第43話 一時休戦
十九日目の夜は、ほとんど眠れなかった。
遺跡の封印核。
十八分。
人間と魔族の魔力を交互に注ぐ。
千年前には、それが当たり前に行われていた。
今は、それ自体が奇跡みたいなことだ。
俺は寝台に横になりながら、明日の手順を頭の中で繰り返した。
三分ごとに区切る。
声を出し続ける。
不快感が強くなったら、すぐに伝える。
盾は必要になるまで出さない。
通り道を絞ることを優先する。
理屈は整理できている。
だが、整理できた理屈と、実際に地下で王骸の一部を前にしたときに体が動くかどうかは、別問題だった。
窓の外では、二つの月が傾いている。
夜が終われば、遺跡へ向かう。
人間と魔族が、同じ場所で同じことをする。
それがどれほど重いことなのかを考えるほど、眠気は遠のいた。
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夜明け前、リーディアが起きた。
ほとんど同時に、俺も起き上がる。
「眠れた?」
リーディアが聞いた。
「半分くらいです」
「十分よ」
「リーディアさんは」
「似たようなもの」
彼女は短く答えた。
それ以上は言わない。
でも、少しだけ声が硬かった。
緊張しているのだと思った。
俺も同じだった。
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出発前に、カルバが全員を集めた。
遺跡へ向かう面子は、昨日と同じだ。
こちらは、カルバ、オルド、リーディア、ヘルト、俺。
向こうは、アルヴァン、ミラナ、それから護衛二名。
「今日の目的は明確だ」
カルバが言った。
「封印核の確認と、可能なら修復の試行。無理はしない。異常が出たら、即座に撤退する」
全員が頷いた。
「ソーイ」
「はい」
「あなたの感知が、一番重要だ。体調に異変があれば、遠慮なく言ってくれ」
「わかりました」
「遠慮なく、だ。言わなかった場合、全体が危険になる」
「はい」
「リーディア」
「何」
「ソーイが限界だと言ったら、そこで止める」
「わかっている」
「あなた自身の魔力も同じだ。限界を超えるな」
「それも、わかっている」
カルバは全員を一度見渡した。
「行く」
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遺跡までの道は、昨日よりも短く感じた。
歩きながら感知を広げる。
前方に、遺跡の重い感触。
地下に沈んだままの巨大な構造物の圧。
そこに混じる、薄い不快感。
「昨日より少しだけ強いです」
俺は歩きながら言った。
「不快感も、遺跡の感触も。微差ですが、確実に強くなっています」
「封印が、さらに緩んでいるのか」
オルドが呟いた。
「可能性は高い。昨日の時点で核に亀裂が入っていた。今も進行しているのだろう」
「今日中にやるしかない、ということですね」
アルヴァンが言った。
「そうだ。少なくとも、試みる価値はある」
カルバが短く答えた。
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遺跡の南側入り口に着くと、空気がひんやりとしていた。
地上は朝に向かって明るくなっているのに、入り口の中だけ夜が残っているように暗い。
昨日と同じように、中へ入った。
ただし今日は、全員が少し慎重だった。
分岐が変わる可能性がある。
通路が閉じる可能性がある。
封印核に近づきすぎれば、俺の感知が潰れるかもしれない。
知っている危険が、昨日より増えていた。
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入り口を抜けてすぐ、昨日と同じ場所で通路が二つに分かれていた。
「構造は、昨日と同じですね」
ミラナが言った。
「今のところはな」
ヘルトが返す。
「ここから先で変わる可能性がある。油断はするな」
俺は前方の感知を広げた。
左の通路。
右の通路。
昨日、俺たちが進んだ左組のルートの方が、やはり魔力が強い。
「正面方向……というより、昨日の左ルート側の魔力が強いです。封印核に続いている感触があります」
「なら、同じだな」
カルバが先頭に立った。
「昨日と同じ組み方で行く。ただし、今日は途中で分岐しても無理には追わない。核の確認を最優先だ」
