第15話 盾を置く日
翌朝、目が覚めると、リーディアはいなかった。
椅子だけが壁際に残っていた。
ガウンが隣の寝台から俺を見ていた。
「よく眠れたか」
「それなりに。あなたは」
「傷が疼いて、何度か目が覚めた。まあ、慣れたことだ」
ガウンは腕を見た。
布が巻かれている。
「あんたが、ソーイとかいう人間か」
「はい」
「集落の者から聞いた。敵意を感知できると」
「できます」
「便利な力だ」
「倒せないので、感知するだけです」
「倒すだけが戦いじゃない」
ガウンは起き上がろうとして、顔をしかめた。
「無理しないでください」
「わかっている。ただ、寝たままで話するのは性に合わない」
彼は時間をかけて、寝台の端に腰を下ろした。
「あんたは転移者だと聞いた」
「はい」
「どこから」
「この世界とは別の場所です。うまく説明できませんが」
「別の世界か。ヴァランの古い口伝に、そういう話が出てくる」
「同じようなことが、過去にもあったということですか」
「百年以上前の話だ。戦争が激しかった時代に、外から来た者がいたという記録がある。魔力核を持たず、召具のような力を持っていた」
オルドが言っていた百年前の記録と一致する。
「その人はどうなりましたか」
「記録によれば、戦争を止めようとして、どちらの陣営にも受け入れられず、消えたとある」
消えた。
死んだのか、戻ったのか、それとも別の意味なのか。
「うまくいかなかったんですね」
「うまくいかなかった。ただ、その者がいた期間だけ、戦争の規模が小さくなったという記録もある」
「完全には失敗ではなかったかもしれない」
「そう考えることもできる」
ガウンは俺を見た。
「あんたは、何をしようとしている」
「今のところ、生き延びることです」
「それだけか」
「それだけではありませんが、まだ大きなことを言える立場にないので」
「正直だな」
「嘘が下手なので」
ガウンは少しだけ笑った。
「集落長が、あんたを使うと言っていた。見張り補助として」
「はい」
「それで十分か」
「今は十分です。できることを積んでいかないと、先がないので」
「できることを積む」
ガウンは繰り返した。
「ヴァランの古老も、似たことを言っていた。大きな力がないなら、小さな積み重ねで道を作ると」
「できていましたか」
「半年で半数が石の声に従った。残りは逃げた。積み上がる前に崩された」
「それでも、逃げた人たちがいる」
「そうだな」
ガウンは窓の外を見た。
「廃村の者たちのことを、頼めるか」
「俺が判断できることではありません。セラム長に話してください」
「昨日話した。受け入れると言ってもらった」
「なら、俺にできることがあれば言ってください」
「敵意を感知できるなら、廃村への道を確認するとき、使えるかもしれない」
「セラム長が許可するなら、一緒に行きます」
「あんたは、集落の指示に従うのか」
「今はそうしています」
「自分の判断ではなく」
「自分の判断では動けるほど、この世界のことを知りません。知らないうちは、知っている人の判断に従う方が、失敗が少ない」
ガウンはしばらく俺を見た。
「賢いのか、それとも慎重すぎるのか」
「臆病だと思います」
「臆病と慎重は、紙一重だ」
「どちらだと思いますか」
「まだわからない。ただ、昨夜の話を集落の者から聞いた。子どもの前に出たのは、臆病な者のやることじゃない」
「あれは反射でした」
「反射でも、できる者とできない者がいる」
ガウンは寝台に戻った。
「休む。また話ができれば話そう」
「はい」
午前中、リーディアが戻ってきた。
手に薬草の束を持っている。
「どこへ行っていたんですか」
「森の外れで採取してきた。医療棟の在庫が減ったので」
「一人でですか」
「ノルを連れていった」
「危険ではないですか」
「この程度で危険なら、集落の暮らしが成立しない」
「そうですね」
リーディアは薬草を棚に並べた。
「傷の状態を見せて」
「はい」
俺は上着をめくった。
リーディアが布をはずし、確認する。
「昨日より炎症が引いている」
「痛みも少し減りました」
「今日から軽い訓練は再開できる。ただし、盾を出すのはまだ後」
「召具を使わない訓練ですか」
「体の使い方だけ。重心の確認と、足先を見る練習」
「わかりました」
リーディアは新しい布を巻いた。
手際は変わらない。
ただ、昨夜の話をしてから、俺に対する何かが少し変わった気がした。
距離が、ほんのわずかだけ、縮んでいる気がする。
気のせいかもしれない。
ただ、気のせいだと思いたくない気持ちも少しあった。
「リーディアさん」
「何」
「昨夜の話、ありがとうございました」
「礼を言うことじゃない」
「俺には必要な話でした」
「あなたが必要だと感じたなら、そうかもしれない」
「嘘と話せないことの違いを守ります」
「昨夜も言った」
「もう一度言いたかったので」
リーディアは布の結び目を固く締めた。
「わかった。覚えておく」
それだけだった。
それだけで、十分だった。
昼前に、セラムが来た。
リーディアと俺を見て、傷の状態を確認する。
「動けるか」
「軽い訓練ならと、リーディアさんに言われました」
「では、午後に廃村への確認に出る。一緒に来られるか」
「はい」
「リーディア」
「私も行く」
「ノルも連れていく。四人で行く。ガウンは留守番だ。まだ動けない」
「わかりました」
セラムは出ていった。
リーディアが俺を見た。
「廃村への道は、灰境線の東寄りを通る」
「人類軍の斥候が出る地域ですか」
「可能性がある。気を張っておいて」
「はい」
「感知は常に続けて。変化があればすぐ言う」
「わかりました」
俺は盾を一度だけ出してみた。
黒灰色の粒が集まり、大盾が現れる。
脇腹に少し響く。
我慢できる範囲だった。
すぐに消した。
「出せるわね」
「使えるかどうかは、また別問題ですが」
「出せるなら、いざとなれば使える」
「そうですね」
リーディアは薬草の袋を一つ、腰に下げた。
「午後まで、少し休んでおきなさい」
「訓練は」
「廃村への道の方が、実戦的な練習になる」
「それはそうですね」
「でしょう」
俺は寝台に横になった。
天井を見る。
この世界に来て四日目になっていた。
まだ四日しか経っていない。
なのに、ずいぶん遠くまで来た気がした。
森。小屋。集落。医療棟。
場所だけではない。
リーディア。セラム。ノル。オルド。ガウン。トマ。
名前を持った人たちが、俺の周りに増えていた。
神様はこの世界を見ろと言った。
人間と魔族が本当に争うしかないのかを見ろと。
まだ答えは出ない。
でも、少しずつ見えてきているものがある。
外見ではほとんど区別のつかない人たちが、石の声に従って争い、石の声に従わなかった者が逃げて、助けを求めてここへ来た。
争いの根は、見た目の違いではない。
植え付けられた恐怖と、増幅された憎しみだ。
それが、少しずつわかってきていた。
まだ戦えない。
まだ届かない。
でも、盾を持って、前に立てるようになってきている。
それだけは、四日前の俺よりも確かだった。
次話は明日の19:00に投稿します。
1日1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




