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第39話 リーディアの苛立ち

 十六日目の朝、砦の空気が変わっていた。


 将軍が拘束された。

 教団の者が捕まった。

 攻撃命令が取り消された。


 それだけで、砦の緊張感が一段階下がっていた。


 ただし、完全に緩んだわけではない。


 俺はそれを、感知で感じていた。


 全体の緊張感が薄くなった分、砦の内部にあった疑問や不満が、少し表に出てきていた。


---


 朝食の時間、食堂に行くと、いくつかのグループが話していた。


 声の内容を聞くつもりはなかったが、いくつかの言葉が聞こえた。


「アルヴァンが砦にいる間、将軍が攻撃してくるかもしれない」


「将軍は拘束されたが、教団はまだある」


「人類軍と本当に和解できるのか」


 俺はそれを聞きながら、粥を食べた。


 疑問は当然だった。


 俺自身も、同じことを思っていた。


---


 食事の後、リーディアに呼ばれた。


「少し話がある」


「はい」


 いつもの訓練の場所ではなく、砦の端にある石垣の上だった。


 灰境線が見える場所だ。


 リーディアは石垣に腰を下ろし、遠くを見ていた。


 俺も隣に座った。


「昨日のことを聞いていいか」


「はい」


「将軍が拘束された。それはよかった」


「そうですね」


「ただし、その後のことが気になっている」


「どのことですか」


「アルヴァンが砦に来た。評議会が動いた。将軍が拘束された。この流れは、あなたが仲介して作ったものだ」


「仲介というほどのことはしていません。感知を続けて、伝え続けただけです」


「それが仲介だ」


 リーディアの声に、少し硬いものがあった。


「何か問題がありましたか」


「問題というより、確認したいことがある」


「はい」


「あなたは、今後もこういう動きを続けるつもりか」


「状況次第ですが、できることをやるつもりです」


「状況次第では動かないこともあるということか」


「砦の方針と外れる場合は、カルバさんに確認します」


「カルバの確認を取れば、何でもやるということか」


 リーディアの問い方が、少し鋭くなっていた。


 俺は少し考えた。


「何でもやるとは思っていません。ただし、できることがあれば、動く方がいいと思っています」


「動く方がいい理由は」


「動かなければ、変わらないからです」


「変えることが、常に正しいとは限らない」


「そうですね」


「そうですね、とすぐ認めるのか」


「リーディアさんの言っていることは正しいと思うので」


「正しいと思うなら、なぜ動き続けるのか」


 俺は少し間を置いた。


「変えることが常に正しいとは限らない。でも、変えなければいけない場合もある。その判断をしながら動いています」


「昨日の動きは、その判断の結果か」


「はい。将軍が石を使う前に止める必要があると判断しました。それが間違いだとは思っていません」


「間違いとは言っていない」


「では、何が気になっているんですか」


 リーディアは少しの間、黙った。


 灰境線を見ていた。


「あなたが、先を急ぎすぎている気がする」


「先を急いでいますか」


「急いでいる。将軍を倒した。教団の者を三名捕まえた。評議会が動いた。それで何かが解決したと思っているか」


「解決したとは思っていません」


「本当にそう思っているか」


「思っています。ただし、一歩進んだとは思っています」


「一歩進んだことで、次が来る前に立ち止まらなかった。それが気になっている」


---


 俺はリーディアを見た。


 彼女の顔は、怒っているわけではなかった。


 ただ、何かを抑えているような顔だった。


「リーディアさん、直接言ってもらえますか。何が気になっているのか」


 リーディアは少しの間、答えなかった。


「あなたが昨日、将軍の陣営に行くとき、俺は行くなとは言わなかった」


「言いませんでした」


「止める理由がなかったからだ。ただし、心配していた」


「心配していたことは、昨夜感じました」


「感知でか」


「感知というより、リーディアさんの顔でわかりました」


