表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/27

第26話 初めての戦場

 六日目の夜明け前、胸の奥が急に騒いだ。


 夢の中だったが、目が覚めた。


 北。


 大きい。


 昨日より、はるかに大きい。


 俺は飛び起きた。


「リーディアさん」


 隣の寝台を見た。


 リーディアはすでに起きていた。

 上着を着ながら、俺を見た。


「感じているか」


「はい。北が来ています。大きい」


「わかった。見張りに知らせる」


 リーディアが部屋を出た。


 俺も上着を着て、外に出た。


---


 廊下が騒がしくなっていた。


 夜明け前なのに、兵士たちが動いている。

 声が飛び交っている。


 カルバがすでに中庭にいた。


「北から報告が来た。人類軍の主力が灰境線を越えた。先行部隊が前進している」


「感知でも確認できます。大きい塊が、動いています」


「速度は」


 俺は目を閉じた。


 北の感触を追う。


 昨日の止まった塊とは違う。


 動いている。

 方向は南。

 こちらへ向かっている。


「速い。歩いているのではなく、走っている速度です」


「突撃か」


「塊全体が動いています。突出した感触もその中にあります」


「勇者が一緒に来ているということか」


「昨日感じた感触と同じ質です」


 カルバが指示を出した。


「全員起こせ。戦闘準備。弓組は北の柵に。前衛は正門前に集まれ。リーディア、魔法組を率いて後衛に入れ」


「わかった」


 砦が動き出した。


 俺はどうすればいいか一瞬考えた。


「ソーイ」


 カルバが俺を見た。


「感知を続けてくれ。動きの変化を声に出し続けろ。誰かが常に聞ける場所にいろ」


「どこにいれば」


「前衛の後ろ。リーディアの近く」


「わかりました」


---


 夜明けの光が、ほんの少し空を染め始める頃、北の柵の向こうに人影が現れた。


 暗い森の中に、無数の影が動いている。


 人類軍だ。


 外見は、魔族の兵士たちとほとんど変わらない。

 ただ、腕に白い布が巻かれている。

 それだけが、味方と敵を分ける印だ。


 俺は前衛の後ろに立っていた。


 盾を出している。

 脇腹はほぼ治っている。

 体は動く。


 胸の奥が激しく鳴っていた。


 敵意の塊が、こちらへ向かってくる。


 今まで感じた中で、最大の圧だった。


「北から、百以上の感触があります。全員が攻撃の気持ちを持っています」


「わかった」


 カルバが短く答えた。


 砦の弓組が、北の柵の上で矢を番えた。


 前衛の者たちが剣を抜いた。


 リーディアの銀紋が、右手から首筋まで広がっていた。


 準備ができている。


 俺は盾を構えた。


 重心を落とす。


 膝を曲げる。


 足を広げる。


 構えだけは、何十回も練習した形だ。


 それでも、今は体が震えていた。


 恐怖だ。


 初めての本物の戦場。


 グレイノの夜襲とは、規模が違う。


「ソーイ」


 リーディアが後ろから声をかけた。


「はい」


「声を出し続けて。変化を教えて」


「わかりました」


 声を出す。

 通り道を絞る。

 石が来ても、声を出し続ける。


 オルドに言われたことを思い出した。


「北の塊が分かれています。右から大きい固まりが来ます。左は小さい固まりです」


「右が主力か」


「感触が大きい方です」


「弓組、右に集中しろ」


 カルバの指示が飛んだ。


 矢が放たれた。


 森の向こうで声が上がった。


 それでも、影は止まらない。


 柵に向かって走っている。


 柵が揺れた。


 一度。二度。三度。


「来ます!」


 俺は叫んだ。


 柵の一部が内側へ倒れた。


 人類軍の兵士が飛び込んでくる。


 前衛と激突した。


 金属音。

 叫び声。

 足音。


 俺の胸の奥が、激しく痛んだ。


 無数の敵意が、押し寄せてくる。


 一つ一つを区別できない。

 塊として押してくる。


「右の柵が破れています。左はまだ持っています」


 声を出し続ける。


 リーディアの黒燐火が走った。


 飛び込んできた兵士の足元を焼く。


 前衛の者たちが押している。


 俺は前衛の後ろで、感知を続けた。


 変化を拾う。


 どこに圧が集まっているか。


 どこが薄くなっているか。


「左が強くなっています。左の柵を増強してください」


「左に二人回せ!」


 カルバの指示。


 俺は感知を続けながら、前衛が押されていないか確認した。


 前衛は踏み止まっている。


 ただ、少しずつ後退している。


「前衛が下がっています」


「踏み止まれ!」


 カルバが叫んだ。


 前衛が踏ん張る。


 そのとき、胸の奥に、強烈な痛みが走った。


 一つ。


 突出している。


 昨日感じた感触と同じ。


「勇者が来ます!右の後方から、前に出ています!」


 カルバが右を向いた。


 右の柵から、人影が一つ飛び込んできた。


