第六章第七話
現役引退の喧騒が静まり返った、夕暮れ時のマリオ・リガモンティ。
静まり返ったピッチのベンチに、響木蒼生と伝説のファンタジスタの二人が並んで腰を下ろしていた。
斜陽が差し込む緑の芝生を見つめながら、響木が静かに口を開く。
「……僕は、日本に帰ります」
ファンタジスタは背後でまとめた髪を揺らし、深く澄んだブルーの瞳を響木へ向けた。
「そうか。寂しくなるね。これからの人生、指導者の道へ進むのかい? それとも――」
「いいえ。僕は……アマチュアの選手として、日本でサッカーを続けます」
響木は自分の左目を軽く撫でながら、温かい笑みを浮かべた。
「プロとしての途方もない重圧や、勝利だけを求められる苛烈な世界からは退きます。ですが、ボールを蹴る喜びそのものを捨てることはできませんでした。ヘディングはもうできませんし、小さな地域のクラブで、仲間たちと週末に純粋にフットボールを楽しむだけです。……でも、それが僕の見つけた次の足跡です」
プロとしての輝かしい栄光と、過酷な代償。
すべてを背負い、受け入れた上で、純粋な情熱だけを持ってピッチに立ち続けるという決意。
ファンタジスタは驚いたように一瞬目を見張ったが、すぐに愛おしそうな、心からの穏やかな笑みを浮かべた。
そして、静かに立ち上がると、響木の前に立ち、その両肩を優しく、だが確かな力強さで包み込んだ。
「素晴らしい決断だ、ヒビキ」
ファンタジスタの声には、同じように怪我と戦い、フットボールの美しさと残酷さを知り尽くした者だけが持つ、深い慈愛が満ちていた。
「フットボールはね、スタジアムの満員の歓声や、ゴールドのトロフィーの中だけに存在するんじゃない。君がボールを愛し、仲間にパスを送り、ゴールに情熱を傾けるその瞬間、どこであれそこが最高のピッチになるんだ」
ファンタジスタは響木の目をまっすぐに見つめ、語りかけた。
「君はプロとしてすべての栄光を掴み取り、最後は僕に最高のパスと夢を見せてくれた。これからは、誰のためでもない、君自身のためにフットボールを愛し続けてほしい。君の足元にボールがある限り……君は永遠に、僕の誇り高きストライカーだよ」
「……ありがとうございます」
西日に照らされたピッチの上で、二人の天才は深く、固い抱擁を交わした。
胸に刻まれた数々の栄光と、伝説のファンタジスタから贈られた温かい言葉を抱えて。
響木蒼生は新たなスパイクを胸に抱き、愛するフットボールと共に、自らの歩むべき次なる未来へと足を踏み出した。




