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第19話_守るだけでは足りない

 翌朝、リーディアが迎えに来た。


「訓練の前に、話がある」


「オルドさんから聞きましたか」


「通り道のこと。石との関係。全部聞いた」


 リーディアの声は平坦だった。


 怒っているわけではない。


 ただ、何かを飲み込んでいる声だった。


「感想を聞いてもいいですか」


「まだまとまっていない」


「急かしません」


「知ってる」


 リーディアは歩き始めた。


 いつもの空き地ではなく、集落の南端にある低い崖の上だった。


 見晴らしがよく、森の向こうまで見える。


 二つの月が朝の空に薄く残っていた。


「今日は訓練の内容を変える」


「何をしますか」


「盾を出さない訓練」


「盾を出さない?」


「オルドに言われた。通り道を太くしすぎないよう、召具を使わない時間を意識的に作る方がいいと」


「なるほど」


「今日は体の動きだけ。重心の維持、足さばき、視線の動かし方。全部、道具なしでやる」


「素手ですか」


「素手」


 俺は少し不安になった。


 盾がない状態で、戦場で使える動きがあるとは思えなかった。


「不安そうね」


「盾がないと、何もできない気がして」


「それが問題」


 リーディアは俺の正面に立った。


「あなたは盾に頼りすぎている」


「頼るために持っているのでは」


「頼ることと、依存することは違う」


 その言い方は、どこかで聞いた気がした。


 嘘と話せないことは違う。


 リーディアは、違いを示すのが上手だった。


「盾がなくても立てる人間が盾を持つと、強い。盾がなければ立てない人間が盾を持っても、盾を失った瞬間に崩れる」


「俺は後者ですか」


「今は。だから、前者になるための訓練をする」


 リーディアは三歩離れた位置に立った。


「私が押す。あなたは耐える。盾なしで」


「素手で押されるんですか」


「両手で胸を押す。倒れなければいい」


「倒れたら」


「起き上がる」


「シンプルですね」


「複雑にする必要がない」


 俺は足を肩幅より少し広く開いた。


 膝を曲げる。


 重心を落とす。


 盾を構えるときと同じ姿勢。


 ただし、左腕に盾はない。


 空っぽの腕が、ひどく頼りなく感じた。


「行くわよ」


 リーディアが踏み込んだ。


 両手が胸に当たる。


 思ったより強い。


 俺は後ろに二歩下がり、片膝をついた。


「倒れたわね」


「膝をついただけです」


「膝をついたら負けよ」


「基準が厳しいですね」


「戦場はもっと厳しい」


 リーディアの言い方に嫌味はなかった。


 事実を言っているだけだ。


「もう一度」


 俺は立ち上がった。


 構える。


 今度は、押される方向に備えた。


 後ろではなく、下へ力を逃がすように意識する。


 リーディアが押した。


 衝撃が来る。


 足がずれかける。


 だが、膝はつかなかった。


「今のは持ちこたえた」


「ぎりぎりです」


「ぎりぎりでも立っていれば、次がある。倒れたら次はない」


 十回繰り返した。


 七回耐えた。


 三回倒れた。


「成績としてはどうですか」


「百点満点で三十点」


「厳しい」


「倒れた三回のうち、どこかで私の攻撃を盾で受ける前提の動きをしていた」


「自覚があります」


「盾がないのに盾がある動きをする。それが一番危ない」


 俺は膝の土を払った。


「どうすれば直りますか」


「意識を変えるしかない。盾があるときの動きと、ないときの動きを、頭の中で分ける」


「二つの動き方を持つ、ということですか」


「そう。盾役としてのあなたと、素の人間としてのあなたは、同じ体だけど違う動きをする」


「切り替えが必要ですね」


「切り替えができるようになれば、盾を出すタイミングも自分で選べるようになる。つまり、通り道を開くタイミングを制御できる」


 俺は少し驚いた。


「オルドさんの話と繋がっていますね」


「私も考えた。あなたの通り道の問題を聞いて、訓練の方向を変えた方がいいと思った」


「昨夜のうちに」


「そうよ」


 リーディアは水袋を投げてよこした。


「休憩」


「ありがとうございます」


 俺は崖の端に座った。


 南の森が広がっている。


 遠くに灰色の線が見える。


「あれが灰境線ですか」


「そう。ここからだと、晴れた日に見える」


 灰境線。


 人類と魔族が争い続ける境界。


 ここから見ると、ただの灰色の線だ。


 だが、あそこで人が死んでいる。


 あそこで流れた血と魔力が、虚環の王骸を起こそうとしている。


「リーディアさん」


「何」


「灰境線に、行くことになりますか」


 リーディアは少しの間、黙った。


「なぜ聞くの」


「昨日、セラム長が前線情報の話をしていました。人類軍の動きが活発になっていると。集落が巻き込まれる可能性があると」


