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第31話 勇者の陣営

 十一日目の朝、人類軍の陣営は静かだった。


 北の感触が遠い。

 攻撃の気持ちはない。

 ただ、待機している緊張感が続いている。


 勇者の感触は、塊の中にある。

 昨日の話し合いの後、変化した感触のまま、止まっている。


 何かを考えている。


 俺は見張り台からそれを確認しながら、昨日の話し合いを振り返っていた。


---


 一方、人類軍の陣営では。


 アルヴァンは天幕の中で、ミラナと向き合っていた。


 天幕は小さい。

 折り畳みの机と、椅子が二つ。

 地図が広げてある。


「どうだった」


 ミラナが聞いた。


「思っていたより、話せた」


「転移者について、何か確認できたか」


「確認というより、感じたことがある」


「感じたこと」


 アルヴァンは少し間を置いた。


「あの人間は、嘘をついていない」


「確信があるのか」


「確信はない。ただし、話し方が正直だった。わからないことをわからないと言う。保留にしていることを、保留にしていると言う」


「それだけで信用できるか」


「信用ではない。ただし、話せる相手だということはわかった」


 ミラナは腕を組んだ。


「感知については、どう思う」


「あの感知が本物なら、教団の動きを追える。黒い石の影響も感じ取れる。それは、俺たちにはない能力だ」


「利用価値があるということか」


「利用ではない」


 アルヴァンの声が少し固くなった。


「利用する相手と、協力する相手は違う」


「協力すると決めたのか」


「まだ決めていない。ただし、可能性として考えている」


 ミラナは少し考えた。


「魔族の術士は、どう見えた」


「強い。感触だけでわかる。あの黒燐火は、前線で何度か確認している」


「砦の連中全体は」


「精鋭ではないが、練度がある。砦長のカルバは、判断が速い。感情で動かない人間だ」


「あなたが話し合いを求めたとき、断らなかった」


「断らなかった。むしろ、条件をつけて受け入れた。慎重だが、閉じていない」


 ミラナは窓の外を見た。


 天幕の布が、風に揺れている。


「ヴォルク将軍に、話し合いのことは報告するのか」


 アルヴァンの感触が変わった。


 迷いが、また動いた。


「報告しない」


「理由は」


「将軍が知れば、止められる。それだけでなく、砦側への圧力になる可能性がある」


「それは命令違反だ」


「わかっている」


「あなたが命令に背くのは、初めてではないが、今回は規模が違う。バレれば勇者の地位を失う可能性がある」


「失ってもいい」


 ミラナは少し止まった。


「本気か」


「本気だ。ただし、失わないように動くつもりではある」


「どうやって」


「教団の証拠を先に集める。証拠があれば、話し合いを持ったことへの批判を、証拠で返せる」


「証拠が先、話し合いが後ではなく」


「証拠を集めるために、話し合いが必要だ。順番を間違えれば、どちらも手に入らない」


 ミラナは少し考えた。


「あなたは、今何を目的にしているのか」


「戦争を終わらせることだ。ただし、勝って終わらせるのではなく」


「勝たずに終わらせる」


「教団が戦争を利用しているなら、教団を止めれば、戦争の根が変わる。根が変われば、争い続ける理由が薄くなる」


「理想論だ」


「理想論かもしれない。ただし、今の戦争の形が正しいとも思えない」


 ミラナはアルヴァンを見た。


 少しの間、黙っていた。


「あなたが、そこまで考えていたとは思わなかった」


「昨日、転移者に言われたことがある」


「何と言われた」


「わからないことは、できないことと同じではないと。わからないことは、これから見ていけばわかる可能性があると」


「それを聞いて、何かが変わったのか」


「変わったというより、確認した気がした。俺が感じていた疑問が、おかしくなかったと」


「疑問を持つことが正しいと、確認したということか」


「そう言えるかもしれない」


 ミラナは少し息を吐いた。


「私は、あなたの判断に従う」


「強制しない」


「従うことを、自分で選んでいる。あなたがおかしな方向に動けば、止める。ただし、今の方向はおかしくない」


「なぜそう思う」


「昨日の転移者を見た。あの人間は、魔族の砦に自分の意思でいる。それだけで、何かを変えようとしている人間だとわかる」