 速い。


 今まで見た誰より速い動きだった。


 光属性を帯びた長剣が、前衛の一人を弾き飛ばした。


 ダルグが前に出た。


「私が相手をする!」


 ダルグと勇者が激突した。


 金属音が、他の音を消した。


 俺は勇者の感触を追った。


 強い。


 攻撃の気持ちが、明確だ。


 でも、昨日感じた迷いが、今もわずかに残っている。


「ダルグさん、勇者の右半分に意識が集まっています。左が薄い」


 俺は声を出した。


 届くかどうかわからない。


 でも、声を出した。


 ダルグが左へ動いた。


 勇者が反応する。


 一瞬、動きが止まった。


 その隙間に、リーディアの黒燐火が飛んだ。


 勇者は盾を持っていなかったが、剣で弾いた。


 炎が散った。


「くっ」


 勇者が一歩後退した。


 ダルグが追う。


 勇者は後退しながら、こちらを見た。


 俺と目が合った気がした。


 暗い中で、一瞬だけ。


 勇者の感触が変わった。


 確認している。


 俺を、確認している。


 人間が、魔族の砦の中に立っている。


 その事実を確認している感触だった。


「左から別の感触が来ます!」


 俺は視線を切って叫んだ。


 左から兵士が二人、前衛の隙間に入ってきた。


 前衛が対応する。


 勇者が、また後退した。


 一度引くつもりらしい。


「勇者が引いています。右の感触が遠くなっています」


「右の弓組、追い矢を放て!」


 矢が飛んだ。


 勇者は素早く動いて、矢をかわしながら柵の外へ出た。


 速い。


 あの速さは、俺の盾では正面から受けられない。


 俺は冷静に認識した。


---


 戦闘が一時的に緩んだのは、夜明けの光が完全に差してからだった。


 人類軍が少し引いた。


 完全な撤退ではない。

 柵の外で待機している。


 砦の中に、静けさが戻ってきた。


 怪我人が運ばれていく。

 複数いる。


 俺は立ったまま、胸の奥を確認した。


 北の感触が遠くなっている。

 待機している。


「ソーイ」


 カルバが来た。


「感知の状況を教えろ」


「北は待機しています。勇者の感触は、塊の中に戻っています。攻撃の準備の感触は今は薄いですが、完全に引いてはいません」


「第二波が来ると思うか」


「今の感触では、すぐには来ないと思います。ただし、判断を変えれば来ます」


「わかった」


 カルバは中庭の状況を確認しに行った。


 リーディアが来た。


「怪我は」


「ありません」


「本当に?」


「はい。後ろにいたので」


「感知は続けられるか」


「続けられます。ただ、消耗しています」


「正直ね」


「消耗していることを隠しても、感知の精度が落ちた後でバレるので」


「わかった。交代で他の者に見張りをさせる。あなたは少し休め」


「今休んでも大丈夫ですか」


「今の感触では、すぐには来ないと言ったでしょう」


「はい」


「なら休める時間がある」


「でも」


「あなたが消耗しきったら、第二波で使えない。今休む方が全体として役に立つ」


 俺は頷いた。


「わかりました」


 内側の壁際に座った。


 背中を壁に預ける。


 体が重い。


 盾を出し続けたわけではない。

 ほとんど感知だけだった。


 でも、こんなに消耗している。


 精神的な疲労だ。


 無数の敵意の中に立ち続けることが、こんなに重いとは思わなかった。


 リーディアが隣に立った。


「どうだった」


「初めての戦場でした」


「感想は」


「怖かったです」


「それだけ?」


「それが一番大きかったです。他は、動いている間は感じませんでした。止まってから来ています」


「今は何を感じている」


「全部が一度に来ています。怖さ、疲れ、それから怪我人が出たことへの罪悪感のようなもの」


「あなたが怪我人を出したわけではない」


「わかっています。でも、感じます」


「感じるのは普通よ」


「リーディアさんも感じますか」


「感じる。慣れれば薄くなるが、消えることはない」


「慣れたくない気もします」


「慣れることで、次に動けるようになる。慣れなければ、次に立てない」


「どちらが正しいんですか」


「両方正しい。慣れることと、感じ続けることを、両方持つのが難しい」


 俺は壁に頭を預けた。


「勇者と目が合った気がしました」


「そうね。私も見ていた」


「どう見えましたか」


「若かった。思ったより」


「強かったです。圧倒的に」


「そうね。ダルグが拮抗できたのは、あなたの情報があったからよ」


「俺の情報が役に立ちましたか」


「右半分に意識が集まっているという言葉、ダルグに届いた。あれで左へ動けた」


「届いていたんですね」


「届いていた。あなたの声は、混乱した場所でも聞こえる」


「声を出し続けることが、訓練になっていたからかもしれません」


「そうね」


 しばらく沈黙があった。


「勇者が俺を見た感触、変わりました」


「どう変わった」