 リーディアは少し目を逸らした。


「顔に出ていたか」


「出ていました」


「それは余計なことだ」


「余計ではありません。俺には必要な情報でした」


「なぜ必要なのか」


「俺が無茶をしていないかどうかの目安になります。リーディアさんが心配するなら、無茶かもしれない。心配しないなら、適切な範囲かもしれない」


「俺の心配を目安にするのか」


「最初に目安になる人が、リーディアさんです」


「最初に、ということは他にもいるのか」


「カルバさんとヘルトさんも目安になります。ただし、俺の動きを一番近くで見ているのがリーディアさんなので、最初に参考にします」


 リーディアは石垣の石を指で叩いた。


 何かを考えている。


「昨日、心配していたのは本当だ。ただし、今の話をしたかったのはそこではない」


「では、どこですか」


「あなたが動き続けることで、何かを積み上げていると思っている。それは正しいと思う。ただし、積み上げるためには、立ち止まって確認することも必要だ」


「確認が足りないということですか」


「十分かどうかはわからない。ただし、昨日の動きを振り返って、何を学んだかを考えたか」


「昨夜、少し考えました」


「何を考えた」


「感じたことを伝えることが、計画を狂わせることもある。感知は、攻撃だけでなく、逃走や準備にも使えることがわかりました。ソフィアとの分担が有効だったこともわかりました」


「それだけか」


「それだけではありません。ただし、もっと考える時間が必要な部分もあります」


「どの部分か」


「俺が動いた結果、砦の外の状況が変わりました。人類軍の陣営内部が変わった。評議会が動いた。それは俺が予測していた以上の変化でした。予測以上の変化が起きたことについて、どう対処するかをまだ考えきれていません」


「予測以上の変化が起きたことを、どう思うか」


「良かったとは思います。ただし、予測できていなかったことは、次に問題が出るかもしれない」


「どんな問題か」


「俺が感知で伝えたことが、思っていた以上の結果を生む場合があります。その結果が、砦にとって悪い方向になることもあるかもしれません」


「それを恐れているか」


「少し。ただし、恐れているから動かないという選択はしたくありません」


「動きながら、その恐れを持ち続けることができるか」


「できると思っています。ただし、恐れを持ちながら動くことで、判断が遅くなる可能性があります」


「遅くなってもいい」


 俺は少し驚いた。


「遅くていいんですか」


「速い判断が常に正しいわけではない。特に、周りに影響が大きい判断は、遅くても正確な方がいい」


「でも、戦場では速さが必要なことがあります」


「戦場での反応と、方針の判断は違う。反応は速い方がいい。方針は、恐れを持ちながら丁寧に決めた方がいい」


「反応と方針を分けて考えるということですか」


「そうだ。昨日の感知で将軍の逃走を追ったのは反応だ。速くて正しかった。ただし、アルヴァンを受け入れることを提案したのは方針に関わる。そちらは、もう少し丁寧に考えるべきだったかもしれない」


「受け入れることを提案したのはカルバさんです。俺は意見を言っただけです」


「意見を言うことが、方針を作ることに繋がる。あなたの意見は、今や砦の決断に影響する。それを自覚しているか」


「自覚しきれていなかったかもしれません」


---


 リーディアは石垣から立ち上がった。


「共存を目指すことは正しいと思っている」


「はい」


「ただし、共存を急ぎすぎると、足元が崩れる」


「足元とは」


「信頼だ。砦の者たちが、あなたを信頼して感知を使わせている。その信頼が、予測外の変化に対して揺らぐ可能性がある」


「食堂での話を聞いていたんですか」


「聞いていた。和解できるのかという疑問が出ていた。それは、昨日の動きが速すぎたことへの反応かもしれない」


「対処が必要ですか」


「急ぎすぎない方がいいという話だ。対処ではなく、ペースの話をしている」


「ペースを落とすということですか」


「落とすのではない。確認しながら進むということだ。あなたが感じたことを伝えることと、砦の者たちが理解して動くこととの間に、差がある。その差を埋めながら進む必要がある」