「聞いていたのね」


「医療棟にいると、人の出入りが多いので」


「盗み聞きはよくない」


「聞こえてしまうだけです」


「同じよ」


 リーディアは水を一口飲んだ。


「前線の状況は悪化している。人類軍の動きだけではなく、虚環教団の活動も活発になっている」


「ガウンさんたちが追われてきたのも、その流れですか」


「そう。教団は灰境線周辺の小集落を順に取り込んでいる。ヴァランが最初ではないかもしれない」


「グレイノも」


「まだ来ていない。でも、来ないとは思っていない」


 俺は灰境線を見た。


「俺にできることは、まだ少ないです」


「少ないけど、ゼロではない」


「敵意の感知と、盾役だけです」


「それと、人を繋ぐこと」


「繋ぐ?」


「あなたがいなければ、ヴァランの者たちの保護はもっと遅れていた。感知がなければ、東の襲撃の対応も遅れていた。トマが並んで歩くこともなかった」


「それは俺の力というより、リーディアさんやセラム長の判断です」


「判断を引き出したのは、あなたの行動よ」


 リーディアは真っ直ぐに俺を見た。


「守るだけでは足りない、と言ったのを覚えている?」


「リーディアさんが最初の夜に」


「違う。あなたが自分で言った。殺さないでくれと叫んだとき、私は言った。殺さずに止める力を持てと」


「覚えています」


「今のあなたには、少しだけその力がある」


「少しだけ」


「ただし、まだ足りない。灰境線が近づいてくるなら、もっと必要になる」


 俺は頷いた。


「集落の外へ出ることになりますか」


「セラムが判断する。でも、私はそうなる可能性が高いと思っている」


「黒燐砦ですか」


「前線拠点の名前を知っているのね」


「オルドさんに聞きました」


「あの老人は話しすぎる」


「助かっています」


「それは否定しない」


 リーディアは立ち上がった。


「訓練を続ける。午前中に、あと十回」


「十回」


「倒れる回数を減らすのが目標」


「何回なら合格ですか」


「一回も倒れないこと」


「厳しいですね」


「甘くしたら、あなたが死ぬ」


 その言葉には、感情が少しだけ乗っていた。


 怒りではない。


 心配、に近い何か。


 俺は立ち上がった。


「やりましょう」


---


 十回のうち、倒れたのは二回だった。


 一回目は、リーディアがフェイントを入れたとき。


 二回目は、脇腹の傷が痛んで集中が切れたとき。


「三十点が五十点になった」


「まだ半分ですか」


「倒れた理由を言える?」


「一回目はフェイントに引っかかった。目線を見ていて、足を見ていなかった」


「二回目は」


「傷が痛んで、体が逃げた」


「どちらも、原因がわかっている」


「わかっていても、体が追いつかない」


「追いつくまで繰り返す」


「明日もやりますか」


「毎日やる。灰境線に出るまでに、倒れない体を作る」


 リーディアはそう言い切った。


 俺は少しだけ、その言葉の中に含まれている前提に気づいた。


 灰境線に出るまでに。


 彼女は、俺が一緒に行くことを前提にしている。


 監視対象を連れていくのは、監視のためかもしれない。


 でも、それだけではない気がした。


「リーディアさん」


「何」


「灰境線に行くとき、俺はあなたの隣にいますか」


 リーディアは少しの間、俺を見た。


「盾役は前に立つものよ」


「では、前にいます」


「そう」


 それだけだった。


 それだけで、少し安心した。


---


 午後、オルドとの訓練があった。


 医療棟ではなく、集落の外れにある小さな祠のような場所だった。


 石を積んだ壁に囲まれた空間で、中には古い台座がある。


「ここは何ですか」


「昔の祈り場だよ。今は使われていないが、魔力の流れが安定している」


「訓練に向いているということですか」


「向いている。あなたの通り道を調整するには、周囲の魔力が乱れていない場所がいい」


 オルドは台座の前に座り、俺にも座るよう促した。


「今日やることは二つ」


「はい」


「一つ目は、通り道を意識すること。二つ目は、声を使って通り道の状態を変えてみること」


「具体的にはどうすれば」


「まず目を閉じて。自分の左腕に意識を集中して」


 俺は目を閉じた。


 左腕。


 盾が出る腕。


 通り道が一番太い場所。


「何か感じるかね」


「微かに。温かいような、流れているような感触があります」


「それが通り道だよ。普段は気づかないほど薄いが、意識を向けると感じられる」


「はい」


「では、その流れを止めるつもりで、息を止めて」


 俺は息を止めた。


 左腕の感触が、少し弱くなった。


「変化はあるかね」


「少し弱くなりました」


「息を止めると、体の緊張が変わる。緊張が通り道に影響する。これは基礎的な反応だ」


「息で変わるんですか」


「息だけでは足りない。ただ、体の状態と通り道は連動している。それを確認するための実験だよ」


