第27話 白刃の勇者
七日目の朝、北の感触が変わった。
夜明けと同時に、塊が動き始めた。
昨日の第一波より速い。
そして、突出した感触が、今日は先頭にいた。
「勇者が前に出ています。昨日と違います。先頭で来ています」
俺は叫んだ。
カルバがすぐに動いた。
「全員構えろ。勇者が先頭で来る。前衛は崩れるな。絶対に崩れるな」
砦が一瞬で戦闘態勢になった。
俺は盾を出しながら、感知を続けた。
突出した感触が、急速に近づいてくる。
速い。
昨日、柵を越えてきたときより速い。
「柵まで、あと一分以内です」
「弓組、準備!」
矢が番えられた。
北の柵が、激しく揺れた。
一度。二度。
三度目で、大きく開いた。
勇者が飛び込んできた。
光属性を帯びた長剣が、朝の光を反射して輝いていた。
速い。
その動きを見た瞬間、俺は直感的に理解した。
あの速さは、盾で受けられない。
少なくとも、正面から受けようとすれば、弾き飛ばされる。
ダルグが前に出た。
「私が止める!」
ダルグと勇者が激突した。
金属音が砦に響き渡った。
ダルグは強い。
でも、勇者の一撃が、ダルグを半歩押した。
その後ろから、人類軍の兵士たちが続いて入ってくる。
前衛が対応する。
混乱が始まった。
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俺はカルバの近くで、感知を続けていた。
どこに圧が集まっているか。
どこが薄くなっているか。
「右の柵、また来ます。五人以上」
「右に三人回せ!」
「勇者の感触、ダルグさんを押しています。後ろに下がっています」
「ダルグを支援しろ!ヘルト、入れ!」
ヘルトが前に出た。
ダルグとヘルトの二人で、勇者を挟む形になった。
それでも、勇者は動じなかった。
光の剣が、二人の間を縫うように動く。
速い。
俺の感知が、勇者の感触の変化を追っていた。
攻撃の気持ちが強い。
迷いが、今日は薄い。
昨日より、ずっと薄い。
何かが変わった。
決意したのか。
命令に従うことを選んだのか。
あるいは、別の何かがあるのか。
「左後方から、教団の焦げた感触があります!」
俺は叫んだ。
全員が一瞬止まった。
「教団が来ています。左の後方、柵の外です。石を使おうとしているかもしれません」
「リーディア、左を頼む!」
リーディアが左へ動いた。
俺も本能的に動こうとした。
「ソーイ、ここにいろ」
カルバに止められた。
「感知を続けてくれ。あなたが動くと情報が止まる」
「わかりました」
俺はその場で踏み止まった。
リーディアが左の柵へ向かう。
教団の感触が強くなっている。
「石を砕こうとしています。早いです」
「リーディア、急げ!」
リーディアの黒燐火が、左の柵の外へ走った。
爆発音。
焦げた感触が、一瞬強くなってから、薄れた。
「感触が薄くなりました。石を使われる前に止められたかもしれません」
「よし」
カルバの声が少し緩んだ。
その瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。
「こちらに来ます!」
俺が叫ぶより前に、勇者が前衛を抜けていた。
ダルグとヘルトを同時に押しのけて、内側に入ってきた。
速い。
あの速さは、見たことがない。
勇者がこちらを見た。
俺と目が合った。
昨日と同じように。
でも、今日は違う。
昨日は確認していた。
今日は、俺を目標にしている。
「ソーイ!」
カルバが叫んだ。
俺は盾を出した。
間に合わない。
そう思った。
でも、体が動いた。
盾を前に出して、重心を落として、足を踏ん張る。
勇者の剣が盾に当たった。
衝撃が全身を走った。
今まで受けた中で、比べものにならない衝撃だった。
足が宙に浮いた。
俺は後ろに吹き飛んだ。
壁に背中が当たった。
「ぐっ」
息が止まった。
視界が揺れる。
勇者が追ってくる。
剣が上がる。
その瞬間、黒い炎が勇者の足元を焼いた。
リーディアが戻ってきた。
勇者が横に跳んで炎をかわした。
「ソーイ!」
リーディアの声。
