第三章第十六話
カンプ・ノウの巨大なスタンドを埋め尽くした、9万人を超える熱狂的なクレ(サポーター)。「青と臙脂」のフラッグが波のように揺れ、聖地特有の地鳴りのような歌声と、どこか殺伐とした熱気が支配していた。
前代未聞の交互所属契約・2年目。
エル・ブランコでトレブルとピチーチを手にし、宿敵ブラウグラナへと「移籍」してきた響木蒼生。
当時のクラブは大きな曲がり角を迎えていた。かつて中盤の底でタクトを振るった頭脳派ボランチや「リトル・ブッダ」と称された天才司令塔はすでにチームを去り、前線の絶対的エースであったブラジル人の天才もイタリアのメガクラブへ移籍。
チームを率いるオランダ人監督のもと、オランダ人代表クラスの選手たちが続々と補強される一方、カンテラ(下部組織)出身の生え抜きは熱血漢の闘将ディフェンダーなど少数にとどまっていた。地元メディアやサポーターからは「クラブの伝統的なアイデンティティが失われている」と苛烈な批判が巻き起こり、新体制には何よりも圧倒的な「結果」が求められていた。
ピッチの中央で背番号9のユニフォームに袖を通した響木が紹介されると、ベルナベウの誇りを奪い取った男への喝采と、異例の契約に対する注視が入り混じる大歓声が湧き上がった。
入団発表を終え、ロッカールームへと足を踏み入れた響木を、異国の雰囲気が漂う重厚な空気が迎えた。
「ようこそ、ヒビキ。君のペナルティエリアでの一瞬の輝きは、我々のフットボールに不可欠なピースだ」
そう言って手を差し出してきたのは、圧巻のポストプレイと高い足元の技術を兼ね備えた万能型の大型オランダ人FWだった。
その左隣には、圧倒的な加速で左サイドを切り裂く快速ウインガー。右隣には、強靭なフィジカルから精密なクロスを配球する右ウイングのオランダ人サイドアタッカーが控え、中盤の要であるオランダ人司令塔も静かに頷いていた。
「……期待しているよ、ヒビキ。今シーズンの僕たちには、すべての批判をねじ伏せる『勝利』と『タイトル』だけが必要だ」
オランダ人大型FWが静かに、しかし熱を込めて語りかける。
そこへ、カンテラ育ちの誇りを胸に秘めた若き闘将CBが歩み寄ってきた。髪を揺らしながら、鋭い眼光で響木の目を見つめる。
「俺たちはソシオやサポーターの期待を背負っている。お前が元エル・ブランコだろうが関係ない。このエンブレムのためにすべてを捧げて勝つ……それだけだ」
「ああ、分かっている。結果で証明しよう」
響木は静かに、しかし力強い眼差しで言葉を返した。
そのまま始まったブラウグラナでの初練習。
オランダ人指揮官のもと、極限まで戦術化された左右の両ウイングを活かした高速アタックの戦術仕込みが展開される。
「ヒビキ! サイドから上がった瞬間、ニアとファーストタッチの空間を奪え!」
左サイドで爆発的な推進力を発揮する快速ウインガーが電光石火のスピードで相手DFを置き去りにし、中央へ高速クロスを配球。ペナルティエリア内では大型FWがどっしりと構え、相手CBを引きつける。
そして右ウイングのサイドアタッカーが逆サイドから完璧なタイミングで折り返す――。
その一瞬の隙。
相手CBの死角から影のように抜け出したのは響木だった。大型FWが作った「影」の領域へ滑り込み、右足のアウトフロントでボールの軌道を冷酷に変える。
ドスッ――!
ボールは鋭くゴールネットの右隅へと吸い込まれた。
「……素晴らしい。なんというゴール感覚だ」
右ウイングのサイドアタッカーと左の快速ウインガーが目を見張り、練習を見守っていたオランダ人監督も満足そうに深く頷く。
圧倒的なスピードと精度を誇る両ウイングのサイドアタック、大型FWのポストプレイ、カンテラ出身の闘志、そして響木蒼生という「ペナルティエリアの密猟者」の冷酷な決定力。
渦巻く雑音と批判を跳ね返すための新たな戦術と絆が、聖地カンプ・ノウで静かに結実し始めていた。




