第八章第十話
開幕戦での金星に沸いた「プリズンガーディアン島根」。しかし、シーズンが進むにつれてチームが直面したのは、Jリーグファンから「魔境」と恐れられるJ2リーグの洗礼だった。
J2が「魔境」と呼ばれる最大の理由――それは、J1へ這い上がろうとする元日本代表や超強力な外国人助っ人の牙、そして「どのチームが勝つか一切読めない混沌とした実力伯衡」と「水曜・日曜と週2ペースで押し寄せる全42試合の殺人的日程」にあった。
5月、過酷な5連戦の最中。
開幕直後は「旋風」と騒がれた島根だったが、直近の3試合は「1分2敗」。J2の猛者たちは、島根の【可変3-4-2-1】と響木の動きをすぐさま映像で解剖・対策してきた。
水曜日のナイトゲーム(アウェイ・九州)。
相手はJ1から降格してきたばかりのメガクラブだった。
「響木に前を向かせるな! 潰せ!」
相手のブラジル人ボランチが、審判の死角を突いて響木のユニフォームを引っ張り、徹底的な肘打ち交じりのハードコンタクトで潰しにかかる。J3とは次元の違う「プロの狡猾さ」と「泥臭いフィジカルの圧力」。
さらに、前節まで無敵の立ち回りに見えた大卒ルーキーCBの神矢と佐伯も、J2特有の泥沼に足をとられていた。
「くそっ……! 相手のフォーメーション、スカウティングの映像と全然違うじゃないか!」
J2のクラブは試合ごとに戦術やメンバーを劇的に変えてくる。対戦相手は島根対策として、普段使わない変則的な「4-2-4」の超パワーサッカーを仕掛けてきたのだ。
190cmを超える相手FWが2人同時にハイボールを放り込まれ、農協の巨漢CB大河原が必死に体を張るも、セカンドボールの拾い合いで力負けする。大卒ルーキーの神矢が果敢にラインを統制しようとするが、相手の理不尽な個のパワーに押し込まれ、失点を重ねてしまう。
『1 - 3』。アウェイでの手痛い惨敗だった。
試合終了後の深夜1時。
九州からの帰り、暗いマイクロバスの中で選手たちは疲労困憊でうなだれていた。
プロ専業のクラブなら翌日はリカバリーに専念できる。だが、島根の「二足の草鞋」のメンバーに休む暇はない。
木曜日の午前8時15分。
響木は睡魔と足腰の激しい鈍痛を押し殺し、職場である公務員の執務に立っていた。
「響木さん……顔色が少し良くないみたいですが、大丈夫ですか?」
同僚からの心配そうな声に、響木は穏やかに微笑む。
「ご心配をおかけしてすみません。全く問題ありませんので、業務に集中します」
本業をおろそかにしない公務員としての自律心。だが、身体の奥で悲鳴が上がっているのを響木自身も感じていた。
そして、その日の夜。
ナイター照明の下、練習グラウンドのベンチで、大卒ルーキーCBの神矢と佐伯が頭を抱えて座り込んでいた。
「これが……J2の『魔境』なのか……。大学サッカーとはスピードも、相手のズル賢さも、日程のタフさも違いすぎる……」
神矢が悔しさに拳を握りしめる。
そこへ、コンディショニングを終えた響木が歩み寄ってきた。
「神矢くん、佐伯くん。J2が魔境と呼ばれるのはね、才能や理論だけでは勝ち抜けないからなんだ」
二人が顔を上げると、響木は静かに自身の足元を見つめた。
「勝ち点1の差で天国と地獄が分かれるこのリーグでは、どのチームも生活とプロ生命を懸けて泥を啜る覚悟で向かってくる。スカウティング通りにいかないのも、理不尽なパワーで押し潰されるのも当たり前なんだ」
「響木さん……」
「だが、怯む必要はない。相手がなりふり構わず牙を剥いてくるなら、僕たちは『二足の草鞋』で培った泥臭さと、法条監督のロジック、神田先生のケア、そして仲間を信じる力でそれを超えればいい」
響木の澄んだ瞳には、過酷な連戦の疲労など微塵も感じさせない、圧倒的な静寂と情熱が宿っていた。
その言葉に、生え抜き社会人メンバーの大河原、藤井、石川も、プロ契約の桐生、黒木、早坂も力強く頷く。
「そうだぞ、神矢、佐伯! 俺たちには日々の仕事で鍛えた打たれ強さがある! 泥臭く勝つのが島根のフットボールだ!」
農協CBの大河原が二人の肩をガシッと抱きかかえる。
勝者が目まぐるしく入れ替わり、一瞬の隙が命取りになる混沌のJ2。
「魔境」の洗礼を浴び、傷つきながらもたくましく結束を強めたプリズンガーディアン島根は、次なる激闘へ向けて再び立ち上がるのだった。