「立てる」
俺は壁に手をついて立ち上がった。
背中が痛い。
腕が痺れている。
でも、立てる。
「下がって」
リーディアが前に出た。
勇者とリーディアが向き合った。
勇者が構えた。
リーディアの銀紋が、首筋まで広がった。
「待て」
カルバの声だった。
全員が一瞬止まった。
戦闘が、奇妙な静けさを持った。
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カルバが前に出た。
「アルヴァン・レイク」
勇者の名前を呼んだ。
勇者が少し動きを変えた。
「黒燐砦の砦長、カルバ・シェインだ。少し話をしたい」
「話す理由がない」
勇者の声は若かった。
二十代前半、という情報通りの声だった。
「一つだけ聞く。そこにいる人間は何者だ」
勇者がこちらを見た。
俺を見ている。
「転移者です」
俺は答えた。
周囲が静まった。
「転移者」
「この世界の人間ではありません。別の世界から来ました。人類軍には属していません」
「なぜ魔族の砦にいる」
「ここにいることを選んだからです」
「選んだ」
勇者の感触が変わった。
攻撃から、確認に戻っていた。
「なぜここを選んだ」
「人間と魔族が、本当に争うしかないのかを見たいからです」
沈黙があった。
長い沈黙だった。
勇者が剣を下ろしていた。
完全にではない。
まだ構えている。
でも、下がった。
「話の続きは、また別の機会にしましょう」
カルバが言った。
「今日のところは引いてもらえますか。砦の者たちも、追撃はしない」
勇者は少しの間、俺を見ていた。
感触が、複雑になっていた。
攻撃でも確認でもない。
何かを考えている感触だった。
「引く」
勇者が言った。
短い言葉だった。
周囲の人類軍の兵士たちが、戸惑いながらも動き始めた。
砦の者たちも、追わなかった。
カルバが手を挙げていた。
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人類軍が引いていった。
砦の中に、静けさが戻ってきた。
今回は、昨日より怪我人が少なかった。
勇者が入ってきたが、砦の中での戦闘時間は短かった。
俺は壁に背中をついたまま、息を整えていた。
リーディアが来た。
「怪我は」
「背中を打ちました。それと、腕が痺れています」
「盾で受けたのね」
「受けましたが、吹き飛ばされました」
「受けられたこと自体、驚いた」
「驚きましたか」
「あの速さで来た一撃を、盾で受けようとする者はいない。普通は逃げる」
「逃げても追いつかれると思ったので」
「そうかもしれないけれど」
リーディアは俺の腕を確認した。
「骨は大丈夫そう。背中は?」
「壁に当たりましたが、たぶん大丈夫です」
「たぶんではなくて」
「後で確認してください」
「今確認する」
リーディアが背中を押した。
「痛い?」
「少し」
「骨に当たっている感じはないけれど、筋肉を痛めている。しばらく動くな」
「動かなければいけない状況でした」
「今はもう終わった。動くな」
「はい」
ダルグが来た。
「よく受けた」
「吹き飛ばされましたが」
「受けようとしたことが大事だ。あそこで逃げれば、後ろにいた者が巻き込まれた」
「後ろに誰かいましたか」
「カルバがいた」
俺は少し驚いた。
「カルバさんを守ることになっていたんですか」
「結果として。あなたが受けなければ、勇者はカルバに向かっていた」
「カルバさんはどうなっていましたか」
「やられていたかはわからない。ただ、砦長が倒れれば指揮が乱れる。それは避けられた」
「たまたまです」
「たまたまでも、受けた」
ダルグはそれだけ言って、立ち去った。
ヘルトが来た。
「怪我は」
「背中を打ちました」
「動けるか」
「今は少し難しいです」
「正直だな」
「動けると言っても、バレるので」
「感知はできるか」
「できます。感知に体力は使いますが、今は通常範囲です」
「続けてくれ。引いたが、完全に退いたわけではない」
「わかりました」
ヘルトは去った。
レイが来た。
「大丈夫か」
