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第16話 境界森の捜索

 午後になった。


 セラムが医療棟に来て、出発を告げた。


「準備はいいか」


「はい」


 俺は上着を着直し、立ち上がった。


 脇腹が鈍く主張するが、歩ける。


 盾は出せる。


 それだけあれば、今日は足りる。


 ガウンが寝台から声をかけた。


「廃村の東外れに、壊れた水車がある。そこを目印にすれば、隠れている者たちの場所がわかる」


「伝えます」


「頼む。あの者たちに、ここへ来てもいいと伝えてくれ」


「わかりました」


 集落の北門から出たのは四人だった。


 セラム、リーディア、ノル、俺。


 セラムが先頭。


 リーディアが左。


 ノルが右で弓を持っている。


 俺は後方で感知を続けながら歩く。


 出発前にセラムに確認した役割分担だった。


「感知に集中して。周囲の変化はすぐ言う」


「はい」


 森の道に入った。


 グレイノの北側を抜け、東へ向かう。


 道は細い。


 人が何度も通ってできた踏み跡に近い。


 俺は目を半分閉じながら歩いた。


 敵意標識を広げる。


 周囲に感触を探る。


 今のところ、何もない。


 鳥の声。


 木の揺れる音。


 湿った土の匂い。


 それだけだった。


「今は何もありません」


「続けて」


 セラムが短く答えた。


 しばらく歩いて、森が少し開けた。


 低い丘が見え、その先に灰色の建物が並んでいた。


 廃村だ。


 かつて人が住んでいた集落の残骸。


 屋根が落ちているものが多い。


 柵は崩れ、草に覆われている。


 ただ、完全に廃墟ではない。


 一部の建物には、つい最近まで人がいた気配がある。


 消えた竈の跡。踏まれた草。新しい木の削り跡。


「人がいましたね、最近まで」


 俺は言った。


「ヴァランの者たちだろう」


 セラムが答えた。


「今はいないんですか」


「昨夜の攻撃で、移動したかもしれない」


 胸の奥を確認する。


 廃村の中から、何も感じない。


 だが、東の奥から、かすかな感触があった。


「東の奥に、弱い反応があります」


「敵意ですか」


「違います。もっと薄い。恐怖に近い感触です」


 リーディアが眉を寄せた。


「恐怖を感知できるの?」


「石の実験のあとから、少し変わったかもしれません。敵意以外の強い感情が、薄くですが入ってくるようになりました」


「初めて聞いた」


「俺も気づいたのが最近なので」


「なぜ言わなかった」


「確信が持てなかったので」


 リーディアが俺を見た。


「嘘と話せないことは違うと言ったわね」


「はい。話せないことがあると、言えばよかったですね」


「そうして」


「以後気をつけます」


 セラムが二人のやり取りを黙って聞いていた。


 特に何も言わなかった。


「東へ向かう」


 セラムが進路を示した。


 廃村の中を慎重に進む。


 壊れた家の間を抜け、東の外れへ向かった。


 俺は感触を追い続けた。


 恐怖に近い感触が、少しずつ近づいてくる。


 一つではない。


 三つか、四つ。


 混じり合っているので正確にはわからない。


「東の外れに複数います。恐怖が強い。敵意はありません」


「ガウンの仲間だろう」


 セラムが少し声を上げた。


「ヴァラン氏族の者か。グレイノの集落長、セラムだ。ガウンから話を聞いた。危害を加えるために来たのではない」


 沈黙。


 草の揺れる音。


 やがて、崩れた家の陰から人影が現れた。


 一人。


 二人。


 三人。


 全員、疲弊した顔をしている。


 最後に出てきたのは、痩せた女性だった。


 三十代ほどに見えるが、目の下に深い隈がある。


「セラム・グレイノ長か」


「そうだ」


「ガウンは生きているか」


「生きている。傷はあるが、話せる状態だ」


 女性は大きく息を吐いた。


 後ろの二人も、肩の力を抜いた。


「他に仲間はいるか」


「ここにいる三人だけだ。他は、追われながら別れた。どこにいるかわからない」


「ガウンは廃村の東外れに水車があると言っていた。そこで合流するはずだったのではないか」


 女性が目を見開いた。


「水車の場所を知っているのか」


「ガウンから聞いた」


「では、本当にガウンと話したのか」


「そうだ。あの男の口から、あなたたちを迎えに来るよう頼まれた」


 女性は俺を見た。


 視線が止まった。


「その者は、人間か」


「そうだ。ただし、グレイノの監視下にある。敵ではない」


 女性は俺から視線を外さなかった。


「人間なのに、なぜここにいる」


「見張り補助として同行しました。敵意を感知できます」


「魔力核がないのに?」


「持っていません。ただ、別の力を持って転移してきました」


 女性は少しの間、俺を見ていた。


 やがて、視線をセラムへ戻した。


「信用していいか」


「あなたが判断することだ。ただ、私は使うと決めた」


「それで十分だ」


 女性は頷いた。


 胸の奥に、鋭い痛みが走った。


 一つ。


 強い。


 方向は北。


「北に敵意があります。強い。一つ。近づいています」