「ミラナも、そう感じたか」


「感じた。ただし」


 ミラナは少し間を置いた。


「信用するのは、もう少し先でいい」


「同意する」


---


 天幕の外で、ヴォルク将軍の副官が歩いているのが見えた。


 アルヴァンとミラナは黙って視線を合わせた。


 副官が通り過ぎた。


「将軍は、今日の動きを聞いてくるだろう」


 ミラナが言った。


「昨日、砦への攻撃を止めたことについて」


「どう答えるか」


「前線の状況を確認するために、一時停止した。次の攻撃のための準備だと言う」


「嘘をつくのか」


「事実の一部だ。確認はしていた。準備もしている。ただし、何のための準備かは言わない」


「将軍は疑わないか」


「疑っている可能性がある。ただし、証拠がなければ動けない」


「将軍が教団と繋がっているとすれば」


「繋がっている可能性が高い。昨日、砦側でも同じことを示唆されていた」


「砦側が知っているということは」


「魔族側でも、将軍レベルの人間が教団と繋がっている可能性がある」


「両陣営の上層部に、教団の影響がある」


「そう考えると、話し合いを上層部に報告できない理由がわかる。砦長のカルバも、同じ判断をした」


 ミラナは腕を組んだ。


「教団が両陣営の上層部に影響を持っているなら、下から動くしかない」


「そうだ。だから、砦長と話した。だから、転移者と話した」


「下から動くことの限界もある」


「ある。ただし、上から変えようとすれば、教団に止められる。下から積み上げる方が、時間はかかるが、止めにくい」


「積み上げる、か」


「転移者が使っていた言い方と似ている」


「あなたも、そう考えるのか」


「昨日、話して、似た考え方があることがわかった。それだけで、何かが変わった気がした」


---


 副官が天幕の前で止まった。


「アルヴァン様、将軍がお呼びです」


「今行く」


 アルヴァンは立ち上がった。


 ミラナを見た。


「ついてきてくれ」


「わかった」


---


 将軍の天幕は大きかった。


 地図が壁に貼られ、書類が積まれている。


 ヴォルク将軍は四十代後半に見える。

 体格がよく、白い顎髭を生やしている。

 目が鋭い。


「アルヴァン。昨日、砦への攻撃を止めた。理由を聞かせろ」


「前線の状況を確認するために、一時停止しました。次の攻撃の精度を上げるための準備です」


「確認、とは具体的に何を確認した」


「砦の防衛ラインの位置と、内部の兵力配置の感触です。感知ができる者がいるという話を確認したかった」


「感知ができる者」


「魔族の砦に、感知の能力を持つ者がいます。その者の感知範囲と精度を確認するために、あえて一度引きました」


 将軍は少し考えた。


「それだけか」


「それだけです」


「昨日、単独で砦に近づいたと報告がある」


「偵察です。自分の目で確認することが、私の判断の基本です」


「砦の内部に入ったとも聞いた」


 アルヴァンは一瞬だけ間を置いた。


「入りました。感知の者の能力を直接確認するためです」


「その者と話したか」


「少し言葉を交わしました。転移者だということが確認できました」


「転移者」


 将軍の目が変わった。


「あなたは、その者が転移者だと信じているのか」


「確認できた情報として持っています」


「転移者が魔族の砦にいる理由は何だと言っていた」


「自分の意思でそこにいると言っていました」


「自分の意思で、人類の敵側にいるということか」


「魔族を敵と決めているのは、我々の側の判断です。転移者が同じ判断をする必要はないかもしれません」


 将軍の目が、さらに鋭くなった。


「アルヴァン、それはどういう意味だ」


「言葉通りの意味です。転移者は、人類軍でも魔族でもない立場にいます。どちらに立つかを、自分で選んでいる。それを否定する根拠がありません」


「その者が、人類の情報を魔族側に渡す可能性を考えなかったのか」


「考えました。ただし、その者の感知は、魔族側の守りに使われています。人類軍の情報を渡すだけなら、感知を魔族側の守りに使う理由がない」


「論理の飛躍がある」


「可能性として、否定はできません。ただし、今の行動パターンから見て、敵対的な意図があるとは判断できませんでした」


 将軍はしばらくアルヴァンを見た。


 ミラナは横で黙っていた。


「次の攻撃の計画は」


