第44話 拳の距離
二十日目の朝、砦の空気は静かだった。
遺跡での修復を終え、将軍の拘束も進んだ。
だが、何かが片付いたわけではない。
むしろ、片付いていないことが増えた。
封印核は一度の修復では足りない。
十日後に再び行く必要がある。
教団はまだ残っている。
人類軍の中にも、魔族側にも、影響を受けた者がいるかもしれない。
俺は見張り台で感知を続けながら、その整理を頭の中でしていた。
「今日の感触は」
レイが隣で聞いた。
「静かです。大きな動きはありません。ただし、砦の中の緊張が昨日より複雑です」
「複雑?」
「人類側の者が砦にいることに、慣れ始めた人と、慣れきれない人が混ざっています。敵意ではないですが、判断が揺れている感触があります」
「揺れは、時間がいるな」
「そうですね。昨日まで敵だった人間が、急に味方になるわけではないので」
「それでも、お前は動き続けるつもりか」
「はい」
「迷わないのか」
「迷います。ただし、迷いながら動く方が、止まるよりましだと思っています」
レイは少し笑った。
「相変わらず変なことを言う」
「よく言われます」
「もう、最近ではなくなってきたな」
「たぶん、昔からです」
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昼前、ミラナが砦の中庭に立っているのが見えた。
アルヴァンの姿はない。
彼はカルバと話しているらしい。
ミラナは腕を組み、訓練用の木人の前に立っていた。
何か考えているようにも、苛立っているようにも見える。
リーディアが俺の横に来た。
「下りるわよ」
「訓練ですか」
「違う。ミラナが呼んでいる」
「俺をですか」
「たぶんね」
見張り台を下りて中庭に向かう。
ミラナは俺たちを見ると、少しだけ顎を上げた。
「来たか」
「呼びましたか」
「呼んではいない。ただ、来ると思った」
「どうしてですか」
「あなたは、立っている人間を見ると、何かあると思って近づくタイプだろう」
図星だった。
俺は少し困って、頷いた。
「否定できません」
ミラナは少しだけ笑った。
「そういうところは、アルヴァンに似ている」
リーディアが横で小さく息を吐いた。
嫌そうなわけではない。
ただ、その言葉を聞き逃さないという顔だった。
「何か用ですか」
俺が聞くと、ミラナは木人を指した。
「試したいことがある。あなたの盾役としての動き」
「俺の動きですか」
「そう。遺跡の後、あなたの役割が広がった。感知だけではなく、封印核の場でも判断を出した。前に立つ役として、どこまで信用できるか、自分の目で確認したい」
リーディアが先に口を開いた。
「それは、どういう意味」
「言葉通りよ。ソーイが盾役として、どこまで踏ん張れるか見たい。あなたは連携前提で評価している。それはそれで正しい。でも、私は別の角度から見たい」
「敵として、ですか」
「敵としてではない。仲間になる可能性がある相手として」
ミラナの言葉は真っ直ぐだった。
ごまかしがない。
だからこそ、重かった。
「俺が相手をしますか」
「そう。剣はいらない。拳だけでいい。私はあなたを倒すつもりはない。距離と反応を見るだけ」
リーディアが俺を見た。
「やる?」
「やります」
「即答ね」
「必要な確認だと思うので」
リーディアは少しだけ眉を寄せた。
「無理はしないで」
「はい」
「返事が軽い」
「軽くはないです」
「そういうところが軽いの」
ミラナが吹き出した。
「確かに、少し軽いな」
「二人とも同じことを言いますね」
「同じことを思ったからでしょう」
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中庭の中央に立った。
ミラナは武器を持っていない。
俺は盾だけを出した。
片手剣は出さない。
「条件を確認する」
ミラナが言った。
「私は拳だけ。あなたは盾のみ。防線号令なし。感知は使っていい」
「わかりました」
「勝敗を決めるわけではない。三つ見る。反応、重心、距離感」
「三つだけですか」
「その三つが崩れている人間は、前に立てない」
