第29話 ミラナの拳
九日目の朝、北の感触が変わった。
昨日までと違う動きだった。
塊が動いていない。
勇者の感触も、昨日より遠い。
代わりに、西から新しい感触が来ていた。
小さい。
五つか六つ。
ただし、密度が高い。
「西から小さい感触が来ています。五人か六人。密度が高い。精鋭です」
俺は見張り台から叫んだ。
カルバがすぐに動いた。
「西の柵に人を出せ。弓組を二人回す」
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西の感触は、ゆっくり近づいてきた。
急いでいない。
攻撃の気持ちではなく、確認している感触だった。
「攻撃ではないかもしれません。確認しながら近づいています」
「止まるか、来るかを見ろ」
感触が柵の手前で止まった。
「止まりました。柵の外です」
「何をしている」
「待っています。何かを待っているような感触です」
カルバが西の柵へ向かった。
俺も見張り台から下りて、西の柵へ走った。
柵の外に、五人の人影があった。
全員、武器を持っているが、構えていない。
腕には白い布が巻かれている。
人類軍だ。
だが、攻撃の姿勢ではない。
先頭に立っているのは、女性だった。
二十代前半に見える。
茶色の髪を短く切り、動きやすそうな装備をしている。
手には何も持っていない。
武器を持っていない。
「話したい」
女性が言った。
声は落ち着いていた。
カルバが前に出た。
「黒燐砦の砦長だ。何の用か」
「アルヴァン・レイクの代理として来た。話し合いの場を求める」
砦の中がざわめいた。
「勇者の代理が来た」
「なぜ本人が来ない」
「人類軍の指揮官が許可を出さなかった。だから代理で来た」
カルバが少し考えた。
「あなたは誰か」
「ミラナ・フォルシュ。アルヴァンの仲間だ」
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ミラナと名乗った女性が、砦の中に入ることを、カルバが許可した。
ミラナ一人だけ。
残りの四人は柵の外で待機する。
ミラナが入ってくる瞬間、胸の奥を確認した。
敵意はない。
警戒はある。
それから、何かを見定めようとしている感触がある。
ミラナが俺を見た。
一瞬で視線が止まった。
「あなたが、人間か」
「はい」
「転移者と聞いた」
「そうです」
「アルヴァンが話していた。人間が魔族の砦にいると」
「昨日、言葉を交わしました」
「少しだけな」
ミラナは俺の周りを一度歩いた。
値踏みしている。
「感知ができると聞いた。今、私の感触はどうだ」
「警戒があります。敵意はありません。それから、俺を見定めようとしている感触があります」
「正確だな」
「正確かどうかはわかりません。ただ、そう感じます」
ミラナは少し考えてから、カルバを見た。
「話し合いの場を作れるか。アルヴァンは、この砦の者たちと話したいと言っている」
「どのような話をしたいのか」
「戦争の話ではない。別の何かについて、確認したいことがあると言っている」
「別の何かとは」
「教団のことだ」
砦の空気が変わった。
カルバの目が鋭くなった。
「人類軍の者が、教団について話したいということか」
「そうだ。アルヴァンは、教団の動きに疑問を持っている」
「疑問とは」
「人類軍の動きが、誰かに誘導されている気がすると。その誰かが教団かもしれないと」
カルバはしばらく黙った。
俺も聞いていた。
昨日俺が感じた迷いの正体が、少し見えてきた気がした。
「話し合いの場を作ることを、検討する。ただし、今すぐ答えは出せない。一日待ってくれ」
「わかった」
ミラナが頷いた。
そのとき、リーディアが俺の横に来た。
ミラナとリーディアの視線が合った。
一瞬、空気が固まった。
胸の奥に、二人の感触が変化した。
リーディアの感触に、警戒と、それから別の何かが混じった。
ミラナの感触にも、似たものが生まれた。
二人は何も言わなかった。
ただ、見ていた。
「リーディア」
カルバが言った。
「はい」
「この者の滞在中、警戒を続けてくれ」
「わかった」
ミラナが俺を見た。
「あなたに一つ聞いていいか」
「はい」
「アルヴァンは、あなたのことを気にしている。なぜだと思うか」
「昨日、転移者だと名乗ったからだと思います。それと、迷いを持った人間が、説明のつかない事実に出会ったからかもしれません」
「説明のつかない事実とは」
「人間が、自分の意思で魔族の砦に立っているという事実です」
ミラナは少しの間、俺を見た。
「アルヴァンは、なぜあなたがここにいるかを聞きたがっている」
「理由は話せます。ただし、話し合いの場が必要なら、そこで話した方がいいかもしれません」
「そうだな」
ミラナは踵を返した。
「一日待つ」
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ミラナが出ていった後、砦の中が騒がしくなった。
「勇者が話し合いを求めている」
「教団について知っているということか」
「罠かもしれない」
様々な声が飛び交った。
カルバが全員を集めた。
「話し合いの場を作るかどうかを、砦全体で決める」
「罠の可能性がある」
ヘルトが言った。
「可能性はある。ただし、勇者が教団について疑問を持っているなら、情報として価値がある」
「その情報を得るために、危険を冒す価値があるか」
「勇者一人と、代理のミラナ一人なら、砦の中で対応できる。多数を入れなければ、危険は限定できる」
