第17話 嘘よりましな真実
医療棟に戻ると、リーディアはすぐに俺の脇腹を確認した。
布をはずす。
血が滲んでいる。
「やっぱり開いている」
「すみません」
「謝らない。動いた場面だったのはわかっている」
リーディアは新しい布と薬草を出した。
手際は変わらない。
ただ、今日は少しだけ動きが速かった。
「痛い?」
「はい」
「我慢できる程度?」
「はい」
「もう聞かなくてもわかるようになってきた」
「俺の返事のパターンが少ないからですね」
「あなたの返事は、二種類しかない」
「はい、と、すみません、ですか」
「あとは、わかりました、もある」
「三種類でした」
「少ない」
「努力します」
「努力する場面じゃない」
リーディアは少し笑った。
今日は笑う回数が増えている。
俺はそれを、悪くないと思った。
手当てが終わって、リーディアが椅子に腰を下ろした。
「ヴァランの三人は、別の建物に入れた。ガウンと同じ場所だと、感情が乱れる可能性があるから、しばらくは別」
「再会は」
「明日。今日は休ませる」
「セラム長は」
「捕虜の追加尋問に行った。今日の獣の件と、ヴァランの保護を合わせて、虚環教団の動きを整理するそうよ」
「忙しい人ですね」
「集落長は、暇な人にはやれない仕事」
リーディアは水を一口飲んだ。
「あなたに話したいことがある」
「俺もです」
「先に言って」
「いいんですか」
「あなたの話の方が、たぶん長い」
「そんな気がします」
俺は寝台の端に腰を下ろした。
脇腹がまだ痛むが、座ってはいられる。
リーディアは椅子に座ったまま、こちらを見ている。
「俺の出自と、転移のことを、もう一度ちゃんと話したいと思っています」
「もう一度」
「最初の夜に小屋で少し話しました。でも、あれは追い詰められた状態で出た言葉でした。今は、追い詰められて出すのではなく、自分から出したい」
リーディアは少しの間、俺を見た。
「私だけに?」
「セラム長にも話したいです。可能なら、オルドさんにも」
「なぜ今」
「昨夜、あなたに言われたことが頭から離れません。嘘と話せないことは違うと。判断材料は出すべきだと」
「それで」
「俺はこの集落に置かれている立場で、判断材料を出していない部分がまだあります。これ以上隠していると、また失敗を繰り返します」
リーディアは少しだけ目を細めた。
「具体的には」
「神様と名乗った男に言われたこと。スキルの内容と限界。元の世界での俺の仕事。家族のこと。戦闘経験がないこと。剣を振れない理由。全部、まとめて話したいです」
「家族のことは、判断材料に必要?」
「直接は必要ありません。ただ、俺がどういう人間かを知ってもらう材料にはなります」
「個人的な話を、集落長に?」
「個人的なところまで含めて話さないと、俺が嘘をついていないことの保証にならない気がします」
リーディアは少し間を置いた。
「あなた、そういうことを言うのね」
「言いすぎですか」
「いいえ。ただ、自分の中にしまっておく方が楽な話を、わざわざ出そうとする人は少ない」
「楽な道を選ぶと、後で痛い目を見ます」
「会社員時代の教訓?」
「半分はそうです。半分は、あなたに言われた言葉の影響です」
リーディアは何も言わなかった。
ただ、視線を少しだけ逸らした。
「セラムに伝える」
「ありがとうございます」
「明日の朝、時間を取る。オルドも呼ぶ」
「はい」
「あなたの話したかったことが、これで先に終わった。私の話をしてもいい?」
「どうぞ」
リーディアは姿勢を変えた。
椅子の背にもたれず、膝に肘を置く。
話す前の構えに見えた。
「今日の獣との戦い、よかった」
「リーディアさんが撃ったからです」
「私が撃てたのは、あなたが受けて、崩したから」
「順番通りに動けた、というだけです」
「順番通りに動くのが、一番難しい。実戦で順番を間違えずに動ける者は少ない」
「練習しました」
「練習したからできた、と言える人も少ない」
「褒めていますか」
「半分」
「半分が増えてきましたね」
「もう少し増やしてもいい」
俺は驚いた。
いつものリーディアなら、もう少しからかうところだった。
今日は、少し違う。
「リーディアさん、今日は機嫌がいいですか」
