第6話 魔力核のない男
「では、何を差し出す」
集落長セラムの問いに、俺はすぐ答えられなかった。
信用してほしい。
敵ではない。
人類軍とは関係ない。
そんな言葉なら、いくらでも並べられる。
だが、言葉だけなら、たぶん誰でも言える。
それこそ人類軍の間者でも、神殿の使いでも、昨夜の襲撃者たちでも。
俺が逆の立場なら信じない。
だから、差し出すものは言葉では駄目だ。
「俺の荷物を預けます」
俺は言った。
「持っているものは全部、リーディアさんに預けています。必要なら、集落で調べてください」
「他には」
「行動の自由も」
セラムの目が、少しだけ細くなった。
周囲のざわめきが小さくなる。
「俺はこの集落に詳しくありません。逃げても森で死にます。だから、移動するときは必ず監視をつけてください。武器は勝手に出さないようにします。出した場合は、敵対行為と見なして構いません」
「召具を持つ者に、それを守れると?」
「正直、自信はありません」
また少し、周囲がざわついた。
リーディアが横で小さく息を吐いた気配がした。
言い方を間違えただろうか。
いや、ここで安請け合いをする方が危ない。
「昨日初めて使いました。出し方も消し方も、まだ完全にはわかっていません。なので、守れない約束はしません。代わりに、武器が出そうな状況を作らないようにします」
「具体的には」
「人に近づきすぎない。特に子どもには、許可なく近づかない。刃物や道具を持たない。夜は決められた場所から出ない。質問には答える。答えられないことは、答えられないと言います」
言いながら、自分が何をしているのか不思議になった。
異世界の集落の前で、俺はまるで始末書の改善策を書いている。
再発防止策。管理項目。責任所在。
会社で何度も見た言葉が、今は自分の命に直結していた。
セラムはしばらく俺を見ていた。
「嘘はつかない、と言わないのか」
「言えません」
「なぜ」
「怖ければ、嘘をつくかもしれないからです」
ざわめきが、今度は明確な敵意を帯びた。
柵の上の弓が、わずかに持ち上がる。
俺は両手を上げたまま、続けた。
「でも、嘘をついたら不利になることは理解しています。だから、少なくとも自分から作り話はしません。わからないことは、わからないと言います」
「都合のいい正直さだ」
「はい」
「認めるのか」
「それ以外に、今の俺に出せるものがありません」
セラムは黙った。
その目は鋭い。
だが、怒鳴らない。急がない。
リーディアとも違う種類の圧がある。
リーディアが剣先を喉に突きつける相手なら、セラムは机の向こうで契約書の穴を一つずつ潰してくる相手だ。
俺にとっては、どちらも怖い。
「リーディア」
「はい」
「小屋を襲った者たちは」
「三人。全員生存しています。正面から入った短剣使い、裏を破った槍使い、術杖持ち。術杖持ちは黒い石を砕き、妙な魔力を出しました」
「妙な魔力」
「私のものでも、人類軍の術式でもありません。少なくとも、私の知る限りでは」
「その者たちは、集落長の命令と言ったのだな」
「はい」
セラムの表情が、初めてわずかに曇った。
怒りだ。
声にも顔にもほとんど出ていないのに、周囲の者たちが一斉に黙った。
「私は、そのような命令を出していない」
低い声だった。
「リーディアの小屋の場所も知らぬ。知らぬ場所へ、人を向かわせることはできぬ」
見張り台の男が、唾を飲み込む音が聞こえた。
セラムは捕虜たちへ目を向ける。
「縄を二重に。口布は外すな。魔力封じを使える者を呼べ」
「はっ」
周囲の魔族たちが動き出す。
その動きは早い。
村人というより、全員が最低限の非常時対応を知っているようだった。
戦場近くの集落。
ここでは、それが日常なのだろう。
「ソーイ」
「はい」
「お前の扱いを決める」
俺は背筋を伸ばした。
背中の傷と脇腹が痛んだが、顔には出さないようにした。
たぶん、少し出ていたと思う。
「お前は人間であり、魔力核を持たない。人類軍に属さないという言葉には証拠がない。よって、客人としては扱わぬ」
