表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/36

第十一話 常務の影

遠藤忠雄の「失踪」から一週間が経過した。

表向きには、遠藤は「一身上の都合による急な退職」として処理されていた。あれだけの権力を握っていた男が、たった一夜で会社から完全に消し去られる。時価総額一兆円を誇る神崎コーポレーションの、圧倒的で暴力的な揉み消し力だった。


その日、俺は神崎コーポレーションの本社ビル、最上階の応接室に呼び出されていた。

座り心地の良すぎる分厚い革張りのソファ。目の前には、遠藤を冷酷に葬った張本人である会長・神崎隆が、葉巻を燻らせながら座っている。


「霧島くん。君の帝都銀行での立場は、すでに私が銀行の上層部と『調整』をつけておいた。当面の間、君には私の特命監査員として、我が社の内部調査に動いてもらう」


神崎の口元からは、赤いもやは出ていない。

彼の中で、俺は遠藤のクーデターを未然に防ぎ、神崎の財産を守った「優秀で忠実な外部エージェント」だと完全に信じ切っている。命がけのコンゲームを仕掛けた甲斐があった。ここまでは、俺の描いたシナリオ通りだ。


「光栄です、会長。全力を尽くします」

俺は立ち上がり、深々と頭を下げた。


「だが、君を直接私の直属にするわけにはいかない。巨大な組織には、社内のバランスというものがあってね。君には、私の右腕である『氷室ひむろ常務』の下についてもらう」


氷室常務。

その名前が出た瞬間、空調の効いた応接室の空気が、さらに一段冷たくなったような錯覚を覚えた。


「氷室は、我が社の財務と法務、コンプライアンスのすべてを握っている男だ。遠藤のような粗暴な力技は使わないが、その分、少し……神経質なところがあってね。君も粗相のないようにしたまえ」


数日後。俺は神崎コーポレーションの役員フロアで、氷室常務と初めて対面していた。

広い執務室には余計な装飾が一切なく、複数の巨大なモニターが壁面を覆い、株価や為替、社内の資金流動のデータが滝のように流れ続けている。

その中央のデスクに座る氷室は、銀縁の眼鏡の奥に、まるで爬虫類のように感情が抜け落ちた瞳を宿していた。年齢は40代後半だろうか。髪は一糸乱れず撫でつけられている。


「霧島誠一くん、ですね」

氷室の声は、抑揚がなく、ひどく静かで無機質だった。

「会長からは、遠藤の不正を暴いた優秀なエージェントだと聞いています。しかし、私は人間の言葉や感情という不確かなものを一切信用しません。私が信用するのは、数字とデータという『絶対的な事実』のみです。あなたが本当に我が社にとって有益か……私の目で、見極めさせてもらいますよ」


氷室の口元を凝視する。だが、靄は出ない。

これは彼が俺を信じているからではない。氷室という男は「事実しか口にしない」のだ。嘘をつかない人間に対して、俺の能力は全くの無力となる。

彼の視線の鋭さは、遠藤の比ではなかった。俺の細胞の隅々まで解剖し、不純物がないかを確認しようとするような、不気味なほどの観察眼。


「……お手柔らかにお願いします、常務」


小日向颯が言っていた「もっと陰湿で、論理的」という言葉の意味が、痛いほど理解できた。

遠藤が腕力でねじ伏せる武闘派なら、氷室は決して自らは動かず、緻密な蜘蛛の巣に獲物を絡め取り、論理の力でじわじわと血をすするタイプだ。

復讐の第二幕。相手にとって不足はない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