俺は構えた。
足を開く。
膝を曲げる。
盾を斜めに構える。
グレイノで教わった構え。
砦でダルグに直された角度。
全部を頭の中で繋ぐ。
「行く」
ミラナが動いた。
速い。
ダルグとも違う。
アルヴァンとも違う。
重さより、鋭さが前に出る速さだ。
右から来る。
盾を向ける。
ミラナの拳が、盾の縁すれすれで止まった。
当てない。
止めた。
「今ので動いた」
「はい」
「拳が当たる前に、右へ重心が流れた」
「見えていましたか」
「見えていた。盾に頼る前に、体が逃げた」
俺は少し息を吐いた。
図星だった。
「もう一度」
今度は左から来る。
俺は足を踏ん張った。
盾を左に向ける。
ミラナの拳が止まる。
今度は体は逃げなかった。
「今のはいい」
「ありがとうございます」
「まだ早い。次」
今度は正面から一歩踏み込んできた。
でも殴らない。
そのまま、懐の近くで止まる。
近い。
近すぎる。
俺は反射的に半歩下がった。
「今ので距離が崩れた」
「近かったので」
「近い相手から下がるのは間違いじゃない。ただし、下がるなら盾の角度を残しなさい。今のは下がることに意識が行って、盾が死んだ」
確かに、俺の盾は少し下がっていた。
半歩下がることに集中して、守る角度が消えていた。
「近い相手に慣れていません」
「そうでしょうね。あなたは今まで、獣か剣士としかやっていない。素手で潜り込んでくる相手に慣れていない」
ミラナは木人を蹴ってずらした。
「私は拳で距離を詰める。盾役にとって、一番嫌な相手の一種よ」
「嫌だというのは、今よくわかりました」
ミラナは少し笑った。
「素直でよろしい」
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数回繰り返した。
ミラナは本気で殴らない。
ただし、止める位置がどんどん近くなる。
俺は毎回、反応をずらされる。
右、左、正面、右。
フェイントが少ない分、純粋に速い。
「止められても反応できていない」
ミラナが言った。
「今のあなたは、盾を置いているだけ。相手がどこへ入ってくるかを、自分から読めていない」
「感知で敵意はわかります」
「敵意はわかる。でも、拳の軌道まではわからない」
「はい」
「だから、自分の目と体で読む必要がある」
俺は息を整えた。
「読むには、どうすればいいですか」
「肩を見る。腰を見る。足先を見る。拳そのものを追うと遅れる」
「ダルグさんにも、足先を見るように言われました」
「近接では、それに肩と腰が増える。特に素手の相手は、肩の開きが早い」
「肩の開き」
「次、そこを見ること」
ミラナが構えた。
俺は肩を見る。
右肩が、わずかに前に出た。
右だ。
盾を右へ。
拳が止まる。
「今のはマシ」
「マシ、ですか」
「かなりマシ。褒め言葉だと思っていい」
リーディアが後ろで言った。
「半分くらい?」
ミラナが振り返った。
「半分どころか七割くらい」
「高評価ですね」
「今の一回だけならね」
すぐに釘を刺された。
「継続できなければ意味がない」
「それはそうですね」
「あなた、よくそうですねって言うな」
「実際そうなので」
「便利な返事だ」
「よく言われます」
「最近言われ始めた?」
少し笑いを含んだ声だった。
「もう定番ですね」
ミラナは小さく笑った。
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少し休憩を挟んだ。
木陰で水を飲む。
リーディアが横に来た。
「どうだった」
「嫌な相手です」
「正直ね」
「本当に嫌です。近いし、速いし、盾の外へ入ってきます」
「でも、あなたには必要な経験」
「そうですね」
リーディアが少しだけ真面目な顔になった。
「ミラナの動きは、アルヴァンとは別種の脅威よ。勇者の剣を受ける盾と、素手で潜り込んでくる相手への対応は、全然違う」
「両方に対応できるようにならないと、混成で動くときに穴になりますね」
「そう」
俺はその言葉を聞いて、少し止まった。
「混成で動くとき、ですか」
リーディアは一瞬だけ言葉を止めた。
