第二章第十三話
1998年、夏。フランスワールドカップが閉幕し、世界のサッカー界は空前の移籍市場の熱狂に包まれていた。
初出場にして世界4位という旋風を巻き起こし、大会得点王に輝いた響木蒼生と、圧倒的な存在感でチームを牽引した「日本代表の絶対的エースのトップ下」(中田英寿選手がモチーフ)。世界を驚愕させた日本の二人の天才のもとには、欧州の名門クラブから破格のオファーが殺到していた。
最初に動いたのは、イタリア・セリエAだった。
当時「世界最高峰のリーグ」と称され、世界中のスター選手が集うカルチョの国。そのセリエAに属するクラブへ、絶対的エースのトップ下の移籍が正式に発表された。
「日本サッカーが世界に通じることを、ピッチの上で証明し続けるだけだ」
入団会見の場において、堂々とした態度と流暢なイタリア語で決意を語る絶対的エースのトップ下。彼のイタリア挑戦は、日本中のファンを熱狂させ、新たな時代の幕開けを告げていた。
そして――もう一人の英雄の去就にも、世界の注目が集まっていた。
響木蒼生のもとへ届いたのは、イングランド・プレミアリーグを象徴する世界最高峰のメガクラブ――「赤い悪魔」の異名を持つ名門からの、破格のオファーだった。
あの16強の激闘の直後、イングランドの「貴公子」(デビッド・ベッカムがモチーフ)が言葉をかけたあの約束。英語の意味すら解解していなかった響木だったが、クラブ関係者や代理人を介し、正式なオファーとして現実のものとなったのだ。
マンチェスター、オールド・トラッフォード。
「夢の劇場」と称される伝説のスタジアムの記者会見場。
赤と白のユニフォームを手に取った響木は、押し寄せたフラッシュの嵐と現地メディアの異様な熱気に、思わず体を強張らせていた。
「ミスター・ヒビキ! W杯得点王としてのプレッシャーはあるか!?」
「世界最高峰のフィジカルを誇るプレミアリーグで、その華奢な体躯で通用すると思っているのか!?」
容赦なく浴びせられる厳しい英語の質問。言葉の壁に圧倒され、響木は少し猫背になりながら、通訳の耳元で恐縮したように囁いた。
「え、えっと……なんて答えればいいんでしょうか……」
ピッチ上での冷酷な捕食者とはまるで別人ような、大人しく控えめな青年の佇まい。集まった現地記者たちからは、どこか懐疑的な視線や失笑すら漏れていた。
だが、その会見場の雰囲気を一変させる出来事が起きる。
会見場のドアが開き、あのイングランドの「貴公子」が爽やかな笑みをたたえて姿を現したのだ。
彼は壇上に上がると、緊張でガチガチになっている響木の肩を親しげに抱き寄せ、マイクに向かってハッキリと告げた。
"He's the ultimate goal hunter. Give him the ball, and he will score. I'm honored to play with him."
(彼は究極のゴールハンターだ。ボールを預ければ、必ずゴールを決めてくれる。彼と共にプレイできることを誇りに思うよ)
スーパースターからの絶大な信頼の言葉に、会見場は一瞬静まりかえり、次いで大きな歓声へと変わった。
英語の意味は相変わらず半分も理解できていない響木だったが、隣で優しく微笑む貴公子の温かい手つきに、照れくさそうにはにかみながら、たどたどしくマイクに向かって頭を下げた。
「あ、あの……サンキュー。……がんばります」
その素朴で飾らない笑顔に、記者たちの間から温かい笑いが漏れた。
ピッチを離れれば、どこまでも控えめで大人しい一人の青年。
しかし、その胸の内では、世界の頂点たるプレミアリーグの激闘、そして「赤い悪魔」の伝統を背負う覚悟の炎が、静かに、そして激しく燃え上がっていた。
浅葱色の新選組から、世界最高の「赤い悪魔」へ。
響木蒼生の、世界を震わせる新たな挑戦が今、幕を開けようとしていた。