「わかった」
アルヴァンが頷く。
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昨日と同じルートを進む。
途中で通路が閉じる音がした。
背後の石が動き、戻り道が消える。
昨日と同じだ。
「戻り道は封じられました」
俺が言うと、カルバが頷いた。
「予想通りだ。前に進む」
不快感が強まる。
胸の奥の通り道が、じわじわと熱を持つような感覚。
俺は小さく、自分の名を繰り返した。
「ソーイ……ソーイ……」
声を出すと、少しだけ輪郭が保てる。
完全ではない。
でも、確かに違う。
リーディアが横目で見た。
「大丈夫?」
「まだいけます」
「まだ、という言い方はやめて」
「今のところ、いけます」
「それでいい」
短いやり取りだった。
でも、その言葉が少しだけ気持ちを落ち着かせた。
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広間に着いた。
昨日と同じ、黒い球体が中央に置かれた部屋だ。
球体の表面の亀裂は、昨日よりわずかに広がっているように見えた。
見るだけでわかるくらいに。
「亀裂が進んでいる」
オルドが低く言った。
「昨日より確実に広がっている。急がねばならん」
アルヴァンが球体を見た。
「手順は確認済みだ。人間の魔力を三分。次に魔族の魔力を三分。それを三回繰り返す」
「順番を崩すな」
カルバが言った。
「リーディア、アルヴァン。準備を」
二人が前に出る。
球体を挟むように向かい合う位置に立った。
俺はその少し後ろ。
不快感の中心から、できるだけ距離を取りつつ、二人の様子が見える位置だ。
オルドが時間を管理する役を引き受けた。
「いいか。三分ごとに私が声をかける。ソーイ、お前は自分の状態だけでなく、二人の感触の変化も追えるだけ追ってくれ」
「はい」
「無理なら無理と言え」
「はい」
何度目かになるやり取りだった。
でも、今はそれが必要だった。
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「始める」
オルドの声で、アルヴァンが球体に手をかざした。
光属性を帯びた魔力が、ゆっくりと球体に流れ込む。
球体の黒さの一部が、白く縁取られた。
人間の魔力だ。
俺の胸の奥の不快感が、少しだけ形を変えた。
押し込まれるような不快感が、薄くなる。
「少し……変わりました」
俺は言った。
「不快感が、わずかに弱まりました。完全ではないですが」
「人間の魔力が効いている」
オルドが言った。
「続けろ」
アルヴァンの表情は真剣だった。
感触も、集中している。
揺れはない。
三分間、ほとんど動かずに魔力を注ぎ続けた。
「交代」
オルドの声。
アルヴァンが手を離し、リーディアが前に出た。
リーディアの銀紋が、腕から首筋へ広がる。
黒燐火を撃つときとは違う。
もっと静かな発光だ。
彼女の魔力が球体に流れ込んだ瞬間、今度は黒い球体の別の部分が、暗い青色に変わった。
魔族の魔力だ。
不快感が、さらに少しだけ弱まる。
「下がっています」
俺は声を出した。
「少しずつですが、確実に下がっています」
リーディアは何も言わない。
ただ、集中していた。
三分。
交代。
再びアルヴァン。
再びリーディア。
繰り返すごとに、球体の亀裂がわずかに閉じていくのが見えた。
完全ではない。
でも、昨日より進行が止まっているのは確かだった。
「効いてる」
ミラナが小さく言った。
「本当に、効いてる」
その声には驚きがあった。
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二巡目の終わり頃、不快感が急にぶれた。
方向のない不快感が、急に左右に揺れたような感覚。
「変化があります!」
俺は叫んだ。
「何だ」
カルバが即座に反応する。
「不快感が揺れています。外から何か干渉が入った感じです。石ではない。もっと大きい」
オルドの顔色が変わった。
「王骸の一部が、反応しているのかもしれん」
「止めるか」
ヘルトが問う。
俺は感知を続けた。
揺れはある。
でも、壊れる方向ではない。
むしろ、抵抗しているような感触だ。
「止めないでください」
俺は言った。
「抵抗している感じです。こっちの流れが効いていて、向こうが嫌がっている」