「……そういう可能性もある、という意味よ」
「可能性としては、かなり具体的な言い方でした」
「揚げ足を取らないで」
「すみません」
「謝らない」
俺は少し笑った。
リーディアも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「今の段階では、まだ可能性よ。ただ、アルヴァンとミラナが動いている以上、今後どこかで、同じ方向を向いて動く場面が来るかもしれない」
「そのときに、俺がミラナさんの動きにまったく対応できないとまずい」
「そういうこと」
「なら、今日の経験は必要でした」
「必要よ」
その言い方に、少しだけ強さがあった。
俺に言い聞かせるというより、自分にも確認している感じだった。
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休憩後、もう一度向き合った。
ミラナが言う。
「次は、こちらが本当に軽く当てにいく。危ないと思ったら止める」
「わかりました」
「止めるのはそっちよ。私じゃない」
「厳しいですね」
「前に立つなら当然でしょ」
その言い方は、妙にリーディアに似ていた。
俺は構えた。
肩。
腰。
足。
意識を分散する。
敵意標識は使う。
でも、それに頼りすぎない。
ミラナが踏み込む。
右肩。
右だ。
盾を右へ。
拳が、今度は止まらずに当たった。
ただし、盾の縁に浅く当たっただけだ。
衝撃は軽い。
「今のはいい」
「少し当たりました」
「浅い。当てられたと言うより、かすめた程度。それで十分」
次。
左から。
今度は読めた。
盾が先に動く。
拳が止まる。
「だんだんよくなってる」
次。
正面から入り、途中で右。
肩の開き。
腰の捻り。
読めない。
半歩遅れた。
拳が肩に当たる。
痛い。
「っ」
「今のは当たった。でも、倒れてない」
ミラナが言った。
「当たっても崩れないことも大事」
「当たらない方がよくないですか」
「もちろんそう。でも、全部避けるのは無理。だから、当たっても崩れない位置に体を置く」
俺は肩を押さえた。
痛いが、骨ではなさそうだ。
「続けられる?」
「はい」
ミラナは頷いた。
「その返事は、少し好き」
「好き、ですか」
「言い方の話よ。変な勘違いをしないで」
「していません」
「一瞬した顔だった」
「していません」
ミラナは呆れたように息を吐いた。
でも、機嫌は悪くなさそうだった。
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十分ほど続けて、ようやく終わった。
息が上がる。
腕も肩も疲れている。
だが、最初より明らかに読める場面が増えた。
「どうでしたか」
俺が聞くと、ミラナは少し考えた。
「評価するなら、前半は三十点。後半は六十点」
「後半で倍ですね」
「倍よ。ただし、実戦で通用するかは別」
「それはそうですね」
「でも、伸び方は悪くない」
「それは褒め言葉ですか」
「ちゃんと褒めてる。珍しく」
その言い方で、本当に珍しいのだとわかった。
「ありがとうございます」
「礼はいらない。代わりに覚えておきなさい」
「何を」
「盾役は、守る相手だけ見ていたら遅れる。敵の入り方を読むことも、同じくらい大事」
「はい」
「あと、アルヴァンのことを勘違いしないこと」
「どういう意味ですか」
ミラナは腕を組んだ。
「あなた、アルヴァンに似たところがある。考えすぎるところとか、正直すぎるところとか」
「そうですね」
「でも、あなたはあなた。アルヴァンの代わりになろうとしなくていい」
「そんなつもりはないですが」
「無意識にそうなる人はいる。勇者の近くにいると、勇者の考え方に引っ張られることがあるから」
「俺は、アルヴァンさんに引っ張られていますか」
「少しは。でも、リーディアがいるから、完全には引っ張られてない」
その名前が出た瞬間、リーディアがこちらを見た。
聞こえていたらしい。
「私が何?」
ミラナは振り返らずに答えた。
「ソーイが片方に寄りすぎないように、ちゃんと重しになってるって話」
