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第46話 影を食う虫

 二十一日目の朝、砦の見張り台に上がると、空気が違っていた。


 北の人類軍の感触は静か。

 教団の焦げた気配も薄い。


 それでも、胸の奥にある違和感は消えなかった。


 むしろ、昨日よりわずかに輪郭がはっきりしている。


「今日も変わらないか」


 レイが横に来た。


「変わらないというより、少しずつ濃くなっています。方向はまだわかりません」


「王骸の影響か」


「オルドさんの見立てでは、そうだと思います」


 レイは眉を寄せた。


「気味が悪いな。姿が見えない敵は」


「本当にそうですね」


 俺は目を閉じて、感知を広げた。


 北。南。東。西。


 どこにも大きな動きはない。


 なのに、この違和感だけが、じわじわと存在感を増している。


---


 昼前、オルドが俺とソフィアを呼んだ。


 場所は昨日と同じ物置部屋だった。


「今日は、実際に確認しに行こうと思う」


「確認、ですか」


「砦の周囲で、この違和感が一番強い場所を探す。原因があるとすれば、そこに近い」


 ソフィアが少し不安そうな顔をした。


「危険はありますか」


「ある可能性は否定できない。だからこそ、少人数で慎重に動く」


 カルバに報告し、許可を得た。


 同行するのは、俺、ソフィア、オルド、それにリーディア。


 カルバは砦に残り、ヘルトとダルグが守りを固める。


---


 砦の南側、灰境線から少し外れた森の方向へ向かった。


 遺跡とは別の場所だ。


 王骸の力が、遺跡だけでなく、周辺にも染み出している可能性があるとオルドは言った。


 歩きながら、俺は感知を広げ続けた。


「森の奥に、何かあります」


「敵意か」


「違います。もっと薄い。ただ、確実に何かがいます」


 ソフィアも目を閉じた。


「私にも、少し感じます。石の感触に似ていますが、違う」


「違うというのは」


「石は、外から持ち込まれたものです。これは……もっと、その場に染み付いているような感じがします」


 オルドが頷いた。


「王骸の影響が、地面や空気に浸透している可能性がある」


---


 森の奥へ進むと、木々の様子がおかしくなってきた。


 葉が黒ずんでいる。

 枝が不自然に曲がっている。


 地面には、灰のようなものが薄く積もっていた。


「ここは」


 リーディアが足を止めた。


「灰境線でもないのに、灰が積もっている」


「土を掘ると灰が出る、とグレイノで聞いたことがあります」


 俺は言った。


「戦争で焼けた土地の話でしたが、ここも似ているのかもしれません」


「戦闘があった記録はない場所よ、ここは」


「では、別の理由で灰が出ているということですね」


 オルドが屈んで、灰を指ですくった。


「これは、燃えた灰ではない。魔力が焼き切れた痕跡だ」


「魔力が焼き切れる、とはどういうことですか」


「本来あるべき魔力の流れが、何かに吸い取られて、燃え尽きたような状態になっている。この森全体が、それに晒されている」


 俺の胸の奥が、じわりと重くなった。


「近くに何かいます。動いている」


「方向は」


「前方、少し左です。近づいてきています」


 全員が身構えた。


 リーディアの銀紋が浮かぶ。


 茂みが揺れた。


 出てきたのは、獣ではなかった。


 黒い塊のようなものが、地面を這うように動いていた。


 大きさは、犬ほど。

 だが、輪郭がはっきりしない。


 まるで影そのものが、実体を持ったような姿だった。


「あれは」


「初めて見る」


 オルドの声が緊張していた。


「虚環の眷属かもしれない」


 黒い塊が、こちらに気づいたように動きを止めた。


 俺の感知が、それを捉えた。


 敵意ではない。


 もっと単純な、飢えに近い感触。


「敵意というより、飢えています。何かを食べようとしている感じです」


「食べる、というのは魔力をか」


「わかりません。ただ、その感触が近いです」


 黒い塊が、地面を這って近づいてきた。


 速い。


 思ったより速い。


「下がって!」


 リーディアが叫び、黒燐火を放った。


 炎が黒い塊に当たる。


 だが、塊はそれを吸収するように、一瞬で炎を飲み込んだ。


「効いていない!?」


「魔力を吸収している!?」


 オルドが驚いた声を上げた。


「炎の魔力ごと、取り込んでいる!」


 黒い塊が、少しだけ大きくなった。


 まずい。


 俺は盾を出した。


 左腕に、黒灰色の大盾が形成される。


