第五章第一話
イタリア・ロンバルディア州の澄んだ青空の下、世界屈指の名門クラブが誇る練習拠点「ミラネッロ」のピッチには、独特の張り詰めた空気が漂っていた。
緑豊かな森に囲まれたこの聖地で、新たな挑戦の幕が上がろうとしている。
2002年日韓ワールドカップの得点王にして世界一の称号を引っ提げ、ミラノに降り立った響木蒼生。しかし、イタリアの名門の門を叩いた彼を待っていたのは、手放しの歓迎というよりも、世界最高峰のプロフェッショナルたちが放つ鋭い値踏みの視線だった。
ロッカールームからピッチへと足を踏み入れた響木を、最初の洗礼が待ち構えていた。
「おい、日本のワールドカップ得点王だな? ここは代表チームの甘いお遊戯とは違う。セリエAのカテナチオがどんなものか、すぐに思い知らせてやるぜ」
唸るような野太い声とともに近寄ってきたのは、「闘犬」の異名を持つイタリア代表ボランチだった。闘犬は血走った眼光で響木を睨みつけ、ピッチの空気を一気に戦闘モードへと引き上げる。
だが、響木は臆することなく、冷徹かつ澄んだ瞳でその巨躯をまっすぐに見据え返した。
「どうぞ。あなたのプレッシングがどれほど鋭いか、ピッチの上で確かめさせてもらうよ」
ピッチの中央では、チームの心臓部である若きレジスタが優雅にボールを転がし、その傍らで「トップ下のマエストロ」が静かに微笑みながら響木に声をかけた。
「ようこそミランへ、ヒビキ。怪我で離脱しているエースストライカーの穴を埋めるのは容易くないが……君の動き出しの質なら、僕のパスに必ず合うはずだ。楽しませてくれ」
「ああ、期待していてほしい。君の足元から繰り出されるボールの軌道は、すべて頭に入ってます」
エースストライカーが負傷離脱しているという緊急事態の中、チームの命運を託された響木の初練習が、激しいミニゲーム形式で開始された。
笛が鳴り響いた瞬間、試合のテンポが一変する。
闘犬ボランチが猛然と牙をむき、響木めがけて凄まじいプレッシングで襲いかかる。通常のストライカーであればボールロストしかねない強烈な体当たり。
しかし、響木の予測能力はその数歩先を行っていた。
闘犬ボランチが身体をぶつけてくるコンマ数秒前、響木はあえて重心を預け、相手の勢いを利用して華麗にターン。完璧な「エアポケット」へと身体を滑り込ませる。
「なにッ……!?」
闘犬ボランチが舌打ちする間もなく、中盤の深部で若きレジスタが優雅にボールを収めていた。
視線が交錯する。レジスタは顔を上げることもなく、まるで背中に目がついているかのように、極上のロングフィードを前方へ放り込む。
「――来る」
マエストロが芸術的なワンタッチで流れを変え、ボールは響木の足元へと吸い込まれていく。
完全なる阿吽の呼吸。言葉すら不要のリンクワークに、ピッチ脇で見守っていたコーチングスタッフたちが息を呑んだ。
ディフェンスラインの重鎮である「国防大臣」が、冷静かつ圧倒的な読みで響木のマークへと素早く寄せる。世界最高峰のCBが放つ鉄壁の壁。
だが、響木は微動だにせず、シュートモーションへ入る。
「世界一のストライカー、見せてもらおうか!」
国防大臣が伸ばした足のわずか数ミリ上をかすめるように、響木は右足のインサイドで正確無比な一撃をネットの隅へと突き刺した!
ドンッ――!
練習場のゴールネットが激しく揺れる。静まり返るピッチ。その直後、闘犬ボランチが苦笑いを浮かべながら頭を掻き、若きレジスタが優雅に拍手を送った。
「……上出来だ、背番号9。君のその冷酷な嗅覚があれば、このミランの歯車は完璧に回り出す」
国防大臣も泥を払いながら立ち上がり、響木に鋭くも確かな敬意のこもった視線を向ける。
ミラネッロの洗礼を完璧に突破し、世界最高峰の仲間たちから絶対的な信頼を勝ち取った響木蒼生。
セリエAの頂点、そしてトレブルと得点王を目指す長き戦いが、今、静かに幕を開けたのだった。