リーディアは少し黙った。
「そう見える?」
「見える。あなたは、ちゃんと止める役をやってる」
「……そう」
短い返事だった。
でも、それで十分だったらしい。
ミラナもそれ以上は言わなかった。
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夕方、アルヴァンが中庭に来た。
ミラナと俺の訓練が終わったところだった。
「終わったか」
「終わった。ソーイは思ったより素直に伸びる」
「思ったより、ですか」
「最初は盾の置き方が雑だった。でも、反応は悪くない」
アルヴァンが俺を見た。
「鍛えられているな」
「周りに良い先生が多いので」
「それは強い」
アルヴァンは少し笑った。
「俺も、いい仲間に鍛えられてきた」
ミラナが肩をすくめた。
「それを自分で言うのか」
「事実だろう」
「まあ、事実ではある」
二人のやり取りを見ていると、長い時間を一緒に過ごした者同士の距離感がわかる。
言葉が短くても、ちゃんと通じている。
俺とリーディアも、いつかこうなるのだろうか、と一瞬思った。
いや、まだ早い。
そういうことを考える段階ではない。
頭の中でそう否定したのに、ミラナがふっとこっちを見た。
「今、変なこと考えたな」
「考えていません」
「その返し方は考えたときのやつ」
「違います」
「図星っぽい」
俺が返しに困っていると、リーディアが横から言った。
「ソーイ、顔に出てる」
「……すみません」
「謝るな」
ミラナとリーディアの声が重なった。
一拍おいて、三人とも少し笑った。
アルヴァンだけが、何が起きたのかわからない顔をしていた。
「何の話だ」
「気にしなくていい」
ミラナが即答した。
アルヴァンは少しだけ納得いかなそうだったが、追及はしなかった。
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夜、部屋に戻ると、リーディアが窓の近くに立っていた。
「ミラナと何を話したの」
「盾役としての入り方と、アルヴァンさんとの距離感の話です」
「距離感?」
「俺がアルヴァンさんに引っ張られすぎないように、リーディアさんが重しになっている、と」
リーディアが少し振り返った。
「そんなことを言っていたの」
「はい」
「どう思った」
「その通りかもしれないと思いました」
「どこが」
「俺は、アルヴァンさんの考え方に共感する部分があります。共存を目指す方向とか、戦争を終わらせたい気持ちとか。でも、リーディアさんが止めてくれるから、地面から浮きすぎずに済んでいる気がします」
リーディアは少しの間、黙っていた。
「重し、ね」
「嫌でしたか」
「嫌ではない。ただ、あまり良い言い方ではない」
「では、別の言い方にすると」
「足場、かもしれない」
その言葉は、思っていた以上に真っ直ぐ胸に入ってきた。
「足場、ですか」
「浮きすぎないためのもの。前に出るためのもの。そういう意味なら、その方が近い」
「わかりました。今後は足場と言います」
「言わなくていい」
「では、心の中でそう思っておきます」
「それなら勝手にしなさい」
リーディアは少しだけ笑った。
今日の笑いは、柔らかかった。
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窓の外では、灰境線の向こうに月が出ていた。
遺跡の封印核。
王骸の一部。
千年前の共闘。
今の仮初めの休戦。
全部が重い。
でも、その重さを一人で背負っているわけではない。
それが、少しずつわかってきていた。
「おやすみ、ソーイ」
「おやすみなさい、リーディアさん」
目を閉じる。
今日も、少しだけ前に進んだ。
拳の距離を知った。
足場の意味を知った。
そして、急ぎすぎずに進むことを、また一つ体で覚えた。
十九日目が終わった。
まだ道の途中だ。
でも、今日はそれで十分だった。
次話は明後日の19:00に投稿します。
2日に1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