「明日、改めて前線の状況を確認した上で、攻撃のタイミングを判断します」


「今週中に、砦を制圧する命令が出ている」


「承知しています。ただし、無駄な犠牲を出さないためにも、準備が必要です」


「何日必要か」


「二日あれば、判断できます」


「二日待つ。それ以上は待てない」


「わかりました」


---


 将軍の天幕を出ると、ミラナが言った。


「うまく乗り切ったな」


「乗り切ったとは言えない。二日後に判断しなければならない」


「判断とは、攻撃するかどうかか」


「攻撃しないという判断もある」


「命令違反になる」


「なるかもしれない。ただし、二日で教団の証拠が得られれば、違う判断ができる」


「二日で証拠が得られるか」


「わからない。ただし、砦側と情報を共有すれば、可能性が高まる」


 ミラナは少し考えた。


「砦側に、今夜連絡を取るのか」


「取れるなら取りたい。ミラナ、頼めるか」


「昨日の経路で、代理を送るということか」


「そうだ。俺が直接動くと、将軍に気づかれる。あなたが単独で動く方が目立たない」


「どんな内容を伝えるのか」


「二日という期限があることを。その中で、教団の具体的な証拠を共有できるかどうかを確認したい」


「それを伝えれば、砦側がどう動くかはわからない」


「わからない。ただし、昨日の話し合いで、砦長は教団の情報を持っていると示唆した。二日という状況を伝えれば、判断材料になる」


「賭けだな」


「賭けかもしれない。ただし、動かなければ確実に攻撃しなければならない」


 ミラナは頷いた。


「わかった。今夜、動く」


「気をつけてくれ」


「あなたこそ、将軍の目に気をつけろ」


「気をつける」


---


 砦では、夕方に俺がその変化を感じた。


「西の方向から、昨日と同じ感触が来ています」


 俺はカルバに言った。


「ミラナか」


「昨日と同じ感触です。一人です。敵意はありません」


「確認しに行く。ソーイ、一緒に来てくれ」


---


 西の柵の前に、ミラナが一人立っていた。


「昨日と同じ条件で入れてもらえるか。短い話だ」


 カルバが頷いた。


 ミラナが入ってきた。


 俺を見た。


「感知していたか」


「昨日と同じ感触だったので、すぐわかりました」


「そうか」


 ミラナはカルバに向いた。


「アルヴァンから伝言がある。二日という期限が出た。将軍が攻撃の命令を持っている。二日後に、攻撃か停止かの判断をしなければならない」


「それを、なぜ我々に伝えるのか」


「二日の間に、教団の証拠を共有できるかどうかを確認したい。証拠があれば、攻撃を止める判断ができる可能性がある」


「証拠の共有が、攻撃停止の条件ということか」


「条件ではない。材料だ。証拠がなければ、アルヴァンにも将軍の命令に背く根拠がない」


 カルバは少し考えた。


「共有できる情報はある。ただし、二日という期限は短い」


「短いことはわかっている。それでも、可能性があるなら動きたいと言っていた」


「わかった。明日の朝、返答する。今夜は俺が判断できることではない」


「明日の朝でいい。ただし、早い時間を頼む」


「夜明けに使いを出す」


「感謝する」


 ミラナが出ていこうとした。


 俺を振り返った。


「あなたに一つ言っておく」


「はい」


「アルヴァンが言っていた。転移者は正直な人間だと」


「嘘が下手なだけです」


「嘘が下手な人間が、戦場の真ん中にいる。それはどういうことか、考えていた」


「どういうことだと思いますか」


「嘘が下手でも、ここにいる理由があるということだ。理由がなければ、いられない場所だから」


「俺のいる理由は話しました」


「知っている。人間と魔族が、本当に争うしかないのかを見たいと」


「はい」


「答えは出たか」


「まだです。ただし、今日少し近づいた気がします」


「今日、何があった」


「あなたが来た。情報を持ってきた。アルヴァンさんが二日という制約の中でも動こうとしていると知った」


「それが、答えに近づいたということか」


「争うしかないなら、こういう動きは生まれません。だから、少し近づいた気がします」


 ミラナは少しの間、俺を見た。


「面白い人間だな」


「よく言われます」


「最近言われ始めたか」


「いいえ。今回はずっと言われています」


 ミラナは少しだけ口の端を上げた。


「明日の返答を待つ」


 ミラナが出ていった。


---