「信用できるか」
「信用はしない。ただし、話を聞く価値があるかどうかは別の話だ」
カルバは全員を見渡した。
「賛成と反対で意見を出してくれ」
賛成が過半数だった。
ヘルトは反対ではなく、保留だった。
「条件をつけるなら賛成する。話し合いの場に、感知ができる者を常に置く。ソーイが常に感知し、異変があれば即座に知らせる」
「そうしよう」
カルバが頷いた。
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夕方、ミラナが戻ってきた。
「話し合いの場を作る。明日の朝、砦の中央の広場で。アルヴァンと、代理として私。砦側は砦長と、必要な者数名。感知の者も同席させる。これが条件だ」
「受け入れる」
ミラナが頷いた。
帰り際、俺の横を通り過ぎるとき、ミラナが小声で言った。
「あなたは信用できるか」
「今のところ、俺を信用していなくて構いません。ただし、話せる人間かどうかは、明日判断してください」
「正直だな」
「嘘が下手なので」
ミラナは少しだけ口の端を上げた。
「アルヴァンに伝える。転移者は正直な人間だと」
「正確には、嘘が下手な人間です」
「似ているようで違うな」
「全然違います」
ミラナが出ていった。
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夜、部屋でリーディアと話した。
「明日の話し合い、どう思いますか」
「罠かもしれない。ただし、ミラナの感触は今日、敵意がなかった」
「俺も感じました」
「感知があるなら、動きがあれば気づける。だから、カルバが同席を条件にした」
「ミラナさんは、どう見えましたか」
リーディアは少し間を置いた。
「強い」
「感触でわかりますか」
「感触ではなく、動きで。あの人の動きは、格闘術を使う者の動きだ。速い。近づかれると厄介」
「リーディアさんにとって厄介な相手ですか」
「近接戦は私の弱点よ。あなたが盾で守ってくれる間は問題ない。でも、あなたを抜かれると難しい」
「明日は戦闘にならないはずですが」
「そうであってほしい」
「ミラナさんの感触に、敵意以外のものがありましたか」
「見定めている感触があった。あなたと話したとき、特に」
「ミラナさんは、俺を確認していました」
「私のことも確認していた」
「リーディアさんのことを」
「魔族の術士として、戦力として確認していた。と思う」
「敵として見ていましたか」
「当然でしょう。私も彼女を敵として見ている」
「今もそうですか」
リーディアは少し考えた。
「今は、保留にしている」
「保留」
「話し合いが終わるまでは、判断しない。それだけ」
「わかりました」
俺は天井を見た。
「明日、うまくいくと思いますか」
「わからない。ただし、うまくいかなくても、何かが変わる」
「何が変わりますか」
「向こうが教団について疑問を持っているなら、同じ敵を意識している者がいるということだ。それだけで、今までと違う」
「方向が変わるということですか」
「変わるかもしれない。変わらないかもしれない。ただし、話す前と話した後では、何かが違う」
「種を蒔く、ということですね」
「あなたはその言葉が好きね」
「自分でできることが、今のところそれくらいなので」
「蒔いた種が育つかどうかは、明日以降にわかる」
「育てばいいですね」
「そうね」
リーディアは窓の外を見た。
月が出ていた。
「ミラナという人間、強いだけではなかった」
「どういう意味ですか」
「アルヴァンの代理として来た。言葉が正確だった。感情で動いていなかった」
「どう思いましたか」
「話せる人間かもしれないと思った。それだけ」
「それだけで十分じゃないですか」
「そうかもしれない」
俺は目を閉じた。
北の感触は遠い。
西も静かだ。
明日、何かが変わる。
変わらないかもしれない。
でも、話す場が生まれた。
それだけで、今日は十分だった。
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夜が更けた頃、眠れずにいると、リーディアが言った。
「眠れないの」
「明日のことを考えています」
「考えすぎると眠れない」
「わかっています」
「考えを止める方法はあるか」
「俺のいた世界では、眠れないときは別のことを考えるといいと聞きました」
「別のことを」
「今日あったことで、よかったことを思い出すとか」
「今日よかったことは何だ」
「ミラナさんが話せる人間かもしれないと知れたこと。それから、ダルグさんの訓練で、流す動きが少しわかってきたこと」
「それだけか」
「リーディアさんが、ミラナさんのことを保留にしたこと」
「なぜそれが良かったのか」
「昨日なら、敵として見たかもしれないと思って」
リーディアは少し黙った。
「変わっているということか」
「少し変わってきていると思います」
「私が変わっているのか、状況が変わっているのか」
「両方だと思います」
「同じことかもしれない」
「そうかもしれませんね」
しばらく静かな時間があった。
「おやすみ、ソーイ」
「おやすみなさい、リーディアさん」
俺は目を閉じた。
北は静かだ。
明日が来る。
来た明日に、できることをする。
それで十分だと、今は思えた。
九日目の夜が、静かに過ぎていった。
次話は明後日の19:00に投稿します。
2日に1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