「背中が痛いです」
「吹き飛んだのを見た。よく立てたな」
「壁のおかげです」
「壁がなかったらどうなっていた」
「もっと遠くまで飛んでいました」
「冗談を言える余裕があるなら大丈夫だな」
「冗談のつもりはありませんでした」
レイは笑った。
「今日の感知、また全部聞いていた。教団の感触を伝えたのが早かった」
「リーディアさんが間に合いました」
「あなたが早く伝えたから、リーディアが間に合った」
「それはそうかもしれません」
「それでいいだろう。連携で成立した」
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昼前、カルバが俺を呼んだ。
執務室に入ると、カルバとダルグとヘルトがいた。
「座れ」
俺は椅子に座った。
「今日の戦闘で、いくつか確認したいことがある」
「はい」
「勇者に向かって答えた言葉、あれはあなた自身の判断か」
「はい。カルバさんが話を始めたので、俺も答えた方がいいと思いました」
「転移者だと名乗った」
「はい」
「効果があったと思うか」
「勇者の感触が変わりました。攻撃から確認に戻った瞬間がありました」
「引いた理由が、転移者という言葉にあると思うか」
「全部の理由ではないと思います。ただ、一部はあったかもしれません」
「なぜ引くと思う」
「勇者は、昨日から俺のことを確認していました。人間が魔族の砦にいるという事実を。今日、俺が自分で転移者だと名乗ったことで、何かを考えるきっかけになったかもしれません」
「勇者が考える、とはどういう意味だ」
「俺にはわかりません。ただ、迷いを持った人間が、説明できない事実に出会うと、立ち止まることがある気がします」
「それはあなたの経験からか」
「はい。俺も転移してきたとき、神様の言葉だけでは動けなかった。自分で確認しながら、少しずつ動きました」
「勇者も同じだということか」
「同じかどうかはわかりません。ただ、迷いを持っている人間は、確認してから動く場合があります」
カルバは少し考えた。
「今日、勇者は一度引いた。次に来るとき、どう来ると思う」
「わかりません。ただ、今日感じた感触から言えば、次は別の目的を持って来るかもしれません」
「別の目的」
「確認するために来る可能性があります。攻撃ではなく」
「それは楽観的すぎる」
「そうかもしれません。ただ、可能性として考えておく価値があると思います」
ヘルトが言った。
「あなたは、勇者と話せると思っているか」
「わかりません。ただ、話せない相手だとは思っていません」
「なぜ」
「迷いを持った相手には、言葉が届く可能性があります。迷いのない相手には届かないことが多い」
「迷いを持った勇者に、何を届けたいのか」
「人間と魔族が争い続ける理由が、本当は何かを、知ってほしいです」
「教団のことか」
「教団のことも含めて。ただ、俺自身がまだ全部わかっていないので、今は何を届けたいかより、まず話せる状況を作ることの方が先だと思っています」
「順番通りだな」
「俺にできることは、順番通りに積むことだけなので」
カルバは頷いた。
「わかった。今日の話はここまでだ。背中の怪我を治せ」
「はい」
「今後、勇者が接触を求めてきた場合、あなたが対応する可能性がある。それまでに動けるようにしておけ」
「対応する、というのは戦うことですか」
「話すことだ。あなたが転移者だと名乗った。勇者が確認したいなら、話す相手はあなたになる」
俺は少し驚いた。
「俺が話すんですか」
「あなたが口を開いた。責任を取れ」
「わかりました」
「嫌か」
「いいえ。ただ、俺が話すことで、砦の方針と違う方向に進む可能性があります」
「あるかもしれない。ただし、砦の方針は、今のところ停戦に向けて動く余地を残している」
「停戦を目指しているんですか」
「戦争を続けることが、この砦の目的ではない。守ることが目的だ。守るために戦い、守れるなら戦わない」
「その方針なら、俺が話すことと矛盾しない可能性があります」
「そういうことだ」
カルバは立ち上がった。
