第33話 指揮官の命令
十二日目の朝、人類軍の陣営に緊張が走った。
夜明け前から、将軍の天幕に副官が出入りしていた。
アルヴァンはそれを見ながら、天幕の外で剣の手入れをしていた。
「動きがある」
ミラナが隣に来た。
「将軍が何かを決めようとしている」
「昨夜から、副官が走り回っていた。命令書を準備している」
「今日の攻撃か」
「可能性が高い。二日という期限の最終日だ」
アルヴァンは剣を収めた。
「夕方まで待つように交渉できるか」
「難しい。将軍が命令を出す前に動かなければ」
「どう動く」
「今朝、砦側に先に行く。昨日の続きを今朝に前倒しする」
「砦側が受け入れるかどうか」
「可能性にかける。ただし、動かなければ確実に間に合わない」
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砦では、夜明けの感知確認を始めたときに、変化があった。
「西から来ています。早い。敵意はありません。昨日と同じ二つの感触です」
俺は叫んだ。
カルバがすぐに動いた。
「早すぎる。何かあったか」
「急いでいる感触があります。焦りに近い何かがあります」
「門を開けろ。対応する」
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アルヴァンとミラナが砦に入ってきた。
昨日より表情が固い。
「時間がない。今朝、将軍が攻撃命令を出す可能性がある」
カルバが言った。
「命令が出れば、あなたたちはここへ来られなくなる」
「来られなくなるどころか、攻撃しなければならなくなる。だから今朝来た」
「何を求めているのか」
「昨日話した証言の文書を、今すぐ用意できるか。それがあれば、将軍への反論材料になる」
「昨日の約束は夕方だった。朝に変えることはできる。ただし、完全ではないかもしれない」
「完全でなくても構わない。あるだけ出してほしい」
カルバはオルドを見た。
「どれだけ用意できるか」
「昨夜から準備を進めていた。半分ほどはまとまっている」
「半分で構わないか」
アルヴァンが頷いた。
「半分あれば、話ができる。全部は後から補える」
「わかった。出す」
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広場で、オルドが文書を広げた。
捕虜の証言をまとめたもの。
石の影響を受けた者たちの行動変化の記録。
黒い石の欠片の分析結果の一部。
アルヴァンとミラナが読んだ。
二人とも、黙っていた。
俺は感知を続けていた。
アルヴァンの感触が変化していた。
昨日の確信が、さらに固まっていく感触。
ミラナの感触は、少し違った。
固まりながらも、何かを計算している。
「これは、使える」
アルヴァンが言った。
「将軍への反論として十分か」
「十分かどうかはわからない。ただし、将軍が何も知らない可能性がある。この証拠を見せれば、少なくとも命令を保留させる可能性がある」
「将軍が教団と繋がっているなら、保留にならないかもしれない」
「その場合は、別の手を使う」
「別の手とは」
「将軍より上の者に届ける。人類側の最高意思決定者に直接届ける手段がある」
「そんな手段があるのか」
「一つある。ただし、使うのは最後の手段だ」
カルバはしばらく考えた。
「その手段を使うことになれば、あなたの立場は危うくなるか」
「危うくなる可能性がある。ただし、それより大事なことがある」
「何が大事なのか」
「戦争を終わらせることだ。立場を守るために、それを諦めるつもりはない」
広場が静まった。
俺はアルヴァンの感触を確認していた。
揺れていない。
昨日よりも、固い感触だった。
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そのとき、俺の胸の奥に鋭い痛みが走った。
「北に敵意があります。強い。動いています」
カルバがすぐに向いた。
「攻撃が始まったか」
「大きい塊ではありません。少数です。ただし、速い。速度が上がっています」
「偵察か、先行部隊か」
「判断が難しいです。ただし、攻撃の気持ちが混じっています」
カルバが指示を出した。
「北の見張りを強化。ソーイ、感知を続けてくれ」
アルヴァンが立ち上がった。
「将軍が攻撃を始めたのかもしれない」
「命令が出たということか」
「出た可能性がある。先行部隊を動かして、私に従う形を作ろうとしているかもしれない」
「あなたはどうする」
「将軍のところへ戻る。命令を確認する」
「ここを出れば、また来られるかどうかはわからない」