「はい」
「だが、昨夜リーディアを襲った者たちと関係があると断じる証拠もない。むしろ、襲撃者たちはお前を奪おうとした。よって、即時処分もしない」
即時処分。
さらりと言われたが、要するに殺すなり引き渡すなりということだろう。
俺は喉の奥が乾くのを感じた。
「監視付き滞在を認める」
息を吐きそうになって、こらえた。
まだ終わっていない。
「期間は三日。場所は見張り小屋の隣にある空き倉。外出はリーディア、または私が認めた者の同伴時のみ。武器の召喚は禁止。集落の子ども、貯蔵庫、井戸、門には近づくな。質問には答えよ」
「わかりました」
「違反した場合は」
「処分、ですね」
「そうだ」
セラムは淡々と言った。
そこに脅しの熱はない。
だからこそ、確定事項のように聞こえた。
「リーディア」
「はい」
「お前が第一監視役だ」
「私ですか」
リーディアの声が少しだけ硬くなった。
「拾った者の責任だ」
「...承知しました」
彼女は不満そうだったが、反論はしなかった。
俺は思わず頭を下げた。
「迷惑をかけます」
「もうかかっているわ」
「ですよね」
「後で働かせる」
「できることなら」
「できることを探すところからよ」
リーディアの声は相変わらず冷たい。
だが、森で初めて会ったときのような、いつでも撃てる距離の冷たさとは少し違った。
いや、撃つ気はまだあるかもしれない。
ただ、撃つ前に使い道を考えるくらいには変わったのだろう。
喜んでいいのかは、わからない。
集落の門が開いた。
正確には、門というより丸太を横にずらして作る通路だった。
俺はリーディアに促され、グレイノの中へ入った。
最初に感じたのは、匂いだった。
湿った木。
土。
乾燥した草。
わずかな煙。
それから、煮込んだ豆のような匂い。
異世界の魔族の集落という言葉から想像するような、禍々しさはなかった。
家々は低く、屋根は黒い草で覆われている。
壁は木と土。窓は小さく、外から中が見えにくい。
柵の内側には畑もある。
細長い葉の野菜のようなものが植えられ、何人かの老人がこちらを見ながら手を止めていた。
子どもの姿もあった。
大人の背後から、こちらを覗いている。
外見だけなら、人間の子どもと変わらない。
髪の色も、肌の色も、目の形も。
ただ、一人の少女が驚いたように目を見開いたとき、首筋に薄い銀紋が浮かんだ。
それだけだ。
それだけで、彼女はこの世界では魔族と呼ばれる。
俺はその事実が、うまく飲み込めなかった。
「じろじろ見ないで」
リーディアが小声で言った。
「すみません」
「怖がらせる」
「はい」
俺は視線を足元に落とした。
だが、周囲からの視線は消えない。
警戒。
不安。
好奇心。
嫌悪。
俺の敵意標識は、明確な殺意や敵意に反応する。
だから、今胸が痛まないということは、すぐに襲いかかるつもりの者はいないのだろう。
それでも、視線だけで十分に重かった。
「リーディア姉」
小さな声がした。
見ると、十歳くらいの少年が家の陰から顔を出していた。
茶色の髪に、そばかす。目つきは強いが、体は細い。
彼は俺を睨んでいた。
「そいつ、人間なの」
周囲の空気が固まる。
リーディアは少しだけ目を伏せ、それから答えた。
「そうよ」
隠さないのか。
俺は思わず彼女を見る。
リーディアは俺を見返さなかった。
「でも、今はセラム長の管理下にある。勝手に近づかない。挑発しない。石も投げない」
「なんで入れるんだよ」
少年の声が震えていた。
怒りだけではない。
怖さも混じっている。
「人間は、父さんを殺した」
言葉が、胸に刺さった。
俺が殺したわけではない。
俺はこの世界の人類軍ではない。
昨日来たばかりだ。
そう言いたくなった。
だが、言わなかった。
この少年にとっては、人間という言葉がすでに傷なのだ。
俺の事情など、関係ない。
リーディアが少年の前に膝をついた。
「トマ」
「だって」
「石を投げたら、あなたが罰を受ける」
「それでも」