「ソーイ、それは危ない!あなたの盾も、魔力で作られている!」


 オルドの声。


 だが、遅かった。


 黒い塊が跳んだ。


 俺は盾を構える。


 衝撃が来る。


 だが、それは今までの衝撃とは違った。


 押される感覚ではない。


 引っ張られる感覚。


「っ!」


 盾を通して、何かが吸い出されようとしている。


 通り道が、無理やりこじ開けられる感触。


「離れて!」


 リーディアが俺の腕を掴んで引いた。


 黒い塊が地面に落ちる。


 俺は膝をついた。


 盾は消えていなかった。

 だが、腕が重い。

 通常の衝撃とは違う疲労感があった。


「大丈夫?」


「なんとか……盾を通して、何かを吸われかけました」


「魔力を、直接吸収する敵か」


 オルドが厳しい顔で言った。


「これは、通常の武器で対処するのは危険だ。魔力を持つもの全てが、この敵の糧になる」


「では、どう戦えばいいんですか」


「わからない。少なくとも、正面から魔法や召具でぶつかるのは悪手だ」


 黒い塊が、また体勢を整えていた。


 俺の感知が、その飢えの感触をはっきりと捉える。


「あれは、俺たちを狙っているというより、魔力そのものを狙っています」


「魔力のある者、全員が標的ということか」


「たぶん、そうです」


 ソフィアが震える声で言った。


「私には……あれの感触が、すごく気持ち悪く感じます。石とは違う気持ち悪さです」


「どう違う」


「石は、外から誰かが操っている感じがします。あれは……何も考えていない。ただ、食べるためだけに動いている感じです」


「本能だけで動く存在か」


 オルドが呟いた。


「虚環の眷属だとすれば、それも納得できる。王骸の意思の断片が、こういう形で顕現しているのかもしれない」


---


 黒い塊が再び動き出した。


 今度はリーディアに向かっている。


「リーディアさん、魔法を使わないでください!」


 俺は叫んだ。


「じゃあ、どうすればいいの!」


「物理的に押さえます!魔力を使わない攻撃なら、吸収されないはずです!」


 根拠のある予測ではなかった。

 でも、そう信じるしかなかった。


 俺は盾を捨てるつもりで前に出た。


 いや、盾は捨てられない。

 でも、盾に頼りきらない動きをする。


 黒い塊が跳んだ瞬間、俺は盾ではなく、体そのものでぶつかった。


 肩から突っ込む。


 衝撃が来る。


 だが、吸われる感覚はなかった。


「効いている!」


「今のは、あなたの魔力じゃなくて、体そのものでぶつかったからか!」


 オルドが叫んだ。


「魔力を通さない攻撃なら、吸収できない!物理的な力だけで押し返せ!」


 黒い塊がよろめいた。


 俺はそのまま押し込んだ。


 塊が地面を転がる。


「オルドさん、これで倒せますか!」


「わからない!ただ、弱らせることはできるかもしれない!」


 黒い塊が起き上がろうとする。


「今のうちに離れましょう!戦い方がわかるまで、無理に倒す必要はないと思います!」


 俺が言うと、リーディアが頷いた。


「わかった。撤退する」


 全員で後退した。


 黒い塊は、追ってこなかった。


 まるで、獲物を追う理由がないかのように、地面に沈んでいった。


「消えた……いや、潜ったのか」


 オルドが言った。


「地中に潜れるのかもしれない」


「厄介ですね」


「厄介だ。魔法が効かず、地中に隠れられる。しかも、魔力そのものを吸収する」


---


 砦への帰り道、俺は考え続けていた。


 魔力を持つ攻撃は効かない。

 物理的な攻撃なら効く。


 でも、それだけでは足りない気がする。


「オルドさん」


「何かね」


「あの眷属は、魔力を持つ者全員を狙う可能性があるということですよね」


「その可能性が高い」


「なら、リーディアさんの黒燐火や、召具を使う俺の盾も、単独では戦えないということですか」


「そうなる」


「じゃあ、あれとどう戦えばいいんですか」


 オルドは少し考えた。


「私にも今はわからない。ただ、ヒントは今日得られた」


「物理攻撃が効くこと、ですか」


「それと、もう一つ。あの眷属が、飢えという単純な性質を持っていたことだ」


「それが、何かのヒントになりますか」


「単純な性質は、単純な弱点を持つ可能性がある。例えば、満腹になれば動きが鈍る、とかね」


「試すのは危険ですね」


「危険だ。だが、知る必要はある」


---


 砦に戻ると、カルバが待っていた。


「無事だったか」


「無事です。ただ、新しい敵と遭遇しました」


「新しい敵?」


 俺は状況を説明した。


 黒い塊のような存在。