「確認している感触でした。人間が魔族の砦にいる、という事実を確認している感触」


「それは当然でしょう」


「ただ、驚きよりも、疑問に近い感触でした」


「なぜ人間がここにいるのか、という疑問か」


「そう感じました」


 リーディアは少し考えた。


「あなたが言っていた迷い、本物かもしれない」


「そう思います」


「迷いを持った勇者が、人間が魔族の砦にいる事実を見た」


「何かが変わるかもしれません」


「変わるかどうかはわからない。ただ、見た事実は消えない」


「種を蒔いた、という感じがします」


「その種が育つかどうかは、これからよ」


 北の感触が、また少し動いた。


「リーディアさん、北が動き始めています」


 俺は立ち上がった。


「第二波が来るか」


「まだわかりません。ただ、感触が変化しています」


「カルバに伝える」


 リーディアが動いた。


 俺は感知を続けながら、立ち上がった。


 休んだ時間は短かった。


 でも、少しだけ戻ってきた。


 北の感触が、また近づいてくる。


 怖い。


 でも、声を出せる。


 盾を出せる。


 前に立てる。


 それで、今は十分だった。


 砦の六日目が、まだ続いていた。


---


 第二波は、昼前に来た。


 今度は人数が少なかった。


 百人規模ではなく、二十人ほどの精鋭に近い感触だった。


「少数ですが、密度が高いです。精鋭を使ってくる可能性があります」


「わかった」


 カルバが前衛を絞った。


「精鋭には精鋭を当てる。ダルグ、ヘルト、前に出ろ」


 ヘルトが前に出た。


 初めてヘルトが戦う姿を見た。


 大柄な体が、信じられない速さで動く。


 剣の一振りが重い。


 受けた者が吹き飛ぶ。


 ヘルトは強かった。


「ヘルトさんの左後方から、一人が回り込もうとしています」


 俺は叫んだ。


 ヘルトが半歩横に動いた。


 回り込もうとした兵士が、空いた場所に踏み込んだ。


 ヘルトの剣が、その兵士の剣を弾いた。


 前衛の一人が取り押さえた。


「使えるな」


 ヘルトが戦いながら言った。


 俺に向けて言ったのか、誰かに言ったのかはわからない。


 でも、聞こえた。


 第二波は、三十分ほどで引いた。


 精鋭を使ったが、砦の前衛が崩れなかった。


 勇者は来なかった。


 塊の中で待機しているらしい。


---


 昼過ぎ、戦闘が一段落した。


 砦の者たちが食事を取っていた。


 俺も食堂に入った。


 今日は、視線が昨日と違った。


 警戒の視線が、半分くらい減っている。


「よかったぞ」


 レイが横に来た。


「今日の感知、全部聞いていた。砦の者のほとんどが聞いていた」


「役に立てましたか」


「ダルグが助かった場面を見ていた。あなたの声がなければ、どうなっていたかわからない」


「間に合ってよかったです」


「それだけか」


「それだけです。他に何を言えばいいかわかりません」


「普通は、もっと自慢したがる」


「自慢するほどのことをしていないので」


 ヘルトが隣に座った。


 俺は少し驚いた。


「今日の感知、使えた」


「ありがとうございます」


「礼はいらない。事実を言っている」


「わかりました」


「一つだけ聞く」


「はい」


「あなたは人間だ。人類軍が来ている。それでも、こちらの感知を続けるか」


「続けます」


「理由は」


「今の俺の居場所は、ここだからです」


「感情的な理由か」


「半分は感情です。もう半分は、俺がここで見たいものがあるからです」


「見たいもの」


「人間と魔族が、本当に争うしかないのかを見たい」


 ヘルトは少しの間、俺を見た。


「今日の戦いを見て、どう思った」


「争うしかない場面が、確かにありました。でも、全部がそうではないと思いました」


「全部がそうではない、とは」


「勇者と目が合ったとき、感触に迷いがありました。争う理由を、自分で確信しきれていない感触でした」


「勇者が迷っているということが、何かを変えると思うか」


「今はまだわかりません。ただ、迷いがあるなら、何かが届く可能性がある」


「あなたは楽観的だな」


「楽観的なのかもしれません。ただ、可能性がゼロだとは思っていないので」


 ヘルトは食事を食べ始めた。


 それ以上は何も言わなかった。


 でも、席を立つことはなかった。


 同じテーブルで、食事を続けた。


 それだけで、何かが変わった気がした。


 俺は粥を食べながら、北の感触を確認した。


 遠い。

 静かだ。


 今夜は来ないかもしれない。


 砦での六日目が、少しずつ夕暮れに向かっていた。


 初めての本物の戦場が終わった。


 怪我はなかった。


 怖かった。


 でも、声を出し続けた。


 盾を出せた。


 前に立てた。


 それが今日の全部だった。


 それで、今日は十分だと思った。


次話は明後日の19:00に投稿します。


2日に1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