第9話
スカーレットは植物園に向かう馬車の中で、静かにしていた。父親の言い付けがあったことだけが理由ではない。スカーレットは緊張していたのだ。父親以外の男性と、出かけたことがなかったからである。馬車にはミランダも同乗しているが、彼女は今日は壁なのだ。
(乙女小説では、馬車の中も立派な愛のステージなのだけど…それはもう少し経たないと実現しないわ。侍女抜きで会うようになってからね。)
ミランダはスカーレットの心の中を読んだのか、呆れ顔でこちらを見ている。
(さすがは私の侍女。絶倫騎士団長の第2巻を思い出しているのね。)
騎士団長は馬車の中でも絶倫だったのだ。
植物園には、色とりどりの花が咲き乱れていた。珍しい果実が植えられている一画もある。
「まあ、素敵ね!」
「楽しんでいただけてよかったです。」
スカーレットの弾んだ言葉に、アレクシスはホッとしたように微笑んだ。
「ここにはよくいらっしゃるの?」
「ええ。実は、この植物園は、我々中央省の農業部が運営に携わっておりまして。」
はにかむアレクシスに、スカーレットは思わずきゅんとした。そして気が付いた。
「喋ってしまった…!」
慌てて口を押さえたが、漏れ出た声は戻ってこない。アレクシスは不思議そうにスカーレットを覗き込んだ。
「先ほど、伯爵もおっしゃっていましたが、喋るな、とはどういうことなのですか?」
「…。」
ミランダを見ると、ミランダはそっぽを向いた。くっ、知らんぷりか。
「…わたくし、すぐに余計なことを口走ってしまって。」
「余計なことですか?」
「はい。言わなくてもいいことを。それを父親は心配しているのです。」
「そんな。余計なことなんて言っていないですよ。」
安心させるように優しく言ってくれるアレクシスに、スカーレットは少し申し訳なくなる。
「そのうち、お分かりになりますわ。」
ミランダが頷いている。そこは反応するのか!スカーレットは思わずミランダに向かって目を見開いた。
「ははっ。」
アレクシスが吹き出した。今の顔を見られてしまっていたようだ。
「楽しみにしています。」
「とっても良いお方ですね、アレクシス様。」
アレクシスがいなくなった途端、ミランダがスカーレットに耳打ちした。
アレクシスは仕事仲間に声を掛けられ、急用ができてしまったのだ。二人でアレクシスを待つ。
「そうね。良い方だと思うわ。」
「良い方、というのが一番ですよ!」
ミランダが上機嫌で言う。
「でも、わたくしは悪役令嬢でも聖女でもないわ。」
「はい?また急に。」
「ただのそこら辺にいる伯爵令嬢よ。美しいだけの。」
「…そうですわね。」
「このままでは、わたくしもアレクシス様も主役級ではないってことよ。アレクシス様は良い人。私はただの美しい令嬢。大丈夫かしら?」
「ただの美しい令嬢とは言えないと思うのですが。」
「もしかしたらこれから設定が明らかになって行くのかもしれないわね。昼は農業担当、夜は王家から特命を受けた敏腕探偵。」
「…それは新しいですね。」
「もしかしたら、王家から特命を受けた麻薬捜査官かもしれないわ!そこで媚薬を盛られてしまうのよ。」
「まだ諦めてなかったんですか。」
その時。
「申し訳ありません。お待たせしました。」
これから媚薬話に花を咲かせようとしたところでアレクシスが戻ってきた。ミランダはあからさまにホッとした表情をしていた。
二人で並んで歩きながら、たくさんの花を見た。アレクシスが分かりやすく解説をしてくれる。スカーレットは解説が一区切りしたところで、気になっていたことを切り出した。
「あの…、なぜこの縁談をお受けになってくださったのですか?」
「え?」
「だって、中央勤めの真面目な働き者であるあなたには、他にも縁談があったでしょうに。今回のお話、うちの両親からのゴリ押しだったのでは?」
聞いてみるには勇気がいったが、スカーレットにとっては大事なことだった。アレクシスは考えている。
「もしかして、幼い頃湖畔の別荘で私と一夏を過ごしましたか?」
「え?すみません、うちは湖畔に別荘はありません。」
「では幼い頃、拐われた私と一緒に小屋に閉じ込められたところを手を取り合って逃げ出した、あの少年ですか?」
「えぇっ、そんなことがあったのですか!?」
「ありません。ご心配なさらず。」
ミランダがすかさず入ってきた。
「いえ、私がショックのあまり記憶喪失になっていたかもしれなくて。」
「?大丈夫だったのでしょうか。その…何か辛い記憶が?」
「ありません。」
「ないのですか?それならば良いのですが。」
「念の為、確認しておきたくて。」
「何をでしょうか?」
「運命を。」
「運命……」
アレクシスが沈黙してしまった。運命だなんて、初デートで出す言葉にしては重かったかもしれない。スカーレットが不安になってきたところでアレクシスが口を開いた。
「僕は、今まで何かに運命を感じたことはありません。でも、今回あなたとの縁談を受けたのは、良いな、と思ったからです。」
「良いな?」
「はい。まず、あなたのご両親。とてもあなたを愛していらっしゃいますよね。何でも気兼ねなく話せる関係。良いな、と思いました。それと、訪ねた時のお屋敷の雰囲気。ギラギラしているわけでもなく、シンプルすぎるわけでもなく。暖かい生活感を感じたのです。そして、スカーレット嬢。」
「わたくし?」
「はい。感じが良いな、と思いました。だから決めたのです。」
「感じが良いな?」
「うまく言い表せないのですが…。」
アレクシスが眼鏡の位置を直し、照れたように笑った。
スカーレットは意を決して聞いてみた。
「わたくし、乙女小説を愛してやまないのですが…こんなわたくしでもよろしいですか?」