「わかりました」


「わかりましたでは困る」


「えっ」


「わかりました、と言うとき、あなたは本当に全部わかっているわけではないことが多い」


「そうかもしれません」


「今回はどうか」


「リーディアさんが言いたいことの、半分くらいはわかっています。残りの半分は、動きながら理解するしかないと思っています」


「それなら正直だ。半分わかっているなら、あとは行動で確認しなさい」


「はい」


「それが、わかりましたより信頼できる答えだ」


---


 少しの間、二人で灰境線を見た。


「リーディアさん、一つ聞いていいですか」


「内容による」


「俺が急ぎすぎていると言いましたが、それはリーディアさんが俺の動きを気にしているということですか」


「気にしていなければ、こんな話はしない」


「それは、俺のためですか。それとも砦のためですか」


 リーディアは少しの間、答えなかった。


「両方だ」


「両方」


「砦のためでもある。ただし、あなたがいなくなると困るという理由もある」


「困るというのは、感知がなくなるということですか」


「感知だけではない」


「感知以外に何がありますか」


 リーディアは俺を見た。


「言葉にするのは難しい。ただし、あなたが砦にいることで、俺の動き方が変わっている部分がある」


「どう変わっていますか」


「以前は、一人で全部やろうとしていた。今は、あなたが前に立つから、俺は後ろから撃てる。それは戦闘の話だけではない」


「戦闘以外でも、同じですか」


「話すことが増えた。考えることを言葉にする機会が増えた。それは、あなたと話す時間があるからだ」


「俺と話すことが、リーディアさんの何かを変えましたか」


「変わったかどうかは、まだわからない。ただし、一人でいたときとは違う。それは確かだ」


---


 俺はその言葉を、胸の中に置いた。


 一人でいたときとは違う。


 それは、俺にとっても同じだった。


 グレイノに来た最初の夜、俺は一人で何もできなかった。


 リーディアが拾ってくれた。

 セラムが置いてくれた。

 ノルが話してくれた。

 オルドが教えてくれた。


 一人ではなくなった。


 その積み重ねが、今日の俺を作っていた。


「リーディアさん」


「何」


「急ぎすぎることへの指摘、ありがとうございます。必要な話でした」


「礼はいらない」


「いつか返します」


「積み上げた礼が増えすぎている」


「わかっています。ただし、減らせないので、増えるだけです」


 リーディアは少し笑った。


「増えてもいいが、返せる形にしておけ」


「考えます」


「考えるより、行動しなさい」


「はい」


---


 午後、アルヴァンが俺を呼んだ。


「少し話せるか」


「はい」


「砦の者たちの様子を見ていた。昨日の動きに対して、疑問を持っている者がいると感じた」


「朝の食堂でも聞こえました」


「俺がいることで、砦に余計な負担をかけているかもしれない」


「それは、アルヴァンさんが判断することではないかもしれません」


「どういう意味か」


「砦に来ることを判断したのはカルバさんです。リーディアさんが言っていた言葉に似ていますが、決断した者の責任があります。あなたが負担を感じる必要はないと思います」


「負担を感じないことはできない」


「感じることは構わないです。ただし、感じて動けなくなることは、別の問題だと思います」


「動けなくなっているわけではない」


「ならいいです。ただし、感触では少し迷っているように見えます」


「感知でわかるか」


「迷いは感触に出ます。昨日は固かった感触が、今日は少し揺れています」


「砦の者たちの疑問が、俺にも届いているということかもしれない」


「そうかもしれません。ただし、砦の者たちが疑問を持つのは、情報が足りないからだと思います」


「情報を出した方がいいということか」


「カルバさんに確認してから、砦の者たちに状況を説明することが有効かもしれません。何がなぜ起きているかを知れば、疑問が減る場合があります」


「俺が直接説明するのか」


「アルヴァンさんが言えることと、カルバさんが言えることがあります。両方から伝えれば、より伝わると思います」


「カルバに相談してみる」


「はい」


「あなたは、砦の者たちの疑問に対して、どう思っているか」


「正当な疑問だと思っています。ただし、今は答えが出にくい時期でもあります。答えが出るまで動き続けることしかできない」


「あなたは不安にならないのか」


「なります。ただし、不安になっても、動くことをやめる理由にはなりません」


「なぜ」