「悪くはない」
「珍しいです」
「珍しいと言わないで。私がいつも機嫌が悪い人みたい」
「悪い人とは思っていません。ただ、感情の起伏が見えにくいので」
「見えにくい方が、私としては都合がいい」
「そうですか」
「そう」
リーディアは少しの間、黙った。
「今日、ウナがあなたを認めた」
「認めたんですか」
「人間が、盾で受けたのか、と言った。あれは認めた言葉よ」
「そうは聞こえませんでした」
「あなたはまだ、こちらの言葉の温度を全部は理解していない」
「練習中です」
「いい先生がいないでしょう」
「ノルさんは、まあまあです」
「あの子は素直すぎる」
リーディアが珍しく、ノルを子と呼んだ。
彼女から見れば、ノルはまだ十分若い。
「あなたの周りに、人が増えてきている」
「四日間で、想像していなかったほど増えました」
「集落の評価は、まだ二つに分かれている。ただ、昨夜のトマの件と、今日のヴァランの件で、評価が一つに寄り始めている」
「人間でも、信用できる、ですか」
「人間なのに、信用できる、よ」
俺は少し笑った。
「同じ意味じゃないんですか」
「全然違う」
「どう違うんですか」
「前者は、人間という枠を外して評価している。後者は、人間という枠を残したまま評価している」
「枠は残したままなんですね」
「枠を外すのは、もっと時間がかかる。この集落で、本当に枠を外せる人は、たぶんセラムくらい」
「リーディアさんは」
リーディアは少しの間、答えなかった。
「私は、まだ枠を残している」
「そうですか」
「ただし、枠の中で、あなたの位置が変わってきている」
「どこに動いていますか」
「監視対象から、もう少し中の方へ」
「具体的には」
「言葉にしない」
「言葉にしない方がいい場所ですか」
「言葉にしてしまうと、確定してしまう。今はまだ、流動的な位置にいた方がいい」
俺は少し考えて、頷いた。
「わかりました」
「あなたが理解してくれて助かる」
「理解しているかどうかは、まだ自信がないですが」
「理解しようとしているだけで十分」
リーディアは立ち上がった。
「明日の朝、セラムの執務小屋に来て。私が呼びに来る」
「はい」
「今夜は休む。傷を悪化させないで」
「はい」
「返事が三種類のうちの一つ」
「他に何と言えばいいかわかりません」
「それでいい」
リーディアは医療棟を出ていった。
俺は寝台に横になった。
脇腹はまだ痛む。
でも、今夜の痛みは違う種類の痛みだった。
守ったあとの痛み。
動いたあとの痛み。
それから、明日の朝、何かを話し終えたあとに残る痛みになる予感。
俺は目を閉じた。
胸の奥に、見張りたちの弱い警戒が点のように散っている。
危険はない。
今夜は、それだけで十分だった。
翌朝、リーディアが呼びに来た。
約束通り、執務小屋へ向かう。
執務小屋は集落の中央にある。
外見は他の家とほとんど変わらない。
ただ、入り口の柱に古い符が貼られている。
集落長の家だと知らせる印だ。
中に入ると、セラムが机に向かっていた。
書類のようなものを広げている。
オルドも先に来ていて、隅の椅子に座っていた。
「来たわね」
セラムが書類を脇に寄せた。
「呼んでくれてありがとうございます」
「呼ばれて来たのではなく、あなたから話したいことがあると聞いた」
「はい」
「では、聞く」
俺は深呼吸した。
話す内容は決めてある。
ただ、どこから始めるかを決めていなかった。
始まりが大事だと、会社の研修で言われたことがある。
最初に何を言うかで、相手の受け取り方が変わる。
「俺は、元の世界では森川創一という名前でした。年齢は三十二歳。会社員。書類を扱う仕事をしていました」
「会社員」
「組織に所属して、決められた仕事をする人のことです。この世界の言葉で言えば、職人や農民や兵士に近い立場ですが、戦いとは無縁の仕事でした」
「武術の経験は」
「全くありません。学校で剣道の授業を少し受けただけです。実戦経験はゼロ」
「魔法は」
「俺のいた世界に、魔法はありません」
セラムが少し目を細めた。
「魔法がない世界」
「はい。代わりに、技術と道具で物事を進めます。スマホもその一つです」
俺は懐から壊れたままのスマホを取り出した。