アルヴァンがこちらを見た。
「信じていいか」
「今は、それが一番正しいと思います」
カルバが頷いた。
「続ける」
オルドが時間を告げる。
三巡目に入った。
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最後の三分間が、ひどく長く感じた。
不快感は揺れ続けている。
だが、少しずつ弱まっている。
球体の亀裂も、完全ではないが、最初より狭くなっていた。
「あと一分」
オルドの声。
リーディアの顔色が少し悪い。
魔力の消耗が大きいのだろう。
アルヴァンも息が荒くなっている。
それでも二人とも手を止めない。
「あと三十秒」
俺は自分の名を小さく繰り返しながら、感知を続けた。
通り道を絞る。
潰れないようにする。
目の前が少し霞んでいた。
それでも、まだ持つ。
「終わり」
オルドの声と同時に、二人が手を離した。
広間が静まった。
球体の亀裂は、完全には消えていない。
でも、最初より明らかに閉じていた。
不快感も、広間に入ったときよりずっと弱くなっている。
「成功した……のか」
ヘルトが言った。
オルドが球体を確認する。
「完全修復ではない。ただし、進行は止まった。少なくとも、今日の時点で崩壊することはない」
アルヴァンが大きく息を吐いた。
リーディアは一歩後ろに下がり、壁に手をついた。
俺はすぐそばに寄った。
「大丈夫ですか」
「大丈夫……とは言いにくいわね」
声は出ていた。
ただ、かなり消耗している。
「座れますか」
「座るくらいなら」
俺は彼女がゆっくり座るのを支えた。
感知の不快感より、今は彼女の消耗の方が気になった。
「リーディアさん」
「何」
「無理しましたね」
「あなたに言われたくない」
それでも、少し笑った。
その笑いに、少し安心した。
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アルヴァンも膝をついて息を整えていた。
ミラナがその横にしゃがみ込む。
「無茶したな」
「お互い様だろう」
「私は注いでいない」
「ここまで来た時点で十分無茶だ」
ミラナは小さく息を吐いた。
「……倒れるなよ」
「倒れない」
「その言い方は信用できない」
「お前も、最近はリーディアに似てきたな」
「似ていない」
そのやり取りを見て、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
完全に敵ではない。
少なくとも、この瞬間は。
人間と魔族が、同じものを修復するために動いた。
それが目の前で起きた事実だった。
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少し休んだ後、オルドが石板を追加で確認した。
「封印の核は、一度の修復では完全には戻らない。定期的に魔力を注ぐ必要がある」
「どのくらいの頻度で」
カルバが聞く。
「記述では、月に一度。少なくとも三回は必要だとある」
「三回」
アルヴァンが顔を上げた。
「つまり、今日だけでは終わらないということか」
「終わらない。今日は応急処置に近い。本格的に安定させるには、継続が必要だ」
「人間と魔族が、あと二回はここで協力する必要がある」
「そういうことになる」
広間に沈黙が落ちた。
それは重い沈黙だった。
共存の可能性が証明されたと同時に、それが一度きりでは足りないと示されたからだ。
「できるか」
ヘルトが低く言った。
「二回も、同じように人類側と魔族側が協力できると思うか」
誰もすぐには答えなかった。
俺はその沈黙の中で、はっきりと思った。
ここで言わなければならないことがある。
「できるかどうかは、まだわかりません」
俺は言った。
全員がこちらを見た。
「でも、今日できたことは事実です。一回できたなら、二回目も三回目も、可能性はゼロじゃない」
「可能性の話か」
ヘルトが言う。
「はい。今は可能性の話です。でも、千年間できなかったことが、今日一度できた。なら、次も目指せます」
「簡単に言うな」
「簡単ではありません。ただし、簡単でないからやらない、にはしたくないです」
カルバが静かに言った。
「ソーイの言う通りだ。一度できたことは、可能性になる」
アルヴァンも頷いた。