「あなたのお父さんは、子どもに罰を受けさせたい人だった?」
少年は唇を噛んだ。
リーディアの言葉は優しい。
だが、甘くはない。
俺は何も言えなかった。
「トマ。見張り台の奥へ行きなさい。今は大人の話」
「...リーディア姉は、そいつの味方なの」
「違うわ」
即答だった。
俺としては少しだけ傷つくが、状況的には仕方ない。
「私は、この集落の味方よ。だから、役に立つか危険かを見極める」
少年は俺をもう一度睨み、走っていった。
周囲の大人たちも、少しずつ視線を外す。
だが、空気が和らいだわけではない。
「今の子は」
「トマ。去年、父親を前線で亡くした」
「そうですか」
「謝らないの?」
「俺が謝っても、たぶん彼を余計に怒らせます」
「わかっているならいい」
リーディアは再び歩き出した。
俺はその後を追う。
胸の奥が重かった。
人間であること。
この世界に来たばかりで、何も知らないこと。
知らないのに、すでに誰かの恨みの対象であること。
全部が、歩くたびに足首へ絡みつくようだった。
空き倉は、見張り小屋の隣にあった。
倉というだけあって、広くはない。
中には空の木箱が積まれ、乾いた草の匂いがこもっている。
窓は小さい。
扉の外には見張り台へ続く梯子があり、誰かが常に近くにいる配置だった。
逃げるには不向き。
監視には向いている。
「ここがあなたの寝床」
「屋根があるだけでありがたいです」
「床は硬いわよ」
「昨日も床でした」
「昨日よりは安全」
「それは本当に助かります」
リーディアは木箱の上に俺の鞄を置いた。
ただし、紐で縛られたままだ。
「中身は?」
「セラム長が確認するまで預かる」
「わかりました」
「スマホ、だったかしら。あれも勝手に触らない」
「使えないので問題ありません」
「使えない道具を、なぜ持っていたの」
「昨日まで使えていたんです」
「便利な世界から来たのね」
「便利でした」
言ってから、少しだけ胸が痛んだ。
当たり前だったものが、急に遠くなる。
電気。水道。コンビニ。電車。スマホの通知。
面倒だと思っていた会議すら、今では平和の証拠のように思えた。
「戻りたい?」
リーディアが唐突に聞いた。
俺はすぐ答えられなかった。
「戻りたいです」
少し遅れて、正直に言う。
「でも、戻り方がわかりません」
「なら、まずは三日生きることね」
「現実的ですね」
「現実しかないもの」
リーディアは扉に向かいかけ、足を止めた。
「傷を見せて」
「今ですか」
「血が止まっているか確認するだけ」
「はい」
俺は上着を脱ぎ、脇腹の布を見せた。
血は少し滲んでいるが、流れてはいない。
リーディアは結び目を確認し、小さく頷いた。
「悪くない。けど、無理に動けば開く」
「気をつけます」
「あなたの気をつけるは信用できない」
「まだ一日の付き合いなのに、評価が早いですね」
「一日で十分よ」
彼女はそう言って、鞄から社員証を取り出した。
「これ、もう一度見ていい?」
「どうぞ」
リーディアは社員証を指先でつまみ、顔写真と俺を見比べる。
「この絵、どうやって作るの」
「光を記録する機械で撮ります」
「光を、記録」
「説明が難しいです」
「でしょうね」
彼女は社員証の文字をなぞった。
「モリカワ、ソウイチ」
「はい」
「本当に、ソーイはそこから?」
「創一の、ソウから近い音です。森川の方は、この世界だとさらに変でしょうし」
「モリカワも変だけど、ソウイチも十分変よ」
「でしょうね」
「でも、ソーイは呼びやすい」
「それはよかったです」
リーディアは社員証を鞄に戻した。
そして、扉の前で振り返る。
「夕方に、セラム長が尋問する。それまではここにいなさい」
「はい」
「水は外の桶。飲むときは見張りに声をかけて。勝手に出たら弓が飛ぶ」
「わかりました」
「トマみたいな子が来ても、話しかけないこと」
「はい」
「それと」
リーディアは少しだけ言葉を探すように黙った。
第7話は明日6/4の19:00に投稿します。
よろしくお願いいたします