「わかっている。ただし、命令を無視したまま動けない」
カルバはアルヴァンを見た。
「この文書は持っていくか」
「持っていく。許可してくれるか」
「許可する。ただし、条件がある」
「何か」
「その文書を使って、将軍への反論が失敗した場合、どうなるかを教えてくれ。使者を送ってくれれば十分だ」
「わかった。失敗しても、成功しても、結果を伝える」
「それで十分だ」
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アルヴァンとミラナが出ていった。
砦の空気が、また引き締まった。
「北の感触はどうだ」
カルバが聞いた。
「先行部隊が止まりました。動きが鈍くなっています。進んでいますが、速度が落ちました」
「命令が変わったか、あるいは待機指示が出たか」
「どちらかはわかりません。ただし、全力で攻撃してくる感触ではなくなりました」
「様子見ということか」
「そう感じます」
ヘルトが来た。
「勇者が戻った。何かが変わったか」
「戻る前に、文書を持って行きました。将軍への反論材料として使うと言っていました」
「反論が通るか」
「わかりません。ただし、アルヴァンさんの感触は固かったです。揺れていませんでした」
「固い感触の人間が、固い意思を持って将軍に向かった。それがどう転ぶかは、将軍次第だ」
「将軍が教団と繋がっているなら、反論は通らないかもしれません」
「その場合、どうなるか」
「アルヴァンさんは別の手を使うと言っていました」
「別の手が何かは言わなかったか」
「言いませんでした。ただし、最後の手段だとも言っていました」
ヘルトは少し考えた。
「最後の手段を使うには、時間が必要か」
「おそらく。すぐに使える手段なら、最初から使っているはずです」
「時間の問題か、あるいは立場の問題か」
「両方かもしれません」
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昼前、北の感触が動いた。
「北が動いています。さっきより近い。速度が上がりました」
「攻撃が始まるか」
「感触が攻撃寄りになっています。ただし、まだ完全ではありません」
「完全とはどういう意味だ」
「全員が攻撃の気持ちを持っているわけではありません。半分くらいが攻撃の感触で、半分が別の感触です」
「別の感触とは」
「迷っている感触、あるいは命令に従っているだけの感触です。攻撃したいから攻撃するのではなく、命令されたから動いているという感触が半分にあります」
カルバは少し考えた。
「命令されたから動いている者と、攻撃したい者が混在している」
「そう感じます」
「どちらが多いか」
「今のところ、半々に近いです。ただし、近づくにつれて変化するかもしれません」
「石の影響を受けている者がいる可能性があるか」
「教団の焦げた感触が、薄く混じっています。全体ではなく、一部に感じます」
「一部の者が、石の影響下にある」
「可能性があります」
カルバは指示を出した。
「全員構えろ。ただし、攻撃は向こうが動いてから。先に手を出すな」
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砦の者たちが柵に並んだ。
弓組が矢を番えた。
前衛が剣を抜いた。
リーディアの銀紋が浮き上がっていた。
俺は前衛の後ろで、感知を続けていた。
北の塊が近づいてくる。
半分の攻撃の気持ち。
半分の命令に従うだけの気持ち。
教団の焦げた感触が、少し強くなった。
「石が使われているかもしれません。感触が変わっています」
「変化は」
「攻撃の気持ちが強くなっています。さっきより増えています。石が影響しているとすれば、命令に従っているだけだった者が、攻撃的になっている可能性があります」
「石が兵士を操っているということか」
「そう見えます」
カルバが小さく息を吐いた。
「教団が今日の攻撃を後押ししている。将軍が命令を出したのか、教団に誘導されたのか、判断がつかない」
「どちらであっても、今は来ます」
「来るなら、止める」
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柵が揺れた。
今日の感触は、昨日の第一波と少し違う。
均質ではない。
半分が本気で、半分が操られている。
「今日の攻撃は、昨日と性質が違います。全員が同じ気持ちで来ているわけではありません」
「それは弱点になるか」
「なる可能性があります。操られている者は、判断が鈍い。命令に従うだけで、状況判断ができていない感触があります」
「どこで見分ける」