 オルドは計測杖を俺の左腕に当てた。


「次に、声を出してみて。何でもいい」


「何でも?」


「名前でも、数字でも」


「ソーイ」


 自分の名前を言った。


 左腕の感触が、わずかに変化した。


 弱くなったのではない。


 形が変わった。


「今、何が起きましたか」


「通り道の形が変わった。声を出した瞬間に、通り道が少し狭くなった」


「狭くなった?」


「そう。太さは変わらないが、入り口が絞られたように見える」


「声が通り道の入り口を絞る」


「そのようだね。まだ微弱だが、変化はある」


 オルドは計測杖を下ろした。


「これは面白い。防線号令が声を使うスキルだという話と一致する」


「防線号令を使えば、もっと強く絞れますか」


「可能性がある。ただし、防線号令は外に向けて効果を出すスキルだ。内側に向けて使えるかどうかは、わからない」


「試してみたいです」


「焦らないで。今日はここまで」


「え」


「初日から飛ばすと、通り道に負担がかかる。明日以降、少しずつ試す」


 俺は少し残念だったが、頷いた。


「わかりました」


「忍耐力があるね」


「上司の決裁を待つ訓練が」


「それはもう聞いた」


「すみません」


 オルドは笑った。


「一つだけ、今日の成果を伝えておく」


「何ですか」


「声で通り道を絞れるなら、黒い石が来たとき、声を出し続けることで影響を減らせるかもしれない」


「叫び続ければいいということですか」


「叫ばなくても、声を出していればいい。名前でも、言葉でも。声が出ている限り、通り道の入り口は絞られた状態を保てる可能性がある」


「完全に閉じるわけではない」


「完全に閉じたら、召具も出せなくなる。絞るだけでいい」


「なるほど」


「声は錨だと言ったね。つながりの証明であると同時に、通り道の制御装置でもあるかもしれない」


 俺はその言葉を、胸の中に置いた。


 声が、錨であり、制御装置である。


 盾だけが俺の武器ではない。


 声も、俺の武器になるかもしれない。


---


 夕方、医療棟に戻ると、セラムが待っていた。


「話がある」


「はい」


「前線から連絡が来た」


 セラムの声が、いつもより低かった。


「人類軍の大規模な移動が確認された。灰境線に向けて、主力部隊が進軍を開始している」


「大規模、というのは」


「過去五年で最大の規模だと、黒燐砦の伝令が言っていた」


 俺は息を飲んだ。


「グレイノへの影響は」


「直接的にはまだない。ただし、黒燐砦が前線として機能し始めれば、このあたりの補給路が使われる可能性がある」


「集落が巻き込まれる」


「その前に、黒燐砦に人を出す必要がある」


 俺はセラムを見た。


「俺にも行けということですか」


「あなたの判断に任せる」


「俺の判断」


「監視対象だったあなたに、命令はできない。ただし、協力を求めることはできる」


「協力の内容は」


「黒燐砦での見張り補助。敵意の感知。可能なら、盾役としての戦闘参加」


 俺は少しの間、黙った。


 グレイノを出る。


 前線に出る。


 今まで集落の中で積み上げてきたものとは、まったく違う場所に立つことになる。


「リーディアさんは」


「私も行く」


 扉の横に立っていたリーディアが答えた。


「オルドさんは」


「私も行くよ」


 医療棟の奥から、オルドの声がした。


 全員、すでに決まっていたらしい。


「俺だけ聞かれたんですね」


「あなただけ、この世界の人間ではないから」


 セラムが静かに言った。


「義理はない。帰る場所が別にある。だから、あなたの意思を確認する」


 俺は灰境線の方角を見た。


 壁の向こう。見えないが、そこにある。


 守るだけでは足りない。


 リーディアに何度も言われた。


 殺さずに止める力を持て。


 できることを積め。


 前に立て。


 ここで止まれば、今まで積んだものが止まる。


 先に進めば、今までの積み重ねに、もう一つ載せることができる。


「行きます」


 俺は言った。


「理由は」


「ここで積んだものを、ここだけで止めたくないからです」


 セラムは俺を見た。


 少しの間。


「わかった。出発は三日後の朝」


「三日間で何をしますか」


「訓練と、準備と、傷を治すこと」


「三つ全部ですか」


「全部よ」


 リーディアが言った。


「忙しくなりますね」


「暇だったことがあったかしら」


「ないですね」


「でしょう」


 リーディアが少し笑った。


 オルドも笑った。


 セラムだけが笑わなかった。


 ただ、少しだけ目を細めた。


 それが、この人なりの笑い方なのだと、俺は五日目にしてようやく気づいた。


次話は明後日の19:00に投稿します。


2日に1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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