「動きを止めると、今まで積み上げたものが止まります。止まった積み重ねは、崩れやすい」


「砦を積み上げてきた積み重ねと同じか」


「似ていると思います」


---


 夕方、カルバが砦の者たちを集めた。


「状況を説明する。昨日起きたことと、今後について」


 カルバが順を追って説明した。


 将軍が拘束されたこと。

 教団の者が三名捕まったこと。

 評議会が動いたこと。

 アルヴァンが砦にいる理由。

 今後の課題。


 全員が黙って聞いていた。


「疑問がある者は聞いてくれ」


 何人かが手を上げた。


「アルヴァンが砦にいる間、人類軍全体が敵になるのか」


「将軍は拘束された。他の指揮官は、副官の指揮下に入っている。今すぐ全体が敵になるわけではない」


「教団はまだある。次の手が来るのではないか」


「来る可能性がある。そのために、感知を続けている。変化があれば、すぐに対応する」


「アルヴァンが砦にいることで、俺たちは何を得るのか」


 アルヴァンが前に出た。


「情報だ。人類軍の内部で何が起きているか、教団がどう動いているか。俺が持っている情報を、砦と共有する。それが、俺がここにいる意味だ」


「信用できるか」


「信用を得るには時間がかかる。ただし、昨日の動きで、俺の意図の一部は見せられたと思っている。信用するかどうかは、あなたたちが判断することだ」


 しばらく沈黙があった。


 ヘルトが言った。


「俺は、昨日の動きで、アルヴァンの言葉に一致した行動を見た。信用するかどうかではなく、役立つかどうかで判断する。今のところ、役立っている」


「それで十分だ」


 カルバが締めた。


「判断は時間をかけて積み上げる。今日一日で全部が変わるわけではない。ただし、今日一日で何かが変わったことは確かだ。その変化を、次に繋げる」


---


 夜、リーディアと俺は同じ部屋にいた。


「今日の集会、どう見えたか」


「疑問が出た分、整理できたと思います。カルバさんとアルヴァンさんが答えたことで、少し落ち着いた感触がありました」


「感知でわかるのか」


「集会が終わった後の、食堂の空気が変わりました。朝の緊張が少し薄れていました」


「朝の話をリーディアさんとした後、アルヴァンさんに伝えました。カルバさんへの相談を勧めました」


「それが今日の集会に繋がったのか」


「アルヴァンさんが動いてくれたと思います。俺はきっかけを作っただけです」


「きっかけを作ることが、今のあなたの役割の一つだ」


「そうだと思います。感知だけでなく、きっかけを作ることも役割に入ってきているかもしれません」


「入ってきているというより、最初からそうだった」


「そうですか」


「グレイノでも、あなたはきっかけを作っていた。トマが変わったのも、捕虜交換が動いたのも、あなたが最初に言葉を出したからだ」


「意識していませんでした」


「意識せずにやっているなら、本当にそれがあなたの性質だ」


「性質として、役に立っていますか」


「役に立っている。ただし、今日言ったことを忘れないでほしい」


「急ぎすぎないことと、確認しながら進むこと、ですか」


「そうだ。きっかけを作ることと、立ち止まることを、両方できるようになれ」


「難しいですね」


「難しい。ただし、今のあなたは、どちらかしかできない段階ではなくなってきている」


「どちらもできるようになってきているということですか」


「今日、朝に俺と話して、午後にアルヴァンと話して、集会で状況が動いた。あなたが両方をやった結果だ」


「そうですか」


「自覚しろ」


「はい」


「おやすみ、ソーイ」


「おやすみなさい、リーディアさん」


---


 目を閉じた。


 今日、リーディアに苛立ちとも指摘ともつかない言葉を受けた。


 急ぎすぎている。

 確認しながら進め。

 立ち止まることも必要だ。


 それは、正しい言葉だった。


 ただし、苛立ちがあったのは、俺への心配があったからだとも思った。


 心配してくれる人がいる。


 それが、俺がここに立ち続ける理由の一つだった。


 十六日目が終わった。


 教団はまだある。

 戦争は続いている。

 共存はまだ遠い。


 でも、今日は一つ確かめた。


 急ぎすぎず、確認しながら進む。


 それが、明日の動き方だった。


 二つの月が、静かな夜に浮かんでいた。


次話は明後日の19:00に投稿します。


2日に1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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