第二章第七話
1998年、フランス。トゥールーズのスタジアムは、南米の熱狂的なサポーターが打ち鳴らす太鼓の音と、世界的強豪・アルゼンチンの圧倒的な威圧感に包まれていた。
日本のW杯初戦。対戦相手は、優勝候補の一角と目される白と青のストライプの伝統国である。
「ビビるな! いつも通りやればいい!」
中盤の底でタクトを振るうボランチが声を張り上げ、守備陣を落ち着かせようとする。だが、立ち上がりからアルゼンチンの怒涛のプレッシャーに押され、日本は自陣に釘付けとなっていた。
だが――世界がまだ見ぬ「異能のストライカー」が、アルゼンチンの強固な守備陣を凍りつかせる。
前半20分。
日本代表の絶対的エースのトップ下が、中盤の激しいプレスを強靭なフィジカルで弾き飛ばし、前線へ鋭いロングボールを供給した。
ペナルティエリア手前。飛び上がった味方FWが、世界屈指の大型DFと激しく身体をぶつけ合いながらヘディングで競り合う。空中戦のこぼれ球が、高くバウンドしてペナルティエリアの境界線上へと転がった。
そこへ、背番号9――響木蒼生が滑り込んでいた。
(……来た)
相手DFが猛然と寄せてくる。響木はボールのバウンドに対し、右足を大きく振り上げた。
誰もが、乾いた破裂音とともに強烈なダイレクトボレーが放たれると確信した瞬間――。
右足の甲で叩くと見せかけた足先が、ボールの底をミリ単位の精度で柔らかく擦り上げた。
「なっ……!?」
DFの目の前で、ボールはふわりと高く舞い上がり、響木の頭上を越えて背後へと弧を描く。
完全なフェイント。ダイレクトボレーのモーションそのものを踏み台にした、人間離れした空間把握。自身を軸にボールを頭上へ通すと、くるりと反転した響木は、ボールが地面に落ちる前に左足を一閃した。
逆足での、冷酷なダイレクトボレー。
必死に手を伸ばしたアルゼンチンGKの指先をかすめ、ボールはゴール右上のネットに深々と突き刺さった。
「うおおおおおおおおおおおおッ! ゴール!! 日本先制!! 響木! 世界を欺く驚愕のスーパーゴールです!!」
実況の絶叫がスタジアムに響き渡る。
アルゼンチンのDF陣は、何が起きたのか理解できずに呆然と立ち尽くしていた。普段は大人しく控えめな青年が魅せた、あまりにも非現実的で凶暴な画策。ベンチの絶対的エースのトップ下も、不敵な笑みを浮かべて大きく拳を握りしめていた。
だが、世界の壁は甘くなかった。
前半終了間際の44分。
中盤のパス回しから、ペナルティエリア外でボールを受けたのは、アルゼンチンの誇る絶対的な大砲――「背番号9」のストライカーだった。
一瞬の隙。寄せが甘くなったその瞬間、相手の9番は理不尽なまでの破壊力を誇る右足を振り抜いた。
ドスッという重低音が響き、弾丸のようなシュートが日本ゴールのネットを揺らす。
1 - 1。
世界最高峰のストライカーが放つ圧倒的な存在感の前に、試合は振り出しに戻されて前半を終えた。
後半立ち上がり、勢いに乗るアルゼンチンが襲いかかる。
後半8分、右サイドからの鋭いクロスに、再び相手の9番が力強いヘディングで合わせ、ゴールを奪う。
1 - 2。
逆転を許し、スタジアムを支配するアルゼンチンサポーターの大歓声に飲み込まれそうになる日本代表。
しかし――ピッチに立つ響木蒼生の双眸には、いささかの動揺もなかった。
(……見えている)
相手の9番が放つ強烈な光の裏で、響木は暗闇に潜む捕食者のように冷徹だった。
相手DF陣がリードを奪い、ほんのわずかに前傾姿勢になったその死角。ペナルティエリア内の「誰も見ていない空白」が、彼の脳内で鮮明に浮かび上がる。
後半18分。
左利きのボランチが、相手のプレスをかわして完璧な浮き球のパスを前線へ送る。
「響木ッ!」
ボールの軌道の先、相手DFの背後へ、まるで影のように滑り込んでいたのは響木だった。
飛び出してきたGKの位置を見極め、ワンタッチで頭上を抜く静かなループシュート。ボールは吸い込まれるようにネットを揺らし、同点ゴール(2 - 2)。
そして、運命の後半38分。
絶対的エースのトップ下が中盤で相手二人を突き飛ばし、強引に前へ運ぶ。
「行けぇッ、響木!」
絶妙なタイミングで通されたスルーパス。
相手DFが必死に足を伸ばすが、響木はすでにその先を行っていた。タッチラインギリギリ、ライン際からのスライディングダイレクトボレー。
シュートは美しい軌道を描き、逆側のサイドネットを力強く揺らした。
「ゴーッッール!! 勝ち越し!! 響木蒼生、圧巻のハットトリック!! 世界の強豪アルゼンチンを相手に、日本がリードを奪いました!!」
歓喜に爆発する日本ベンチ。響木のもとへ、絶対的エースのトップ下とボランチが真っ先に駆け寄り、もみくちゃにして抱きしめる。
タイムアップのホイッスル。
3 - 2。
優勝候補アルゼンチンを下し、日本代表がW杯初勝利という奇跡を成し遂げた瞬間だった。
試合後、世界のメディアが殺到するミックスゾーン。
ハットトリックを達成し、一躍世界の注目の的となった背番号9は、汗を拭いながら照れくさそうに頭を下げていた。
「あ、あの……チームのみなさんが素晴らしいパスをくれたので、僕は決めるだけでした……」
はにかむような穏やかな笑顔を浮かべ、恐縮しながらインタビューに応じるどこにでもいるような大人しい青年。
だが、その日、世界中のサッカーファンと強豪国たちの胸に、日本の『恐怖の点取り屋』の名が鮮烈に刻み込まれたのだった。
現実では残念ながら1対0で負けています。今後の展開も事実とは違う結果になります。