 夜、カルバが砦の主要な者を集めた。


 俺も呼ばれた。


「二日という期限の中で、教団の情報を共有することを検討する。意見を出してくれ」


 ヘルトが言った。


「罠の可能性は消えていない」


「消えていない。ただし、今日の感知で、ミラナの感触に敵意はなかったと報告があった。昨日のアルヴァンの感触についても、迷いが変化していたという報告がある」


「感知が正確だとしても、上層部が罠を仕掛けている可能性はある」


「可能性はある。ただし、勇者が独自に動いているとすれば、上層部の罠とは別の動きになる」


「勇者が独自に動いているという根拠は」


「将軍への報告で、攻撃停止の理由を偵察と言っていたとミラナが言っていた。話し合いについては触れなかった。上層部が全部知っているなら、こういう説明は必要ない」


 ヘルトは少し考えた。


「勇者が上層部に内緒で動いているということか」


「可能性として」


「それは、勇者にとっても危険な行動だ」


「危険を冒している人間の言葉は、重い可能性がある」


 ダルグが言った。


「危険を冒してまで動こうとしているなら、本気だということだ」


「本気かどうかは、行動で確認するしかない」


「二日という期限は短い。ただし、短い期限の中で動くなら、行動が見える」


 カルバが全員を見た。


「私の判断を言う。情報を共有することに、同意する」


「全部を共有するのか」


「全部ではない。教団の石の影響についての記録と、ヴァランの証言の一部を共有する。虚環の王骸については、今は出さない」


「なぜ出さないのか」


「信用が確認できてからでなければ、核心は渡せない。段階を踏む」


 ヘルトが頷いた。


「それなら同意する」


「他に反対はあるか」


 沈黙があった。


「では、明日の夜明けに使いを出す。ソーイ、明日の感知を頼む」


「はい」


---


 部屋に戻ると、リーディアが起きていた。


「会議の結果は」


「教団の情報の一部を共有することになりました」


「全部ではなく」


「段階を踏むと、カルバさんが言いました」


「正しい判断だと思う」


「リーディアさんは、今日の動きをどう思いますか」


「ミラナが単独で来た。それは、アルヴァンが本気で動いているということだ」


「感触でもわかりました。ミラナさんは、昨日より敵意が薄かった。確認している感触も、少し変わっていました」


「どう変わったか」


「昨日は俺を見定めていた。今日は、俺を経由して何かを確認していた感触でした」


「何を確認していた」


「この砦が、本当に話し合いができる場所かどうかを、確認していた気がします」


「できると判断したから、情報を持ってきたということか」


「そうだと思います」


 リーディアは窓の外を見た。


「二日という期限は短い」


「そうですね」


「その二日で、何かが変わる可能性がある」


「変わらない可能性もあります」


「両方の可能性を持ったまま、動く」


「それが今の俺たちの状況ですね」


「あなたは、どちらの可能性が高いと思っているか」


 俺は少し考えた。


「わかりません。ただし、二日前より、変わる可能性が高くなったと感じています」


「なぜ」


「二日前は、話し合いの場がなかった。今は、二日という制約の中でも情報を共有しようとしている。動いている人間の数が増えています」


「動いている人間の数が増えれば、変わる可能性が高くなる」


「そう信じています」


「信じる根拠は」


「経験です。グレイノでも、最初は俺一人でした。でも、動く人間が増えるごとに、少しずつ変わりました」


「ここはグレイノより規模が大きい」


「大きいほど、動きが生まれたときの影響も大きいかもしれません」


「楽観的だな」


「よく言われます」


 リーディアは少しだけ笑った。


「おやすみ、ソーイ」


「おやすみなさい、リーディアさん」


 俺は目を閉じた。


 北は静かだ。

 二日という期限がある。


 その二日で、何かが変わるかもしれない。


 変わらないかもしれない。


 どちらでも、今夜できることは眠ることだけだった。


 十一日目の夜が、静かに流れていった。


次話は明後日の19:00に投稿します。


2日に1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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