第28話 勝てない相手
七日目の夜は静かだった。
北の感触が遠い。
教団の焦げた感触も薄い。
俺は部屋で背中の痛みと向き合いながら、天井を見ていた。
リーディアはすでに眠っている。
穏やかな呼吸が聞こえる。
俺は眠れなかった。
勇者の一撃を、頭の中で何度も繰り返していた。
速さ。
重さ。
盾を持っていても、吹き飛ばされた。
あれを正面から受けるのは、無理だ。
無理だとわかった。
では、どうするか。
盾役は前に立つものだと、リーディアは言った。
でも、前に立っても吹き飛ばされるなら、前に立つ意味がない。
少なくとも、今の俺には意味がない。
何かを変えなければならない。
ただ、何を変えればいいのか。
それがわからなかった。
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八日目の朝、カルバに呼ばれた。
執務室にはカルバとダルグとヘルトがいた。
昨日と同じ顔ぶれだ。
「昨日の戦闘を振り返る」
「はい」
「勇者の一撃を盾で受けた。吹き飛ばされた。それについて、あなたはどう考えているか」
「単独では対応できないと判断しました」
「判断は正しい。では、どうすれば対応できると思うか」
「今の俺には、正面から受けることはできません。ただ、受けなければいい方法があるかもしれません」
「受けなければいい方法とは」
「角度を変えることです。正面で受けると、衝撃が全部腕に来ます。斜めで受ければ、衝撃が横に逃げます。ただし、あの速さに対して斜めに合わせられるかどうかは、今の俺には難しいです」
「他は」
「引き付けてから逃がすことです。受け止めるのではなく、来た力の向きを変えて、仲間が攻撃できる場所に誘導する」
「流すということか」
「はい。盾で受け止めるのではなく、触れて方向を変える。ただし、あの速さでは、触れる前に終わるかもしれません」
「正直だな」
「できないことをできると言っても、意味がないので」
ダルグが言った。
「昨日、俺があの一撃を受けたとき、押されたが弾き飛ばされなかった。あなたとの違いは何だと思うか」
「体格と、経験だと思います」
「体格は変えられない。経験は積める」
「はい。ただ、経験を積む前に、また同じ場面が来るかもしれません」
「来る。だから今日教える」
ダルグが立ち上がった。
「広場に来い」
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広場に出ると、ダルグが剣を抜いた。
「今日は俺が全力に近い形で打つ。あなたはそれを流す練習をする」
「受け止めるのではなく、流すんですね」
「そうだ。盾を正面に向けるな。常に斜めにしろ。相手の剣が盾に触れたとき、横に押すのではなく、斜めに滑らせる」
「剣を滑らせる感覚ですか」
「そうだ。これはリーディアの黒燐火にも関係する。あの炎は、正面から止まった相手より、体勢が崩れた相手に当てる方が有効だ。体勢を崩させるために、流す動きが必要だ」
「なるほど」
「ただし、流す動きは、受け止める動きより難しい。受け止めることができても、流せないことが多い」
「どれくらい難しいですか」
「あなたが盾を持つようになってから、今日で何日目だ」
「十日ほどです」
「十日で流せるようになる者はいない。ただし、感覚だけ掴めれば、後は積み上げるだけだ」
「感覚を掴むだけでもいいということですか」
「今日の目標はそこまで。では始める」
ダルグが踏み込んだ。
俺は盾を斜めに向けた。
ダルグの剣が盾に当たった。
滑った。
完全ではないが、衝撃が横に逃げた。
「今のは悪くない。ただし、斜めの角度が浅い。もっと角度をつけろ」
「どのくらい」
「地面に対して、四十五度より急な角度だ」
もう一度。
今度は角度を深くした。
ダルグの剣が滑った。
衝撃が軽くなった。
「そこだ。その角度を保てるか」
「来る方向が変わると難しいです」
「常に動かしながら保つ。盾は固定するものではなく、動かすものだ」
十回繰り返した。
三回は角度が合った。
七回は合わなかった。
「今日はここまで。感覚は掴めたか」
「三回合いました」
「三割か。明日は五割を目標にしろ」
「はい」
「毎日積む。それだけだ」
ダルグが剣を収めた。
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午後、リーディアが来た。
「今朝のダルグとの訓練、聞いた」
「見ていましたか」