 全員が動いた。


 セラムが指示を出す。


「ヴァランの三人は東の家の陰へ。ノルは北に矢を向けて待機。リーディア、ソーイ」


「はい」


「前へ」


 俺とリーディアが北へ向いた。


 盾を出す。


 脇腹が痛む。


 痛みより先に、盾が出た。


 北の茂みが揺れた。


 飛び出してきたのは、人ではなかった。


 大型の獣。


 額に角が一本。黒い体毛。俺の腰ほどの高さ。


 転移した最初の夜に見たものと同じ種だ。


 ただ、あのときより一回り大きい。


「魔獣ね」


 リーディアが静かに言った。


「敵意で出るんですか、魔獣も」


「強い獣は、そうよ」


 獣が俺を見た。


 黄色い目が、俺の盾に向いている。


「構えて」


 リーディアの声。


 俺は盾を正面に構えた。


 重心を落とす。


 足は肩幅より少し広く。


 膝を曲げる。


 獣が踏み込んだ。


 速い。


 だが、転移した夜より、俺の目が追えている。


 盾で受ける。


 衝撃が腕を走る。


 脇腹が燃えるように痛んだ。


 足がずれない。


 堅守刻印。


 獣が弾かれて着地する。


「今」


 リーディアの声と同時に、裂勢打ちを出した。


 盾の縁が獣の肩をかすめる。


 体勢が崩れた。


 黒燐火が走る。


 獣の足元を焼き、横転させる。


 ノルの矢が一本、獣の肩に刺さった。


 獣が鳴き声を上げる。


 起き上がろうとするが、足が動かない。


「もう一本、ノル」


 ノルの矢が放たれた。


 獣が動かなくなった。


 俺は盾を構えたまま、周囲を確認した。


 他に敵意はない。


「大丈夫です」


「わかった」


 セラムが静かに答えた。


 リーディアが俺の脇腹を見た。


「傷は」


「たぶん、また開きました」


「確認する」


「今は後でいいです。先に確認することがあります」


 リーディアが少し目を細めた。


「後で逃げないで」


「逃げません」


 俺はヴァランの三人が隠れている方へ向いた。


「出てきても大丈夫です」


 三人が出てきた。


 さっきの女性が俺を見る。


「人間が、盾で受けたのか」


「盾役なので」


「魔族でもないのに、前に出た」


「あそこに立っていたので」


 女性はしばらく俺を見た。


 恐怖の感触が、少しだけ薄れていた。


 完全に消えてはいない。


 でも、薄れた。


「名前を教えてくれ」


「ソーイです」


「私はウナ。ヴァラン氏族の者だ」


「ウナさん。ガウンさんが待っています」


「知っている」


 ウナは一歩前へ出た。


「グレイノへ連れていってくれるか」


「セラム長が許可を出しています」


「では、頼む」


 帰り道は来た道を戻った。


 ヴァランの三人が加わり、七人で森を歩く。


 リーディアが俺の横に来た。


「傷」


「痛いです」


「正直ね」


「逃げないと言いました」


「歩けるか」


「歩けます」


「帰ったらすぐ確認する」


「はい」


 俺は感知を続けながら歩いた。


 危険はない。


 ただ、脇腹の痛みが一歩ごとに主張を強めていた。


 ノルが俺の横に来た。


「大丈夫か」


「見た目より痛いです」


「正直だな」


「嘘をついても傷は治りません」


「そうだな」


 ノルは少しの間、黙って歩いた。


「さっきの、よかったぞ」


「何がですか」


「獣を受けたとき。最初の夜のあなたと、全然違った」


「少し練習しました」


「少しで変わるものなのか」


「変わらないより、変わる方がいいので」


「なんかそれ、いい言葉だな」


「特にいい言葉だとは思いませんでしたが」


「俺はいいと思った」


 ノルはそれきり黙った。


 照れているようだった。


 俺は前を向いて歩き続けた。


 グレイノの柵が見えてきた。


 見張りが気づいて声を上げる。


 門が開く。


 集落の人間が出てきて、ヴァランの三人を見る。


 ざわめきが起きる。


 だが、セラムが一歩前に出ただけで、ざわめきが静まった。


「ヴァラン氏族の生存者だ。保護する。各自の持ち場に戻れ」


 短い指示だった。


 それだけで、集落が動いた。


 セラムの判断が、ここでは信頼されている。


 その信頼が積み上がるのに、どれだけの時間がかかったのだろうと俺は思った。


 俺がこの集落で積み上げようとしているものも、いつかそういうものになるだろうか。


 まだわからない。


 でも、今日も少しだけ、積み上がった気がした。


 医療棟の前で、リーディアが俺の腕を引いた。


「入りなさい」


「はい」


「逃げると言ったら逃がさなかった」


「逃げません」


「知っている」


 リーディアは、少しだけ早足で医療棟へ向かった。


 俺はその後を追いながら、脇腹を押さえた。


 痛いが、悪くない痛みだった。


 何かを守った後の痛みというのは、悪くない。


 そういうものだと、この世界に来て初めて知った。


次話は明日の19:00に投稿します。


1日1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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