「次もやる。人類側は俺が動く」
リーディアが壁にもたれたまま言った。
「魔族側は、私がやる」
「無理だろう」
ヘルトが言う。
「今日の消耗を見ただろう」
「無理でもやる。そういう話でしょう」
リーディアの声は、疲れていた。
でも、芯は揺れていなかった。
「ただし、次はもっと準備が必要だ」
オルドが言った。
「魔力の温存、通路の安全確認、石の痕跡の排除。今回わかった課題を全部潰してから次に行く」
「次は一か月後か」
「いや、核の状態による。今日の修復で進行は止まったが、完全ではない。十日後に一度、状態を確認する必要がある」
「十日後」
アルヴァンが繰り返した。
「十日後までに、人類側の状況を整えなければならない」
「魔族側もだ。評議会への連絡が必要になる」
「それぞれ、持ち帰るものが多いな」
カルバが言った。
その通りだった。
今日ここで得た事実は重い。
そして、その重さを、それぞれの陣営に持ち帰らなければならない。
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遺跡を出る頃には、日が高くなっていた。
外の空気は乾いていて、広間の重さが嘘のようだった。
それでも、胸の奥の不快感は完全には消えていない。
ただ、明らかに弱くなっている。
「外に出ると、かなり楽です」
俺は言った。
「核の圧が下がったからだろう」
オルドが答えた。
「完全にではないが、修復の効果はあった」
アルヴァンが空を見上げた。
「本当に、やれたんだな」
「やれた」
カルバが短く答える。
「ただし、ここから先の方が難しい」
「そうですね」
俺も頷いた。
一度やれた。
だから次もやれる、とは限らない。
次は、陣営同士の調整が必要になる。
教団の妨害もあるだろう。
王骸の影響も強くなるかもしれない。
やれたことは希望だ。
でも、希望はそれだけでは前に進まない。
守るためには、動かなければならない。
「ソーイ」
リーディアが呼んだ。
「はい」
「さっき、ありがとう」
「何がですか」
「止めないでと言ったこと。あのまま止めていたら、今日の修復は中途半端で終わっていたかもしれない」
「感知でそう感じただけです。正しかったかどうかは、まだわかりません」
「結果として、進行は止まった。それで十分」
リーディアは少しだけ笑った。
疲れているのに、ちゃんと笑えていた。
それが、今日一番安心したことだった。
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砦への帰り道、アルヴァンが俺の隣に来た。
「今日、思ったことがある」
「何ですか」
「人間と魔族が協力できるかどうか、昨日までは可能性として考えていた。今日、初めて、現実の手触りとして感じた」
「俺もです」
「ただし、その手触りは重いな」
「重いですね。一度きりでは足りないとわかったので」
「一度きりなら、偶然だったと言える。二度目からは、意志が必要になる」
「意志、ですか」
「そうだ。次もやるなら、誰かが強く決めなければいけない」
俺は少し考えた。
「アルヴァンさんは、決めていますか」
「決め始めている。まだ完全ではないが」
「何を」
「俺は勇者としてではなく、一人の人間として、何を守るかを決めなければいけない。今日の遺跡で、それが少しだけ見えた」
「どう見えましたか」
「勝つことより、残すことの方が大事だということだ。封印も、未来も、関係も」
その言葉は、静かだった。
でも重かった。
アルヴァンは本当に、少しずつ変わっているのだと思った。
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砦が見えてきた。
北門の上に立つ見張りが、こちらに気づいて合図を送る。
今日も全員戻れる。
それだけで、少し肩の力が抜けた。
十九日目が、終わろうとしていた。
人間と魔族が一緒に何かを守った日。
その事実は、これから先の全部の土台になるかもしれない。
ただし、土台だけでは建たない。
ここから先に、何を積み上げるか。
それを考える段階に、俺たちは入ったのだと思った。
次話は明後日の19:00に投稿します。
2日に1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




