「アリア。君たちが、たった二人で魔物の偵察という危険な行為を行ったことは咎めねばならん。しかし、結果的に魔物は討伐され、街道の往来は正常化する。王都へ向かいたいと言っていたな。うちの馬車を出そう。それと、これを持っていけ」

 そう言って、ガリベル様は懐から細い鎖のついた首飾りを私に渡した。トップには麦を象徴する図形の入った真鍮の飾りがついている。

「これは……」

「ラムハトの領主紋章だ。王都での信用手形と言ったところか。滞在費が足りなくなったら見せるがいい。それに、あそこは躾のなっていない犬のような貴族が多い。これを見せれば黙るであろう。俺に出来る礼はこれくらいだ」

 まさか、と私は言葉を失う。信用手形ということは、これを見せるだけで請求が全てガリベル様のところへ行くということだ。そんなもの、恐れ多くて使えるわけがない。私は震える手で受け取ったそれを何とか返そうとしたが、腕を組んだガリベル様がこちらへ手を伸ばすことはなかった。諦めた私はその紋章を決して失くすことのないよう、首から下げローブの下の更に衣服の下へと潜り込ませた。ずしり、と首にその紋章の重みを感じる。王都での行為は、すべてこの紋章へと繋がるのだ。私はラムハトに泥を塗るような行為をしないよう、背筋を伸ばして心に強く誓いを立てた。

「では、次は私と話しましょう。……アリア様、アベル様の後遺症についてです。最初に、私の治癒魔法の限界について、心より謝罪します」

 そう言ってセフィーリア様が私たちに静かに頭を下げた。どうして、偉い人たちがこんなに簡単に私に頭を下げるのだろう。謝罪なんて、そんなの私は求めていなかった。私は静かに首を振って、その続きを待った。

「数日間、アベル様の治癒を続けました。肉体の損傷は完治。ただ体力の消耗は激しく、しばらくは療養が必要です。……加えて、全身の魔力経路の損傷。今後、二度と魔法を扱うことはできません。これは治癒魔法では治療不可能です。リハビリをすれば、かろうじて歩行は可能になるかもしれません。しかし両手は恐らく痺れたように上手く動かすことができないでしょう。アリア様、あなたの右手と同じです」

 セフィーリア様はその宝石のような緑色の瞳で私の右手を見る。今は魔導手袋をつけて何とか物を握ることができるけれど、その下の右手は力を入れると痺れたように動かなくなり、握力がまったくなかった。アベル様はこんな不自由な思いを、両手両足に抱えないといけなくなるんだ。私は思わず俯き、その事実に心が重く沈んでいく。

「……その魔力経路の損傷。私には出来ませんが、もしかしたら、青の魔女ならば治療が可能かもしれません」

 その言葉に、下を向いていた私ははっと顔を上げる。アベル様を、治す方法があると、セフィーリア様は確かにそう言った。私は暗い闇の中に、静かに小さな火が灯るのを見た。

「それは本当、ですか」

「確実な話ではありません、可能性です。《青》の色を冠する、《水縹の魔女》イレーネ。彼女は、あらゆる傷や病を癒やすという水の大精霊の契約者です」

 水の大精霊。私も、書でその存在を読んだことはある。人間と異なる世界に存在する五大精霊は、契約を条件にその力を貸し与えることがあるという。もし本当に青の魔女様が水の大精霊の契約者なら、その力は人間の操る魔法の限界を越えるだろう。私は静かに、セフィーリア様の綺麗な瞳を見つめ返した。場合によっては、王都へ向かうよりも優先すべき事項となる。アベル様の手足が治り、もう一度魔法を使うことができると言うのなら、私が被る旅の困難など全て些細なものだと思うことが出来た。

「その、青の魔女様は、どちらにいるのでしょうか」

 けれど、私の言葉にセフィーリア様は静かに首を振ってしまう。

「それが、所在がわからないのです。イレーネは、王国の魔道士団に所属していません。七色の中で誰も居場所を知らないのです」

「そんな……実在、しているのですか?」

「それは間違いありません。拝命式という、新たな七色の魔女の任命式には必ずお姿を現します。私もその式典で実際に言葉を交わしたことがあります。ただ人との関わりを極端に避けていらっしゃるようで、普段はどこで何をしているのか、誰も」

「そうですか……では、どちらにせよ王都へと向かうしかないようですね。王立図書館には、もしかしたら青の魔女様に関する書も見つかるかもしれません。貴重な情報、ありがとうございます」

「こちらこそ、あまりお役に立てなくて申し訳ありません。私もまた、ガリベル様たちと共にラムハトへと戻ります。アリア様、どうかお気をつけて」

 私は二人からの大切な贈り物に感謝をして、その宿を後にした。明日の朝、カレスを経つときに改めてお礼を言おう。振り返って、アベル様の眠る宿の二階を見上げる。あの深い夜の森で見た、聖なる炎を映す真紅の瞳を思い出す。