「広場の外から。あなたの角度が合ったとき、感触が変わるのがわかった」
「感触が変わる?」
「黒燐火を撃つ側から見ると、相手の体勢が崩れたとき、撃てる位置が生まれる。あなたが剣を流したとき、その位置が一瞬生まれた」
「でも、三回しか合いませんでした」
「三回でわかった。あなたが七割できるようになれば、私の黒燐火の命中率が上がる」
「俺の精度がリーディアさんの命中率に直結しているんですね」
「直結している。だから、ダルグとの訓練は続けてほしい」
「続けます。ただし、勇者の速さには、まだ追いつけません」
「今すぐ追いつく必要はない。方向が合っていれば、積み上がる」
「方向が合っているかどうかは」
「合っている。ダルグが言わなかったか」
「褒めない人ですね、ダルグさんは」
「そういう人よ。ただし、続けろと言った。それは合っているということだ」
俺は少し安心した。
「もう一つ、聞いてもいいですか」
「何」
「昨日、勇者が俺に向かってきたとき、俺は受けようとしました。逃げませんでした。それはどう見えましたか」
リーディアは少し間を置いた。
「焦った、と昨日言った」
「はい」
「焦ったのは、あなたが受けようとしたからよ」
「逃げた方がよかったですか」
「そうは言わない。ただし、受けることと、受けようとすることは、今のあなたにとって違う」
「どう違うんですか」
「受けられる力があって受けることは、正しい判断だ。受けられない力に対して受けようとすることは、別の話だ」
「無謀だと」
「無謀とは言わない。後ろにカルバがいた。カルバを守るために受けようとした。それは判断として間違っていない」
「では」
「ただし、あなたが受けられないと判断した瞬間に、別の方法を選べるようになってほしい」
「別の方法とは」
「引き付けてから逃げて、リーディアが撃てる場所を作る。それもできる」
「受けるだけが盾役ではない」
「そう。受けること、流すこと、引き付けること、逃げること。全部が道具よ。状況に合わせて選ぶ」
「今の俺は、受けることしかしていませんでした」
「最初はそれで十分。ただし、昨日で次の段階に来た」
「昨日が転換点だったんですか」
「あなたが吹き飛ばされた場面を見た全員が、それを知った。勇者の速さを知った。次に来たとき、どう動くかを考えている」
「俺も考えています」
「知ってる。だから、今日ダルグと訓練した」
俺は頷いた。
「リーディアさん、一つ聞いてもいいですか」
「内容による」
「昨日、俺が吹き飛ばされたあと、勇者に向かって出てきた。俺を守るためでしたか」
リーディアは少しの間、答えなかった。
「邪魔だったから」
「邪魔?」
「勇者の前にあなたが倒れていたら、通り道になる。邪魔だから出た」
「それだけですか」
「それだけよ」
「そうですか」
「信じないの」
「半分は信じます」
「残り半分は」
「昨日、焦ったと言っていたので」
リーディアは少し目を細めた。
「読まれている」
「最近は少しわかるようになりました」
「困ったわね」
「困らせてすみません」
「謝らない」
「では、ありがとうございます」
「何に対して」
「出てきてくれたことに」
リーディアは視線を外した。
「礼を言われると困る」
「昨日も同じことを言われました」
「同じことを繰り返すあなたが悪い」
「すみません」
「謝るなと言った」
「すみません」
「また謝っている」
「反射です」
リーディアは呆れたように息を吐いた。
でも、怒ってはいなかった。
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夕方、見張り台に上がった。
レイがいた。
「感知の状況は」
「北が静かです。教団の感触も薄いです」
「今日は来ないか」
「たぶん。ただし、勇者の感触は今日も北の方向にあります。遠いですが、確認している感触があります」
「考えているということか」
「そう感じます」
「何を考えているんだろうな」
「わかりません。ただ、迷いを持った人間が、昨日の出来事を考えているとすれば、方向は決まっていないかもしれません」
「方向が決まっていない」
「攻撃を続けるか、確認しに来るか、あるいは何かを試みるか。昨日の段階では、どれかに決めていない気がします」
「あなたの感知にそこまでわかるのか」
「わかりません。感触から読み取っている部分が多い。外れるかもしれません」
「外れてもいい。情報として持っておく」
レイは北の森を見た。