 魔力を吸収する性質。

 物理攻撃が有効だったこと。


 カルバは険しい顔で聞いていた。


「虚環の眷属が、砦の近くまで来ているということか」


「そうです。今後、砦の防衛にも影響が出るかもしれません」


「対策を考える必要がある」


「はい。ただ、まだわからないことが多いです」


 カルバは頷いた。


「今日はよく戻ってきた。休め」


---


 夜、部屋に戻ると、リーディアが俺の腕を確認した。


「あの塊に触れた腕、見せて」


「痛みはあまりないです」


「見せて」


 俺は上着をめくった。


 目立った傷はない。

 ただ、少し腕が重い感じがする。


「魔力を吸われかけたと言っていたわね」


「盾を通して、何かが引っ張られる感じがしました」


 リーディアが計測杖を確認するように、じっと腕を見た。


「オルドに、後でもう一度診てもらった方がいい」


「わかりました」


「あなたの通り道、今日また何か変化があったかもしれない」


「そうかもしれません」


 リーディアは少し黙った。


「今日、盾を捨てて体でぶつかった判断」


「はい」


「よかった」


「危険な賭けでした」


「わかっている。でも、その場での判断としては正しかった」


「ありがとうございます」


「礼はいらない」


「積み上げておきます」


 リーディアは小さく息を吐いた。


「本当に、いつかまとめて払ってもらう」


「楽しみにしておいてください」


 その言葉に、少しだけ笑いが返ってきた。


---


 窓の外を見ながら、俺は今日のことを考えていた。


 虚環の眷属。

 魔力を吸収する敵。

 物理攻撃が有効という発見。


 新しい脅威が、はっきりとした形で現れた。


 王骸はまだ姿を見せていない。

 でも、その断片が、少しずつ世界に染み出してきている。


 それに対抗するためには、今までの戦い方だけでは足りない。


 人間の力、魔族の力、それぞれの限界を知り、補い合う必要がある。


 その考えが、頭の中で少しずつ形になっていった。


「リーディアさん」


「何」


「今日の敵、俺一人でも、リーディアさん一人でも、対処できませんでした」


「そうね」


「でも、二人でなら、対処の糸口が見つかりました」


 リーディアは俺を見た。


「何が言いたいの」


「これから先、もっと多くの敵と向き合うことになると思います。そのとき、一人の力だけでは足りない場面が増えるかもしれません」


「連携が必要だということね」


「はい。人間と魔族、それぞれの得意なことを組み合わせる必要があります」


 リーディアは少し考えた。


「アルヴァンやミラナのことを考えている?」


「彼らだけじゃないです。オルドさん、ソフィアさん、それにこれから出会う人たち」


「大きな話になってきた」


「まだ形にはなっていません。ただ、今日の敵と戦って、その必要性を強く感じました」


 リーディアは窓の外を見た。


「王骸が本格的に動き出したら、一つの砦や、一つの陣営では対処できないかもしれない」


「そう思います」


「なら、その準備を、今から始めるべきかもしれない」


 その言葉は、静かだったが、確かな重みを持っていた。


「準備、というのは」


「人間と魔族の混成で動ける部隊を作ること。今日みたいな敵と戦うための、専門の対応チームを」


 俺はその言葉に、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。


 混成部隊。


 それは、まだ漠然とした形でしかない。

 でも、今日の戦いが、その最初の一歩になるかもしれない。


「カルバさんに提案してみます」


「私も一緒に話す」


「ありがとうございます」


「礼はいらないと、何度言えばわかるの」


「わかっているんですが、言いたくなるので」


 リーディアは小さくため息をついたが、その表情はどこか穏やかだった。


「おやすみ、ソーイ」


「おやすみなさい、リーディアさん」


 目を閉じる。


 今日、新しい敵と出会った。

 新しい弱点と、新しい可能性を見つけた。


 そして、混成部隊という、まだ形のない未来の輪郭が、少しだけ見えてきた。


 二十一日目が終わった。


 まだ道は長い。


 でも、確かに前に進んでいる。


 それを実感できただけで、今日は十分だった。


次話は明後日の19:00に投稿します。


2日に1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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