第二十六話 嘘を真実に上書きする男
「会長。撃ちたければ、撃てばいい」
俺は銃口から目を逸らさず、極めて平坦な声で言い放った。
「ですが、私を殺せば、あなたが安全に100億を運ぶ手駒は完全にゼロになります。私はあなたを裏切りません。なぜなら、私にとってあなたは『最も利益をもたらす絶対的な支配者』だからです」
神崎の目が、俺の微細な表情の変化、汗、心拍の乱れを読み取ろうと鋭く細まる。
この瞬間、俺は自分自身に「究極のペテン」をかけていた。
詐欺師の極致。それは、他者を騙すことではない。**「自分自身の脳を完全に騙し、自らの吐く嘘を、一時的に100%の真実だと思い込むこと」**だ。
復讐心も、渡辺や小日向たちの存在も、今の俺の意識からは完全にシャットアウトされている。俺の脳は今、「神崎隆に心酔し、彼のためなら命も捨てる狂信的な部下」という人格に完全に上書きされていた。
だから、俺の言葉には一切の淀みがない。
もし神崎が俺と同じ「赤い靄」を見る能力を持っていたとしても、今の俺の口からは、ただの一筋の靄すら出ていないはずだ。物理的な嘘発見器にかけられても、針一つ揺れない自信があった。
神崎は数分間、俺の目を見つめ続けていたが、やがてゆっくりと銃を下ろした。
「……狂っているな、お前は」
神崎が、不気味な笑みを浮かべた。
「いいだろう。その狂気と度胸、信じてやる。来週の火曜、深夜零時。私の私邸の地下から、100億円の無記名債券をアタッシュケース三つに分けて運び出す。お前が責任者として、御子柴の指定する別荘まで運べ」
「承知いたしました。命に代えても」
俺は深々と一礼し、会長室を後にした。
廊下に出て、エレベーターの扉が閉まった瞬間、凛の能力(感情の安定化)の余韻がふっと途切れ、抑え込んでいた本来の「霧島誠一(詐欺師)」の意識が激流のように戻ってきた。
冷や汗がどっと噴き出し、俺はエレベーターの壁に背中を預けた。
一歩間違えれば、あの場で脳天を撃ち抜かれていた。だが、結果として神崎のパラノイアを逆手に取り、最も重要な「100億の運搬役」のポジションを勝ち取った。
盤面は、俺たちの支配下にある。




