第六章第六話
セリエA最終節。スタディオ・マリオ・リガモンティは、試合開始数時間前から溢れんばかりの超満員に膨れ上がり、異様なまでの熱気と、どこか切ない静寂が入り混じる独特の空気に包まれていた。
2002年バロンドーラー、セリエA・CLダブル得点王、そしてトレブルの主役――世界最高のストライカー・響木蒼生。
網膜剥離の再発リスクと背中合わせの中、ヘディングを完全に封印し、自らの美学と誇りを貫き通したセリエAでのラストシーズン。この90分が、プロサッカー選手・響木蒼生にとって人生最後のピッチとなる。
「……ヒビキ、準備はいいか?」
ロッカールームで、クラブの主将であり伝説のファンタジスタが静かに声をかけてきた。後ろで束ねたポニーテール、澄んだブルーの瞳。響木にとって永遠の憧れであり、最高の相棒だった男だ。
「ええ。何ひとつ、思い残すことはありません」
スパイクの紐を固く結び直し、立ち上がる響木。
中盤の底でチームのタクトを振り続けた頭脳派ボランチも、静かな眼光で二人の背中を見つめ、固い握手を交わした。
主審の長笛とともに、プロキャリア最後の90分が幕を開けた。
相手は残留を懸けて必死の肉弾戦を挑んでくる堅守のクラブ。響木に対して二人掛かりの猛烈なマークを敷き、スペースを潰しにかかる。
前半から一進一退の激しい攻防が続く中、響木の瞳に宿る牙は、コンマ数秒も鈍ることはない。
後半40分、スコアは『0 - 0』。時が刻一刻と過ぎる中、運命の瞬間が訪れる。
自陣深くで頭脳派ボランチが相手の攻勢を鮮やかに読み切り、ワンタッチで縦へ鋭いパスを刺し込む。
ボールを受けたのはトップ下のファンタジスタ。
相手CBが猛然と潰しにかかるが、ファンタジスタは優雅なキャンバスを描くようなステップで相手をあざ笑うかのように交わす。
「ヒビキ――!!」
ファンタジスタの声がピッチに響いたその瞬間、響木は相手CBの死角へと滑り込んでいた。
空中戦の競り合いではなく、地上にぽっかりと空いた僅かコンマ数秒の「エアポケット」。
ファンタジスタの右足から放たれたのは、相手バックラインの股下を抜ける、地を這う極上のスルーパス。
「……捕まえた」
最後の気力を振り絞り、響木は走りのストライドを一切崩さずペナルティエリアへ侵入。飛び出してきた相手守護神の位置を冷徹に見極め、右足でノーモーションの一閃!
ドスッ――!
ボールがゴール左サイドネットを激しく揺らした!
『1 - 0』!
「ゴーッッール!! 響木蒼生!! キャリア最後の試合、後半40分に叩き込んだ劇的な決勝ゴール!! ファンタジスタの極上スルーパスから、“BOX THE POACHER”の冷酷な仕上げ!! これが世界最高峰のストライカーのラストゴールだ―――ッ!!」
スタジアムが爆発的な大歓声に包まれる中、響木は咆哮しながら駆け寄ってきたファンタジスタと固く抱き合った。
「最高のゴールだったよ、ヒビキ」
「あなたのパスがあったからです」
『ピーーーッ! ピーーーッ! ピーーーッ!』
試合終了の長笛が響き渡る。
ピッチを去る響木に向け、スタジアム全体から割れんばかりの割れんばかりのスタンディングオベーションが送られる。ベンチ前では頭脳派ボランチや監督、スタッフ全員が温かい拍手で迎え入れ、ファンタジスタがピッチ中央から深く頭を下げた。
試合後、マイクの前に立った響木は、万雷の拍手を送るサポーターと、駆けつけたかつてのライバルや仲間たちを見渡した。
「サッカーという素晴らしいスポーツに出会い、最高の仲間、そして世界一のサポーターと共に戦えたことは、僕の人生の誇りです。今日でプロ選手としての靴は脱ぎますが、僕の魂はこれからもピッチの上にあり続けます。本当に、ありがとうございました」
スタンドから降り注ぐ「ヒビキ!」の大合唱と赤と青の紙吹雪。
プロサッカー選手・響木蒼生の偉大なるキャリアは、伝説のファンタジスタと共に駆け抜けた最高の瞬間とともに、美しく幕を閉じたのだった。