「あなたは昨日、吹き飛ばされた後に立った」
「立てただけです」
「立てただけで十分だ。見ていた者全員が、それを見た」
「砦の評価が変わりましたか」
「昨日より、あなたに対して話しかけてくる者が増えた。感知の話をしてくる者も増えた」
「評価が変わった理由は、立ったことですか。感知の精度ですか」
「両方だろう。ただ、立ったことの方が大きかったかもしれない」
「なぜですか」
「感知は見えない力だ。信じにくい。でも、吹き飛ばされて立ち上がる姿は、全員が見た。見えることの方が、信用を生みやすい」
「わかりやすい証拠が必要ということですね」
「そういうことだ」
俺は北の感触を確認した。
遠い。
静かだ。
「今夜は来ません」
「そうか」
「明日は何があると思いますか」
「わからない。ただ、勇者が考えている間は、大きな動きはないかもしれない」
「勇者の判断が全体に影響する」
「それだけ存在感がある」
俺は少し考えた。
「勇者が接触を求めてきたとき、俺が話す可能性があると、カルバさんに言われました」
「知っている」
「俺に話せると思いますか」
「あなたが話せるかどうかより、話す価値があるかどうかだろう」
「どういう意味ですか」
「あなたが言ったことは正しいかもしれない。迷いを持った勇者に、言葉を届けられる可能性がある。それが実現するなら、価値がある」
「外れるかもしれません」
「外れることを恐れて何もしないより、試みる方がいい。そういう話だ」
「試みます」
「知っている。あなたはそういう人間だ」
「そう見えていますか」
「最初から、諦めない人間だと思っていた。グレイノからここまで来たことで確信した」
「レイさん、それは褒め言葉ですか」
「全部だ」
レイは少しだけ笑った。
俺も笑った。
背中がまだ痛む。
でも、今夜は眠れそうだった。
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部屋に戻ると、リーディアが起きていた。
窓の前に立って、月を見ていた。
「北は」
「静かです」
「今夜は来ない」
「はい」
「なら眠れる」
「リーディアさん、今日は疲れましたか」
「昨日より少ない。黒燐火の消耗が少なかった」
「俺の盾の使い方が変われば、もっと楽になりますか」
「なる。体勢が崩れた相手を撃つ方が、威力が少なくて済む。だから外れない位置に来てくれれば、三発目まで威力を保てる」
「今は何発目から落ちますか」
「二発目から少し落ちる。三発目でかなり落ちる」
「それが変わるんですね」
「あなたが七割流せるようになれば、たぶん三発目まで保てる」
「七割を目指します」
「今日の訓練で三割だった。明日は五割を目標にしろと、ダルグが言っていたそうね」
「聞いていたんですか」
「ダルグが教えてくれた」
「ダルグさんは評価してくれているんですか」
「素直に褒めない人だけど、話してくれるということは、関心を持っているということよ」
「そうですか」
「あなたに関心を持つ者が、砦でも増えてきている」
「評価が変わってきましたか」
「変わってきた。ただし、ヘルトはまだ完全ではない」
「わかっています」
「でも、昨日今日と、同じテーブルで食事をした。それがヘルトの変化よ」
「小さな変化ですね」
「小さい変化が積み重なる。それをあなたは知っているでしょう」
「グレイノでそうでした」
「ここでも同じよ」
リーディアは窓から離れた。
「寝なさい。明日から訓練が増える」
「ダルグさんの流す訓練が続くんですか」
「それだけじゃない。私も加わる」
「リーディアさんも訓練に入るんですか」
「ダルグが崩す。私が撃てる位置に誘導するための訓練よ。三人で連携の精度を上げる」
「いつから」
「明日の朝から」
「忙しくなりますね」
「忙しくなければ、強くならない」
「そうですね」
「おやすみ」
リーディアが先に言った。
「おやすみなさい」
俺は寝台に横になった。
背中が痛む。
でも、今夜は違う痛みだった。
明日への痛みだ。
積み上げるための痛みだ。
北は静かだ。
勇者は考えている。
俺も考えている。
何が届くか。
何が変わるか。
まだわからない。
でも、方向は見えている。
それで、今夜は十分だった。
八日目の夜が静かに流れていった。
次話は明後日の19:00に投稿します。
2日に1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