「動きの不自然さと、感触の均質さです。操られている者の感触は、攻撃の気持ちが一定すぎます。本来の感情の揺れがない」
「一定すぎる攻撃の気持ちを持つ者が来たとき、どう対応できるか」
「判断が鈍いなら、予測外の動きに弱い可能性があります。盾で予測外の方向に押せば、体勢を崩しやすいかもしれません」
「やってみる価値はある」
「ただし、確信はありません。石の影響の強さによって、違うかもしれません」
「やってみなければわからないことは、やる」
カルバが前衛に短く指示を出した。
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戦闘が始まった。
柵が倒れ、兵士たちが入ってくる。
俺は感知を続けながら、声を出し続けた。
「右から三人。正面から五人。左は一人」
「右に二人回せ」
前衛が動いた。
操られている者の動きは、確かに不自然だった。
速いが、判断がない。
障害に対して、まっすぐ突っ込んでくる。
前衛が横に動けば、追ってこない。
「前衛、横に動いてください。そのまま突っ込んできます。横に逃げれば、空振りします」
前衛の一人が横に動いた。
操られている兵士がそのまま走り込んで、壁に当たった。
「効いている」
カルバが言った。
「操られている者は、障害物の回避が遅い。まっすぐ動いている者を横に誘導すれば、自分で転ぶことがあります」
「それを使え。前衛に伝えろ」
「はい」
俺は声を出し続けた。
操られている者の動きを伝え続けた。
そうでない者の動きも伝えた。
戦闘は混乱していたが、感知からの情報が、少しずつ前衛の動きを変えていた。
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三十分ほど経って、攻撃が引いた。
今日は昨日より短かった。
怪我人は出たが、昨日より少ない。
「操られている者への対処が効いた」
ダルグが言った。
「感知の情報がなければ、見分けられなかった」
「見分けられても、全員ではありませんでした」
「全員でなくても、一部に対処できれば違う。今日の数が証明した」
ヘルトが来た。
「今日の戦闘で、一つ確認できた」
「何ですか」
「石の影響を受けた者の動きは、感知で見分けられる。それが実戦でも機能した。これは、今後の判断材料になる」
「感知の精度が上がれば、もっと見分けられるかもしれません」
「精度を上げる方法はあるか」
「訓練するしかないと思います。ただし、石の欠片を近くに置いて確認する訓練は、俺の通り道に影響するかもしれないので、慎重に進める必要があります」
「オルドに相談してみる」
「はい。オルドさんなら、安全な方法を考えてくれると思います」
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昼過ぎ、西から使いが来た。
ミラナからの伝言だった。
「アルヴァン様から伝言です。将軍への反論は、保留になりました。命令は取り消されていません。ただし、今日の攻撃が引いたのは、アルヴァン様が前線から待機命令を出したためです。明日の朝に、また連絡する」
カルバが俺を見た。
「保留になったというのは、どういうことだと思うか」
「将軍が命令を取り消さなかった。ただし、アルヴァンさんが前線から待機命令を出して、今日の攻撃を止めた。命令系統の上下が、逆転しているかもしれません」
「勇者が将軍の命令に背いた」
「結果として、そうなっているかもしれません」
「それは、アルヴァンにとって危険な状況か」
「危険だと思います。ただし、今日の攻撃が引いたのはアルヴァンさんのおかげです。それを砦の者全員が知っています」
「知っているからといって、アルヴァンの立場が守られるわけではない」
「そうですね」
ヘルトが言った。
「勇者が、将軍の命令に背いた形になっている。それは、人類側の内部問題だ。俺たちが直接関与できることではない」
「その通りです。ただし、間接的に関与はしています。俺たちが文書を渡した。その文書が反論材料として使われた」
「文書を渡したのは、俺たちの判断だ。その判断の結果も、俺たちが受け取る必要がある」
「明日、どうなるかを待つしかありません」
「待てるのか」
「待つ間も、感知を続けます。変化があれば、すぐに伝えます」
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夕方、リーディアが来た。
「今日の戦闘、よく対応した」
「操られている者の動きを伝えることが、役に立てましたか」