 私はその瞳が曇ることのないよう祈るしかなかった。


 翌朝、街道には馬車の列があった。豪華な装飾と領主紋章のついた、赤黒い光を放つ馬車は、ガリベル様とアベル様、そしてセフィーリア様の乗り込むラムハトへと向かう馬車。そしてその隣に、小さいながらも領主紋章のあしらわれた、私を乗せるための王都へ向かう馬車。

 その光景を前に、私はラナと別れた朝を思い出さずにはいられなかった。下唇を小さく噛んで、杖をぎゅっと握りしめる。私が選べば、ここでラムハトへと戻ることが出来る。ラナと過ごす平穏な生活があって、セフィーリア様に魔法の知識を教わることもできる。それは、なんて魅力的な日々なのだろう。

「……アリアさん。ここで引き返しても、誰もあなたを責めません」

 見送りに来たノラさんが、そっと私の肩に手を置いた。その白く細い指先が、私の杖を創り出したことを思い出す。あの森からカレスへと戻って数日、私はグラールさんの工房で過ごしていた。私が王都へ向かう理由や、厄災の話。私のせいで傷ついたアベル様のこと。その全てを、二人はただ静かに聞いてくれた。それがとても嬉しかった。私を後押しすることも危険だと止めることもせず、ただ受け入れてくれた。それだけで、どこか心が救われた気分だった。

「ありがとう、ノラさん。伝書魔鳥のこと、本当に感謝しています。私とアベル様の命の恩人です。この恩は、いずれ必ずお返しします」

「はい、また工房へいらしてください。お待ちしています。おじいさま、昨夜からアリアさんの手助けとなる魔導具を作るって工房に籠もっちゃって。よっぽどアリアさんとの日々が刺激的だったのでしょう」

 あの無愛想なグラールさんが、私のために。私はもう、こんなに綺麗な杖とこの手袋をもらったのに、これ以上何も受け取ることなんてできない。私は小さく首を振って、もう一度彼女に感謝を伝えた。

「ノラさん、ありがとう。グラールさんにもよろしくお伝え下さい。あまり無茶をせず、身体をお大事に。私は祖父を知らないので、本当のおじいちゃんのようでした、と」

「まあ、それは喜ぶことでしょう。どうか、アリアさんもご無事で。良い旅になりますように」

「はい。またラムハトへ戻るとき、必ず立ち寄ります。そのときまで、お元気で」

 私は王都行きへの馬車に向かおうとして、そうだ、と大切なことを思い出す。振り返って、ノラさんを見る。黒い、まるでラステリア金のような瞳。その瞳を、美しいと言ったアベル様の言葉を思い出す。

「ノラさん。ぜひ、ラムハトへ戻るアベル様に声をかけてあげて。それから、彼の不自由を助けることの出来る魔導具を作ってあげてください。私の、最後のわがままです」

 その言葉に、ノラさんは驚いたように瞳を丸くして、それから柔らかく微笑んだ。

「はい、わかりました。いってらっしゃい、アリアさん。グラールとノラの工房は、またのご来店を心よりお待ちしています」

 深くお辞儀をするノラさんに、いってきます、と静かに告げて、今度こそ私は馬車へと向かう。

 そこには、セフィーリア様が私を待つように佇んでいた。

「アリア様。短い間でしたが、お話できて本当によかったです。いずれ私も王都へ戻ります。そのとき、またゆっくりと」

「はい、おばあちゃんの話もまた聞かせてください。アベル様のこと、よろしくお願いします。あの、もしラムハトで、丘にある養鶏場のラナという子に会ったら、アリアは元気ですとお伝え下さい」

「はい、必ず。何かあれば伝書魔鳥を飛ばしてください。請求はガリベル様に」

 そんな、と言いかける私を制してセフィーリア様は優しく笑う。私たちの間を朝霧を纏ったような風が吹き抜けて、彼女の翠色のローブと私の青紫のローブをはためかせた。サヴァン先生と、そしてラナと別れた日を思い出す。


 ――夜明けはいつも別れを連れて来る。


 強く惹かれる心を押さえつけるように、私は王都へと向かう馬車の手すりを掴んだ。

 これから先は、また一人だ。けれど、私を支えてくれる人たちが心の中にずっといる。その全てを、厄災から守りたい。私は胸元にある領主紋章の重みを思い出す。握りしめたカエラムの魔法石が、光を反射して明るく煌めく。

 輝く一等星の火がもう見えなくても、星はずっとそこにある。



        ◇


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