第二十話 監視者の正体
神崎の私邸へ向かう前に、俺は一つ「片付けておかなければならない場所」があった。
桐ヶ丘の寂れた商店街にある、不動産屋『ハウスサポート桐ヶ丘』。俺が霧島誠一として、最初に絶望を味わった場所だ。
夕暮れ時の店内には、渡辺店長が一人でデスクに向かっていた。
「……霧島くん。帝都銀行のエリート様が、こんな場末の不動産屋に何の用だい?」
渡辺は、いつもの人の良い笑顔を浮かべていた。だが、その声のトーンは絶対零度だった。
俺はブラインドを下ろし、入り口の鍵を内側から閉めた。
「店長。いや……『先代の神崎会長秘書』と呼んだ方がいいですか?」
俺の言葉に、渡辺の肩がピクリと反応した。
近藤麻美は言っていた。彼女の前任の秘書は『横領の罪を着せられて自殺した』と。
だが、神崎という男は、裏の事情を知りすぎた人間を簡単に死なせはしない。名前と戸籍を奪い、一生飼い殺しにして「監視役」として使い潰す。一見平和なこの不動産屋は、遠藤が小銭の横領スキームを回し、神崎の息のかかった人間を隔離するための「収容所」だったのだ。
「……いつから気づいていた?」
渡辺の口から、ふわりと**赤い靄**が漏れた。彼が初めて見せた、感情の揺らぎだ。
「近藤麻美からデータを受け取った帰り道、あなたが俺に『火傷じゃ済まないぞ』と忠告した時からです。あなたのあの時の目……俺が前世でよく知っている、『すべてを諦め、組織の犬として生きるしかなくなった人間の目』だった」
渡辺は深くため息をつき、眼鏡を外した。
「……近藤くんは、無事なのか」
「ええ。俺が安全な場所に隠しています」
「そうか……。霧島くん、君の目的は何だ。遠藤を潰し、氷室を潰し、次は神崎会長の首でも取る気か?」
「ご名答です。そのために、あなたの力が必要だ」
俺は渡辺の前に、一枚の紙を差し出した。
「明日、俺は神崎の私邸に呼ばれている。だが、あそこは完全なブラックボックスだ。かつて神崎の最側近だったあなたなら、あの屋敷の『本当の間取り』と、神崎が最も隠したがっている『物理的な弱点』を知っているはずだ」
渡辺はしばらく黙り込んでいたが、やがてペンを取り、俺の差し出した紙に迷いのない線を引き始めた。
「……屋敷の地下二階。そこにはシステム管理されていない『完全なアナログの書斎』がある。神崎が政財界の要人を脅すための、数十年にわたる『直筆の裏帳簿』が隠されている場所だ」
渡辺が、酷く暗い目で俺を見上げた。
「私はもう戦えない。だが……もし君が本当にあの怪物を殺せるなら、私の残りの人生、すべて君に賭けよう」
伏線は回収された。監視者は今、俺の最も強力な道案内へと変わった。