「役に立った。前衛の動きが変わった。感知の情報で判断が変わる場面が、今日は多かった」
「昨日より、感知が使えた気がします」
「理由があるか」
「操られている者の感触が、通常の感触と違うことがわかりました。違いを知れば、見分けやすくなる」
「経験が増えたということか」
「そうです。戦場での感知は、戦場でしか経験できないことがあります」
「グレイノでの経験とは違うか」
「規模と、感触の種類が違います。グレイノでは、少数の者の感触を扱っていました。ここでは、百人以上の感触を同時に追う必要があります」
「それは疲れるか」
「疲れます。ただし、慣れてきています。リーディアさんが言っていた通り、慣れることで次に動けるようになる」
「私の言葉を覚えているのね」
「大事な言葉は覚えます」
リーディアは少し間を置いた。
「今日の戦闘で、一つ気になったことがある」
「何ですか」
「操られている者への対処に、あなたの感知が使われた。それは良かった。ただし、操られている者を止めるとき、あなたはどう思っていたか」
「どう思っていたか」
「相手は操られている。本来の意思で動いていない。それでも止める必要があった。あなたはそれをどう感じたか」
俺は少し考えた。
「複雑でした」
「複雑」
「操られている者が悪いわけではない。石の影響を受けていなければ、攻撃してこなかったかもしれない。でも、止めなければこちらが傷つく。どちらが悪いとは言えない状況で、止めなければならなかった」
「それが複雑さか」
「はい。グレイノでも、斥候を殺さずに止めようとして失敗しました。あのときの感触と似ています」
「今日は、止め方が変わったか」
「今日は、操られている者の動きを予測して伝えることで、間接的に止めました。直接対峙するより、俺の役割に近い形でした」
「それでも複雑か」
「複雑は残ります。ただし、昨日より整理できています」
「整理できるのはなぜか」
「操られている者を止めることが、その者を石から遠ざけることにも繋がるかもしれないと思えるようになったからです」
「止めることが、助けることになるかもしれないということか」
「可能性として。確信はありませんが、そう考えると、複雑さが少し小さくなります」
リーディアは俺を見た。
「あなたはそういう考え方をするのね」
「悪い考え方ですか」
「悪くない。ただし、楽観的すぎる部分もある」
「そうですね。現実がそうでないこともあります」
「それでも、その考え方を持つことには意味がある」
「なぜですか」
「動き続けるための理由になるから」
俺はその言葉を、胸の中に置いた。
動き続けるための理由。
「リーディアさんにとって、動き続けるための理由は何ですか」
リーディアは少し間を置いた。
「今は、複数ある」
「以前は」
「以前は一つだった」
「何でしたか」
「父の死に、意味を見つけることだった」
「今は変わりましたか」
「変わった。父の死に意味を見つけることは、今も残っている。ただし、それだけではなくなった」
「何が増えましたか」
リーディアは少しの間、窓の外を見た。
「言葉にするのは難しい。ただし、以前より理由が増えたことは確かだ」
「それは良いことですか」
「良いことだと思う。理由が増えると、動き方が変わる。一つだけだと、その一つがなくなったとき、動けなくなる。複数あれば、一つが揺らいでも、他で立てる」
「なるほど」
「あなたも、理由が増えているか」
「増えています」
「何が増えたか」
「俺のいた世界での理由は、生き延びることだけでした。今は、生き延びることに加えて、見続けること、話し続けること、前に立つこと。それぞれに、具体的な顔がついています」
「具体的な顔」
「グレイノの人たち。砦の人たち。アルヴァンさんやミラナさん。それぞれの顔が、理由に繋がっています」
「私も、その中に含まれるか」
「含まれています」
リーディアは少し黙った。
「そうか」
それだけだった。
でも、その「そうか」の中に、何かが込められている気がした。
「おやすみ、ソーイ」
「おやすみなさい、リーディアさん」
俺は目を閉じた。
北は静かだ。
明日、アルヴァンから連絡が来る。
将軍がどう動いたかが、明日にわかる。
二日という期限は、今日で終わった。
でも、動きはまだ続いている。
十二日目が終わった。
明日、何かが決まるかもしれない。
決まらないかもしれない。
どちらでも、今夜できることは眠ることだった。
静かな夜が、砦を覆っていた。
次話は明後日の19:00に投稿します。
2日に1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




