第六章第四話
サン・シーロのピッチに足を踏み入れた瞬間、響木蒼生の胸を突き上げたのは、かつて共に世界を制した仲間たちへの深い愛着と、ストライカーとしての容赦なき闘志だった。
セリエA第12節。対ロッソネロ戦。
赤と黒のサポーターで埋め尽くされたスタンドからは、今なおクラブの英雄である響木へ向けて万雷の拍手と温かいチャントが送られていた。だが、ピッチの熱気は甘い再会を一切許さない殺気立ったものだった。
「ヒビキ……覚悟してかかってこいよ。容赦はしねえからな!」
中盤の底で目を血走らせた「闘犬」ボランチが噛みつくように叫ぶ。若きレジスタは長髪を揺らし、静かだが鋭い眼光を向けていた。そして「国防大臣」は、静かに響木の前に立ちふさがり、その背中を徹底的にマークする。
(彼は……僕の動きの癖も、頭の中も、すべて知り尽くしている相手だ)
ヘディングでの競り合いを一切排除したプレイスタイル。響木の異変に、かつての戦友であるネスタが気づかないはずはなかった。ハイボールの競り合いで響木があえて跳ばず、落下地点の死角へ潜り込む動きを見せた瞬間、「国防大臣」の瞳に微かな揺らぎが走る。
(……ヒビキ、お前は……)
察したネスタの集中力と守備の強度が、さらに研ぎ澄まされる。生半可な動きでは絶対に破れない、世界最高峰のカテナチオ。
だが、今の響木には「伝説の2人」がついていた。
前半39分、クラブの黄金の中盤が牙をむく。
ブラウ・グラナから加入した頭脳派ボランチが、迫りくる闘犬の猛烈なプレッシングを最小限のボディコントロールであざ笑うかのようにいなし、吸い付くようなダイレクトパスを縦に通す。
ボールを受けたのは、トップ下のファンタジスタ。
「闘犬」が血相を変えて挟み込みに来るが、ファンタジスタは背後で束ねた髪をなびかせ、優雅なダブルタッチで交わす。
その瞬間、ミランの「国防大臣」が響木の「エアポケット」への抜け出しを警戒し、コンマ数秒早くバックステップを踏んだ。ミラノ時代の響木なら、間違いなくその背後を突いてスルーパスを引き出すからだ。
しかし――響木とファンタジスタが描き出したのは、ミラノの誰もが予想し得なかった新たな解だった。
響木はあえて背後へ走らず、ペナルティエリアの手前でピタリと足を止め、国防大臣の死角となる手前のスペースへと一歩退いた。
「なに……!?」
国防大臣の目が驚愕に見開かれる。
そのコンマ数秒のズレを見逃さず、ファンタジスタの右足から放たれたのは、相手CBの股下を滑り抜ける地を這う極上ノーステップパス!
足元へピタリと収まったボール。
競り合いも、ヘディングも必要ない。響木は追撃してくる闘犬と国防大臣の滑り込みよりも早く、走りのストライドを崩さずに右足トゥーキックでノーモーションの一閃!
ドスッ――!
地を這う無回転の弾丸ライナーが、レジスタの伸ばした足の先を掠め、かつてホームだったサン・シーロのゴール左サイドネットを激しく揺らした!
『1 - 0』!
「ゴーッッール!! 響木蒼生!! 古巣サン・シーロで鮮烈すぎる恩返し弾!! ガットゥーゾを破り、ネスタの予測を上回る冷酷な一撃!!“BOX THE POACHER”の進化が、赤と黒の聖地を沈黙させました!!」
静まり返るサン・シーロ。
駆け寄ってきたファンタジスタと頭脳派ボランチが響木の肩を抱き寄せる。
響木が振り返ると、倒れ込んでいた国防大臣がゆっくりと立ち上がり、静かに響木へ歩み寄ってきた。
「……ヒビキ。ヘディングをしないのは、そういうことか」
国防大臣の静かな問いかけに、響木は多くを語らず、ただ寂しげで澄んだ笑みを返した。
「……フッ、相変わらず手強いな、お前は。だが……最高のストライカーだよ、ヒビキ」
国防大臣は悔しさを押し殺した笑みを浮かべ、響木の背中を力強く叩いた。闘犬も歯ぎしりをしながら「絶対に追いついてやるからな!」と叫び、レジスタは切なさの混じった眼光で響木を見つめていた。
かつての絆と、プロとしての容赦なき死闘。
古巣ミランとの戦いは、響木蒼生のラストシーズンにおいて、決して消えることのない美しい軌跡として刻まれた。