「下がっていい。休め」
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部屋に戻ると、リーディアがいた。
「カルバから呼ばれていたのね」
「勇者が接触を求めてきた場合、俺が話す可能性があると言われました」
「知ってる」
「事前に知っていたんですか」
「カルバから聞いた。同意した」
「俺の代わりに同意したんですか」
「あなたが同意するとわかっていた」
「読まれていますね」
「最近はだいたい読める」
俺は寝台に座った。
背中が痛む。
「手当てをするわ。上着を脱いで」
「はい」
リーディアが背中を確認した。
「打撲だけね。骨はない」
「よかったです」
「よくない。しばらく痛い」
「痛いのは仕方ありません」
「あなたはそういうところがある」
「どういうところですか」
「起きてしまったことを、仕方ないと受け入れるのが早い」
「早すぎますか」
「早すぎることもある。自分を責めるべき場面でも、仕方ないで終わらせることがある」
「今日は自分を責めるべきですか」
「今日は違う。ただ、覚えておいてほしい」
「はい」
リーディアが薬草を背中に当てた。
冷たい。
「今日の一撃を受けようとしたこと」
「受けられませんでした。吹き飛ばされました」
「受けようとしたことが大事よ。結果より、受けようとした判断が」
「でも、吹き飛ばされた」
「吹き飛ばされても、立った。それで十分」
俺は少し考えた。
「リーディアさんは、今日俺が吹き飛ばされたとき、どう思いましたか」
少しの間があった。
「焦った」
「焦ったんですか」
「あなたが立てるかどうか、一瞬わからなかった。だから焦った」
「立てましたよ」
「知ってる。立ってから、少し安心した」
その言葉が、胸の中に落ちてきた。
リーディアが焦った。
安心した。
「ありがとうございます」
「何に対して」
「焦ってくれたことに対して」
「変な礼ね」
「でも、言いたかった」
リーディアは少し間を置いた。
「あなたは変なことばかり言う」
「すみません」
「謝らない。変だけど、悪くない」
俺は少しだけ笑った。
背中が痛んだ。
でも、悪くない痛みだった。
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夕方、北の感触を確認した。
遠い。
今日は来ない。
レイが見張り台に上がってきた。
「今日も来ないか」
「今日は来ません」
「勇者が引いてから、全体が静かになった」
「勇者の判断が、全体に影響しているんですね」
「それだけ、あの人の存在感が大きいということだろう」
「迷いを持った存在感が大きい人間が、今日引いた」
「それが何を意味するかは、明日わかるかもしれない」
「明日何があると思いますか」
「わからない。ただ、今日とは違う動きが来る気がする」
「俺も同じ気がします」
「あなたの感知によるものか、勘か」
「半分ずつです」
レイは北の森を見た。
「あなたが勇者と話す場面が来るかもしれない」
「カルバさんにも言われました」
「怖いか」
「怖いです。戦うより、話す方が怖い場合があります」
「なぜ」
「戦うときは体が動きます。話すときは言葉が必要です。言葉を間違えると、戦うより大きな失敗になることがある」
「それはそうかもしれない」
「でも、やります」
「やれると思うか」
「わかりません。ただ、やらないより、やった方がいいと思っています」
夕暮れが砦を染めていた。
七日目が終わろうとしていた。
勇者と、一瞬だけ言葉を交わした。
引いてもらえた。
次に来るとき、何が起きるかはわからない。
でも、今日の種は、確かに蒔かれた。
それが育つかどうかは、これからだった。
二つの月が、夜の空に出始めていた。
俺は背中の痛みを感じながら、北の森を見ていた。
七日目の夜が来た。
次話は明後日の19:00に投稿します。
2日に1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