セラムが見る。
オルドも興味深そうに顔を上げた。
「これは光と電気を使って動く道具です。今は使えませんが、元の世界では誰でも持っていました」
「魔力を使わずに、こんなものが」
「はい」
「興味深い」
オルドが言った。
「魔法がなくても、技術で同じようなことができる世界が存在する」
「俺のいた世界では、それが当たり前でした」
セラムが頷いた。
「続けて」
「四日前の夜、俺は仕事から家に帰る途中で、突然光に包まれて意識を失いました。気がついたら、白い部屋にいて、神を名乗る男が立っていました」
「神」
「向こうもそう名乗りました。本当に神かどうかはわかりません。ただ、俺を別の世界へ送ることができる力は持っていました」
「その者は何と」
「この世界に来て、人間と魔族が本当に争うしかないのかを見ろと言いました。それから、戦闘系のスキルを与えました」
「スキルの内容を、もう一度確認したい」
俺はスキルを順に説明した。
堅守刻印。鈍化圧。敵意標識。防線号令。裂勢打ち。
全部、効果と制約を含めて。
セラムが書類に何か書き留めている。
「これで全部です。増やすことも、減らすこともできません。たぶん」
「たぶん?」
「神様はそこまで詳しく説明しませんでした。ただ、これが俺に与えた力だと」
オルドが手を上げた。
「一つ聞いていいかね」
「どうぞ」
「その神様は、なぜ魔族領にあなたを落としたか、理由を言ったかね」
「最初に落ちる場所では敵側の人間だと言いました。それ以上の説明はありませんでした」
「敵側、という言い方は」
「向こうから見ての敵側、という意味だと俺は受け取りました。つまり、人類側の視点で言えば敵側、ということです」
「神は、人類側の視点で話していた」
「そう聞こえました」
オルドはしばらく考えた。
「神が人類側だとは限らない。ただ、人類側の視点を採用していた可能性はある」
「俺もそう思っています」
「興味深いね」
セラムが続けた。
「召具について、わかっていることは」
「黒灰色の盾と片手剣が、必要なときに腕や手に現れます。消すこともできます。重さは普通の武器より少し軽い気がします。ただ、衝撃を受けると痛いです」
「召具は通常、職人が作る。あなたのものは、どこから来ている」
「神様から与えられたとしか説明できません」
「あなたの体から出ているのか、別の場所から呼び出しているのか」
「わかりません。意識すると出てきて、意識を切ると消えます。それ以上は俺にも説明できません」
オルドが頷いた。
「私が見た限りでも、通常の召具とは魔力の動きが違う。あれは、ソーイの体から出ているのではなく、彼を介して外から来ているように見える」
「外、というのは」
セラムが聞いた。
「この世界の外、だろうね。私の推測だが」
「神様の力ですか」
「あるいは、神様が橋渡しになっている力。ただし、これは推測の域を出ない」
セラムは書類に書き留めた。
「もう一つ確認したい。スキル以外で、あなたが持ち込んだものは」
「スマホ、社員証、財布、鞄、傘、コンビニのレシート、書類。全部、リーディアさんが見ています」
「武器になるものは」
「ありません」
「身体的な特徴で、こちらの人間と違う点は」
「魔力核がないこと以外には、たぶんありません」
「年齢の見た目は」
「三十二歳に見えると思います。リーディアさんもそう判断してくれていました」
「あなたの元の世界で、争いは」
「ありました。形が違いますが。離れた場所で、人が人を殺していました。俺はそれをニュースで見ていただけです」
「見ていただけ」
「はい」
「では、こちらでも見ているだけでいいと思うか」
「いいえ」
「なぜ」
「ここでは、見ているだけではいられないから」
セラムは少しの間、俺を見た。
「それは、あなた自身の判断か」
「はい」
「神様の指示ではなく」
「神様は見ろと言いました。動けとは言っていません。動くかどうかは、俺の判断です」
「動く理由は」
「四日間で、顔のある人たちが周りに増えたからです。リーディアさん、ノルさん、オルドさん、ガウンさん、ウナさん、トマ、そしてセラム長」
「私を入れるのか」
「セラム長が判断した結果、俺がここにいるので」
セラムは少しだけ目を細めた。
オルドが小さく笑った。
「いい答えだね」
「ただの事実です」
「事実をそのまま言える人間は、案外少ない」
セラムが書類を閉じた。
「家族のことを聞いていいか」
「両親は健在です。離れた場所に住んでいます。兄が一人。結婚していません。恋人もいません。友人は何人かいます。仕事の関係者が多いですが、それ以外もいます」
「あなたが消えたことで、向こうでは何が起きるか」
「行方不明者として扱われると思います。捜索が出るかもしれません。ただ、戻る手段がない以上、いずれ諦められます」
「それを言えるのか」
「言えます。事実なので」
「家族のことを、感情的に話さない」
「ここで感情的に話しても、向こうには届きません。だから、事実だけ整理しました」
セラムは少しの間、俺を見た。
「あなたは、自分の感情を整理する癖があるね」
「会社員時代の癖です。感情で動くと、判断を間違えるので」
「ここでは、感情で動く場面もある」
「わかっています」
「わかっていて、整理するのか」
「整理しないと、動けないので」
セラムは頷いた。
「もう一つ。あなたは何を目指している」
「最初は、生き延びることでした」
「今は」
「人間と魔族が、本当に争うしかないのかを、自分の目で確かめたいと思っています」
「答えが出たら、どうする」
「争うしかないわけではないと、自分が確信できたら、共存の道を探したいです」
「あなた一人で?」
「一人ではできません。協力してくれる人を、少しずつ増やしていくしかないと思っています」
「神様の指示か」
「神様は見ろとしか言いませんでした。動くのは俺の判断です」
「同じことを二度言わせるな、ということか」
「念のためです」
セラムは微かに笑った。
オルドも笑った。
リーディアだけが、真面目な顔のままだった。
「話してくれてありがとう」
セラムが言った。
「あなたが昨日まで言わなかったことは、ほぼ全部出たと判断する」
「他にもあれば、言ってください。気づかないだけかもしれません」
「今のところはない。ただ、思い出したら言いに来なさい」
「はい」
「あなたの集落での扱いを見直す」
「処分が変わりますか」
「軽くなる」
俺は少し驚いた。
「監視は続ける。ただし、行動の自由を少し増やす。武器の召喚も、緊急時以外は事後報告でいい」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、信用を得た者がやることだ」
「信用に近づいた、ということでいいですか」
「半分くらい」
半分。
リーディアと同じ言葉だった。
偶然ではないかもしれない。
集落長と、彼女に信頼されている女性が、同じ言葉を使う。
この集落の判断の基準が、その言葉に表れている気がした。
「これからも、判断材料は出しなさい」
「出します」
「あなたの判断と、私の判断が違うとき、私の判断を優先する場面がある」
「わかります」
「逆に、あなたの判断を優先する場面もある」
「いいんですか」
「現場であなたが感じることは、ここからは見えない。現場の判断は、現場の者が出す」
俺は頷いた。
「以上だ。下がっていい」
オルドが立ち上がった。
「ソーイ、後で話したいことがある。医療棟に行く」
「はい」
リーディアと俺が執務小屋を出た。
外の光が眩しかった。
「終わったわね」
「終わりました」
「楽になった?」
「半分くらい」
「半分が増えてきた」
「リーディアさんの口癖が、うつったかもしれません」
「私の口癖ではない」
「半分くらい、はリーディアさんがよく使います」
「セラムも使う」
「それで、俺の中にも入りました」
「あなたは、染まりやすい」
「悪い意味で」
「いい意味でも、悪い意味でも」
リーディアは少し笑った。
今日も笑っていた。
俺はそれを、悪くないと思った。
四日目の朝が終わろうとしていた。
まだ何もしていない。
ただ、嘘ではないものを、自分の口から出した。
それだけで、今日の朝は十分だった。
次話は明日の19:00に投稿します。
1日1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




